名古屋市立広見小学校
名古屋市中川区の公立小学校
名古屋市立広見小学校(なごやしりつ ひろみしょうがっこう)は、名古屋市中川区広住町にある公立小学校。
名古屋市立広見小学校 | |
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過去の名称 |
愛知第四尋常小学校 猿子尋常小学校 広見尋常小学校 広見国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 名古屋市 |
校訓 | やりぬく子・考える子・健康な子 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B123210001164 |
所在地 | 〒454-0007 |
名古屋市中川区広住町4番41号 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
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教育目標
編集校訓として「やりぬく子・考える子・健康な子」を設定している[WEB 1]。
歴史
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1921年︵大正10年︶4月、愛知郡愛知町に愛知第四尋常小学校として設置された[1][2]。開校当初は愛知第二尋常小学校校舎の一部を仮校舎とし、6月に大字日置字猿子に新築した校舎に移転した[1][3]。同年8月、愛知町は名古屋市に編入され、学校名も猿子尋常小学校と改められた[2]。1923年︵大正12年︶から元中区役所愛知分所を転用して仮教場として使用した。
1929年︵昭和4年︶6月に西日置町字広見に新築した校舎に移転し、同年9月に仮教場を廃止、翌1930年4月に広見尋常小学校へ改称した[1][2]。これに伴い、﹁知見ヲ廣メ自ラ修学ニ努メルコト﹂を意味する校章を制定した[4]。法令改正に伴い1941年︵昭和16年︶に広見国民学校、1947年︵昭和22年︶に名古屋市立広見小学校と名を変えた[2]。太平洋戦争後、復興土地区画整理事業によって校地が拡張された[5]。
年表
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●1921年︵大正10年︶
●4月1日 - 愛知第四尋常小学校開校[1][2]。愛知第二尋常小学校校舎︵愛知郡愛知町大字日置字六反田︶の一部を仮校舎とする[1][3][2]。
●6月1日 - 大字日置字猿子に移転[1][3]。
●8月22日 - 愛知町が名古屋市に編入されたことに伴い、名古屋市を設置者とする猿子尋常小学校となる[1][3]。所在地表記が名古屋市中区西日置町字猿子となる[3]。
●1923年︵大正12年︶6月29日 - 仮教場を設置する[1]。
●1929年︵昭和4年︶
●2月 - 新校舎着工[2]。
●6月11日 - 中区西日置町字広見に移転[1]。
●9月17日 - 仮教場を廃止[1]。
●9月21日 - 露橋尋常高等小学校から140名が転校[1]。
●1930年︵昭和5年︶
●4月1日 - 広見尋常小学校に改称[1]。
●4月14日 - 校章制定[2]。
●1934年︵昭和9年︶11月1日 - 名古屋市の広住町新設により、所在地表記が中区広住町28番地となる[6][7]。
●1936年︵昭和11年︶9月1日 - 第3学年以下で二部教授を開始[1]。
●1937年︵昭和12年︶
●4月15日 - 校舎増築竣工[1]。
●10月1日 - 名古屋市の中村区新設により、所在地表記が中村区広住町28番地となる[8]。
●1941年︵昭和16年︶4月1日 - 国民学校令施行により、広見国民学校となる[9]。
●1944年︵昭和19年︶
●2月11日 - 行政区域の変更により、学区は中川区の内となり、所在地表記は中川区広住町28番地となる[10][8]。
●8月8日 - 第5,6学年児童400名余りが碧海郡富士松村に集団疎開[11][12]。村内の寺院のほか、富士松南国民学校と富士松北国民学校の校舎の一部を借用した[11][12]。
●12月7日 - 昭和東南海地震。富士松村の疎開先でも被害あり[13]。
●1945年︵昭和20年︶
●3月12日 - 名古屋大空襲により校舎全焼[2][注1]。
●4月27日 - 富士松村から額田郡に再疎開[11]。竜谷村、山中村に受け入れの記録あり[14]。
●11月 - 20日に竜谷国民学校、24日に山中国民学校で送別会が挙行される[14]。
●1947年︵昭和22年︶
●4月1日 - 学校教育法により、名古屋市立広見小学校となる[2]。
●11月 - 木造校舎竣工[2]。
●1979年︵昭和54年︶ - 校庭の西側に造成した﹁広見の森﹂完成[4]。
●1980年︵昭和55年︶5月25日 - 住居表示実施により、所在地表記が中川区広住町4番41号となる[2][8]。
児童数の変遷
編集『名古屋市中区史』(1944年)および『愛知県小中学校誌』(2008年、2018年)によると、児童数の変遷は以下の通りである[15][16][17]。
1927年(昭和2年) | 911人 | |
1937年(昭和12年) | 1256人 | |
1947年(昭和22年) | 724人 | |
1957年(昭和32年) | 1037人 | |
1967年(昭和42年) | 618人 | |
1977年(昭和52年) | 371人 | |
1987年(昭和62年) | 143人 | |
1997年(平成9年) | 120人 | |
2007年(平成19年) | 91人 | |
2017年(平成29年) | 107人 |
児童活動
編集委員会活動
編集委員会活動として、2022年(令和4年)度は、体育委員会・図書委員会・保健委員会・給食委員会・代表委員会がそれぞれ活動を行っている[WEB 2]。
部活動
編集部活動として、2022年(令和4年)度は、野球部・サッカー部がそれぞれ活動を行っている[WEB 2]。
通学区域
編集所管する名古屋市教育委員会は、2018年(平成30年)9月1日現在、中川区のうち運河通・西日置町・西日置一丁目・西日置二丁目・広住町・松重町の全域および運河町・山王一丁目・月島町・中川運河東支線の各一部を通学区域として指定している[WEB 3]
また、卒業後の進学先は名古屋市立山王中学校となっている[WEB 4]。
交通アクセス
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 中村区制十五周年記念協賛会 (1953, pp. 244–246)は「戦災を免れた」としている。
WEB
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(一)^ “学校紹介”. 名古屋市立広見小学校. 2023年2月6日閲覧。
(二)^ ab“児童の活動”. 名古屋市立広見小学校. 2023年2月6日閲覧。
(三)^ 名古屋市教育委員会事務局総務部教育環境計画室 (2018年9月1日). “名古屋市立小・中学校の通学区域一覧︵中川区︶” (PDF). 名古屋市. 2018年11月14日閲覧。
(四)^ 名古屋市教育委員会事務局総務部教育環境計画室 (2018年4月1日). “名古屋市立中学校区一覧︵小→中︶” (PDF). 名古屋市. 2018年11月14日閲覧。
(五)^ 名古屋市教育委員会事務局総務部企画経理課 (2018年9月18日). “中川区の小・中学校一覧”. 名古屋市. 2018年11月14日閲覧。
文献
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m n 鷲尾重一 1944, pp. 208–209.
- ^ a b c d e f g h i j k l 中川区制50周年記念誌編集委員会 1987, p. 407.
- ^ a b c d e 中村区制十五周年記念協賛会 1953, pp. 231–233.
- ^ a b 『愛知県小中学校誌』 1988, p. 302.
- ^ 戦災復興誌編集委員会 1984, p. 559.
- ^ 「名古屋市告示第二百二十一號」『名古屋市公報』第338号、名古屋市役所、2162–2164頁、1934年10月29日。
- ^ a b 寮金吉 1954, p. 201.
- ^ a b c 角川書店 1992, p. 489,830.
- ^ 中村区制十五周年記念協賛会 1953, p. 237.
- ^ 中村区制十五周年記念協賛会 1953, pp. 252–253.
- ^ a b c 刈谷市誌編さん委員会 1960, pp. 696–700.
- ^ a b 加藤修治 1990, pp. 206–208.
- ^ 加藤修治 1990, pp. 213–214.
- ^ a b 岡崎市教育史編集委員会 1958, pp. 195, 198.
- ^ 鷲尾重一 1944, pp. 209–210.
- ^ 『愛知県小中学校誌』 2008, p. 377.
- ^ 『愛知県小中学校誌』 2018, p. 224.
参考文献
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●鷲尾重一 編﹃名古屋市中区史﹄名古屋市中区役所、1944年2月10日。NDLJP:1042158。
●中村区制十五周年記念協賛会 編﹃中村区史﹄中村区制十五周年記念協賛会、1953年5月20日。 NCID BN14400523。
●寮金吉 編﹃名古屋市 教育要覧﹄ 昭和二十九年刊、名古屋市教育委員会事務局総務部調査企画課、1954年3月31日。NDLJP:3036726。
●岡崎市教育史編集委員会 編﹃岡崎教育史要﹄岡崎市教育委員会、1958年3月31日。NDLJP:3039269。
●刈谷市誌編さん委員会 編﹃刈谷市誌﹄愛知県刈谷市役所、1960年8月。NDLJP:3015574。
●戦災復興誌編集委員会 編﹃戦災復興誌﹄名古屋市計画局、1984年3月30日。NDLJP:9672261。
●中川区制50周年記念誌編集委員会 編﹃中川区史﹄中川区制50周年記念事業実行委員会・中川区役所、1987年10月1日。全国書誌番号:88007237。
●﹃六三制教育四十周年記念 愛知県小中学校誌﹄愛知県小中学校長会、1988年2月22日。 NCID BN02160193。
●加藤修治﹁学童集団疎開の三十年後﹂﹃続刈谷風土記﹄刈谷郷土を学ぶ会、1990年2月28日、206–216頁。NDLJP:9572080/111。
●角川書店 編﹃なごやの町名﹄名古屋市計画局、1992年3月31日。全国書誌番号:93012879。
●﹃六三制教育六十周年記念 愛知県小中学校誌﹄愛知県小中学校長会、2008年2月17日。 NCID BA86102289。
●﹃六三制教育七十周年記念 愛知県小中学校誌﹄愛知県小中学校長会、2018年2月15日。