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和様建築
日本の寺院建築の様式
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和
様
建
築
︵
わ
よ
う
け
ん
ち
く
︶
と
は
、
鎌
倉
時
代
に
中
国
か
ら
伝
わ
っ
た
建
築
様
式
︵
大
仏
様
、
禅
宗
様
︶
に
対
し
て
、
そ
れ
ま
で
日
本
で
寺
院
建
築
に
用
い
ら
れ
て
き
た
寺
院
建
築
の
様
式
を
指
す
。
単
に
和
様
︵
わ
よ
う
︶
と
も
呼
ば
れ
た
場
合
に
は
和
様
建
築
の
こ
と
を
指
す
場
合
も
あ
る
。
西明寺
本堂(滋賀県、国宝) 鎌倉時代初期 側柱を長押で固め、蔀戸を多用した典型的な和様仏堂
霊山寺
(奈良県、国宝)弘安6年(1283年)伝統的な和様を順守した保守的な建築。
霊山寺本堂の細部 組物は尾垂木付きの二手先とする。頭貫の木鼻には大仏様の要素がみられる
目次
1
概要
2
和様の特徴
3
代表的な建造物
4
参考文献
5
関連項目
概要
編集
も
と
も
と
寺
院
建
築
の
様
式
は
中
国
か
ら
伝
わ
っ
て
き
た
も
の
で
あ
る
が
、
平
安
時
代
の
国
風
文
化
の
時
代
に
日
本
人
好
み
に
洗
練
さ
れ
て
い
っ
た
。
大
寺
院
で
は
規
模
の
大
き
な
仏
堂
も
あ
る
が
、
住
宅
風
に
柱
を
細
く
、
天
井
を
低
め
に
し
た
穏
や
か
な
空
間
の
仏
堂
も
造
ら
れ
た
。
鎌
倉
時
代
に
中
国
か
ら
新
た
な
様
式
が
伝
わ
っ
て
く
る
と
、
従
来
の
様
式
と
の
違
い
が
意
識
さ
れ
る
よ
う
に
な
り
、
や
が
て
和
様
と
い
う
言
葉
が
生
ま
れ
た
。
中
世
に
お
い
て
は
、
禅
宗
寺
院
で
は
禅
宗
様
、
密
教
寺
院
に
は
和
様
︵
一
部
に
大
仏
様
を
取
り
入
れ
た
折
衷
様
︶
と
宗
派
と
建
築
様
式
の
区
分
も
あ
っ
た
が
、
近
世
に
入
る
と
様
式
の
折
衷
化
が
進
み
、
密
教
寺
院
に
一
部
禅
宗
様
の
要
素
が
取
り
入
れ
ら
れ
る
こ
と
も
あ
っ
た
。
和様の特徴
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柱の上部同士を補強するため、
長押
を打つ
組物の間に
蟇股
(かえるまた)または間斗束(けんとづか)という部材を置く
柱は太く、天井を低めにしたものが多い
床を張り、
縁側
を造る
床下に
亀腹
を築く
代表的な建造物
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平等院
鳳凰堂
室生寺
五重塔
當麻寺
本堂
浄瑠璃寺
本堂
金剛峯寺
不動堂
延暦寺
根本中堂
富貴寺
大堂
興福寺北円堂
一乗寺
三重塔
明
通
寺
本
堂
︵
福
井
県
、
国
宝
︶
正
嘉
2
年
︵
1
2
5
8
年
︶
正
面
柱
間
は
す
べ
て
蔀
戸
と
し
、
外
観
は
和
様
だ
が
、
内
部
に
は
禅
宗
様
、
大
仏
様
を
取
り
入
れ
た
折
衷
様
建
築
で
あ
る
。
長寿寺
本堂(滋賀県、国宝) 平安時代末期ないし鎌倉時代初期
霊山寺本堂の蟇股
霊山寺本堂の蔀戸
参考文献
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『週刊朝日百科 日本の国宝』7号、朝日新聞社、1997(霊山寺)
『週刊朝日百科 日本の国宝』80号、朝日新聞社、1997(西明寺、長寿寺)
『週刊朝日百科 日本の国宝』84号、朝日新聞社、1997(明通寺)
関連項目
編集
和様
建築史
日本建築史