奥田東
生涯
編集生誕から結婚まで
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1905年8月19日に奈良県畝傍で教師・奥田清の長男として生まれる。なお、戸籍は京都府熊野郡久美浜町︵現‥京丹後市︶。父親の転勤に伴い広島県福山市に移り、福山南小学校に入学。その後さらに転勤のため京都市上京区の京極小学校に転校した。1918年に旧制京都府立京都第一中学校︵現‥洛北高校︶に入学。同窓生には朝永振一郎、桑原武夫、湯川秀樹らがおり、全員が旧制高校と大学も一緒で、かつ後に京都大学の教授となっている。
1922年に旧制第三高等学校に入学。同校ではラグビー部に所属していた。また、同級生には大河内一男がいた。1925年に京都帝国大学農学部に入学し、1929年の卒業後は東京市西ケ原の農林省農事試験場の技官となった。ここに在職中に妻のさとと結婚している。
京都大学時代
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1940年に京都帝国大学農学部の肥料学の助教授に就任した。1947年に教授になり、1949年農学博士になった。﹁排水が稲作に及ぼす影響に関する研究﹂。1952年には日本土壌肥料学会会長に就任している。また、1962年には日本学術会議の会員になった。
なお、農学部では、
●放射性同位体を利用した植物体内における栄養素の行動の観察
●腐食酸、リン酸、ケイ酸の農産物増収への効果
●藍藻、光合成細菌など窒素固定微生物の水田における役割
などの研究を行っている。
1961年に農学部長、1963年には京都大学総長となり2期6年を務めた。当時は学園紛争の時期に当たり、国立大学協会会長として各地の紛争解決にも尽力した。
1966年には建国記念日審議会に全回出席し、﹁人間社会でなく国土に重きをおくべき﹂との理由により、委員の中で唯一立春を個別意見とした。
国際交流など
編集参考文献
編集- 山田康之『奥田東先生を悼む』 日本農藝化學會誌、Vol.73(869)、P.1-3、1999年9月
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