妙玖
生涯
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明応8年︵1499年︶、安芸国国人・吉川国経の娘として小倉山城で生まれる。
成人後、安芸国の有力国人毛利氏の一族である多治比殿・毛利元就に政略結婚で嫁いだ。輿入れの時期については2説あり、元就が多治比殿として独立した後の永正10年︵1513年︶頃、もう一つは有田中井手の戦いの前後の永正14年︵1517年︶に多治比猿掛城に輿入れしたとの説[1]である。元就との間に長女︵高橋氏人質。高橋氏滅亡の際に処刑、夭折︶、次いで大永3年︵1523年︶には嫡男である隆元、享禄2年︵1529年︶頃に次女の五龍局︵宍戸隆家室︶、享禄3年︵1530年︶に元春、天文2年︵1533年︶に隆景をそれぞれ産んだ。
天文14年︵1545年︶11月30日、郡山城内で死去。享年47[1]。法名は妙玖寺殿成室玖公大姉。元就は郡山城の麓、毛利家の吉田館近くに妙玖をまつって、妙玖庵とよびならわした[2]。妙玖庵の跡は残っているが、墓所は確認されていない[1]。
備考
編集- 元就が息子の隆元に宛てた手紙の中で「妙玖のことのみしのび候」などと言って、亡き妻のことを息子に語りかけようとしており、妙玖の名前は毛利家の心の結び目となっていたことが知られる[2]。
妙玖を題材にした作品
編集- 小説
出典
編集参考文献
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●藤木久志 著﹁戦国乱世の女たち﹂、笠原一男 編﹃彼岸に生きる中世の女﹄評論社︿日本女性史3﹀、1976年。
●のちに藤木久志﹃戦国史をみる目﹄校倉書房、1995年。に収める。
●河合正治﹁毛利一門団結のシンボル妙玖﹂﹃歴史と人物﹄7月号、1982年。
●河合正治 編﹃毛利元就のすべて﹄新人物往来社、1986年。
外部リンク
編集- 小倉山城跡妙玖誕生の地