宣陽門
平安京内裏の内郭門
関連項目
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●覲子内親王‥准三宮に叙せられ院号宣下により﹁宣陽門院﹂を称した。長講堂領を60年守り通した[3]。
●新宣陽門院‥後村上天皇︵あるいは後醍醐天皇︶の皇女。院号宣下により﹁新宣陽門院﹂を称した。
●礼子内親王‥後鳥羽天皇の皇女。准三宮に叙せられ院号宣下により﹁嘉陽門院﹂を称した。最後の斎院である。
●悦子内親王‥後嵯峨天皇の皇女。准三宮に叙せられ院号宣下により﹁延政門院﹂を称した。﹃徒然草﹄ 第六十二段に登場する。
脚注
編集- ^ 石村貞吉 嵐義人 校訂『有職故実 上』 講談社学術文庫 ISBN 978-4061588004、164p
- ^ 和田英松、所功校訂『官職要解』 講談社学術文庫 ISBN 978-4061586215、229p
- ^ 黒田俊雄 『日本の歴史8 蒙古襲来』 中公文庫 ISBN 978-4122044661、357p