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宮兼信
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"宮兼信"
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TWL
(
2019年1月
)
宮 兼信
(みや かねのぶ、生没年不詳)は、備後一宮
吉備津神社
の社家でもあり、
備後国
の大豪族宮氏の一族で、下野守を称し、後に入道して道仙と号した。
生涯
編集
﹃
太
平
記
﹄
の
各
所
に
足
利
尊
氏
方
の
武
将
と
し
て
見
え
、
中
で
も
巻
38
諸
国
宮
方
蜂
起
の
事
に
、
貞
治
2
年
︵
1
3
6
3
年
︶
、
備
後
宮
内
で
足
利
直
冬
の
軍
勢
を
撃
退
し
た
こ
と
が
載
せ
ら
れ
て
い
る
。
こ
の
功
で
尊
氏
よ
り
備
中
国
の
守
護
職
を
拝
領
し
、
貞
治
4
年
︵
1
3
6
5
年
︶
ま
で
務
め
て
い
る
。
﹃
備
後
古
城
記
﹄
な
ど
に
拠
れ
ば
広
島
県
福
山
市
新
市
町
の
亀
寿
山
城
主
で
あ
っ
た
と
い
う
。
子
息
の
氏
信
は
上
野
介
に
任
官
し
て
室
町
幕
府
に
仕
え
た
。
以
後
、
そ
の
子
孫
は
﹁
宮
上
野
介
家
﹂
と
し
て
戦
国
時
代
に
至
る
ま
で
備
後
国
で
大
き
な
勢
力
を
持
っ
た
。