18565173414 - 1938132262
小崎 弘道
生誕 1856年5月17日
肥後国託麻郡本山村
(現在の熊本市中央区
洗礼 L・L・ジェーンズ
死没 1938年2月26日
神奈川県茅ヶ崎町
墓地 青山霊園多磨霊園
国籍 日本の旗 日本
出身校 熊本洋学校
同志社英学校
職業 牧師神学者思想家
配偶者 小崎千代
子供 小崎道雄、小崎安子
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海老名弾正宮川経輝と共に「組合教会の三元老」と呼ばれた。

来歴

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初期

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熊本バンド結成

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同志社学生時代

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霊南坂教会設立

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組合教会の三元老

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1618831918866[1]

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同志社社長時代

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霊南坂教会全盛期

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神学

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小崎弘道は、明治22年(1889年)に同志社で行われたYMCA夏季学校において、「聖書のインスピレーション」と題する講演で高等批評を擁護し、聖書信仰を否定した。ここから日本のリベラルが始まると言われる[4][5][6]。小崎は「余はこの講義において、霊的倫理的インスピレーション説なるものを主張し、聖書に誤謬が有るとか無いとかいうが如き窮屈な見解を放擲し、之に向かっては自由研究をなさねばならぬ。又吾人は信仰の基礎を聖書に置くことをせず、聖霊即ち実験に据えねばならぬことを述べた。」[7]

翻訳命名

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青年」という言葉は、東京キリスト教青年会創設の際小崎が“Young Men's Christian Association”を「基督教青年会」と翻訳したときに生まれた。また、“Religion”を「宗教」と訳したのも小崎である。なおそれ以前は福澤諭吉が「宗門」「宗旨」と、中村正直が「法教」と訳していた。

登場作品

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脚注

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  1. ^ 滔天文選 近代日本の狂と夢書肆心水
  2. ^ 中村敏『日本人による海外宣教の歩み』関西ミッション・リサーチ・センター
  3. ^ 『東京朝日新聞』 1938年2月27日
  4. ^ 尾形守『日韓教会成長比較』いのちのことば社
  5. ^ 中村敏『日本キリスト教宣教史』 いのちのことば社
  6. ^ 尾山令仁他『教会成長シンポジウム』新生運動
  7. ^ 小崎弘道『基督教の本質』警醒社1911

主な著作

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  • 『小崎全集』(全6巻、1938年-1939年)

参考文献

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外部リンク

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