岡元直熊
経歴
編集
薩摩国薩摩郡入来郷浦之名村[1]︵鹿児島県[2]薩摩郡入来郷浦之名、入来村[3]、入来町[4]を経て現薩摩川内市入来町浦之名︶で、岡元九左衛門、かね の長男として生まれた[1]。入来郷校で学び、教師不足のため14歳で生徒兼助教を務めた[4]。1881年︵明治14年︶鹿児島県師範学校に入学し、卒業して入来小学校で教員を務めた[4]。その後、上京して明治法律学校︵現明治大学︶で学び[4]、1887年︵明治20年︶に卒業して[2][3]、代言人試験に合格し[4]、1890年︵明治23年︶鹿児島市で代言人︵弁護士︶を開業した[4]。
奄美大島で興産商社と島民の間でが砂糖買付を巡る紛争が起こり、島民が岡元に助けを求め、岡元は大島に訴訟事務所を開設し島民の信頼を得て﹁第二の南洲翁﹂と称された[4]。
島民の支持を得て[4]、1902年︵明治35年︶8月、第7回衆議院議員総選挙︵鹿児島県大島、立憲政友会︶で当選したが[1][4][5]、1903年︵明治36年︶3月の第8回総選挙︵鹿児島県大島、立憲政友会︶では落選し[4][5]、衆議院議員に1期在任した[2][3][4]。
その後、大島からのちの川内市︵現薩摩川内市︶に移り弁護士事務所を開いた[4]。
脚注
編集参考文献
編集
●人事興信所編﹃人事興信録 初版﹄人事興信所、1903年。
●衆議院事務局編﹃衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回﹄衆議院事務局、1918年。
●﹃総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回﹄衆議院事務局、1940年。
●南日本新聞社編﹃郷土人系 上﹄春苑堂書店、1969年。
●衆議院・参議院﹃議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑﹄大蔵省印刷局、1990年。