川並密
日本の陸軍軍人
川並 密(かわなみ ひそか / みつ、1891年〈明治24年〉3月22日 - 1978年〈昭和53年〉11月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
川並 密 | |
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![]() 1937年9月、上海近郊にて | |
生誕 |
1891年3月22日![]() |
死没 | 1978年11月4日(87歳没) |
所属組織 | 日本陸軍 |
軍歴 | 1912年(明治45年) - 不明 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
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茨城県出身。土浦中学校を経て、1912年︵明治45年︶5月、陸軍士官学校︵24期︶を卒業。同年12月、陸軍歩兵少尉任官。1923年︵大正12年︶11月、陸軍大学校︵35期︶を卒業。陸軍歩兵学校勤務となる。
1936年︵昭和11年︶8月、歩兵大佐に昇進し歩兵学校教官に就任した。1937年︵昭和12年︶3月、陸軍通信学校教育部長に異動。同年9月、歩兵第6連隊長に戦死した前任者の後任として着任し日中戦争に出征。南京攻略戦、徐州会戦、武漢作戦に参加した。1939年︵昭和14年︶3月、陸軍少将に進級し通信学校長に就任。
1941年︵昭和16年︶10月、陸軍中将に進み第14師団長に親補されチチハルに駐屯し太平洋戦争を迎えた。1942年︵昭和17年︶12月、通信兵監に転じた。1944年︵昭和19年︶7月、第44師団長となり、1945年︵昭和20年︶3月、通信兵監に再任され終戦を迎えた。
1947年︵昭和22年︶11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]。
栄典
編集- 位階
- 勲章
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。