弁官

太政官の職
左中弁から転送)

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職掌

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宿[3][4]

定員

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定員は左右の大弁・中弁・少弁各1名の合計6名であるが、中弁・少弁において合計2名まで権官の設置が許されて「八弁」と称された。後に弁官に置かれる権官は1名となり「七弁」と称された。平安時代中期には権左中弁が置かれる例が多かったが、院政期には権右中弁が置かれる例が一般的となった。

任官・昇進・兼官など

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9897619[6][7]3989457132990710[6]

退退[8]

弁官局

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使



調2102



1012

脚注

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(一)^  1986

(二)^  2011

(三)^  1983

(四)^  2009

(五)^ 

(六)^ ab

(七)^ 

(八)^  2014

参考文献

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  • 井上光貞ほか校注『日本思想大系3 律令』、岩波書店、1976年
  • 井上幸治「太政官弁官局の実務職員の変遷とその背景」(立命館文學564号)立命館大学人文学会 2000年3月

関連項目

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