1923年1月に番付に付き[2]、1928年1月場所に十両に昇進した。しかし、1932年1月、最高位の十両筆頭に上がったところで春秋園事件により脱退し[2]、そのまま復帰しなかった。
幕下から十両にかけて、双葉山定次と2勝2敗の五分の対戦成績を残している。
- 十両成績:64勝58敗1分9休
- 十両在位:12場所
- ^ a b c d 『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、164頁。
- ^ a b 『昭和の大相撲 資料編』 308頁。
- 小池謙二『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、医聖社、1986年
- 昭和の大相撲刊行委員会/編『昭和の大相撲 資料編』TBSブリタニカ、1989年