平田平三
青山学院の校長
平田 平三(ひらた へいぞう、1860年4月12日〈万延元年3月22日〉 - 1933年〈昭和8年〉2月14日)は、日本の牧師。
ひらた へいぞう 平田 平三 | |
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生誕 |
1860年4月12日 弘前 |
死没 |
1933年2月14日(72歳没)![]() |
出身校 | 美会神学校、東京英和学校 |
職業 | 牧師・伝道者 |
生涯
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万延元年︵1860年︶3月22日、青森県弘前城下に生まれる。明治8年︵1875年︶に朝陽小学校、明治12年︵1879年︶に東奥義塾を卒業し、明治12年︵1879年︶に耕教学舎︵後の青山学院大学︶に入学する。同年9月に横浜神学校に転校し、明治16年︵1883年︶に卒業する[1]。
明治15年︵1882年︶に美以教会︵メソジスト派︶の伝道師になる。明治20年︵1887年︶に按手礼を受けて、牧師になる。
明治21年︵1888年︶に東京英和学校を卒業し、神田、飯田、松本、四谷の美以教会を歴任する。
明治33年︵1900年︶に基督教北清連合軍慰問使として清国に行く。
昭和4年︵1929年︶より、青山学院の第3代目理事長に就任する[2]。
昭和8年︵1933年︶10月13日、狭心症を発病し、翌日に死去する。享年74歳[3][4]。
著書
編集脚注
編集- ^ 日本メソヂスト横浜教会 1937, p. 73.
- ^ “歴代理事長、院長、女子系校長・院長”. 青山学院. 2020年7月5日閲覧。
- ^ 日本メソヂスト横浜教会 1937, p. 74.
- ^ 「(死亡広告)平田平三」『朝日新聞』1933年10月17日、4面。