廊坊事件(ろうぼうじけん)は、1937年昭和12年)7月25日から26日中華民国北平市(現:北京市)近郊の安次県(現:廊坊市)にある廊坊駅(現在の廊坊北駅)で発生した日中間の武力衝突。郎坊事件と表記される場合もある。

廊坊事件
戦争日中戦争
年月日1937年昭和12年)7月25日7月26日
場所中華民国の旗 中華民国 河北省安次県(現:廊坊市
結果:日本軍の勝利
交戦勢力
大日本帝国の旗 大日本帝国 中華民国の旗 中華民国
指導者・指揮官
川岸文三郎 張自忠
損害
戦死4名 多数
国民革命軍第二十九軍第三十八師師長張自忠
2006年3月現在の廊坊駅

位置付け

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777134[1]714[1]

720[2]726使[3][4]27西28退[5]

退使退[6]28[7]28282

日本側の見解

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[8]725[1]207711[10]4()[10]

1110300[10]77678[8]

[10]131914[8]11使[4]

中国側の見解

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7月25日、日本兵約100名が廊坊駅に派遣され、「電話修理」と称して同駅を占拠した。廊坊を守備していた第38師第13旅の旅長である劉振三は撤退を要求したが、日本軍はそれを拒否。26日午前0時に、日本軍が中国軍に発砲を行い、両軍は戦端を開いた。明け方になり、日本軍機が中国軍に爆撃を加え、更に午前7時には天津から日本軍の増援が到着し、中国軍兵舎は壊滅した。午前10時に中国軍は廊坊付近から撤退した[11]

記録映画

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脚注

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注釈

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  1. ^ 支那駐屯軍の参謀長であった橋本群中将は「不祥事件の勃発を予防する為予め支那側に通告して」いた、と証言している(『極東国際軍事裁判速記録』202号)[9]

出典

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参考文献

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121976 

 200511ISBN 978-4336047199 

 08-04 

︿<1>19757 

 1968 

関連項目

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外部リンク

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