建寧府
建寧府(けんねいふ)は、中国にかつて存在した府。宋代から民国初年にかけて、現在の福建省南平市一帯に設置された。
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概要
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1162年︵紹興32年︶、南宋により建州が建寧府に昇格した。建寧府は福建路に属し、建安・甌寧・建陽・崇安・浦城・松渓・政和の7県と豊国監を管轄した[1]。
1279年︵至元16年︶、元のとき、建寧府は建寧路と改められた[2]。建寧路は江浙等処行中書省に属し、録事司と建安・甌寧・建陽・崇安・浦城・松渓・政和の7県を管轄した[3]。
1368年︵洪武元年︶、明により建寧路は建寧府と改められた。建寧府は福建省に属し、建安・甌寧・建陽・崇安・浦城・松渓・政和・寿寧の8県を管轄した[4]。
清のとき、建寧府は福建省に属し、建安・甌寧・建陽・崇安・浦城・松渓・政和の7県を管轄した[5]。
1913年、中華民国により建寧府は廃止された。