性善説と性悪説
人は生まれつき善とする説、悪とする説
(性悪説から転送)
性善説(せいぜんせつ)と性悪説(せいあくせつ)は、「人はみな生まれつき善の性質をもつ」とする説と「悪の性質をもつ」とする説。
解説
編集歴史
編集背景
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古代中国において、﹁性﹂は善悪の問題に限らず様々な文脈で論じられていた[15][16]。孟子と荀子の前後には、例えば﹃論語﹄陽貨篇の孔子の言葉﹁性せい相あい近ちか也し、、なら習いあ相いと遠お也し﹂[17][注釈2]や、﹃荘子﹄の﹁復性﹂説[21][22]、﹃呂氏春秋﹄蕩兵篇[注釈3]、﹃礼記﹄中庸篇など儒教経典[15][24]、出土文献の郭店楚簡﹃性自命出﹄[25][26]などで性が論じられていた。善悪についても、世碩の﹁性有善有悪説﹂が先にあった[19]。性善説と性悪説は、そのような背景のもとに生まれた。
孟子と荀子
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孟子の性善説は、﹁世に悪人がいる﹂ことを前提に﹁それでも性は善である﹂と主張する説だった[28]。つまり孟子によれば、どんな人間でも井戸に落ちそうな幼児や屠殺されそうな家畜を見たとき、憐れみなどの道徳感情︵不ひと忍にし人のび之ざる心のこころ、四端︶が生じる[28]。この感情が善なる性であり、教育などでこの感情を拡充すればどんな人間でも善人になれる。それゆえ教育が重要である、という説だった[注釈4][注釈5]。
孟子の没後、荀子が現れた。
﹃荀子﹄江戸時代の刊本[32]
荀子の性悪説は、専門家の間でも諸解釈あるが[33][34][35][36][37]、最低限基本的には次のように解釈される。荀子によれば、孟子の性善説は誤りであり性は悪である。善は、教育などの後天的作為・人為によって初めて得られるもの︵偽ぎ︵い︶︶[注釈6]である。それゆえ教育が重要である、という説だった[注釈7]。
しかし荀子は、性悪なる人間がなぜ善人になろうとするのか、教育を行う側の人間の善はどこから生じたのか[注釈8]、などの点を明確にしなかったため、後世に﹁性悪説の矛盾﹂として批判や諸解釈を生むことになった[33][42][43]。
性善説と性悪説には共通点もあった。例えば、どちらも﹁教育の重要性﹂を結論とすること[7]、﹁善人も悪人も性は皆同じ﹂とすること[44]、などが挙げられる。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/2b/Xunzi_published_in_Edo_period_Japan.jpg/230px-Xunzi_published_in_Edo_period_Japan.jpg)
韓非子
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﹃韓非子﹄の韓非は性悪説の継承者である、としばしば言われる[45][注釈9]。これは、韓非が李斯とともに荀子に師事した、と﹃史記﹄に伝えられるためである[45]。
しかし実際は、韓非の性説は不明である、とする見解もある[46]。すなわち、﹃韓非子﹄の本文中に性の善悪を論じた箇所は無く、その人間観も荀子と異なる︵例えば韓非は民の教育よりも民のコントロールを重視した︶とされる[46][注釈10]。
その他の説
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﹃孟子﹄に登場する告子は、﹁性無善無悪説[15]﹂︵性無善無不善説、無記説[20]とも︶と呼ばれる立場をとった。すなわち﹁性は中立的なものであり善も悪も無く、善悪はどちらも後天的である﹂という立場をとった。
漢代の王充は、﹃論衡﹄本性篇で、諸子百家から漢代までの性説の歴史を述べている。王充によれば、孟子・告子・荀子より先に、世碩・宓不斉・漆雕開・公孫尼子が性の善悪を論じていた[注釈11]。とくに世碩は﹁性は善悪の両方を陰陽のごとく有しており、性の養い方次第で善人にも悪人にもなる﹂という立場をとった。この世碩の説は﹁性有善有悪説[50]﹂と呼ばれる。
王充はまた、漢代の劉向による性悪説の矛盾の指摘や、揚雄・董仲舒・王充自身の性説についても述べている。このうち揚雄の説は﹁性善悪混在説[51]﹂︵性善悪混説、性善悪混合説[15]とも︶と呼ばれ、詳細は不明ながら当時有名な説だったことが窺える[51]。
董仲舒や王充は﹁性三品説﹂と呼ばれる立場をとった[52]。漢の班固や荀悦[53]、南朝梁の皇侃[53]、隋の文中子[15]、唐の韓愈[15][53]らの立場も、性三品説に含まれる。性三品説は、各人の﹁品﹂︵等級・ランク︶によって性は異なるとする説だった[54]。すなわち、﹁上品﹂の人間は性善であり教育に関係なく常に善人、﹁下品﹂の人間は性悪であり教育に関係なく常に悪人、﹁中品﹂の人間は性有善有悪︵または善悪混在か無善無悪︶であり教育の影響を受け、世の大半の人間は﹁中品﹂である、という説だった[54]。性三品説は、﹃論語﹄陽貨篇の﹁上じょ知うち與とか下ぐと愚はう不つら移ず﹂などの孔子の言葉にもとづいており[52]、九品中正制度の思想的背景にもなった[55]。
朱子学前夜
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朱子学の成立前夜、性をめぐる議論が再燃した[56]。ただし、説のパターンは漢代までに出揃っていた[11]。
魏晋南北朝時代、﹁性﹂が儒教だけでなく玄学・道教・中国仏教の術語にもなった[14][注釈12]。
唐代から宋代には、儒教側の道教・仏教への対抗の高まりや、古文復興運動・道統論による﹃孟子﹄﹃中庸﹄の再評価を背景に、多くの儒者が性を論じた[57]。その先鞭をつけた韓愈は、﹃原道﹄で孟子を再評価しつつ﹃原性﹄で性三品説の立場をとった[58]。そのほか、唐代には李翺・欧陽詹・皇甫湜[59]、宋代には欧陽脩・王安石・蘇軾・司馬光・李覯・徐積[60][61]、そして程兄弟・朱熹ら宋学・朱子学の人物が[57]、それぞれ性の善悪を論じた。
朱子学以降
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宋代より後、朱子学が儒教の正統となる。朱子学では、孟子の性善説にもとづいた﹁性即理﹂が説かれた[62][注釈13]。また﹃孟子﹄が﹁四書﹂として儒教経典に昇格された。そのため、宋代より後は性善説が正統となり、他の説は否定された。
明の王陽明は、﹁心即理﹂を説いて性善説にもとづきつつも[63][64]、﹁無善無悪説﹂を提唱して善悪の超越を目指した[64]︵四句教︶。陽明没後の陽明学派では、この無善無悪説の解釈をめぐって論争が起こり、その中で﹁孟子の敵の告子と同じ説になっていないか﹂とも言われた[65]。
明末のマテオ・リッチは﹃天主実義﹄で、朱子学の性善説を自力救済論と解釈した上で、キリスト教の他力救済の観点から性善説を批判した[66]。一方フランチェスコ・サンビアシは﹃霊言蠡勺﹄で、キリスト教の霊魂︵アニマ︶と性を結びつけて性善説を容認した[67]。
清の考証学者の戴震や焦循は、朱子学や陽明学と異なる性善説解釈を示した[68][69]。
清末民初の章炳麟は﹃国故論衡﹄辨性上篇で、性説の歴史を整理した[70]。
日本
編集江戸時代
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江戸時代の日本の儒教では、中国と同様に朱子学が正統とされたため、性善説が正統となった。各地の藩校や漢学塾では﹃孟子集註﹄が教材として読まれた[71]。また林羅山・山崎闇斎・伊藤仁斎・石田梅岩ら多くの学者が性善説を肯定した[72]。しかしその中で、荻生徂徠のように性善説を否定する学者もいた[73]。
明治時代
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明治時代、西洋哲学の輸入に伴い﹁東洋哲学﹂﹁中国哲学﹂という分野概念が生まれると、性説が哲学・倫理学の問題として再解釈されるようになった[2][3]。1880年︵明治13年︶西村茂樹の論文﹃性善説﹄を先駆として[74][10][1]、細川潤次郎[74][10]・滝川亀太郎[74]・井上哲次郎[75][74][10]・三島毅[74]・藤田豊八[74]・蟹江義丸[74]・加藤弘之[74]・内田周平[75]・津田真道[10]らが、性説の歴史の整理や論評をおこなった。
なかでも井上哲次郎は、セネカやルソーは性善説、ホッブズやショーペンハウアーは性悪説、といったふうに東西の類似視を積極的にした[76][77]。ホッブズに関しては、ホッブズを日本に最初に紹介した西周﹃百学連環﹄︵明治3年︶でも性悪説と類似視されていた[78]。
現代
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21世紀現代では、高校教科の﹁倫理﹂や﹁漢文﹂で、孟子と荀子の代名詞的思想として﹁性善説と性悪説﹂が教えられている[79][80]。また、無人販売所や回転寿司の仕組み[81][82]、哲学カフェ[83]、教育論[7]、組織論[84]、量刑判断・厳罰化[85]、といった様々な文脈で﹁性善説と性悪説﹂が論じられている。
脳科学・道徳心理学の観点から﹁性善説と性悪説どちらが正しいか﹂を論じた研究もあり、善悪を行うときの脳の状態や﹁サイコパスをどう説明するか﹂も考慮して論じられている[86][注釈14]︵阿部 2021︶。
関連項目
編集脚注
編集注釈
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(一)^ ﹁性﹂は類義語の﹁情﹂との使い分けが曖昧だったことも問題だった[12]。
(二)^ ﹁性相近也、習相遠也﹂は、孔子が性を語った唯一の言葉として伝わる[18]。﹃論語﹄公冶長篇では﹁孔子は性や天道についてあまり語らなかった﹂と子貢が伝えている[19][20]。言い換えれば、当時は性や天道について語るのが一般的だった[19][20]。
(三)^ 戦争の原因は人の性にあるとし、戦争を正当化する[23]。
(四)^ 孟子は教育に関して、学校︵庠序︶の設立を王道政治の基本として説いた[29]。孟子は﹁悪の起源﹂を明確にしなかったが、後述の朱熹はこれを明確にするため、性を﹁本然の性﹂と﹁気質の性﹂に分け、後者によって悪を説明した[30]。
(五)^ 孟子の性善説は、﹃孟子﹄告子上篇を中心に梁恵王上篇など複数の篇から読み取れる。﹃孟子外書﹄には﹁性善篇﹂が伝わるが、後世の仮託とされる[31]。
(六)^ ここでいう﹁偽﹂は荀子の思想用語であり、﹁にせもの﹂や﹁偽善﹂の意味合いは無い[38]。﹁偽﹂を﹁作為﹂とするのは﹃荀子﹄楊倞注による[38]。
(七)^ 荀子の性悪説は、﹃荀子﹄性悪篇を中心に正名篇など複数の篇から読み取れる。﹃荀子﹄勧学篇に由来する成語﹁出藍﹂﹁青は藍より出でて藍より青し﹂も、本来の文脈は、後天的作為の重要性を主張するものだった[39]。﹃荀子﹄非十二子篇では、孟子と子思の﹁五行説﹂に対しても非難している[40]。
(八)^ ﹃荀子﹄本文の表現に即して言えば、﹁最初の聖人はどのように礼を作ったのか[41]﹂。
(九)^ ﹁韓非は性悪説の継承者である﹂という説は、古くは晋代の仲長敖﹃覈性賦﹄︵﹃芸文類聚﹄所引︶に見られる[45]。
(十)^ ﹁韓非が李斯とともに荀子に師事した﹂ということ自体が司馬遷の創作である、とする説もある︵貝塚茂樹らの説︶[47][48]。
(11)^ 彼らの著作は漢代当時は存在したが現代では佚書となっている[49]。﹃漢書﹄芸文志にはその題名が記録されている[49]。いずれも馬国翰の輯佚がある[49]。
(12)^ 例えば、玄学では郭象の性説、道教では﹁道性﹂や内丹説の性説、中国仏教では﹁仏性﹂などの﹁性﹂や﹁天台性悪説﹂が挙げられる[14]。
(13)^ 明の朱子学者・薛敬軒は﹃読書録﹄﹃読書続録﹄で性善説を掘り下げた[63]。
(14)^ 結論は﹁引き分け﹂とされる[87]。
出典
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主な参考文献
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●渡邉義浩﹁九品中正制度と性三品説﹂﹃三国志研究﹄第1号、三国志学会、2006年。 NAID 120002274761。