日曜日だョ!ドリフターズ!!
日本テレビで放送されたザ・ドリフターズのバラエティ番組
﹃日曜日だョ!ドリフターズ!!﹄︵にちようびだョ ドリフターズ︶は、1971年4月25日から同年10月17日まで日本テレビ系列局で放送されていたバラエティ番組である。日本テレビと渡辺プロダクションの共同製作[1]。全26回[1]。放送時間は毎週日曜 19:00 - 19:56 ︵日本標準時︶。
日曜日だョ!ドリフターズ!! | |
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ジャンル | バラエティ番組 |
演出 | 白井荘也 |
出演者 |
ザ・ドリフターズ ゴールデンハーフ 日劇ダンシングチーム |
製作 | |
プロデューサー | 秋元近史 |
制作 | 日本テレビ |
放送 | |
放送国・地域 | ![]() |
放送期間 | 1971年4月25日 - 10月17日 |
放送時間 | 日曜 19:00 - 19:56 |
放送分 | 56分 |
回数 | 26 |
番組のタイトルロゴは「日曜日だョ ドリフターズ!!」[2]であるが資料によっては「日曜日だヨ・ドリフターズ!!」[3]「日曜日だョ・ドリフターズ!!」[4][5]と表記される場合もある。
概要
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渡辺プロが強引にTBSの﹃8時だョ!全員集合﹄を一時休止してまで製作したと言われている[5]、ザ・ドリフターズがメインの公開生番組である。
﹃全員集合﹄のプロデューサーだった居作昌果によると、当時の渡辺プロ社長である渡辺晋から﹁全員集合は1971年3月いっぱいで一旦休止。4月から半年間だけ、ドリフは日本テレビで1時間の生放送︵→本番組︶、TBSの土曜夜8時はクレイジー・キャッツ︵→﹃8時だョ!出発進行﹄︶で行く﹂との通告があった際、TBS内部は居作曰く﹁蜂の巣をつついたような大騒動﹂[6]になったという。だが結局は、居作の﹁NTVで新番組をやっても、絶対に﹃全員集合﹄にはなりません。ドリフが出ているだけで高視聴率になるほど世の中甘くはない。︵ドリフがいないのは︶たった半年じゃないですか。﹃全員集合﹄は、その先何年でも頑張れるはずです﹂という意見を編成局長が受け入れ[7]、﹃全員集合﹄の半年間休止が決定。本番組の開始に至った。
﹃全員集合﹄の二番煎じと評され[5]、さらに大掛かりなセットやバンド演奏による生BGMなど制作費が大幅に掛かることが日本テレビの幹部に嫌われ[8]、結局当初の予定通りの半年間の放送に留まり[5]、ドリフターズはTBSで﹃全員集合﹄を再開することになった。
本番組のフォーマットは﹃全員集合﹄と類似。6つのコーナーで構成され[1]、各コーナー間にはゲスト歌手による歌の披露があった[1]。本番組のセットは、後に同局の﹃ハッチャキ!マチャアキ!!﹄や﹃金曜10時!うわさのチャンネル!!﹄に流用された。
番組は、いかりや長介と観客による以下の掛け声で始まっていた。
いかりや‥﹁今日は何曜日?﹂
観客‥﹁日曜日!﹂
いかりや‥﹁じゃあ、今何時?﹂
観客‥﹁7時!﹂
いかりや‥﹁行こうかー!﹂
観客‥﹁行こうー!﹂
テーマソングは、オープニング・エンディングともに軍国歌謡の﹁月月火水木金金﹂の替え歌︵同局の﹃ドリフのドパンチ!学園﹄のエンディングテーマや後年のフジテレビ﹃ドリフ大爆笑﹄の初期オープニングテーマにも同曲の替え歌が使われていた︶。なおエンディングでは、イントロ部と間奏部に﹁ドリフのビバノン音頭﹂︵いい湯だな︶のイントロ部を挿入し、加藤茶が﹃全員集合﹄同様、子供の視聴者に﹁宿題やれよ!﹂﹁冷たい物食べ過ぎるなよ!﹂などと呼びかけていた。
なお第1回は放送ライブラリーにあるが、いかり矢長介とクレジットされている。
出演者
編集スタッフ
編集コーナー
編集- オープニングコント - 『全員集合』のオープニングコントと同様の構成。
- 加トちゃんのお絵かき教室 - マンガ太郎考案の絵描き歌を加藤茶が描く。
- いかりや刑事の取調室 - ゲストに対して刑事役のいかりやが取り調べる。調書担当巡査役の仲本工事が時折暴走する。最後に判決が言い渡される。
- 後半ショートコント集 - 『全員集合』と違い、毎回一つのテーマに沿って演じる。合間に日劇ダンシングチームの踊りが入る。
放送局
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備考
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●サブタイトルは当時ドリフが流行らせていた﹁マンネン﹂が語尾に付いていたが、やがて﹁だよ全員集合﹂に変わった。
●オープニングでドリフが着用していた衣装は色違いのジャージで、札幌冬季オリンピックのエンブレムが腕に付けられていた。
●エンディングでは生放送である事を利用し、いかりやが気象関連などの情報を視聴者に呼び掛けていた。また、放送期間がナイターシーズンである事も利用し、直後にプロ野球ナイター中継︵当時の放送枠は20:00 - 21:26︶が行われる際には、いかりやがナイター関連の情報を伝えていた。
●和田アキ子、辺見マリ、岡崎友紀がゲスト出演した放送第1回は、神奈川県横浜市の放送ライブラリーにおいて視聴ができる[1]。なおこの回では、仲本工事が悪ガキに扮して﹁長介人形﹂を持つといった、﹃全員集合﹄のスピンオフコントも見られた。
●﹃全員集合﹄第1期打ち切りから本番組開始まで3週間ほど期間が空いていた。一方、﹃全員集合﹄再開時において本番組はまだ放送中であり、2週間ほど同一週に2つのドリフ公開生番組が視聴できた。
脚注
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(一)^ abcdef外部リンク︵放送ライブラリー︶を参照。
(二)^ 日曜日だよドリフターズ!! - 脚本データベース
(三)^ 放送当時の新聞番組表︵参考‥﹃ザ・テレビ欄 大阪版﹄P126に縮刷掲載された、﹃報知新聞﹄大阪版1971年10月10日付に掲載のよみうりテレビ番組表︶。
(四)^ 放送当時の新聞番組表︵参考‥﹃ザ・テレビ欄 1954〜1974﹄P186に縮刷掲載された、﹃報知新聞﹄東京版1971年10月10日付に掲載の日本テレビ番組表︶。
(五)^ abcd﹃ザ・テレビ欄 大阪版﹄P126欄外の2行コラム。
(六)^ ﹃8時だョ!全員集合伝説﹄︵文庫版︶P157
(七)^ ﹃8時だョ!全員集合伝説﹄︵文庫版︶P161
(八)^ ﹃8時だョ!全員集合の作り方﹄︵山田満郎著・双葉社刊︶ p.37 ﹁当時の日本テレビ幹部がこういったと言うんです。﹁こんなに金のかかる番組、TBSに返してしまえ﹂って。﹂
(九)^ ab﹃北國新聞﹄1971年10月3日付朝刊、テレビ欄。
参考資料
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●8時だョ!全員集合伝説︵1999年、双葉社発行、居作昌果著、ISBN 4575290165。双葉文庫版。2001年発行、ISBN 4575711950︶
●ザ・テレビ欄0 1954〜1974︵2009年8月31日、TOブックス発行、テレビ欄研究会編・著、ISBN 4904376102︶ - 1954年から1974年の間に発行された報知新聞東京本社版テレビ欄の一部を掲載︵奥付に﹁協力‥株式会社報知新聞社﹂のクレジットあり︶。
●ザ・テレビ欄 大阪版 1964〜1973︵2009年11月30日、TOブックス発行、テレビ欄研究会編・著、ISBN 4904376153︶ - 1964年から1973年の間に発行された報知新聞大阪本社版テレビ欄の一部を掲載︵奥付に﹁協力‥株式会社報知新聞社﹂のクレジットあり︶。
●放送ライブラリー公式ウェブサイト
外部リンク
編集日本テレビ系列 日曜19:00枠 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
ゴールデン・キックボクシング 日清世界クイズ (1970年10月4日 - 1971年3月28日) ※19:30 - 20:00 |
日曜日だョ!ドリフターズ!! |
資生堂・サンデーヒットパレード ルパン三世(第1期) (1971年10月24日 - 1972年3月26日) ※19:30 - 20:00 |