日本高周波重工業城津製鉄所
日本高周波重工業城津製鉄所(にほんこうしゅうはじゅうこうぎょうじょうしんせいてつしょ)は、かつて存在した日本企業の事業所である。朝鮮咸鏡北道城津(現:朝鮮民主主義人民共和国咸鏡北道金策市)に存在した。
概要
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当時の南満州鉄道中央試験場に勤務していた菊池英行が、砂鉄に高い周波数の電気を流すことで高純度の鉄を製造する高周波電撃精錬法を発明した。鉄の確保に苦労していた当時の日本では、莫大な設備投資を必要とする高炉法に比べ安価な費用で実現可能なこと、国内で産出しない鉄鉱石を使わず砂鉄を原料とできることなどから注目を集めた。
工場設立に際しては陸軍・海軍の支援を受け、本社を当時の朝鮮京畿道京城府︵現‥大韓民国ソウル特別市︶に置き、品川と富山、朝鮮の咸鏡北道城津に工場を置いた。城津工場は製鋼、特殊鋼製品の一貫製鉄工場であった。社長は朝鮮殖産銀行頭取の有賀光豊が務めた。
現在は高周波電撃精錬法による製鉄は行われていないが、これが社名の由来となった︵1950年︵昭和25年︶に内地資産を継承して社名を日本高周波鋼業に変更︶。
高周波電撃精錬法の特徴
編集終戦時
編集その後
編集戦後は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)において城津製鋼所として現在に至っている。[4]
沿革
編集脚注
編集- ^ 国防資源の開発を視る 新聞記事文庫
- ^ 朝鮮生まれの引揚者の雑記
- ^ 「うまれかわる朝鮮――「北朝鮮紀行」より / 徐光霽」『新しい世界』第24号、日本共産党出版局事業部、1949年7月1日、34頁、NDLJP:3542933/19。
- ^ 共和国事典 城津製鋼所