早稲田
東京都の地名
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早稲田の地域は、古くは牛込村に属しており江戸牛込村字早稲田であったが、江戸時代初期には、別村になり﹁早稲田村﹂と呼ばれるようになった。1868年︵慶応4年、明治元年︶、東京府の設置により、南豊島郡牛込早稲田村となった。1878年︵明治11年︶、郡区町村編制法により東京府牛込区が発足し、早稲田村は牛込区に所属することになった。さらに、1889年︵明治22年︶、市制、町村制の施行に伴う東京市の設置により、東京市牛込区は、南豊島郡牛込早稲田村を編入した。 1943年︵昭和18年︶、東京都制施行により、早稲田は東京都牛込区早稲田町、牛込区早稲田鶴巻町等となった[1]。
古くは水田が大部分を占める農村地帯であったが、東京専門学校︵後の早稲田大学︶の開学に伴い学生街、文教地区へと発展していった。
現在、早稲田大学の本部キャンパス︵早稲田キャンパス︶・文学学術院キャンパス︵戸山キャンパス︶・喜久井町キャンパス、明治通りを挟み理工学術院キャンパス︵西早稲田キャンパス︶が所在する。早稲田キャンパスと西早稲田キャンパスの途中には学習院女子大学、北側の豊島区に日本女子大学、戸山キャンパス南側に東京女子医科大学、高田馬場駅周辺に専門学校が点在し、同地で学ぶ学生は多い。学生向けの下宿、飲食店、不動産屋、書店も多く店舗を構え、早稲田通り沿いを中心とする古書街は都内有数の規模を持つ。地場産業としては製本・印刷業が盛んであったが、現在ではその産業規模は縮小傾向にある。夏休みや春休み期間には人通りが大きく変わり、授業期間中のみ営業する飲食店も存在する。
学生間では高田馬場も含めて早稲田一帯と見なす傾向がある。
穴八幡神社は、江戸時代から流鏑馬が行われていた。現在は、10月10日に近くの戸山公園で行われている。なお、戸山公園には東京都区内の山手線内にて一番高い山である、箱根山がある。また、毎年冬至から節分にかけて﹃一陽来復のお守り﹄を求める人で混雑する。
交通
編集鉄道
編集道路
編集河川
編集主な建物・施設
編集脚注
編集- ^ 引用「早稲田の地及び漱石と早稲田」
- ^ さよなら“カツ丼”三朝庵 早稲田の老舗そば屋、112年の歴史に幕 早稲田ウィークリー 2018年7月31日