昭武九姓
昭武九姓︵しょうぶきゅうせい、拼音‥Zhāowŭjiŭxìng︶とは、中国の南北朝時代から隋・唐時代にかけて、中央アジアのソグディアナ地方に存在していた9つのオアシス都市国家。9つの国王がいずれも昭武を国姓としたことから昭武九姓と呼ばれる。また、その国民の多くがソグド人︵胡人︶であるため、九姓胡とも呼ばれる。
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九姓
編集歴史
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彼らの祖先は月氏で、元々は祁連山昭武城︵現在の中国甘粛省張掖市臨沢県板橋鎮︶に住んでいた。
紀元前2世紀に匈奴に駆逐された月氏は、いったん塞族を駆逐してイシク湖周辺に拠ったが、まもなく烏孫に追い出されてソグディアナに移った。康国をはじめ、小さな国々に分かれたが、その王はいずれも故地を忘れないよう﹁昭武﹂の姓を名乗った。昭武九国は南北朝時代の頃に嚈噠︵エフタル︶の支配下となり、隋の頃には西突厥に属した。唐代には唐に属し、永徽年間︵650年 - 655年︶に康居都督府が設けられ、安西都護の管轄下となった。
昭武九姓の人民︵ソグド人︶は商売に長け、早くから中国と交易を行っており、唐代に最盛期を迎えた。中でも康国と石国が盛んであった。
現在、西安と洛陽では曹,石,米,何,康,安の姓が記された墓誌が出土しており、軍務などで唐との関係が深かったことを物語っている。唐で反乱を起こしたことで有名な安禄山は康国人の子孫であり、安禄山に与した史思明は史国の出身、唐の名将哥舒翰は突厥人の父と昭武九姓人の母との子だという。
その後も昭武九姓は東西商業交流で重要な役割を果たした。石国,康国の演芸である胡騰舞,胡旋舞,柘枝舞は長安で人気を博した。また、獅子,パグ,汗血馬などの動物も昭武九姓からもたらされたという。
ソグド姓
編集脚注
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(一)^ “﹁中国 美の十字路﹂図録の解説から”. 西日本新聞 (2005年12月22日). 2006年9月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年12月14日閲覧。
(二)^ 林梅村. “西域文明の発見 シルクロードのソグド錦”. 2007年12月14日閲覧。
(三)^ 森安 2007,p108