松永昌博
松永 昌博︵まつなが まさひろ、1953年12月17日 - ︶は、日本中央競馬会 (JRA) 栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師、元騎手。中央競馬騎手・調教師であった松永善晴は義父。旧姓・舞原︵まいはら︶。ナイスネイチャの主戦騎手としても知られる[1]。
松永昌博 (舞原昌博) | |
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![]() 2011年マイルCS表彰式 | |
基本情報 | |
国籍 |
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出身地 |
鹿児島県肝属郡田代町 (現・錦江町) |
生年月日 | 1953年12月17日(70歳) |
身長 | 155.5cm |
体重 | 52kg |
血液型 | B型 |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会 |
所属厩舎 |
曽場広作(1977年3月 - 1978年2月) 松永善晴(1978年3月 - 引退) |
初免許年 | 1977年3月1日 |
免許区分 | 平地・障害 |
騎手引退日 | 2002年2月28日 |
重賞勝利 | 25勝(うち地方交流2勝) |
G1級勝利 | 1勝(うち地方交流1勝) |
通算勝利 | 5846戦544勝[注 1] |
調教師情報 | |
初免許年 | 2005年(2006年開業) |
調教師引退日 | 2024年3月5日 |
重賞勝利 | 17勝(うち地方交流5勝) |
G1級勝利 | 1勝 |
経歴 | |
所属 | 栗東トレーニングセンター |
来歴
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1953年、鹿児島県肝属郡田代町︵現・錦江町︶に生まれる。身体が小柄であったことから親戚より騎手になることを勧められ、中学校卒業後に阪神競馬場の曽場広作厩舎に入門、騎手候補生となった。騎手免許試験6度の不合格を経て、1977年に22歳で騎手免許を取得。曽場厩舎からデビューした。
騎手時代
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1977年3月に初騎乗、4月2日に初勝利を挙げた。当年、32勝を挙げて関西所属新人騎手の最多勝記録を更新。中央競馬関西放送記者クラブ賞に選ばれたが、シーズン中に制裁による騎乗停止処分を受けていたため、規定により﹁新人賞﹂ではなく﹁敢闘賞﹂を受賞した。同年に曽場が病気で死去し、翌1978年より松永善晴厩舎に移籍する。1983年には松永の娘と結婚・婿養子となり、松永昌博と改姓した。
1986年12月、ポットテスコレディで阪神牝馬特別を制し、デビュー9年目で重賞初勝利を挙げる。以後も中堅騎手として活動を続け、1991年からはナイスネイチャの主戦騎手を務め、﹁善戦ホース﹂として人気を博した同馬とともに知名度を上げた。以後もトーヨーリファールなどで重賞に勝利。1997年にはトーヨーシアトルで地方交流GI競走の東京大賞典を制し、騎手生活唯一のGI級競走制覇を果たした。
2000年代に入ると年間勝利数がひと桁に落ち込むようになり、2002年2月28日をもって騎手を引退した。通算5846戦544勝︵うち障害3勝︶、重賞25勝。
調教師時代
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騎手引退後、松永善晴厩舎の調教助手を経て、2005年に調教師免許を取得。翌年、栗東トレーニングセンターに厩舎を開業した。初出走は2006年3月11日中京競馬第6競走のシシャモムスメ︵11着︶、初勝利は同年7月2日、京都競馬第6競走でヒカリクロメート︵のべ42頭目︶であった。2008年にマルカフェニックスで阪神カップを制し、重賞初勝利を挙げている。2010年10月30日にはスワンステークスをマルカフェニックスで制し、JRA通算100勝を重賞勝利で飾っている。2011年11月20日にエイシンアポロンがマイルチャンピオンシップに優勝し、騎手時代を含めても初となるJRAのGI級競走勝利を挙げた。
2024年3月5日をもって定年のため、調教師を引退した[2]。
通算成績
編集騎手成績
編集通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 騎乗回数 | 勝率 | 連対率 |
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平地 | 541 | 576 | 561 | 4,146 | 5,824 | .093 | .192 |
障害 | 3 | 1 | 3 | 15 | 22 | .136 | .182 |
計 | 544 | 577 | 564 | 4,161 | 5,846 | .093 | .192 |
日付 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
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初騎乗 | 1977年3月6日 | 障害未出走・未勝利 | スミマル | 7頭 | - | 5着 |
初勝利 | 1977年4月2日 | 5歳以上300万下 | ナニワスピード | 9頭 | 2 | 1着 |
重賞初騎乗 | 1977年5月1日 | 京都4歳特別 | ケンセイズグ | 9頭 | 7 | 3着 |
重賞初勝利 | 1986年12月21日 | 阪神牝馬特別 | ポットテスコレディ | 17頭 | 1 | 1着 |
GI級初騎乗 | 1979年4月8日 | 桜花賞 | ダイワプリマ | 22頭 | 8 | 17着 |
GI初勝利 | 1997年12月28日 | 東京大賞典 | トーヨーシアトル | 13頭 | 2 | 1着 |
- 全国リーディング最高17位(42勝・1987年)
受賞
編集- 中央競馬関西放送記者クラブ賞敢闘賞(1977年)
主な騎乗馬
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※括弧内は松永騎乗時の勝利重賞競走。太字はGI級競走。
●ポットテスコレディ︵1986年阪神牝馬特別 1987年京都牝馬特別︶
●ポットナポレオン︵1987年小倉3歳ステークス︶
●バンブーメモリー︵1989年スワンステークス︶
●オースミシャダイ︵1990年阪神大賞典︶
●ロングムテキ︵1990年京阪杯︶
●センターショウカツ︵1990年神戸新聞杯︶
●ナイスネイチャ ︵1991年京都新聞杯、鳴尾記念、小倉記念 1994年高松宮杯︶
●テンザンハゴロモ ︵1991年サファイヤステークス︶
●トーヨーリファール ︵1993年ニュージーランドトロフィー4歳ステークス 1994年平安ステークス 1995年マーチステークス︶
●アルファキュート︵1993年サファイヤステークス 1995年中山牝馬ステークス︶
●テンザンユタカ ︵1994年サファイヤステークス、愛知杯︶
●トーヨーシアトル ︵1996年ウインターステークス 1997年東京大賞典、平安ステークス、東海菊花賞︶
●トーヨーレインボー ︵1997年シリウスステークス 1998年中京記念︶
調教師成績
編集日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
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初出走 | 2006年3月11日 | 1回中京3日6R | 4歳上500万下 | シシャモムスメ | 16頭 | 5 | 11着 |
初勝利 | 2006年7月2日 | 4回京都6日6R | 3歳未勝利 | ヒカリクロメート | 15頭 | 3 | 1着 |
重賞初出走 | 2006年10月14日 | 5回京都3日11R | デイリー杯2歳S | メイショウバルドル | 13頭 | 12 | 12着 |
重賞初勝利 | 2008年12月21日 | 5回阪神6日11R | 阪神C | マルカフェニックス | 18頭 | 8 | 1着 |
GI初出走 | 2006年12月3日 | 3回阪神2日11R | 阪神JF | テンザンコノハナ | 18頭 | 13 | 14着 |
GI初勝利 | 2011年11月20日 | 6回京都6日11R | マイルCS | エイシンアポロン | 18頭 | 5 | 1着 |
主な厩舎所属者
編集主な管理馬
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※太字はGI級競走。
●マルカフェニックス︵2008年阪神カップ、2010年スワンステークス︶
●エイシンボストン︵2009年東京ジャンプステークス、小倉サマージャンプ︶
●ゼンノパルテノン︵2009年東京スプリント︶
●エイシンオスマン︵2011年ニュージーランドトロフィー︶
●ウインバリアシオン︵2011年青葉賞、2014年日経賞︶
●エイシンアポロン︵2011年富士ステークス、マイルチャンピオンシップ︶
●ノボリディアーナ︵2015年府中牝馬ステークス︶
●モルトベーネ ︵2017年アンタレスステークス︶
●ラプタス︵2020年黒船賞、2020年・2021年かきつばた記念、2021年サマーチャンピオン、2022年兵庫ゴールドトロフィー︶[3]
脚注
編集- ^ 数字中央のみ。
(一)^ “ナイスネイチャの主戦騎手・松永昌博調教師﹁特に思い入れの深い馬。冥福を祈ります﹂”. 日刊スポーツ (2023年5月30日). 2023年5月30日閲覧。
(二)^ 調教師7名・騎手1名が引退日本中央競馬会、2024年2月6日配信・閲覧
(三)^ “ラプタス”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2022年11月3日閲覧。
参考文献
編集- 木村幸治『騎手物語』(洋泉社、1998年)ISBN 4896912985
- 『優駿』1997年2月号(日本中央競馬会、1997年)
- 「杉本清の競馬談義 - 松永昌博騎手」