林靏梁

1806-1878, 幕末の儒学者

林 靏梁(はやし かくりょう、1806年9月24日文化3年8月13日) - 1878年明治11年)1月16日)は幕末儒学者。「かく」は「雨」冠に「鶴」。

林靏梁の墓(澄泉寺)

経歴

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18536[1]



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宿[2][1]

385619



41915[3]

家族

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正室:川島達馬の娘・久

継室:中井数馬の妹・庫子

  • 3男:卓四郎
  • 次女:琴
  • 3女:瑟(しつ)
  • 養女:中井数馬の娘喜美 - 杉浦梅潭

逸話

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  • 出身が赤城山に近いことで土地勘があったと推測できることなどから、しばしば「徳川埋蔵金の実行役」として登場する。
  • 柴橋代官時代に、当地を鎌倉時代から戦国時代まで治めた寒河江氏最後の当主寒河江高基の墓碑が、死後280年余りも無い状態であることを哀れみ、終焉の地(御楯山)に墓碑を建立したという[4]

脚注・出典

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  1. ^ a b 磐田市立図書館「磐田の著名人 林 鶴梁」
  2. ^ 『小伝林鶴梁3』
  3. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.37
  4. ^ 『寒河江市史 上巻』p.775

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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