欽ちゃんのここからトコトン
出演者
編集概要
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ラジオ版の﹃欽ちゃんのドンといってみよう!﹄が終了した半年後に放送が開始され、放送内容も﹁一般リスナーからの投稿を中心に据え、萩本らがそれに茶々を入れたりする﹂という、﹃欽ドン!﹄を継承した番組であった。毎週テーマが設けられ、それに沿ったエピソードやネタをハガキで募集し、紹介していた。投稿には、面白さによって﹁松・竹・梅﹂︵場合によっては﹁松上﹂も︶という評価がつけられた。これはテレビ版﹃欽ドン!︵欽ちゃんのドンとやってみよう!︶﹄での﹁バカウケ・ヤヤウケ・ドッチラケ﹂の評価を流用したものであった。テーマ案の一つにあった﹁良い子悪い子普通の子﹂は、後にフジテレビ系で人気を博す﹃欽ドン!良い子悪い子普通の子﹄の原案になったと言われる。
﹃欽ドン!﹄との大きな違いは、リスナーの電話出演があったことである。テーマに沿った内容の電話︵各回のテーマにちなんだ大喜利のようなネタや簡単なゲーム、﹁エイプリル・フール﹂のテーマ時に﹁﹃嘘八百﹄という言葉にちなみ嘘を800個言い続ける﹂という企画など︶や、﹁アシスタントクイズ﹂への出場者などとして電話出演があった。最終年度(1983年度)は、ほとんどが電話のコーナーとなっていた。優秀な投稿者・電話出演者には賞金10,000円︵2名に5,000円の場合もあり︶が贈られた。
番組では﹁アシスタント﹂と称してゲストが出演した。中原理恵はゲスト出演時の面白さを萩本に買われ、﹃欽ドン!良い子悪い子普通の子﹄の初期レギュラーに抜擢された。番組の中期から末期にかけて、﹃欽ドン!良い子悪い子普通の子﹄﹃欽ちゃんのどこまでやるの!?﹄﹃欽ちゃんの週刊欽曜日﹄などが高視聴率を取った時期は、それらの番組の出演者がゲストのほとんどを占めていた。
コーナー
編集- オープニング・エンディング
- 街行く人に番組タイトルを言ってもらう。ニッポン放送の女性アナウンサーが「欽ちゃんの」と声をかけるが、「ドンとやってみよう」「トコトントコトン」などと正しく言ってもらえないのがお決まりになっていた。
- アシスタントクイズ
- リスナーが電話で参加するコーナーの一つ。アシスタント(ゲスト)に関するクイズにリスナーが答える。ただし「西山浩司が子供のころになりたかった職業は」の答えが「人間」であったりするなど、真面目なクイズではなかった。間違えた問題は、正解発表した上で必ず次の出場者にも出題されるため、2番目以降の出場者は、番組を聴いてさえいれば1問は正解できる仕組みだった。正解後、萩本が「どうして分かったの?」と問いかけ、リスナーが「お隣からの回覧板に書いてあったから」などとボケた返答をすることも恒例となっていた。このクイズ形式は、後にニッポン放送『関根勤のTOKYOベストヒット』にて「ワールドクイズ ザッツ芸能界」として流用されていた。
関連項目
編集- ニュースワイド 欽ちゃんのもっぱらの評判 - 当番組終了後、ニッポン放送にて1987年10月から1988年4月まで放送された、萩本がメインの番組。