物見塚
物見塚(ものみづか)とは、東京都青梅市にかつて存在した地名である[1]。
物見塚 | |
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青梅インター入口にある今井物見塚の看板 | |
北緯35度47分45.8秒 東経139度19分2.5秒 / 北緯35.796056度 東経139.317361度 | |
国 |
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都道府県 |
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市 |
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等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
地名の由来
編集沿革
編集現在
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大半が青梅市今井の一部となっているほか、青梅市大門、青梅市藤橋にも一部が取り込まれている[6]。東京都道44号瑞穂富岡線︵岩蔵街道︶沿いのバス停の名前や、岩蔵街道と埼玉県道・東京都道179号所沢青梅線の交点にある交差点の名称として名前を残している[7]。市道幹4号線にも物見塚通りの愛称が付けられている。通り沿いには、1996年︵平成8年︶に圏央道の青梅ICが設けられ、青梅の新しい玄関口となっている。1997年︵平成9年︶には[注釈1]、市境や駅など交通の要所に花壇を設け、市の訪問者を歓迎する企画の一環として、IC近くにも花壇が設けられた。この花壇は老人会により管理がなされ、2002年6月には﹁ようこそおうめ﹂の花文字が作られた[9]。しかし2013年から数回にわたってこの花壇に植えられていたパンジーが盗まれる被害にあっている[10]。
注釈
編集脚注
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(一)^ ﹁角川日本地名辞典﹂編纂委員会編纂﹃角川日本地名大辞典13東京都﹄、角川書店、1978年、1208ページ。
(二)^ ab角田清美﹃青梅市今井の文化財﹄2016年、78-79ページ。
(三)^ 学習院大学輔仁会史学部︵編集︶﹃今井城址 青梅市今井に於ける中世城郭の調査﹄学習院大学輔仁会史学部、1967年、30, 33ページ。
(四)^ 奥田直栄﹁今井城址――青梅市における中世城郭の調査――﹂﹃多摩郷土研究﹄第38号、多摩郷土研究の会、1970年4月、12, 14ページ。
(五)^ 角田清美﹁今井歴史物語︵中編︶﹂﹃実践と研究︵東京都立武蔵村山高等学校紀要︶﹄第24集、2001年3月、13-14ページ。
(六)^ ﹃旧新町字 旧新地番 対照表 昭和54年4月1日施行︵昭和52年2月5日現在地番︶﹄東京都青梅市、1979年、272-273ページ。
(七)^ ﹃第2次交差点すいすいプラン﹄東京都建設局、2005年2月、11ページ。
(八)^ ﹁圏央道青梅IC〜鶴ヶ島JCT開通 〜写真でつづる青梅ICでの行事〜﹂﹃広報おうめ﹄第812号、1996年4月15日、1ページ。
(九)^ ﹁﹁ようこそおうめ﹂青梅インター入り口に花文字﹂﹃広報おうめ﹄第962号、青梅市役所秘書広報課、2002年7月15日、5ページ。
(十)^ ﹁パンジー180株盗難 青梅の花壇﹂﹃産経新聞﹄平成26年︵2014年︶4月16日付東京本社朝刊23面︵東京︶。