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==近代の歴史==
[[ファイル:Bulgarian-Exarchate-1870-1913.jpg|mini|right|250px|thumb|1870年から1913年までの、ブルガリアのエクザルフ教区の地図(赤い部分)]]
近代に入り、[[ギリシャ人]]と[[ブルガリア人]]の間でブルガリアの[[教会]]の管轄を巡る20年間にも及んだ争いの結果、[[1870年]][[2月28日]]、[[オスマン帝国]]の[[スルタン]]‥[[アブドゥルアジズ]]によって独立した[[ブルガリア正教会]]が設立されるに至った。設立された教会は[[ブルガリアのエクザルフ教区]]として知られる。[[首座主教]]には﹁[[総主教]]﹂ではなく、エクザルフの称号が与えられた。これにより[[ブルガリア正教会]]はギリシャ人が主体の[[コンスタンディヌーポリ総主教庁]]から独立した。ブルガリアのエクザルフはオスマン帝国の[[首都]]である[[イスタンブール|コンスタンディヌーポリ]]に居住した。 [[750年]]から[[独立正教会]]となっていた[[グルジア正教会]]の[[首座主教]]は、[[1008年]]から﹁[[イベリア]]︵[[コーカサス]]︶の[[カトリコス]]・[[総主教]]﹂の称号を有していた。[[1802年]]に、[[ロシア帝国]]がグルジア正教会の独立性を破壊してのち、グルジア教会の首座︵常にロシア人であった︶は﹁グルジアのエクザルフ﹂の称号を有しつつ、[[サンクトペテルブルク]]にあった[[聖務会院]]に席を有していた<ref>Fortescue, Orthodox Eastern Church, 304-305</ref>。[[1917年]][[4月7日]]、グルジア総主教座は﹁全グルジアのカトリコス・総主教﹂のタイトルのもとに復活した。その独立性はロシア正教会により[[1943年]]に承認され、[[コンスタンディヌーポリ総主教庁]]からは[[1990年]][[3月3日]]に承認された。 |