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1940年、[[ナチス・ドイツのフランス侵攻]]の直前、妻ひろが藤田嗣治・[[高野三三男]]らと帰国した。帰国後、長女春子が生まれた。 ドイツ軍占領下のパリに1年留まったのち、1941年、読売新聞の支局を閉じて[[ベルリン]]へ移り帰国しようとしたが、[[バルバロッサ作戦|独ソ開戦]]で[[シベリア鉄道]]に乗れなくなった。1942年、[[イスタンブール|イスタンブール]]へ特派され、翌年、[[マドリード]]支局長に転じ、東京の本社へ[[ナチス・ドイツ]]の破局を報じた。 日本の敗戦後の1946年1月、引揚船で帰国し、読売新聞本社に勤め各地へ講演旅行した。間借りして、浜松の在にいた妻と長女と住んだ。[[読売新聞#読売争議|読売争議]]の先が見えた7月、論説委員・副主筆となった。 |