瑞光院記』(ずいこういんき)は、戦国時代日本における叙任などの情報を提供する史料。現在は確認ができず、詳細な書誌情報も不明な史料であるが、柳原淳光が備忘のために作成したものという見解がある。

史料概要

編集

稿12[1][2]

[1][1]

3156058[1]

史料の性格

編集

稿1541 - 1597[3][4][2][4][4]

脚注

編集

注釈

編集
  1. ^ 同時に今川氏真が義元の前職である治部大輔に任じられている。義元が駿府を進発するのは同年5月12日である。
  2. ^ 『系図纂要』によれば、淳光の院号は「能雲院」とされる[4]

出典

編集
  1. ^ a b c 木下聡 2017, p. 174.
  2. ^ 木下聡 2017, pp. 174–175.
  3. ^ 木下聡 2017, pp. 175–176.
  4. ^ a b c d 木下聡 2017, p. 176.

参考文献

編集
  • 木下聡、2017、「「三河守任官」と尾張乱入に関係はあるのか」、日本史史料研究会(監修)大石泰史(編)(編)『今川氏研究の最前線』、洋泉社〈歴史新書y〉 pp. 166-183