生食 (ウマ)
(生月から転送)
概要
編集産地にまつわる諸説
編集東北から九州まで、日本の各地に生食(池月)の産地とする伝承がある。
東北地方
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宮城県大崎市の荒雄川︵現在の江合川︶上流、小黒ヶ崎山の麓には、かつて池月沼という三日月湖があり、ここで池月︵生食︶が生まれたという伝承がある[2]。小黒ヶ崎山や池月沼は平安時代から数多く和歌に詠まれており、順徳院や藤原道家らの作品が﹃古今和歌集﹄、﹃続古今和歌集﹄、﹃新後撰和歌集﹄に収録されている[3]。江合川は前九年の役の舞台になった地域で、上流域では蝦夷を率いた安倍頼時が朝廷軍を破ったという鬼切部の戦いがあったとも伝わる[4]。当地の池月神社では馬の神が祀られていた[2]。なお、付近には荒雄川神社が鎮座している。一帯は明治時代初期は池月村と称したが、周辺の村との合併により一栗村、岩出山町を経て現在は大崎市の一部になっている。
下総説
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古くから下総、現在の千葉県北部には馬牧︵馬の放牧︶が広がっており、軍馬の生産が行われていた︵下総牧。cf. 諸国牧#牧と所在地の下総国︶。
平安末期に八幡神の使いと信じられるほどの名馬が下総国葛飾郡内の牧︵江戸幕府直轄の小金牧の前身となる牧場。現・柏市市内︶で生まれ、﹁生食﹂と呼ばれて信仰を集めていた。これが源頼朝に献上されたものである。
現在においても白井市・柏市等の地域には生食に由来する神社が複数存在している。
安房説
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鋸南町には源頼朝の安房上陸の際、池月を献上したという伝承がある。頼朝は池月を献上した人に﹁馬賀﹂の姓を与えたという。鋸南町の江月地区にはお礼に頼朝が舞を舞ったという﹁武台﹂という地名が残り、池月を繋いだ馬繋ぎ石も残っている[5]。
江月地区の名前も池月が転訛したものだという。
東京・大田区
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東京都大田区の千束八幡神社には池月発祥伝説が伝わる。源頼朝が再起の折、鎌倉へ向かう途中に、この地に陣を張っていたところ、どこからか現れた野馬がおり、これを郎党が捕らえ頼朝に献上した。身体に浮かぶ白い斑点が池に映る月影のようだったことから﹁池月﹂と名付け、自らの乗馬としたという。また、近隣にある東急大井町線の北千束駅はこの伝説にちなんで開業当初は﹁池月駅﹂と称した[6]。
山陰
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山陰地方︵いまの鳥取県や島根県︶はかつて日本の代表的な馬産地の一つであり、各地に生食︵池月︶の生産地とする伝承がある[7]。
鳥取市と岩美町の境にあたる駟馳山︵しちやま︶もその一つで、山裾にはその石碑がある。ここでの伝承によると、幼いころに母馬を失い、母を探して山野を駆けまわったことで鍛えられた池月が頼朝に献上されたというものである。山はもともと﹁七夜山﹂︵しちやま︶と書いたが、池月にちなんで馬編の漢字があてられて﹁駟馳山﹂となったという[8][9][10]。
徳島県美馬市
編集徳島県美馬市の美馬町沼田地区の在所の飼い馬を母とし、半田の山の暴れ馬を父として生まれ育ったとする説があり、同地には1998年(平成10年)に開業した池月公園がある[11]。
脚注・出典
編集注釈
編集出典
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(一)^ ab今泉の源太坂 - 富士市、2023年6月4日閲覧。
(二)^ ab﹃日本歴史地名大系4 宮城県の地名﹄p515﹁池月沼﹂
(三)^ ﹃日本歴史地名大系4 宮城県の地名﹄p519﹁小黒ヶ崎﹂﹁美豆の小島﹂
(四)^ ﹃日本歴史地名大系4 宮城県の地名﹄p525-526﹁鬼首村﹂
(五)^ “頼朝と郷土の伝説 - 鋸南町ホームページ”. www.town.kyonan.chiba.jp. 2024年5月2日閲覧。
(六)^ “︵各駅停話︶北千束駅 頼朝ゆかり、消えた駅名”. 朝日新聞デジタル (2017年10月31日12:38). 2017年10月31日閲覧。
(七)^ ﹃日本馬政史﹄5巻 p364
(八)^ ﹃日本地名大辞典31鳥取県︵角川日本地名大辞典︶﹄p386﹁駟馳山﹂
(九)^ ﹃鳥取県大百科事典﹄p402﹁駟馳山﹂
(十)^ 鳥取商工会議所 ひょいと因但観光ナビ 名馬生月の伝説2015年10月14日閲覧。
(11)^ “池月公園”. 美馬市. 2023年4月21日閲覧。
参考文献
編集- 『日本歴史地名大系4 宮城県の地名』,大塚徳郎・竹内利美/監,平凡社,1987,ISBN 4-582-49004-2
- 『日本地名大辞典 31 鳥取県(角川日本地名大辞典)』,角川書店,1982,ISBN 978-4040013107
- 『鳥取県大百科事典』,新日本海新聞社鳥取県大百科事典編纂委員会・編,新日本海新聞社,1984
- 『日本馬政史』5巻,,,,