石森プロ
![]() 社屋(渋谷区代々木) | |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
![]() 〒151-0053 東京都渋谷区代々木2丁目38−7 石森ビル |
設立 | 1967年 |
法人番号 | 6011001043460 |
事業内容 |
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代表者 | 代表取締役社長 小野寺章 |
資本金 | 795万円 |
主要株主 |
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関係する人物 | #主な人物を参照 |
外部リンク | https://ishimoripro.com/ |
沿革
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石森章太郎の漫画を原作とするアニメ映画﹃サイボーグ009﹄︵1966年︶の制作をきっかけとし、1967年に石森作品のマーチャンダイジング業務を主とする会社として設立された[3]。初代の代表取締役は石森だったが、実質的な業務は﹃009﹄の制作に尽力した編集者の加藤昇が中心であった[3]。設立当初は東京都新宿区花園町︵現・新宿一丁目︶にあるアパートの四畳半の一室であった[3]。
これとは別に、石森の自宅兼仕事場として石森章太郎プロ[注釈1]が東京都練馬区桜台に存在した[3]。
1998年1月28日、石ノ森章太郎[注釈2]が逝去した後も、石森プロは解散せずに引き続き業務を続ける。
2004年9月7日に伊藤忠商事と提携し、伊藤忠商事が49%・石森章太郎プロが10 %・石森プロが41 %の各出資で﹁株式会社石森エンタテインメント﹂を設立し[5]、委託された31作品のライセンス管理、新作品の企画製作および海外セールスを行う[5]。
2007年4月3日にはバンダイ︵現・バンダイナムコホールディングス︶も資本参加し[6]、同年5月22日付けで石森エンタテインメントの第三者割当増資を伊藤忠商事とともに引き受ける[6]。同年6月1日付けで石森エンタテインメントにて旧石森プロを吸収合併し、社名を︵新︶﹁石森プロ﹂に改称した[6]。
主な人物
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小野寺章
現社長。石ノ森章太郎の次男。
早瀬マサト
石ノ森の最晩年のアシスタントを担当[7]。石ノ森の没後は、平成仮面ライダーシリーズのキャラクターデザインや漫画家・小説家として石ノ森関連作品を手掛ける[7]。
加藤 昇︵
石森プロ設立に携わり、石ノ森のマネージャーとも称される[3][8]。1938年9月15日生まれ[3][8]。岐阜県出身[3][8]。
元々は編集者であり、石ノ森とは同い年で趣味の合う友人でもあった[3]。1966年、﹃サイボーグ009﹄のアニメ映画化に伴って石ノ森から相談を受け、多忙な彼に代わって東映動画との打ち合わせに参加した[3][8]。これをきっかけとしてキャラクタービジネスに興味を持ち、石ノ森とともに石森プロを立ち上げた[3][8]後、石ノ森原作の映像化作品に多く携わった[3]。
脚注
編集注釈
編集出典
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(一)^ abchttps://www.facebook.com/story.php?story_fbid=136172004854159&id=102779918193368
(二)^ “石森プロ公式ホームページ:石森プロ会社概要”. 2016年11月20日閲覧。
(三)^ abcdefghijkOFM仮面ライダー9 2004, p. 30, 杉田篤彦﹁匠たちの肖像 ﹃仮面ライダー﹄を支えたスタッフたち 第5回 加藤昇﹂
(四)^ 山田ゴロ. “追悼・石の森章太郎先生”. 2016年2月15日閲覧。
(五)^ ab“伊藤忠商事と石森プロ 新会社設立”. アニメ!アニメ!ビズ (2004年9月7日). 2016年2月15日閲覧。
(六)^ abc“バンダイと伊藤忠商事、石森グループが資本・業務提携”. ロイター (2007年4月3日). 2016年2月15日閲覧。
(七)^ ab仮面ライダー総特集 2015, pp. 92–94, 取材・構成 大黒秀一﹁石ノ森︽魂︾継承INTERVIEW 早瀬マサト﹂
(八)^ abcde仮面ライダー怪人大画報 2016, p. 186, ﹁仮面ライダー スタッフ・キャスト人名録 2016年版﹂
参考文献
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●﹃KODANSHA Official File Magazine 仮面ライダー﹄︵講談社︶
● Vol.9︽仮面ライダースーパー1︾、2004年9月10日。ISBN 4-06-367090-2。
●﹁仮面ライダー1号・2号・V3・ライダーマン総特集﹂﹃別冊宝島﹄第2394巻、2015年10月28日、ISBN 978-4-8002-4622-6。
●﹃宇宙船別冊 仮面ライダー怪人大画報2016﹄ホビージャパン︿ホビージャパンMOOK﹀、2016年3月28日。ISBN 978-4-7986-1202-7。