穂積 老(ほづみ の おゆ)は、飛鳥時代後期から奈良時代中期にかけての貴族万葉歌人官位正五位上大蔵大輔

 

凡例

穂積老
時代 飛鳥時代後期 - 奈良時代中期
生誕 不明
死没 天平勝宝元年8月26日749年10月11日
官位 正五位上大蔵大輔
主君 元正天皇聖武天皇
氏族 穂積朝臣
濃美麻呂?[1]
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経歴

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人物

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万葉集』に、行幸へ随行して志賀の大津で詠んだ短歌[6]佐渡島配流時に詠んだ長歌反歌が採録されている[7]

『万葉集』巻3-288

我が命のま幸くあらば亦も見む志賀の大津に寄する白波

『万葉集』巻13-3240,3241

大君の 命畏み 見れど飽かぬ 奈良山越えて 真木積む 泉の川の 速き瀬に 棹さし渡り ちはやぶる 宇治の渡の 滾つ瀬を 見つつ渡りて 近江道の 逢坂山に 手向して 我が越え行けば 楽浪の 志賀の唐崎 幸くあらば またかへり見む 道の隈 八十隈ごとに 嘆きつつ 我が過ぎ行けば いや遠に 里離り来ぬ いや高に 山も越え来ぬ 剣大刀 鞘ゆ抜き出て 伊香山 いかが我がせむ 行方知らずて

反歌:天地を嘆き乞ひ祈み幸くあらばまた反り見む志賀の唐崎

官歴

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続日本紀』による。

系譜

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老の子孫を記す史料は伝わらないが、穂積濃美麻呂を老の子とする説がある[1]

脚注

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  1. ^ a b 「穂積系図」「物部大連系図」、太田亮『姓氏家系大辞典』所収。
  2. ^ 『続日本紀』和銅3年正月1日条
  3. ^ 『続日本紀』霊亀3年3月3日条
  4. ^ 『続日本紀』養老6年正月20日条
  5. ^ 『続日本紀』天平16年2月2日条
  6. ^ 『万葉集』巻3-288
  7. ^ 『万葉集』巻13-3240,3241(鹿持雅澄『萬葉集古義』による)

参考文献

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 ︿1995

 : 19829ID:000001625006

寿1986