筑後国

日本の令制国の一つ
筑後国府跡から転送)

西7
筑後国

-筑後国
-西海道
別称 筑州(ちくしゅう)[注釈 1]
所属 西海道
相当領域 福岡県南部
諸元
国力 上国
距離 遠国
10郡54郷
国内主要施設
筑後国府 福岡県久留米市(筑後国府跡)
筑後国分寺 福岡県久留米市(筑後国分寺跡
筑後国分尼寺 (推定)福岡県久留米市
一宮 高良大社(福岡県久留米市)
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領域

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明治維新直前の領域は、現在の福岡県内の下記の区域(筑後地方)に相当する。

沿革

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7[1]




近世以降の沿革

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調789536,85125
164140,241 - 

11577,948 - 

7253,125 - [2]

3729,920 - 

11579,464 - 

5926,882 - 

8922,875 - 

3016,559 - 

7256,528 - 

3633,304 - 

4
82818681013 - [2]

91318681028 - [2]

92718681111 - 

4
111418711225 - 

111418711225 - 1

91876821 - 2

国内の施設

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全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML

国府

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筑後国府跡説明板(久留米市合川町のII期国庁付近)

196136調調14

I

7

II

8

III

10

IV

1112

19968

国分寺・国分尼寺

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筑後国分寺跡(久留米市国分町)

尼寺跡は未詳であるが、僧寺跡の北方約200メートルの西村地区の地に推定される。

神社

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2222442

 
 

  - 
 

 

 



[3]

 331840.72 1303255.96 / 33.3113111 130.5488778 / 33.3113111; 130.5488778 (筑後国総社:味水御井神社)

 33185.83 1303357.28 / 33.3016194 130.5659111 / 33.3016194; 130.5659111 (筑後国一宮、名神大社:高良大社)

[3]

安国寺利生塔

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  • 安国寺 - 福岡県久留米市山川神代。
  • 利生塔 - 今は廃寺の淨土寺(福岡県大川市酒見)内に設置。

筑後十五城

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大友氏幕下にあった15の国人領主家。

地域

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10郡(延喜式)

江戸時代の藩

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人物

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国司

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筑後守

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平安時代末期から鎌倉時代初期にかけては筑前守および筑後守を同様に扱われた。

守護

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鎌倉幕府

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室町幕府

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戦国時代

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戦国大名

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退

15811584退

豊臣政権の領主

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武家官位としての筑後守

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江戸時代以前

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江戸時代

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筑後国の合戦

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527 - 528 : 鹿x

1359 : 4x6

脚注

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注釈

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  1. ^ 別称「筑州」は、筑前国とあわせて、または単独での呼称。
  2. ^ 記載は三池藩。

出典

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  1. ^ 川添昭二・武末純一・岡藤良敬・西谷正浩・梶原良則・折田悦郎『福岡県の歴史 (県史)』山川出版社、1997年12月20日、4頁。ISBN 978-4634324008 
  2. ^ a b 福岡県統計年鑑 平成22年
  3. ^ a b 『中世諸国一宮制の基礎的研究』(岩田書院、2000年)pp. 586-587。
  4. ^ 木村忠夫「大友氏の豊後支配」(初出:『熊本史学』42号(1973年)/所収:八木直樹 編『シリーズ・中世西国武士の研究 第二巻 豊後大友氏』(戎光祥出版、2014年) ISBN 978-4-86403-122-6

参考文献

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関連項目

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