絲屋銀行
概要
編集噴火災害と救済措置
編集破綻に至る原因
編集
1926年5月25日付けの大阪毎日新聞では、休業に追い込まれた理由として絲屋銀行が後援を得ていた北海道拓殖銀行の加藤頭取との間で感情的な行き違いがあり、関係断絶に至ったことが挙げられていた[2]。
1926年5月29日付けの北海タイムスには、北海道拓殖銀行の頭取のインタビュー記事が掲載されており、破綻直前の絲屋銀行の内情が窺えるものとなっている。その中では、絲屋銀行が数年前より大蔵省の監査を受け業務の整理を行うよう勧告を受けていたにもかかわらず自助努力がなされていなかったこと。また、資金を供給していた北海道拓殖銀行も整理の必要性を説いたが敵対的な行動で反発され支援を行う余地が無かったこと。さらに銀行の重役が自治体︵現留萌市︶の預金を不正に流用していたことなどが挙げられている[4]。