聖トマス大学 (フィリピン)
フィリピンの大学
サント・トーマス大学︵サント・トーマスだいがく、英: the University of Santo Tomas、サント・トマス大学[2][3][4]とも︶は、フィリピンのマニラにある私立大学。1611年、聖職者育成のためにカトリック大学として設立された。現存する大学の中ではアジア最古である[5]。
Santo Tomas | |
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モットー (英語) | Truth in Charity |
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種別 | 私立大学、教皇庁立大学 |
設立年 | 1611年 |
創立者 | マニラ大司教 |
宗教的提携関係 | カトリック |
総長 | Gerard Timoner III |
教員数 | 2,164人 (2019年) |
学生総数 | 41,554人 (2023年) |
所在地 |
フィリピン マニラ 北緯14度36分35秒 東経120度59分23秒 / 北緯14.60972度 東経120.98972度座標: 北緯14度36分35秒 東経120度59分23秒 / 北緯14.60972度 東経120.98972度 |
キャンパス | 21.5ヘクタール |
スクールカラー |
Gold, Black, and White[1] |
ニックネーム | タイガース |
マスコット | ベンガルトラ |
公式サイト | ust.edu.ph |
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歴史
編集学部
編集神学、哲学(1611年) 法学(1734年) 医学(1871年) 文学(1896年) 工学(1907年) 教育、理学(1926年) 建築(1930年) 経済(1934年) 音楽(1945年) 看護(1946年) リハビリ(1974年) 芸術、体育(2000年) 会計(2005年) 観光(2009年) 情報(2014年) 法科大学院(2017年)
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神学部
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医学部
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大学病院
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400年記念講堂
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芝生広場
著名な卒業生
編集- ホセ・リサール(革命家)
- アポリナリオ・マビニ(思想家)
- セルヒオ・オスメニャ(第4代フィリピン共和国大統領)
- ディオスダド・マカパガル(第9代フィリピン共和国大統領)
- ビンセンテ・ルクバン(軍人)
- ニック・ホアキン(小説家、ジャーナリスト)
- F・シオニル・ホセ(小説家)
- 小山内宏(軍事評論家)
対外関係
編集- アメリカ
- カナダ
- メキシコ
- ブラジル
- オーストラリア
- ニュージーランド
- タイ
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- アサンプション大学 (タイ)
- チエンマイ大学
- チュラーロンコーン大学
- マヒドン大学
- サイアム大学
- シーナカリンウィロート大学
- タマサート大学
- Thaybay Educational Network
- マレーシア
- 韓国
- 中国
- 台湾
- デンマーク
- ドイツ
- ウクライナ
- イスラエル
日本における協定校
編集脚注
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(一)^ University of Santo Tomas Visual Identity Manual. (March 2019) 2020年6月1日閲覧。
(二)^ ab日本のフィリピン占領期に関する史料調査フォーラム 編﹃日本のフィリピン占領: インタビュー記録﹄龍溪書舎、1994年、387頁。ISBN 978-4-8447-8370-1, 4-8447-8370-X。
(三)^ abc池端雪浦 編﹃日本占領下のフィリピン﹄岩波書店、1996年、355頁。ISBN 4-00-001729-2。
(四)^ ﹁[1]﹂﹃海外における日本語教育の現状と問題点: 海外日本語講師研修会レポート﹄第10巻、128頁。
(五)^ "サント・トマス大学". ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. コトバンクより2018年6月9日閲覧。
(六)^ 谷川, 榮彦、木村, 宏恒﹃現代フィリピンの政治構造﹄アジア経済研究所、1977年、35頁。
(七)^ 金ケ江, 清太郎﹃歩いてきた道―ヒリッピン物語―﹄国政社、1968年、536頁。
(八)^ 増田, 弘﹃マッカーサー フィリピン統治から日本占領へ﹄中公新書、2009年、283頁。
参考資料
編集- “History”. University of Santo Tomas. 2014年9月21日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 公式ウェブサイト
- ウィキメディア・コモンズには、サント・トーマス大学に関するカテゴリがあります。