荒角金太郎
日本の力士
経歴
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荒井嵜繁藏︵8代桐山︶の養子として、1865年11月場所で初土俵︵序ノ口︶を踏む[1]。1874年3月場所に西十両7枚目︵十枚目格︶に昇進。その後、十両で長く燻っていたが1879年6月場所に新入幕を果たした。その場所は東前頭8枚目で6勝1敗1休2預の優勝同点[1][2] の好成績を挙げた。餅肌の美男で人気が高かったと伝わる。1882年1月場所に9代桐山となり、二枚鑑札となった。この頃から体調を崩すようになり、同年6月場所を全休[1]、そして9月21日、新潟県での巡業中に急死した[3]。この年の秋巡業では、2日前の9月19日にも盛岡で荒虎敬之助︵6代若藤︶が急死しているだけに、相次ぐ現役力士の死去に角界には衝撃が走ったと伝わる。
主な成績
編集- 幕内成績:16勝16敗11分5預22休 勝率.500
- 幕内在位:7場所
改名歴
編集- 昇山
- 荒角 金太郎(あらかど きんたろう)1874年3月場所 - 1881年5月場所
- 桐山 金太郎(きりやま きんたろう)1882年1月場所 - 1882年6月場所
出典
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(一)^ abcdehttp://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=3458&l=j
(二)^ 若嶌久三郎︵当時西関脇。後に大関に昇進︶が6勝0敗1休2分1預で優勝相当成績。他に阿武松和助︵後の雷電震右エ門。当時東小結で、大関に昇進した︶が6勝1敗2休1預の優勝同点だった。
(三)^ 古今大相撲事典︵ISBN 978-4336018786︶