ラージャ
インド地域に起源をもつ「君主号」または貴族の称号
(藩王から転送)
インド
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ラージャの語は紀元前2千年紀半ば頃からインド亜大陸に侵入したアーリア人たちの族長﹁ラージャン﹂に由来し、更に古くはラテン語の王を意味する語レークス︵Rex, 属: Regis︶と同源であるともいわれる。ラージャンの地位は世襲される傾向が強かったが、部族の成員から選出された指導者としての性格を持ち、その権力はサバー、サミティなどと呼ばれる部族集会の制約を受けた。ラージャンに付随する存在として、軍事面でラージャンを補佐するセーナーニー、宗教面で補佐するプローヒタの地位があった。
アーリア人の部族内において、その構成員は原則的には平等であったが、やがてラージャンを中心とする有力者層ラージャニヤと、一般構成員ヴィシュの区別が明確になっていった。ラージャンを助ける司祭職も世襲される傾向があり、このラージャンと司祭の関係はやがてインドのカーストの中でも中核をなすクシャトリヤとバラモンの関係の原型となっていった。
のちにラージャの権限が拡大すると、マハーラージャ︵一般にマハラジャ、maha = 大、で大王または皇帝の意︶が新たに用いられて、ラージャの語は貴族や有力者に用いられるなどして、一般に格は落ちた。その後マハーラージャーディラージャ︵maha + Raja + dhi + Raja, 王の︵中の︶大王または皇帝の意味︶も用いられマハーラージャも格が落ちた。クシャーナ朝ではペルシア帝国の称号シャーハンシャーを訳したラージャーディラージャ︵Rajadhiraja、王の中の王︶も用いられた。
イギリスの植民地支配下では、ラージャは藩王︵はんおう︶の称号の一つであり、この場合、支配する領域は藩王国と呼んだ。
マレー王朝
編集タイ
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タイでは特に王にラージャの語を王の称号として使うことはなかったが、ラージャの語は、訛ってラート、ラーチャー、ラッチャなどと称され、王の名前の一部として取り入れる傾向があった。特にマハーラージャはマハーラートと称され、歴史上偉大な仕事を成し遂げた王に付与されたり、ラージャーディラージャはラーチャティラートと称され一部の王に名前の一部として使われた。