西園寺掄子
九条道家の正室。従一位准三后
名前について
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九条道家の正室の名前について、﹁掄子﹂と書かれるのが普通であるが、﹃女院次第﹄には﹁棆子﹂、﹃尊卑分脈﹄には﹁綸子﹂、﹃民経記﹄︵貞永元年10月4日条︶には﹁倫子﹂と書かれている︵なお、参考文献の﹃日本女性人名事典﹄も﹁倫子﹂表記︶。これについて、高松百香は次の様に解説している。当時の摂関家の正妻の初叙位は娘の入内の時に行われる事例が多く、名前の命名もその時に行われるのが一般的である。つまり、掄子の場合は長女の竴子が入内した時に叙位と命名が行われた可能性が高く、その名前の選定には夫の道家が深くかかわっていたとする。道家は摂関政治の全盛期を築いた平安時代の藤原道長に憧れており、竴子の名前も道長の長女で一条天皇の中宮になった藤原彰子に由来した[2]とみられている。同じように掄子の名も藤原道長の正室であった源倫子に由来していたと推定し、表記にぶれがあっても﹁掄﹂﹁棆﹂﹁綸﹂﹁倫﹂の全てに"侖"の部分が共通しているのは、西園寺掄子の名が源倫子に由来している事が知られていたからだとしている[3]。
経歴
編集脚注
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(一)^ 高松、2017年、P183-185・201
(二)^ ﹁竴﹂の字は﹁彰﹂と"立"の部分が共通する。
(三)^ 高松、2017年、P186-187
(四)^ 高松、2017年、P204
(五)^ 高松、2017年、P187
参考文献
編集- 高松百香「鎌倉期摂関家と上東門院故実-〈道長の家〉を演じた九条道家・竴子たち-」服藤早苗 編『平安朝の女性と政治文化 宮廷・生活・ジェンダー』(明石書店、2017年) ISBN 978-4-7503-4481-2
- 芳賀登 他 監修『日本女性人名事典』、日本図書センター、1998年、P464「西園寺倫子」