鄭度
姓名 | 鄭度 |
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時代 | 後漢時代 |
生没年 | 〔不詳〕 |
字・別号 | 〔不詳〕 |
出身地 | 益州広漢郡綿竹県 |
職官 | 益州従事〔劉璋〕 |
爵位・号等 | - |
陣営・所属等 | 劉璋 |
家族・一族 | 〔不詳〕 |
事績
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劉璋配下の従事。劉備が益州攻略を開始すると、鄭度は劉璋に対し、巴西・梓潼両郡の住民を西に移動させ、両郡の穀物を尽く焼き払って守りを固めるという、いわゆる焦土作戦を進言した。しかし劉璋は﹁敵を防いで民衆を防ぐ話は聞いたことあるが、民衆を移動させて敵を避けるなど、聞いたことがない﹂として、これを却下した。劉備も鄭度の策を聞いて恐れたが、法正が﹁採用されることはないので心配ありません﹂と言い、その通りとなった。
なお、劉備の益州攻略後における鄭度の行方は不明である。
﹃華陽国志﹄巻10中﹁広漢士女﹂には鄭度の事績が記載されており、﹁正論を進言し、誠実な献策をしながらも、受け入れられなかった︵﹁進規、忠謀莫受﹂︶﹂とした上で、劉璋を愚か者と非難している。
小説﹃三国志演義﹄でも、史実と同様のことが描かれている。一方、日本においては、吉川英治の小説﹃三国志﹄や横山光輝の漫画﹃三国志﹄でもこの場面が取り上げられているが、民を苦しめなかったという観点から、むしろ劉璋の決断の方が評価されている。
脚注
編集参考文献
編集- 『三国志』蜀書7法正伝
- 『華陽国志』巻10中「広漢士女」