養子的キリスト論
概要
編集2世紀のエビオン派
編集皮なめしのテオドトス
編集皮なめしのテオドトス(Theodotus)は、2世紀末にイエスは洗礼のときにキリストになったと主張し、ローマ教会のウィクトル1世(在位 189年- 199年)に破門された(養子論的単性論)。しかしその後も老テオドトスの高弟とされる両替商のテオドトスのもとに集まった人びとが養子論を保持しつつ聖書批判・経験的科学・博物学の研究に従事し、教会の権威と並び立っていた[4][5]。
8世紀の養子論論争
編集アベラール
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12世紀の神学者アベラールが唱えた三位一体説は、一位神論・新養子論とされて(?)異端を宣言された。しかし、実際のアベラールの思想からは曲解されており、三位一体を理性的に解釈しようとしたこと自体が非難されたものだという。
脚注
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(一)^ ab﹃初代教会史論考﹄pp.172-177。
(二)^ Epiphanius of Salamis (403 CE). pp. 30:3 & 30:13.
(三)^ D・A・v・ハルナック﹃教義史綱要﹄久島千枝、1997年、P.41頁。
(四)^ D・A・v・ハルナック﹃教義史綱要﹄久島千枝、1997年、P.107頁。
(五)^ エウセビオス、秦剛平・訳﹃教会史・上﹄講談社学術文庫、2010年、P.352-354頁。
参考文献
編集- 『初代教会史論考』園部不二夫著作集<3>、キリスト新聞社、1980年12月。