黒岩万吉
高砂部屋に所属した元力士
人物
編集
最初は大坂相撲の廣角組︵眞鶴部屋︶に所属。その後東上して、1895年1月初土俵︵幕下︶。1896年1月新十両[1]︵西二段目7枚目となり十両相当となった︶[1]。1896年1月、6勝1敗1分1預の好成績を残し、翌5月場所に新入幕。吊りからの速攻を中心にした取り口で将来を期待された。しかし、入幕4場所後の1899年1月場所後、心臓病を患い、翌5月場所を全休。その後、病から回復することなく同年9月27日に28歳で死去した。﹁荒岩出でて小錦衰え、黒岩出でて鳳凰衰う﹂と言われるほどその死は大いに惜しまれた[2]。
幕内通算5場所17勝13敗2分2預16休の成績を残した。
改名歴は1回ある‥黒岩 萬吉 → 黒岩 万吉[1]。但し、大坂相撲時代は勝栗→玉鶴と名乗っていた事もある。
出典
編集参考文献
編集- 三宅充著『大相撲なんでも七傑事典』講談社+α文庫、1995年。