黒須竜太郎
衆議院議員
黒須 竜太郎(くろす りゅうたろう、慶応4年6月28日[1](1868年8月16日) – 昭和26年(1951年)8月10日[2])は、衆議院議員(立憲国民党→立憲同志会→憲政会)、弁護士。
経歴
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武蔵国足立郡瓦葺村︵現在の埼玉県上尾市︶出身。1886年︵明治19年︶、埼玉県師範学校を卒業し、小学校の校長となった[3]。小学校を辞して東京に出て、1888年︵明治21年︶から英吉利法律学校︵現在の中央大学︶と東京英語学校に学んだが、在学中の1891年︵明治24年︶に弁護士試験に合格し、東京で開業した[3]。1902年︵明治35年︶、東京弁護士会副会長に選任。
1903年︵明治36年︶、芝区会議員に選出され、後に区会議長となった。1908年︵明治41年︶、市会議員に選ばれ、副議長、市参事会員を歴任した[3]。
1912年︵明治45年︶、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。3回連続当選を果たした。立憲同志会の創設に尽力し、同志会が憲政会に改称すると引き続き所属した[1]。しかし普通選挙の実現を唱えて時期尚早とする党と対立し、離党した[4]。
関東大震災後には土地区画整理委員を務めた[5]。
脚注
編集参考文献
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●﹃人物と其勢力﹄毎日通信社、1915年。
●五十嵐栄吉﹃大正人名辞典﹄東洋新報社、1917年。
●﹃新訂 政治家人名事典 明治~昭和﹄日外アソシエーツ、2003年。