1951年のメジャーリーグベースボール

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MLB1951

195141610101416317

42314

1950 - 1951 - 1952

できごと

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81113.581216587918123989309658311393.2742068.32510833MVP1949219531955MVP

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19371948319451949.312112241123419541973殿

ディマジオの引退とマントルの登場

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ジョー・ディマジオがこの年限りで引退した。1,736試合に出場して通算打率.325・打点1,537・本塁打361本の記録を残した。三冠王に二度輝き4割打者となったテッド・ウイリアムズに比べると成績は劣るが、1941年の56試合連続安打の樹立はもう2度と破られない記録として球史に燦然と輝き、ワールドシリーズ出場10回でシリーズ制覇9回の実績を残して自身は8本の本塁打を打っている。首位打者2回、打点王2回、本塁打王2回、リーグMVP3回。1955年に殿堂入りした。

そのジョー・ディマジオの引退と同時にヤンキースの主砲の後継者としてオクラホマ生れのミッキー・マントルがメジャーリーグに登場した。前年にC級マイナーリーグのジョブリンで打率.383・打点136・本塁打26本の好成績を収めた19歳のマントルは守備が遊撃であったが、この年の春季キャンプに呼ばれて、戦前から戦後にかけてビル・ディッキー捕手やジョー・ディマジオらとともにヤンキースの主軸でありこの年からコーチになったトミー・ヘンリック外野手の指導を受けて内野から外野にコンバートされることになった。そしてステンゲル監督はマントルを開幕からいきなり1番ライトで起用した。前年のマイナーリーグは当時でいうC級でそこからB級・A級・AA級・AAA級を5階級特進してメジャーデビューであった。しかし「ディマジオの後継者」としてのプレッシャーに押しつぶされて大スランプに陥り、ステンゲルはAAA級のアメリカンアソシェーションのカンサスシティ球団に降格させた。ここの監督はベーブ・ルースの後を守り1936年からヤンキース4連覇に貢献したジョージ・セルカークであった。そしてカンザスシテイでの最初の試合でマントルはいきなりドラッグバントで内野安打で出塁した。マントルは長打力がある一方で足が速く、デビュー当時は球界随一の快足と言われ、後に打って一塁までの到達速度は3秒1でメジャーリーグでは最高記録を持っていた。しかし、これを見たジョージ・セルカーク監督は戻ってきたマントルを叱責し「いいかミッキー、お前はバントをするためにここへ来たのではない。ヤンキースはお前に選球眼と自信を取り戻すためにここへ送り込んだんだ。どでかい当たりを俺の前で見せてみろ」と怒鳴った。戦前にゲーリッグやディマジオとともに黄金時代に貢献したセルカークは、マントルに次のヤンキースの時代を背負う大打者に期待していた。しかし、その後もノーヒットが続き野球に対する情熱を失いかけたマントルを、父のマット・マントルが訪ねてきて「お前がそれほどに根性がないなら、オクラホマに帰れ。そして俺のように一生炭鉱夫で安い賃金で働くのだ。それでもいいのか」と一喝した。ファンであったタイガースの強打者ミッキー・カクレーンの名から息子にミッキーと名付け、小さいころから野球の英才教育をして左右どちらも打てる希代のスイッチヒッターに育て、かつ打球を遠くに飛ばすことにかけては抜きんでた力を持ち、そして俊足の持ち主だった息子を叱咤激励して、ミッキーはやがて調子を取り戻した。彼が左右どちらも打てる打者であることは、ステンゲル監督がこの時期のヤンキースで採用したツープラトーンシステム(右投げ投手には左打者を揃え、左投げ投手には右打者を揃える先発打線を組むこと)ではどちらでも常時出場することとなり、後に計測できる本塁打記録においてメジャーリーグ最長距離の本塁打を打つこととなった。しかしこれほど類い稀な素質に恵まれた打者でありながら、この年の初めて出場したワールドシリーズの第2戦で、後にライバルとなるウィリー・メイズが打った打球を追って転倒して右ヒザを骨折し、これがミッキー・マントルの野球人生で満身創痍になって引退するまでずっと彼を苦しめる故障との長い闘いの始まりとなった。

ウィリー・メイズ

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そのマントルとほぼ同じ期間メジャーリーグで活躍した黒人選手がウィリー・メイズであった。1931年にアラバマ州ウェストフィールドに生まれ、ニグロリーグからメジャーリーグのジャイアンツと契約して、1951年にAAA級のミネアポリス・ミラーズで35試合に出場して打率.477を記録し、5月25日にメジャーリーグにデビューした。彼もマントルと同じようにデビュー直後に22打席ノーヒットで、自信を失いかけた。その時のジャイアンツ監督のレオ・ドローチャーにマイナーリーグに戻りたいと懇願すると「ウイリー、君が打てなくてもチームは勝っているではないか。例えシーズン終了まで君が打てなくても、センターは君のポジションだよ」と言われて、リラックスしてその後は打てるようになった。この年はジャッキー・ロビンソンに続いて新人王を獲得し、翌年のシーズンが開始してから朝鮮戦争に従軍するため兵役に就き、1954年に球界に復帰する。後に首位打者1回、本塁打王4回、盗塁王4回を獲得して、通算本塁打660本を打った。

ボブ・フェラー

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代打エディ・ゲーデル

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1(3.8)[3]2[4]退18,000[5]

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チャンドラーの辞任

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フリック会長の第3代コミッショナー就任

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チャンドラーの引退に伴い、9月20日に後任のコミッショナーにナショナルリーグ会長のフォード・フリックが選出された。この時の候補者には、戦後日本に赴任して帰国したダグラス・マッカーサー元帥、ペンシルベニア州立大学学長ミルトン・アイゼンハウアー(この翌年秋に米国大統領に当選したドワイト・D・アイゼンハウアー第34代大統領の実弟)、シンシナティ・レッズのオーナーのウオーレン・ジャイル(この直後にナショナルリーグ会長に就任)の名が上がっていた。フォード・フリックは10月16日に正式にコミッショナーに就任した。そして新コミッショナーの就任とほぼ時を同じくしてアメリカ合衆国連邦議会下院の「反トラスト小委員会」が野球機構について独占禁止法に違反する疑いがあるとして調査に入った。翌1952年にその調査報告が出された。

規則の改訂

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  • 首位打者及び最高長打率の有資格者は前年に「400打数以上」に変更されたが、この規定に追加されて、規定打数に満たない場合でも不足分を打数に加えて計算された打率がリーグ1位の場合は首位打者として認められることが追加された。
  • 投手の最優秀防御率及び守備率1位の有資格者について、以前は「投球回数が100イニング以上或は完投数10試合以上」と規定されていたが、「試合数×1.0」を規定投球回数とすることに変更された。

記録

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  • ニューヨーク・ヤンキースのアーリー・レイノルズ投手はこの年7月12日の対インディアンス戦を1-0でノーヒットノーランで破った。そして9月28日の対レッドソックス戦を8-0で再びノーヒットノーランで下した。この同じシーズンで2回ノーヒットノーランを達成したのは、1938年6月にジョニー・ヴァンダー・ミーアが2試合連続でノーヒットノーランを達成して以来で史上2人目の記録である。この後に同一シーズンで2回達成したのは1952年のバージャル・トラクス(ターガース)、1973年のノーラン・ライアン(エンゼルス)がいる。
  • クリーブランド・インディアンスのボブ・フェラー投手は、6月1日の対インディアンス戦で自身3度目のノーヒットノーランを達成した。フェラーは1940年と1946年にもノーヒットノーランを記録している。

最終成績

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レギュラーシーズン

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アメリカンリーグ

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チーム 勝利 敗戦 勝率 G差
1 ニューヨーク・ヤンキース 98 56 .636 --
2 クリーブランド・インディアンス 93 61 .604 5.0
3 ボストン・レッドソックス 87 67 .565 11.0
4 シカゴ・ホワイトソックス 81 73 .526 17.0
5 デトロイト・タイガース 73 81 .474 25.0
6 フィラデルフィア・アスレチックス 70 84 .455 28.0
7 ワシントン・セネタース 62 92 .403 36.0
8 セントルイス・ブラウンズ 52 102 .338 46.0

ナショナルリーグ

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チーム 勝利 敗戦 勝率 G差
1 ニューヨーク・ジャイアンツ 98 59 .624 --
2 ブルックリン・ドジャース 97 60 .618 1.0
3 セントルイス・カージナルス 81 73 .526 15.5
4 ボストン・ブレーブス 76 78 .494 20.5
5 フィラデルフィア・フィリーズ 73 81 .474 23.5
6 シンシナティ・レッズ 68 86 .442 28.5
7 ピッツバーグ・パイレーツ 64 90 .416 32.5
8 シカゴ・カブス 62 92 .403 33.5
  • ナショナルリーグはレギュラーシーズン終了時点で1位2位が並んだため、3回戦制のプレイオフが行われた。

オールスターゲーム

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  • アメリカンリーグ 3 - 8 ナショナルリーグ

ワールドシリーズ

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  • ヤンキース 4 - 2 ジャイアンツ
10/4 – ジャイアンツ 5 - 1 ヤンキース
10/5 – ジャイアンツ 1 - 3 ヤンキース
10/6 – ヤンキース 2 - 6 ジャイアンツ
10/8 – ヤンキース 6 - 2 ジャイアンツ
10/9 – ヤンキース 13 - 1 ジャイアンツ
10/10 – ジャイアンツ 3 - 4 ヤンキース

個人タイトル

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アメリカンリーグ

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打者成績

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項目 選手 記録
打率 フェリス・フェイン (PHA) .344
本塁打 ガス・ザーニアル (CWS/PHA) 33
打点 ガス・ザーニアル (CWS/PHA) 129
得点 テッド・ディマジオ (BOS) 113
安打 ジョージ・ケル (DET) 191
盗塁 ミニー・ミノーソ (CLE/CWS) 31

投手成績

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項目 選手 記録
勝利 ボブ・フェラー (CLE) 22
敗戦 テッド・グレイ (DET) 14
アレックス・ケルナー (PHA)
ボブ・レモン (CLE)
ビリー・ピアース (CWS)
ドウェイン・ピレット (SLA)
ディジー・トラウト (DET)
防御率 サウル・ロゴビン (DET/CWS) 2.78
奪三振 ビック・ラスチー (NYY) 164
投球回 アーリー・ウィン (CLE) 274⅓
セーブ エリス・カインダー (BOS) 14

ナショナルリーグ

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打者成績

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項目 選手 記録
打率 スタン・ミュージアル (STL) .355
本塁打 ラルフ・カイナー (PIT) 42
打点 モンテ・アーヴィン (NYG) 121
得点 ラルフ・カイナー (PIT) 124
スタン・ミュージアル (STL)
安打 リッチー・アシュバーン (PHI) 221
盗塁 サム・ジェスロー (BSN) 35

投手成績

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項目 選手 記録
勝利 ラリー・ヤンセン (NYG) 23
サル・マグリー (NYG)
敗戦 ポール・ミナー (CHC) 17
ケン・ラフェンスバーガー (CIN)
ウィリー・ラムスデル (CIN)
防御率 チェット・ニコルズ・ジュニア (BSN) 2.88
奪三振 ドン・ニューカム (BRO) 164
ウォーレン・スパーン (BSN)
投球回 ロビン・ロバーツ (PHI) 315
セーブ テッド・ウィルクス (STL/PIT) 13

表彰

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全米野球記者協会(BBWAA)表彰

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シーズンMVP

最優秀新人賞

その他表彰

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ベーブ・ルース賞

BBWAA投票

注釈

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(一)^ ( 1 212 

(二)^ 1219(37)

(三)^ 

(四)^ () 111P 

(五)^ 1016153P

出典

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  • 『アメリカ・プロ野球史』第5章 試練と苦悩との始まり  151-157P参照 鈴木武樹 著 1971年9月発行 三一書房
  • 『米大リーグ 輝ける1世紀~その歴史とスター選手~』≪1951年≫ 110P参照 週刊ベースボール 1978年6月25日増刊号 ベースボールマガジン社
  • 『米大リーグ 輝ける1世紀~その歴史とスター選手~』≪ジョー・ディマジオ≫ 97P参照
  • 『米大リーグ 輝ける1世紀~その歴史とスター選手~』≪ボブ・フェラー≫ 103P参照
  • 『米大リーグ 輝ける1世紀~その歴史とスター選手~』≪モンテ・アービン≫ 108P参照
  • 『スポーツ・スピリット21 No.11 ヤンキース最強読本』≪レジェンド  ミッキー・マントル≫52-54P参照 2003年6月発行 ベースボールマガジン社
  • 『オールタイム大リーグ名選手101人』 ≪ウイリー・メイズ≫ 180-181P参照   1997年10月発行    日本スポーツ出版社
  • 『スラッガー 8月号増刊 MLB歴史を変えた100人』≪ビル・ベック≫ 48P参照  2017年8月発行 日本スポーツ企画出版社
  • 『メジャーリーグ ワールドシリーズ伝説』 1905-2000(1951年) 101P参照 上田龍 著 2001年10月発行 ベースボールマガジン社
  • 『誇り高き大リーガー』≪1インチ半のストライクゾーン≫ 八木一郎 著  150-154P参照 1977年9月発行 講談社
  • 『野球は言葉のスポーツ』≪ハンディに負けず≫ 111-117P参照   伊東一雄・馬立勝 著  1991年4月発行 中公新書

関連項目

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外部リンク

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