1955年のメジャーリーグベースボール

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MLB1955

19554111042112214

438



1954 - 1955 - 1956

できごと

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103962.3069937.2712710823MVP318( )1617353退3.340271022001963MVP

10宿1111242229898213.52(42135)(27102)(.31832107)10026201175(20)MVP195119533.31951127.338(23)6204辿1966退2861976殿

1941194719491952195365762092212MVP

カンザスシティ・アスレチックス

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19544361393,054304,0664

GM60

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第三リーグと球団拡張への胎動

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これで1953年からの本拠地移転の動きはミルウォーキー、ボルチモア、カンザスシティの3つのケースが全て大成功したことで、ニューヨークのジャイアンツとドジャースに影響を及ぼした。また大リーグ球団を誘致する都市の動きも加速してロサンゼルス、サンフランシスコ、ヒューストン、ミネアポリスとセントポールなどの都市が名乗りを上げ、やがてこの1955年にパイレーツのゼネラルマネージャーを退いたブランチ・リッキーが絡んでコンチネンタルリーグ創設の動きが出て1950年代後半にメジャーリーグは第三のリーグ創設か、リーグ加盟球団を増やすかで試練に立たされる。

ミッキー・マントル

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ディマジオの引退後に1952年からセンターを守り、ヤンキースの中心打者となったミッキー・マントルはデビューした1951年のワールドシリーズ第2戦でウィリー・メイズの打球を追って転倒して右ヒザを骨折して以後は、故障した右ヒザをかばいながらプレーし、1952年は打率.311で本塁打23本、1953年は打率.295で本塁打21本、1954年は打率.300・打点102で打点王となり、本塁打27本を記録した。期待されたほどには成績は上がらず、三振が多く、思ったほど本塁打が出ていなかった。しかしマントルに転機が訪れたのはこの1955年で、それまで内角高めの速球を苦手としていたのを克服したのが大きく、またオリオールズからヤンキースに移籍してきたボブ・ターリーから相手投手のクセを見破るテクニックを覚え、この時から成績が上向いてきた。この1955年は打率.306・打点99・本塁打36本で本塁打王となったが、翌年がマントルにとって最高の年となる。

黄金の左腕

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規則の改定

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  • 走者がいる場合、投手は捕手からボールを受けて20秒以内に投球しなければ、ボールと判定する規定(20秒ルール)が設けられた(8.04)。

最終成績

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レギュラーシーズン

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アメリカンリーグ

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チーム 勝利 敗戦 勝率 G差
1 ニューヨーク・ヤンキース 96 58 .623 --
2 クリーブランド・インディアンス 93 61 .604 3.0
3 シカゴ・ホワイトソックス 91 63 .591 5.0
4 ボストン・レッドソックス 84 70 .545 12.0
5 デトロイト・タイガース 79 75 .513 17.0
6 カンザスシティ・アスレチックス 63 91 .409 33.0
7 ボルチモア・オリオールズ 57 97 .370 39.0
8 ワシントン・セネタース 53 101 .344 43.0

ナショナルリーグ

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チーム 勝利 敗戦 勝率 G差
1 ブルックリン・ドジャース 98 55 .641 --
2 ミルウォーキー・ブレーブス 85 69 .552 13.5
3 ニューヨーク・ジャイアンツ 80 74 .519 18.5
4 フィラデルフィア・フィリーズ 77 77 .500 21.5
5 シンシナティ・レッドレッグス 75 79 .487 23.5
6 シカゴ・カブス 72 81 .471 26.0
7 セントルイス・カージナルス 68 86 .442 30.5
8 ピッツバーグ・パイレーツ 60 94 .390 38.5

オールスターゲーム

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  • アメリカンリーグ 5 - 6 ナショナルリーグ

ワールドシリーズ

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  • ヤンキース 3 - 4 ドジャース
9/28 – ドジャース 5 - 6 ヤンキース
9/29 – ドジャース 2 - 4 ヤンキース
9/30 – ヤンキース 3 - 8 ドジャース
10/1 – ヤンキース 5 - 8 ドジャース
10/2 – ヤンキース 3 - 5 ドジャース
10/3 – ドジャース 1 - 5 ヤンキース
10/4 – ドジャース 2 - 0 ヤンキース
MVP:ジョニー・ポドレス (BRO)

個人タイトル

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アメリカンリーグ

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打者成績

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項目 選手 記録
打率 アル・ケーライン (DET) .340
本塁打 ミッキー・マントル (NYY) 37
打点 レイ・ブーン (DET) 116
ジャッキー・ジェンセン (BOS)
得点 アル・スミス (CLE) 123
安打 アル・ケーライン (DET) 200
盗塁 ジム・リベラ (CWS) 25

投手成績

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項目 選手 記録
勝利 ホワイティー・フォード (NYY) 18
ボブ・レモン (CLE)
フランク・サリバン (BOS)
敗戦 ジム・ウィルソン (BAL) 18
防御率 ビリー・ピアース (CWS) 1.97
奪三振 ハーブ・スコア (CLE) 245
投球回 フランク・サリバン (BOS) 260
セーブ レイ・ナーレスキー (CLE) 19

ナショナルリーグ

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打者成績

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項目 選手 記録
打率 リッチー・アシュバーン (PHI) .338
本塁打 ウィリー・メイズ (NYG) 51
打点 デューク・スナイダー (BRO) 136
得点 デューク・スナイダー (BRO) 126
安打 テッド・クルズースキー (CIN) 192
盗塁 ビル・ブルトン (ML1) 25

投手成績

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項目 選手 記録
勝利 ロビン・ロバーツ (PHI) 23
敗戦 サム・ジョーンズ (CHC) 20
防御率 ボブ・フレンド (PIT) 2.83
奪三振 サム・ジョーンズ (CHC) 198
投球回 ロビン・ロバーツ (PHI) 305
セーブ ジャック・マイヤー (PHI) 16

表彰

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全米野球記者協会(BBWAA)表彰

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シーズンMVP

最優秀新人賞

その他表彰

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ルー・ゲーリッグ賞

ベーブ・ルース賞

BBWAA投票

ベテランズ委員会選出

出典

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  • 『アメリカ・プロ野球史』第6章 試練と苦悩の始まり≪カンザスシティ移転≫ 166-167P参照 鈴木武樹 著 1971年9月発行 三一書房
  • 『アメリカ・プロ野球史』第6章 試練と苦悩の始まり≪ブルックリンの栄光≫ 169-170P参照
  • 『米大リーグ 輝ける1世紀~その歴史とスター選手~』≪1955年≫ 112P参照 週刊ベースボール 1978年6月25日増刊号 ベースボールマガジン社
  • 『メジャーリーグ ワールドシリーズ伝説』 1905-2000(1955年) 103P参照 上田龍 著 2001年10月発行 ベースボールマガジン社
  • 『スポーツ・スピリット21 №11 ヤンキース最強読本』≪レジェンド  ミッキー・マントル≫54P参照 2003年6月発行 ベースボールマガジン社
  • 『スポーツ・スピリット21 古今東西のベースボール伝説』≪サンディ・コーファックス≫ 63-67P参照 2004年7月発行  ベースボールマガジン社
  • 『メジャー・リーグ球団史』≪ロサンゼルス・ドジャース≫ 290P参照 出野哲也 著  2018年5月30日発行 言視社
  • 『メジャー・リーグ球団史』≪ニューヨーク・ヤンキース≫ 390P参照
  • 『メジャー・リーグ球団史』≪オークランド・アスレチックス≫ 422-424P参照

関連項目

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外部リンク

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