出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "さいたま市立七里小学校" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2023年1月) |
さいたま市立七里小学校︵さいたましりつ ななさとしょうがっこう︶は、埼玉県さいたま市見沼区にある公立小学校。略称は﹁七小︵ななしょう︶﹂。
●校庭の楠がシンボル。
●見沼田圃北端の台地上にあり、埼玉県道105号さいたま鳩ヶ谷線︵旧‥日光御成街道︶に面する。
●東側には校歌にも詠まれている見沼代用水東縁が流れ、田畑が多く残る。
●西側には見沼田圃を埋め立てた公営団地が林立し、商店街も多い。
●公営団地が完成して児童数が急増した1970年代には、仮設プレハブ校舎が建てられて校庭が狭くなったため、体育授業時には七里中学校の建設予定地を利用していた。
●児童の交通事故死を機に、ヘルメットをかぶっての通学を開始した。
●近隣には小学校以外にも、中学校︵七里中学校・大谷中学校︶、高校︵大宮東高校︶が新設された。
●学区内の公営団地に外国人が多く居住していることもあり、国際理解教育や親善行事、各国からの視察団来校が盛んである。
●全学年、朝マラソンを行い、年に1回持久走大会がある。
●体育館は校内敷地が手狭なため、学校前を通る埼玉県道105号さいたま鳩ヶ谷線︵旧‥日光御成街道︶を挟んだ反対側にある。そのため、体育館での授業前後には、歩道橋を渡って移動する必要がある。
●この歩道橋には県道から上る階段の他に、児童が体育館 - 校舎間を移動するための児童専用通路︵出入口︶が校舎側と体育館側に設けられている。校舎から体育館に移動する際に利用する通路には、雨天時の移動の際に傘を差さずに済むよう、歩道橋部分を含め雨除けが設けられている。
江戸末期の寺子屋から続き、1872年の学制公布直後に小学校として創立。初代の校長︵大教授心得︶は清浦奎吾︵後の第23代内閣総理大臣︶である。1970年代、公営団地の完成により児童数が増加、最終的に4校に分かれた。