「サンタ・クローチェ聖堂 (フィレンツェ)」の版間の差分
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[[ファイル:Santa croce facciata.JPG|200px|thumb|サンタ・クローチェ聖堂のファサード]] |
[[ファイル:Santa croce facciata.JPG|200px|thumb|サンタ・クローチェ聖堂のファサード]] |
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[[ファイル:Santa Croce insideRB.JPG|200px|thumb|屋内]] |
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サンタ・クローチェ聖堂は |
サンタ・クローチェ聖堂は8段の階段により底上げされている。元来の[[ファサード]]は、フィレンツェの多くの聖堂と同様に未完のままで、サン・ロレンツォ聖堂のファサードと類似したものだった。 |
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15世紀にクアッラテージ家がファサード建設に出資することをフランシスコ会に持ち掛けたものの、フランシスコ会士たちはファサード中央に同家の家紋を掲げるという出資の条件を呑むことができず断念した(クアッラテージ家は、代わりに、サン・サルヴァトーレ・アル・モンテ教会の装飾に出資した)。 |
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今日のファサードは1853年から1863年にかけて建築家ニッコロ・マタスにより実現されたもので、シエナ大聖堂やオルヴィエート大聖堂に想を得ている |
今日のファサードは1853年から1863年にかけて建築家ニッコロ・マタスにより実現されたもので、[[シエナ大聖堂]]やオルヴィエート大聖堂に想を得ている<ref>{{cite web |
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== 聖堂内部 == |
== 聖堂内部 == |
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建物のデザインはフランシスコ会の質素さを反映したものである。八角形の柱列が並ぶ全長 |
建物のデザインはフランシスコ会の質素さを反映したものである。八角形の柱列が並ぶ全長115mの三廊式の[[身廊]]と、73.54mの[[翼廊]]から成るT字型の建築平面である。 |
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元来、 |
元来、5番目の径間から翼廊を含む主祭壇までの区画は聖職者だけが立ち入り可能で、障壁により信者の区画から分けられていたが、[[トリエント公会議]]以降、トスカーナ大公[[コジモ1世]]の命により、[[ジョルジョ・ヴァザーリ]]の指揮下で対抗宗教改革の方針に準拠した教会の改築が行なわれるなかで、この障壁は撤去された。この改装工事の中で、壁面を飾っていた14世紀のフレスコ画は漆喰により覆われ、大型の祭壇が壁面沿いに設置された︵近年再発見された14世紀のフレスコ画は、聖堂付属美術館にて見学可能である︶。
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[[ファイル:Chiesa di santa croce, affreschi di giotto a1.JPG|thumb|260px|バルディ家礼拝堂のジョットのフレスコ画]] |
[[ファイル:Chiesa di santa croce, affreschi di giotto a1.JPG|thumb|260px|バルディ家礼拝堂のジョットのフレスコ画]] |
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上記の礼拝堂の並びには、さらに |
上記の礼拝堂の並びには、さらに3つの礼拝堂、ジューニ家礼拝堂、リッカルディ家礼拝堂、ヴェッルーティ家礼拝堂がある。
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さらに右側面に位置するバロンチェッリ家の礼拝堂は、ジョットの弟子タッデオ・ガッディの手になる≪聖母マリアの生涯≫を表すフレスコ画により飾られている(1332-1338年)。 |
さらに右側面に位置するバロンチェッリ家の礼拝堂は、ジョットの弟子タッデオ・ガッディの手になる≪聖母マリアの生涯≫を表すフレスコ画により飾られている(1332-1338年)。 |
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左側面に位置する礼拝堂も同じくバルディ・ディ・ベルニオの礼拝堂と呼ばれており、ドナテッロの≪キリスト磔刑≫が保管されている。 |
左側面に位置する礼拝堂も同じくバルディ・ディ・ベルニオの礼拝堂と呼ばれており、ドナテッロの≪キリスト磔刑≫が保管されている。 |
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同じく左側面には、1584年にジョヴァンニ・アントニオ・ドシオにより建てられたニッコリーニ家礼拝堂があり、天井装飾はヴォルテッラーノが、彫刻はピエトロ・フランカヴィッラが、 |
同じく左側面には、1584年にジョヴァンニ・アントニオ・ドシオにより建てられたニッコリーニ家礼拝堂があり、天井装飾はヴォルテッラーノが、彫刻はピエトロ・フランカヴィッラが、2枚の祭壇画はアレッサンドロ・アッローリが手掛けた。 |
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最後に翼廊左の西面に位置するマキャベッリ=サルヴィアーティ家礼拝堂にはヤコポ・リゴッツィによる祭壇画≪聖ラウレンティウスの殉教≫が置かれている。 |
最後に翼廊左の西面に位置するマキャベッリ=サルヴィアーティ家礼拝堂にはヤコポ・リゴッツィによる祭壇画≪聖ラウレンティウスの殉教≫が置かれている。 |
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* [[アントーニオ・ロッセリーノ]]([[:en:Antonio Rossellino|Antonio Rossellino]]) - 南側廊の『マドンナ・デル・ラッテ(乳の聖母)』のレリーフ([[1478年]])。 |
* [[アントーニオ・ロッセリーノ]]([[:en:Antonio Rossellino|Antonio Rossellino]]) - 南側廊の『マドンナ・デル・ラッテ(乳の聖母)』のレリーフ([[1478年]])。 |
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* [[ベルナルド・ロッセリーノ]] - レオナルド・ブルーニの墓碑。 |
* [[ベルナルド・ロッセリーノ]] - レオナルド・ブルーニの墓碑。 |
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* サンティ・ディ・ティート |
* [[サンティ・ディ・ティート]] - 北側廊の祭壇画『エマオの晩餐』ならびに『キリストの復活』。 |
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* ジョルジョ・ヴァザーリ - ミケランジェロの墓碑︵彫刻はValerio Cioli、Iovanni Bandini、Battista Lorenzi︶。﹃カルバリへの道﹄<ref>{{cite book | first= Eve|last= Borsook| year=1991| title= The Companion Guide to Florence, 5th Edition| editor = Vincent Cronin | pages= page pages 100-104| publisher= HarperCollins; New York| id= | url= }}</ref>。
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* ジョルジョ・ヴァザーリ - ミケランジェロの墓碑︵彫刻はValerio Cioli、Iovanni Bandini、Battista Lorenzi︶。﹃カルバリへの道﹄<ref>{{cite book | first= Eve|last= Borsook| year=1991| title= The Companion Guide to Florence, 5th Edition| editor = Vincent Cronin | pages= page pages 100-104| publisher= HarperCollins; New York| id= | url= }}</ref>。
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* [[ドメニコ・ヴェネツィアーノ]] - 食堂の『聖ヨハネと聖フランチェスコ』。 |
* [[ドメニコ・ヴェネツィアーノ]] - 食堂の『聖ヨハネと聖フランチェスコ』。 |
2024年7月12日 (金) 01:10時点における最新版
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d5/Santacrocefachada.jpg/270px-Santacrocefachada.jpg)
歴史
[編集]ファサード
[編集]聖堂内部
[編集]翼廊の礼拝堂
[編集]主礼拝堂
[編集]右壁面 ●大天使ミカエルがセトに知識の木の枝を与える ●セトがアダムの墓に木を植える ●大きくなった木で橋を建設し、この橋でシバの女王がひざまずき、ソロモンはケタを外させ水に沈める ●イスラエル人がこの木を見つけ、これで十字架を作る ●聖女ヘレナが土を掘らせ、聖なる十字架を発見する 左壁面 ●聖女ヘレナがエルサレムに聖十字架を持ち帰る ●ペルシャ王ホスローがエルサレムを占拠し、十字架を奪い、民衆からあがめられる ●東ローマ皇帝ヘラクレイオスの夢 ●東ローマ皇帝ヘラクレイオスがホスローの首を斬らせ、エルサレムに聖十字架を持ち帰る ステンドグラスもアーニョロ・ガッディの意匠による。
翼廊右の礼拝堂
[編集]翼廊左の礼拝堂
[編集]メディチ家礼拝堂
[編集]聖具室
[編集]リヌッチーニ家礼拝堂
身廊の墓廟と諸作品
[編集]![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/95/GallileoTomb.jpg/200px-GallileoTomb.jpg)
- レオン・バッティスタ・アルベルティ(15世紀の建築家、建築理論家)
- ヴィットーリオ・アルフィエーリ(18世紀の詩人、劇作家)
- エウジェーニオ・バルサンティ(Eugenio Barsanti、内燃機関の共同開発者)
- ロレンツェ・バルトリーニ(Lorenzo Bartolini、19世紀の彫刻家)
- ジュリー・クラリー(ジョゼフ・ボナパルトの妻)ならびにその娘シャルロット・ナポレオーヌ・ボナパルト
- レオナルド・ブルーニ(Leonardo Bruni、15世紀の学者、歴史家、フィレンツェ共和国首相)
- ダンテ(遺体はラヴェンナに埋葬されている)
- ウーゴ・フォスコーロ(Ugo Foscolo、19世紀の詩人)
- ガリレオ・ガリレイ
- ジョヴァンニ・ジェンティーレ(20世紀の哲学者)
- ロレンツォ・ギベルティ(ルネサンスの彫刻家)
- ヴィットリオ・ギベルティ(その息子)
- ニッコロ・マキャヴェッリ(Innocenzo Spinazzi作)
- カルロ・マルスッピーニ(Carlo Marsuppini、15世紀のフィレンツェ共和国首相)
- ミケランジェロ・ブオナローティ
- Raffaello Morgheni (19世紀の彫刻家)
- ジョアキーノ・ロッシーニ
- Princess Louise of Stolberg-Gedern(Princess Louise of Stolberg-Gedern、チャールズ・エドワード・ステュアートの妻)
- グリエルモ・マルコーニ
- エンリコ・フェルミ
修道院と付属美術館
[編集]美術
[編集]脚注
[編集]- ^ Chiarini, Gloria (2007年). “Basilica of Santa Croce”. Florence Art Guide. 2007年7月30日閲覧。
- ^ Scuola del Cuoio - Laether Schhol
- ^ Borsook, Eve (1991). Vincent Cronin. ed. The Companion Guide to Florence, 5th Edition. HarperCollins; New York. pp. page pages 100-104