「ジャラワ族」の版間の差分
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ジャラワ族の[[Y染色体ハプログループ]]は出アフリカ後に北ルート<ref name =Sakitani>崎谷満(2009)『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史 日本人集団・日本語の成立史』勉誠出版</ref>をとった[[ハプログループD (Y染色体)|ハプログループ |
ジャラワ族の[[Y染色体ハプログループ]]は出アフリカ後に北ルート<ref name =Sakitani>崎谷満(2009)『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史 日本人集団・日本語の成立史』勉誠出版</ref>をとった[[ハプログループD (Y染色体)|ハプログループD1a2b]]のみで占められる(4/4)<ref name = "Kum2003"> |
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Kumarasamy Thangaraj, Lalji Singh, Alla G. Reddy, V.Raghavendra Rao, Subhash C. Sehgal, Peter A. Underhill, Melanie Pierson, Ian G. Frame, Erika Hagelberg(2003);Genetic Affinities of the Andaman Islanders, a Vanishing Human Population ;Current Biology Volume 13, Issue 2, 21 January 2003, Pages 86–93 doi:10.1016/S0960-9822(02)01336-2</ref><ref name = Y34537>アンダマン諸島については、従来よりハプログループD-M174*(xD-M15,D-M55)が高頻度であるとのデータ(kumarasamy et al. 2003)があり、その後系統解析の研究の進展によりアンダマン諸島のD-M174*はD-Y34537であることがわかった([https://www.yfull.com/tree/D/ Y-Full])なお、Y-Fullでは、D-Y34537とD-M55が姉妹群を成すとしている。ただし両者の分岐年代は5万3000年以上前である(Mondal et al. 2017)。</ref>。 |
Kumarasamy Thangaraj, Lalji Singh, Alla G. Reddy, V.Raghavendra Rao, Subhash C. Sehgal, Peter A. Underhill, Melanie Pierson, Ian G. Frame, Erika Hagelberg(2003);Genetic Affinities of the Andaman Islanders, a Vanishing Human Population ;Current Biology Volume 13, Issue 2, 21 January 2003, Pages 86–93 doi:10.1016/S0960-9822(02)01336-2</ref><ref name = Y34537>アンダマン諸島については、従来よりハプログループD-M174*(xD-M15,D-M55)が高頻度であるとのデータ(kumarasamy et al. 2003)があり、その後系統解析の研究の進展によりアンダマン諸島のD-M174*はD-Y34537であることがわかった([https://www.yfull.com/tree/D/ Y-Full])なお、Y-Fullでは、D-Y34537とD-M55が姉妹群を成すとしている。ただし両者の分岐年代は5万3000年以上前である(Mondal et al. 2017)。</ref>。 |
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<!--(Y FullとISOGGで系統樹が異なるため確定するまで保留すべき) |
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2020年4月28日 (火) 21:16時点における版
生態
ジャラワ族の体格は小柄で、非常に黒い肌、二重瞼の目、黒い縮れた髪をしている。現在、アンダマン諸島はインドに属しており、インド政府は、部外者の出入りを統制している。アンダマンの他の種族であるオンゲ族と異なり、インド政府からの管理者さえも激しい抵抗のために彼らと接触できないこともある。歴史
ジャラワ族は、アンダマン諸島の他の先住部族たちと同じく、地球上で最も孤立した種族の一つで、外部との接触をほとんどせずに生活してきた。Y染色体ハプログループ
ジャラワ族のY染色体ハプログループは出アフリカ後に北ルート[1]をとったハプログループD1a2bのみで占められる(4/4)[2][3]。近代
1800年代にインドが英国の統治下に入ると、イギリス人たちがアンダマン諸島へインド人とミャンマーのカレン族を移住させることで、主にアンダマン諸島の大アンダマン島の南部に住んでいたジャラワ族は、島の西側海岸に追いやられることとなった。 ただし、北センチネル島に住むセンチネル族だけが、孤立した生活を現在も維持している。大アンダマン幹線道路の影響
1970年代に、インド政府が島の中央の森へ道を通そうとして、ジャラワ族に危機が迫った。密猟者など外部の人が入ってきて道のために外部の人とジャラワ族の間の接触頻度が高くなると、病気に対する免疫力がないジャラワ族に病気が広がり始めた。 1998年には麻疹が流行し絶滅の危機に陥ったことがある。 2001年にインド政府はNGO団体の要請を受けて、ジャラワ族の再定住計画をやめて、道路を閉鎖するよう命令した。しかし、道路はまだ開放状態であり、密猟問題も続いている。2006年に再び麻疹が広がった。脚注
- ^ 崎谷満(2009)『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史 日本人集団・日本語の成立史』勉誠出版
- ^ Kumarasamy Thangaraj, Lalji Singh, Alla G. Reddy, V.Raghavendra Rao, Subhash C. Sehgal, Peter A. Underhill, Melanie Pierson, Ian G. Frame, Erika Hagelberg(2003);Genetic Affinities of the Andaman Islanders, a Vanishing Human Population ;Current Biology Volume 13, Issue 2, 21 January 2003, Pages 86–93 doi:10.1016/S0960-9822(02)01336-2
- ^ アンダマン諸島については、従来よりハプログループD-M174*(xD-M15,D-M55)が高頻度であるとのデータ(kumarasamy et al. 2003)があり、その後系統解析の研究の進展によりアンダマン諸島のD-M174*はD-Y34537であることがわかった(Y-Full)なお、Y-Fullでは、D-Y34537とD-M55が姉妹群を成すとしている。ただし両者の分岐年代は5万3000年以上前である(Mondal et al. 2017)。
関連項目
外部リンク
- ジャラワとオンゲ
- The lost tribe
- Endangered Jarawa - A journeyman pictures documentary
- Jarawa "primitives" and welfare politics in the Andaman Islands by Dr Viswajit Pandya
- "Jarawa" on survival-international.org
- Jarawa and The road to destruction
- UNESCO. 2010. The Jarawa Tribal Reserve Dossier: Cultural & Biological Diversities in the Andaman Islands. Edited by Pankaj Sekhsaria and Vishvajit Pandya. 212pp. Paris: UNESCO. (PDF)
- Aka Bea and Jarawa contact-Abbi and Kumar. ACTA ORIENTALIA vol8 (PDF)