「ジョニー・バリアント」の版間の差分
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チーム解散後はシングルプレイヤーとしてWWAおよび[[アメリカン・レスリング・アソシエーション|AWA]]のテリトリーに参戦。兄貴分のジミーほどシングルの実績は残していないが、[[1981年]]4月25日にディック・ザ・ブルーザーからWWA世界ヘビー級王座を奪取している。また、AWAでは[[1982年]]頃に[[ベビーフェイス (プロレス)|ベビーフェイス]]に転向し、当時AWAで大ブレイクしていた[[ハルク・ホーガン]]の[[マネージャー (プロレス)|マネージャー]]を務めたこともあった。 |
チーム解散後はシングルプレイヤーとしてWWAおよび[[アメリカン・レスリング・アソシエーション|AWA]]のテリトリーに参戦。兄貴分のジミーほどシングルの実績は残していないが、[[1981年]]4月25日にディック・ザ・ブルーザーからWWA世界ヘビー級王座を奪取している。また、AWAでは[[1982年]]頃に[[ベビーフェイス (プロレス)|ベビーフェイス]]に転向し、当時AWAで大ブレイクしていた[[ハルク・ホーガン]]の[[マネージャー (プロレス)|マネージャー]]を務めたこともあった。 |
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その後もWWAを主戦場としたが、[[1984年]]に同団体が活動停止状態になると、[[ビンス・マクマホン|ビンス・マクマホン・ジュニア]]の新体制下で全米侵攻を開始していた[[WWE|WWF]]と再契約。その[[マイクパフォーマンス]]の上手さをマクマホンに買われ、新手のヒールとして売り出し中だった[[ブルータス・ビーフケーキ]]のプレイング・マネージャーを任される。後に[[グレッグ・バレンタイン]]のマネージメントも担当し、ビーフケーキとのタッグチーム﹁'''ドリーム・チーム'''︵'''The Dream Team'''︶﹂を指揮。[[1985年]]8月24日、[[バリー・ウインダム]]&[[マイク・ロトンド]]のUSエクスプレスから世界タッグ王座を奪取させる。タイトルは翌[[1986年]]4月7日の[[レッスルマニア#第2回大会︵1986年︶WrestleMania 2 "What |
その後もWWAを主戦場としたが、[[1984年]]に同団体が活動停止状態になると、[[ビンス・マクマホン|ビンス・マクマホン・ジュニア]]の新体制下で全米侵攻を開始していた[[WWE|WWF]]と再契約。その[[マイクパフォーマンス]]の上手さをマクマホンに買われ、新手のヒールとして売り出し中だった[[ブルータス・ビーフケーキ]]のプレイング・マネージャーを任される。後に[[グレッグ・バレンタイン]]のマネージメントも担当し、ビーフケーキとのタッグチーム﹁'''ドリーム・チーム'''︵'''The Dream Team'''︶﹂を指揮。[[1985年]]8月24日、[[バリー・ウインダム]]&[[マイク・ロトンド]]のUSエクスプレスから世界タッグ王座を奪取させる。タイトルは翌[[1986年]]4月7日の[[レッスルマニア#第2回大会︵1986年︶WrestleMania 2 "What The World Has Come To"|レッスルマニア2]]で[[ブリティッシュ・ブルドッグス]]に奪われるが、その後もドリーム・チームを率いてタッグ戦線を賑わせた。ビーフケーキのフェイスターン後は[[ディノ・ブラボー]]を加えてチームを再編している。また、WWFでは[[ジェシー・ベンチュラ]]や[[ボビー・ヒーナン]]に先駆けるヒールの[[スポーツ解説者|カラー・コメンテーター]]としてもトークの才能を発揮した。
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WWF離脱後はAWAで[[ウェイン・ブルーム]]と[[マイク・イーノス]]のデストラクション・クルー(後にWWFでビバリー・ブラザーズとして活躍)のマネージャーとなり、[[1989年]]にAWA世界タッグ王者に就かせている。[[1996年]]には[[WWE殿堂|WWF Hall of Fame]]を受賞。現在は天賦のタレント性を活かし、[[コメディアン|コメディ役者]]として活躍している<ref name="OWW">{{cite web|url=http://www.onlineworldofwrestling.com/profiles/j/johnny-valiant.html|title=Wrestler Profiles: Johnny Valiant|accessdate=2009-04-23|publisher=Online World of Wrestling}}</ref>。 |
WWF離脱後はAWAで[[ウェイン・ブルーム]]と[[マイク・イーノス]]のデストラクション・クルー(後にWWFでビバリー・ブラザーズとして活躍)のマネージャーとなり、[[1989年]]にAWA世界タッグ王者に就かせている。[[1996年]]には[[WWE殿堂|WWF Hall of Fame]]を受賞。現在は天賦のタレント性を活かし、[[コメディアン|コメディ役者]]として活躍している<ref name="OWW">{{cite web|url=http://www.onlineworldofwrestling.com/profiles/j/johnny-valiant.html|title=Wrestler Profiles: Johnny Valiant|accessdate=2009-04-23|publisher=Online World of Wrestling}}</ref>。 |
2010年3月17日 (水) 08:14時点における版
ジョニー・バリアント | |
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プロフィール | |
リングネーム |
"ラシャス" ジョニー・バリアント ジョニー・V ジョン・L・サリバン ジョニー・サリバン |
本名 | トーマス・サリバン |
ニックネーム | 弾丸男爵 |
身長 | 188cm |
体重 | 120kg(全盛時) |
誕生日 | 1946年11月25日(77歳) |
出身地 |
![]() ペンシルベニア州ピッツバーグ |
トレーナー | アル・コステロ |
デビュー | 1967年 |
来歴
獲得タイトル
シングルタイトル
- WWA世界ヘビー級王座(インディアナポリス版):1回
タッグタイトル(いずれもバリアント・ブラザーズでの載冠) ※特記以外はジミーとのコンビ
- WWA世界タッグ王座(インディアナポリス版):3回
- NWA世界タッグ王座(サンフランシスコ版):1回
- NWAジョージア・タッグ王座:1回
- NWA USタッグ王座(フロリダ版):1回
- WWWF世界タッグ王座 / WWFタッグ王座:2回(1974年にジミー、1979年にジェリーをパートナーに獲得)
- WWF Hall of Fame 1996(プレゼンターはブリティッシュ・ブルドッグとオーエン・ハート)
担当選手
- ハルク・ホーガン(AWA時代)
- ブルータス・ビーフケーキ
- ザ・スポイラー
- グレッグ・バレンタイン
- ディノ・ブラボー
- デモリッション(結成初期に担当)[3]
- デストラクション・クルー
- トム・ブランディ