「ジョン・ライドン」の版間の差分
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[[File:Tdpe 0002 xs Thomas Dellert and the Sex Pistols 1978.jpg|thumb|240px|right|若き日のパンク仲間 (右から二人目がライドン)]] |
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=== 出生 === |
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ジョン・ライドンは1956年1月31日 |
ジョン・ライドンは1956年1月31日、[[ロンドン]]の現[[イズリントン区]]のハロウェイ︵[[:en:Holloway, London|Holloway]] area of [[:en:north London|north London]]<ref>{{cite web |last1=Wright |first1=Ian |title=John Lydon talks football with Ian Wright |url=https://www.youtube.com/watch?v=_18alyXOfRg |website=YouTube |publisher=Absolute Radio |access-date=12 June 2022 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220612202034/https://www.youtube.com/watch?v=_18alyXOfRg |archive-date=12 June 2022 |location=London |format=Video interview |date=24 February 2011}}</ref><ref>{{cite news|title=Sex Pistols John Lydon admits being Arsenal mad|url=http://www.tribalfootball.com/articles/sex-pistols-john-lydon-admits-being-arsenal-mad-1274901|publisher=Tribal Football|date=17 September 2015}}</ref>︶ないしフィンズベリー・パーク︵[[:en:Finsbury Park (area)|Finsbury Park]]︶界隈で生まれた<ref name="allmusic">{{Cite web|url=http://www.allmusic.com/artist/john-lydon-mn0000237096|title=John Lydon - Biography|accessdate=2016-03-21|publisher=Allmusic}}</ref>。父はトラックの運転手、母は飲食店の女給である典型的な[[アイルランド系]]労働者階級の家庭で育ち<ref name="allmusic" />、三人の弟と共に界隈のアイリッシュ系やジャマイカ系の貧しい移民地区で成長した。当時のイギリスにおけるアイルランド移民は、ジャマイカ系などの[[ネグロイド|黒人]]と同様に激しい差別を受けていた。ライドンは自伝﹃No Irish, No Blacks, No Dogs﹄で子供のころ、通学の途中で差別による投石を頻繁にうけたと語っている。
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7歳の時に[[髄膜炎]]を患い、3か月近く昏睡状態に陥った後遺症から記憶の大部分を喪失する<ref name="ro69:20151022">{{Cite web|url=https://rockinon.com/news/detail/132778|title=ジョン・ライドンが語る、少年時代やシド・ヴィシャスの思い出、自身の食材遍歴|accessdate=2016-03-21|date=2015-10-22|publisher=RO69}}</ref>。意識が戻った時には両親の顔は無論、自分の名前すら思い出せない状態だったため、医師の勧めで脳の機能を回復させるための刺激療法を受けることになり<ref>{{Cite web|url=http://get.nifty.com/articles/20015.html|title=ピストルズのジョン・ライドン、子供時代に患った髄膜炎とその“最悪感”を語る|accessdate=2013-08-18|date=2012-04-20|publisher=ガジェット通信|archiveurl=https://archive.is/20140305110325/http://get.nifty.com/articles/20015.html|archivedate=2014年3月5日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://rockinon.com/news/detail/123741|title=ジョン・ライドン、子供時代に昏睡状態に陥り「怒りはエネルギーだ」と学んだと語る|accessdate=2016-03-21|date=2015-05-11|publisher=RO69}}</ref>、髄膜炎治療の入院に1年、周囲との隔たりを埋めていくのに3年もの時間を費やした<ref name="ro69:20151022" />。それが原因で小学生のころはいじめられっ子であった。何もかも一からやり直しの状態であったが、母親の熱心な教育のおかげで人並み以上のレベルまで取り戻すことができた。彼はこの病気の過去を「“ロットン”への道を歩み始める第一歩」と語っている。なお、この病の影響で20歳代に10cm以上身長が伸びた。 |
7歳の時に[[髄膜炎]]を患い、3か月近く昏睡状態に陥った後遺症から記憶の大部分を喪失する<ref name="ro69:20151022">{{Cite web|url=https://rockinon.com/news/detail/132778|title=ジョン・ライドンが語る、少年時代やシド・ヴィシャスの思い出、自身の食材遍歴|accessdate=2016-03-21|date=2015-10-22|publisher=RO69}}</ref>。意識が戻った時には両親の顔は無論、自分の名前すら思い出せない状態だったため、医師の勧めで脳の機能を回復させるための刺激療法を受けることになり<ref>{{Cite web|url=http://get.nifty.com/articles/20015.html|title=ピストルズのジョン・ライドン、子供時代に患った髄膜炎とその“最悪感”を語る|accessdate=2013-08-18|date=2012-04-20|publisher=ガジェット通信|archiveurl=https://archive.is/20140305110325/http://get.nifty.com/articles/20015.html|archivedate=2014年3月5日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://rockinon.com/news/detail/123741|title=ジョン・ライドン、子供時代に昏睡状態に陥り「怒りはエネルギーだ」と学んだと語る|accessdate=2016-03-21|date=2015-05-11|publisher=RO69}}</ref>、髄膜炎治療の入院に1年、周囲との隔たりを埋めていくのに3年もの時間を費やした<ref name="ro69:20151022" />。それが原因で小学生のころはいじめられっ子であった。何もかも一からやり直しの状態であったが、母親の熱心な教育のおかげで人並み以上のレベルまで取り戻すことができた。彼はこの病気の過去を「“ロットン”への道を歩み始める第一歩」と語っている。なお、この病の影響で20歳代に10cm以上身長が伸びた。 |
2023年3月8日 (水) 11:04時点における版
ジョン・ライドン | |
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![]() PiL - ライブ公演 (2013年10月) | |
基本情報 | |
出生名 |
ジョン・ジョセフ・ライドン John Joseph Lydon |
別名 | ジョニー・ロットン |
生誕 | 1956年1月31日(68歳) |
出身地 |
![]() ロンドン フィンズベリー・パーク |
ジャンル |
パンク・ロック ポスト・パンク オルタナティヴ・ロック |
職業 |
ミュージシャン ボーカリスト シンガーソングライター |
担当楽器 |
ボーカル ギター、サクソフォン、ベース シュトロー・ヴァイオリン ヴァイオリン、シンセサイザー キーボード、パーカッション |
活動期間 | 1975年 - 現在 |
共同作業者 |
セックス・ピストルズ パブリック・イメージ・リミテッド タイム・ゾーン |
公式サイト |
www |
経歴
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6e/Tdpe_0002_xs_Thomas_Dellert_and_the_Sex_Pistols_1978.jpg/240px-Tdpe_0002_xs_Thomas_Dellert_and_the_Sex_Pistols_1978.jpg)
出生
ジョン・ライドンは1956年1月31日、ロンドンの現イズリントン区のハロウェイ︵Holloway area of north London[3][4]︶ないしフィンズベリー・パーク︵Finsbury Park︶界隈で生まれた[5]。父はトラックの運転手、母は飲食店の女給である典型的なアイルランド系労働者階級の家庭で育ち[5]、三人の弟と共に界隈のアイリッシュ系やジャマイカ系の貧しい移民地区で成長した。当時のイギリスにおけるアイルランド移民は、ジャマイカ系などの黒人と同様に激しい差別を受けていた。ライドンは自伝﹃No Irish, No Blacks, No Dogs﹄で子供のころ、通学の途中で差別による投石を頻繁にうけたと語っている。 7歳の時に髄膜炎を患い、3か月近く昏睡状態に陥った後遺症から記憶の大部分を喪失する[6]。意識が戻った時には両親の顔は無論、自分の名前すら思い出せない状態だったため、医師の勧めで脳の機能を回復させるための刺激療法を受けることになり[7][8]、髄膜炎治療の入院に1年、周囲との隔たりを埋めていくのに3年もの時間を費やした[6]。それが原因で小学生のころはいじめられっ子であった。何もかも一からやり直しの状態であったが、母親の熱心な教育のおかげで人並み以上のレベルまで取り戻すことができた。彼はこの病気の過去を﹁“ロットン”への道を歩み始める第一歩﹂と語っている。なお、この病の影響で20歳代に10cm以上身長が伸びた。セックス・ピストルズ
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f8/Sex_Pistols_in_Paradiso_-_Johnny_Rotten_%26_Steve_Jones.jpg/240px-Sex_Pistols_in_Paradiso_-_Johnny_Rotten_%26_Steve_Jones.jpg)
ピストルズ脱退後
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/2c/Primavera_Sound_2011_-_May_26_-_P.I.L._%285796331980%29.jpg/240px-Primavera_Sound_2011_-_May_26_-_P.I.L._%285796331980%29.jpg)
突然の変貌
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/99/John_Lydon_at_the_Hammersmith_Odeon%2C_2008-09-02.jpg/160px-John_Lydon_at_the_Hammersmith_Odeon%2C_2008-09-02.jpg)
人物
反抗的で不良じみたスタイルをまとってはいるものの、聡明な一面を持っており、英国及びその隣国の現代史をテーマにした番組に出演した際、﹁英国を偉大なものにしたのは何か?﹂というテーマに対し、﹁俺だろ﹂とわざとシニカルに振舞った。 猫背は幼い頃に打った脊髄注射の影響で、睨み付けるような目つきはそうしないと焦点が合わないためであり、髄膜炎の後遺症である。 音楽について﹁音楽は俺の全てなんだ﹂と述べる一方で﹁昔から一貫して︵音楽︶ビジネスってヤツを否定的にしか見られない﹂と述べている[22]。 攻撃的なスタイルである一方、病の後遺症の回復に尽くしてくれたこともあり、大変な母親思いという一面も持っている。音楽の趣向
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b0/Johnny_Rotten_jacket.jpg/160px-Johnny_Rotten_jacket.jpg)
歌詞・主張
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/2d/MalcomMcLarenspeaking.jpg/170px-MalcomMcLarenspeaking.jpg)
交友関係
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7b/Sid_Vicious.jpg/240px-Sid_Vicious.jpg)
婚姻関係
妻ノラとは法的には結婚をしていないことを明かしているが、彼女の事は妻だと紹介している。ノラはライドンより14歳年上で、彼女の娘はスリッツのボーカリスト、アリ・アップである。また、ノラはドイツの大手出版業者の資産家の娘で、ライドンは彼女の資産を運用し、不動産開発業者になったと噂があるが、事実はライドンがイギリスの日刊紙ザ・サンに冗談で発言したものが広まって行っただけである[36]。 1988年12月21日に起こったパンアメリカン航空103便爆破事件のロンドン発ニューヨーク行き便に搭乗予定だったが、妻ノラの荷造りが間に合わず乗り遅れ、結果的に命拾いをした[37]。 ライドンは﹁オレは30年間妻と一緒にいる礼儀正しい男[38]﹂﹁今でも愛し合っている[39]﹂と発言している。 2020年、コロナによる世界的パンデミックの最中、ジョン・ライドンは﹃ミラー﹄紙で近況について語っている。その中のインタビューでは、妻のノラがアルツハイマー病を患い、専門家を頼りつつフルタイムでの介護を行なっていると答えていた。[40]脚注、出典
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- ジョン・ライドン (johnlydonofficial) - Facebook
- ジョン・ライドン (@lydonofficial) - X(旧Twitter)
- ジョン・ライドン - YouTubeチャンネル
- PiL Official Website
- SEX PISTOLS Official Website
- 洋楽 ジョン・ライドン、独占インタビューを掲載! | 特集 - RO69(アールオーロック)