「ダンプ松本」の版間の差分
正しい日本語に書き換える。「そう」は文法的に正しくない。伝聞の場合「そうです」「そうだ」となる。ただしどちらも百科事典としてはふさわしくないので「という」とした。 タグ: ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
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| デビュー = 1980年8月8日 |
| デビュー = 1980年8月8日 |
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'''ダンプ 松本'''(ダンプ まつもと、[[1960年]][[11月11日]] - )は、[[日本]]の女子[[プロレスラー]]。[[タレント]]、[[俳優#性別での分類|女優]]。本名・松本 香(まつもと かおる)。 |
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身長164cm、体重100kg、血液型B型。[[埼玉県]][[熊谷市]]出身。えりオフィス所属。 |
'''ダンプ 松本'''︵ダンプ まつもと、[[1960年]][[11月11日]] - ︶は、[[日本]]の女子[[プロレスラー]]。[[タレント]]、[[俳優#性別での分類|女優]]。本名・松本 香︵まつもと かおる︶。身長164cm、体重100kg、血液型B型。[[埼玉県]][[熊谷市]]出身。えりオフィス所属。﹁D・松本﹂と表記されることもある。
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「D・松本」と表記されることもある。 |
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[[ファイル:20230212danpu.jpg|サムネイル|2023.02.12 R45ババアをなめるなよ!新宿FACEにて39年ぶりジャガー横田選手とのシングルマッチ]] |
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== 人物 == |
== 人物 == |
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幼いころから父親の金銭問題・[[ドメスティック・バイオレンス|DV]]・女性問題などで苦労していた最愛の母のために家を買って建ててあげたいという思いで、[[ビューティーペア]]に憧れて女子プロレスラーになることを志す<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/176748 ダンプ松本「父親を殺すためプロレスラーになった」] 東京スポーツ(2019.12.26)、2020.1.5-last access</ref>。 |
幼いころから父親の金銭問題・[[ドメスティック・バイオレンス|DV]]・女性問題などで苦労していた最愛の母のために家を買って建ててあげたいという思いで、[[ビューティーペア]]に憧れて女子プロレスラーになることを志す<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/176748 ダンプ松本「父親を殺すためプロレスラーになった」] 東京スポーツ(2019.12.26)、2020.1.5-last access</ref>。 |
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[[1980年]]に[[全日本女子プロレス]]で本名の松本香でプロデビュー<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/176758 ダンプ松本 落ちこぼれ同士だった長与千種との出会い](2019.12.30)、2020.1.5-last access</ref>。[[1984年]]にリングネームをダンプ松本と変更すると、[[クレーン・ユウ]]と共に[[ヒール (プロレス)|ヒール]]軍団『[[極悪同盟]]』を結成<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/176954 松本香の死 そしてダンプ松本誕生](2019.12.31)、2020.1.5-last access</ref>。のちに加わり一番弟子となる[[ブル中野]]らとヒールの[[タッグチーム]]を組み、人気沸騰中だった正規軍「[[クラッシュギャルズ]]」([[ライオネス飛鳥]]と[[長与千種]]が当時結成していたコンビ名)との抗争を繰り広げ、女子プロレスを大いに盛り上げた。長与千種とは2度にわたり、敗者髪切り[[デスマッチ]]を行った。[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列で放送されていた『[[全日本女子プロレス中継]]』ではヒールにもかかわらず人気を博し、リングネームの「ダンプ」は、本名時代のファイトを観ていた観客が「あいつ、ダンプみてえだ!!」と口走ったことに由来している。全日本女子プロレスの[[松永高司]]会長は、このエピソードを引き合いに出して「スターはお客さんがつくってくれるんですよ」と語ったことがある<ref>雑誌『[[Sports Graphic Number]]』のミニインタビューにて。</ref>。ダンプは松永会長からは生前大変に可愛がってもらったとインタビューなどで度々語っている。 |
[[1980年]]に[[全日本女子プロレス]]で本名の松本香でプロデビュー<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/176758 ダンプ松本 落ちこぼれ同士だった長与千種との出会い](2019.12.30)、2020.1.5-last access</ref>。[[1984年]]の年明けにリングネームをダンプ松本と変更すると、[[クレーン・ユウ]]と共に[[ヒール (プロレス)|ヒール]]軍団『[[極悪同盟]]』を結成<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/176954 松本香の死 そしてダンプ松本誕生](2019.12.31)、2020.1.5-last access</ref>。のちに加わり一番弟子となる[[ブル中野]]らとヒールの[[タッグチーム]]を組み、人気沸騰中だった正規軍「[[クラッシュギャルズ]]」([[ライオネス飛鳥]]と[[長与千種]]が当時結成していたコンビ名)との抗争を繰り広げ、女子プロレスを大いに盛り上げた。長与千種とは2度にわたり、敗者髪切り[[デスマッチ]]を行った。[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列で放送されていた『[[全日本女子プロレス中継]]』ではヒールにもかかわらず人気を博し、リングネームの「ダンプ」は、本名時代のファイトを観ていた観客が「あいつ、ダンプみてえだ!!」と口走ったことに由来している。全日本女子プロレスの[[松永高司]]会長は、このエピソードを引き合いに出して「スターはお客さんがつくってくれるんですよ」と語ったことがある<ref>雑誌『[[Sports Graphic Number]]』のミニインタビューにて。</ref>。ダンプは松永会長からは生前大変に可愛がってもらったとインタビューなどで度々語っている。 |
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得意技は[[ラリアット]]。そのパワーを利して喉元にぶち当てる一撃は強烈で、相手が空中で一回転したこともあった。 |
得意技は[[ラリアット]]。そのパワーを利して喉元にぶち当てる一撃は強烈で、相手が空中で一回転したこともあった。 |
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悪役レスラーとしての全盛期は、女子プロレスファンの年齢層が低めで、いわゆる[[マーク (プロレス)|マーク]]([[アングル (プロレス)|アングル]]を本気で信じる若年層)が多かった。そのため、ダンプのアンチが実家に押しかけ、「ダンプ出て来い!」と玄関を叩きながら大声で叫ぶ、玄関先にダンプを中傷する張り紙を貼る、窓ガラスを割られる、といった嫌がらせを何度も受けた。他にもダンプが購入した新車を納車直後に傷つけられる、街中で罵声を浴びせられる、飲食店や服屋、デパートなどでの入店拒否など、ヒールとしての嫌われぶりは相当で、付いた異名が「日本で一番殺したい人間」であった<ref>[https://www.jprime.jp/articles/-/18880?page=5 ダンプ松本「日本で一番殺したい人間」とまで言われても、“悪役”を背負い続ける理由(5/9ページ)] 週刊女性2020年9月29日・10月6日号 (2020年10月3日閲覧)</ref><ref name="tospo20230306">[https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/255940 【女子レスラー名鑑】ダンプ松本 史上最凶のヒール 長与千種との髪切りマッチは伝説]東京スポーツ 2023年3月6日(2023年3月8日閲覧)</ref>。1985年8月に[[大阪城ホール]]で行われた長与との敗者髪切りデスマッチでは、試合終了後に暴動状態となり、500~600人のファンが極悪同盟の選手バスを取り囲んで揺らすという事態まで発展した。ダンプは当時の事を「警備員にまで殴られる始末だった。あの時は本当に殺されるかと思った」と述べている<ref name="tospo20230306" />。また、『[[夕やけニャンニャン]]』の[[片岡鶴太郎]]への襲撃(片岡への[[ドッキリ]])、『[[毎度おさわがせします]]』に出演する格闘技素人の中学生男子(という劇中設定)らに技をかけたり殴る蹴るといった「女チンピラ」のような役どころの影響で、女子プロレスを知らない層にも「ダンプ=公私関係なく乱暴者」というイメージがさらに独り歩きした。母親に怖い思いをさせたことで一時は悪役レスラーを続けるか悩んだが、当時はまだ薄給だったため、つらい中でも必死で頑張ったという。努力の甲斐あって、徐々にギャラも上がっていくとデビューから5年後には、[[深谷市]]に念願だった新築一軒家を購入して母親にプレゼントしている。[[2019年]]8月7日にはダンプが幼少時から確執があった父親が逝去した。殺意まで抱く相手であり、50年の間、口を利かなかった父親だが、晩年の入院中に意識が朦朧とした中で「この人は誰だかわかる?」と看護師に問われ「ダンプ松本」と答えたことから、テレビで自身を応援していたことを悟り、和解に至った。これが父との最後の会話となった<ref>[https://www.jprime.jp/articles/-/18880?page=9 ダンプ松本「日本で一番殺したい人間」とまで言われても、“悪役”を背負い続ける理由(9/9ページ)] 週刊女性2020年9月29日・10月6日号 (2020年10月3日閲覧)</ref>。正確には、その4か月前に父が肺炎で入院していた際に、医師から「持ってあと1週間です」と言われた瞬間、憎しみが消えたという。退院後、認知症の症状が見られた父を介護施設に入所させたが、憎んでいた頃とは全く別人となっていた父と初めて二人きりで写真を撮るなど、父に対する態度は既に軟化していた<ref name="sitto"/>。 |
悪役レスラーとしての全盛期は、女子プロレスファンの年齢層が低めで、いわゆる[[マーク (プロレス)|マーク]]︵[[アングル (プロレス)|アングル]]を本気で信じる若年層︶が多かった。そのため、ダンプのアンチが実家に押しかけ、﹁ダンプ出て来い!﹂と玄関を叩きながら大声で叫ぶ、玄関先にダンプを中傷する張り紙を貼る、窓ガラスを割られる、といった嫌がらせを何度も受けた。他にも当時ダンプが購入したばかりの真っ赤な新車の[[フェアレディZ]]を納車直後に傷つけられる、私物の自転車や原付バイクを破壊されたり、当時の自宅マンションの空き巣被害や街中で罵声を浴びせられる、飲食店や服屋、デパートなどでの入店拒否など、ヒールとしての嫌われぶりは相当で、付いた異名が﹁日本で一番殺したい人間﹂であった<ref>[https://www.jprime.jp/articles/-/18880?page=5 ダンプ松本﹁日本で一番殺したい人間﹂とまで言われても、“悪役”を背負い続ける理由(5/9ページ)] 週刊女性2020年9月29日・10月6日号 (2020年10月3日閲覧)</ref><ref name="tospo20230306">[https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/255940 ︻女子レスラー名鑑︼ダンプ松本 史上最凶のヒール 長与千種との髪切りマッチは伝説]東京スポーツ 2023年3月6日︵2023年3月8日閲覧︶</ref>。1985年8月に[[大阪城ホール]]で行われた長与との敗者髪切りデスマッチでは、試合終了後に暴動状態となり、500~600人のファンが極悪同盟の選手バスを取り囲んで揺らすという事態まで発展した。ダンプは当時の事を﹁警備員にまで殴られる始末だった。あの時は本当に殺されるかと思った﹂と述べている他<ref name="tospo20230306" />、2023年に中野のYouTubeチャンネルに出演した際にもダンプは敗者髪切りデスマッチに関して﹁クラッシュギャルズにおける意思統一がなされていなかった﹂と指摘した上で、﹁飛鳥に聞いたところ、長与との敗者髪切りデスマッチは勝手に会社に決められた﹂﹁セコンドについている飛鳥の顔を見ると、憎たらしいって顔してて。千種のことを可哀そうというよりも、私がやりたかった顔だった﹂﹁長与の髪を切る際は、最後まで坊主にしていない﹂﹁今思えば、余計に腹が立つ﹂と述べている<ref>[https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/05/12/kiji/20230512s00041000565000c.html ダンプ松本 伝説﹁髪切りマッチ﹂の舞台裏を語る﹁今思うと、余計に腹が立ってきた﹂]スポーツニッポン 2023年5月12日︵2024年1月6日閲覧︶</ref>。
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また、『[[夕やけニャンニャン]]』の[[片岡鶴太郎]]への襲撃(片岡への[[ドッキリ]])、『[[毎度おさわがせします]]』に出演する格闘技素人の中学生男子(という劇中設定)らに技をかけたり殴る蹴るといった「女チンピラ」のような役どころの影響で、女子プロレスを知らない層にも「ダンプ=公私関係なく乱暴者」というイメージがさらに独り歩きした。母親に怖い思いをさせたことで一時は悪役レスラーを続けるか悩んだが、当時はまだ薄給だったため、つらい中でも必死で頑張ったという。努力の甲斐あって、徐々にギャラも上がっていくとデビューから5年後には、[[深谷市]]に念願だった新築一軒家を購入して母親にプレゼントしている。[[2019年]]8月7日にはダンプが幼少時から確執があった父親が逝去した。殺意まで抱く相手であり、50年の間、口を利かなかった父親だが、晩年の入院中に意識が朦朧とした中で「この人は誰だかわかる?」と看護師に問われ「ダンプ松本」と答えたことから、テレビで自身を応援していたことを悟り、和解に至った。これが父との最後の会話となった<ref>[https://www.jprime.jp/articles/-/18880?page=9 ダンプ松本「日本で一番殺したい人間」とまで言われても、“悪役”を背負い続ける理由(9/9ページ)] 週刊女性2020年9月29日・10月6日号 (2020年10月3日閲覧)</ref>。正確には、その4か月前に父が肺炎で入院していた際に、医師から「持ってあと1週間です」と言われた瞬間、憎しみが消えたという。退院後、認知症の症状が見られた父を介護施設に入所させたが、憎んでいた頃とは全く別人となっていた父と初めて二人きりで写真を撮るなど、父に対する態度は既に軟化していた<ref name="sitto"/>。 |
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母親は、リング上での凶行が演技だと知っていても、暴力的な振る舞いに抵抗を感じており、試合会場へ観戦に赴く際は、怪我をさせた対戦相手の元へ毎回謝罪に訪れていた。そうした行動を執る母親へ「試合中の怪我の事で親が出てくるのは恥ずかしいから謝りに行かなくてもいいからね」とダンプはよく話していたという<ref>[[スポーツニッポン]]のコラム「母」でダンプ自身が著述。他にテレビ番組でのトークや週刊FLASHの取材でも事実と認めている。</ref><ref>[http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120430-00000303-jisin-ent ダンプ松本 Wikipedia「怪我をさせた対戦相手に母が謝罪」真相を本人直撃-光文社・週刊FLASH 2012年5月8日・15日合併号]{{リンク切れ|date=2017年9月}}</ref>。ヒールで世間から嫌われていた為に、母親や妹からは逆にダンプがプレゼントした実家へ1988年の全女引退時までは帰って来ないでとも言われていたという。 |
母親は、リング上での凶行が演技だと知っていても、暴力的な振る舞いに抵抗を感じており、試合会場へ観戦に赴く際は、怪我をさせた対戦相手の元へ毎回謝罪に訪れていた。そうした行動を執る母親へ「試合中の怪我の事で親が出てくるのは恥ずかしいから謝りに行かなくてもいいからね」とダンプはよく話していたという<ref>[[スポーツニッポン]]のコラム「母」でダンプ自身が著述。他にテレビ番組でのトークや週刊FLASHの取材でも事実と認めている。</ref><ref>[http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120430-00000303-jisin-ent ダンプ松本 Wikipedia「怪我をさせた対戦相手に母が謝罪」真相を本人直撃-光文社・週刊FLASH 2012年5月8日・15日合併号]{{リンク切れ|date=2017年9月}}</ref>。ヒールで世間から嫌われていた為に、母親や妹からは逆にダンプがプレゼントした実家へ1988年の全女引退時までは帰って来ないでとも言われていたという。 |
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試合中の奇抜なメイクは、ヒールレスラーでありながら笑うとえくぼが出てしまう可愛らしい童顔を隠すために行っていた。デザインは[[ハードロック]][[バンド (音楽)|バンド]]「[[キッス|KISS]]」の[[コープス・ペイント]]を参考にしている。コスチューム代は自己負担だった<ref name="daily20151220" />。 |
試合中の奇抜なメイクは、ヒールレスラーでありながら笑うとえくぼが出てしまう可愛らしい童顔を隠すために行っていた。デザインは[[ハードロック]][[バンド (音楽)|バンド]]「[[キッス|KISS]]」の[[コープス・ペイント]]を参考にしている。コスチューム代は自己負担だった<ref name="daily20151220" />。 |
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ピーク時の1試合当たりのギャラは3万5千円。タイトル戦に勝利すると100~200万円を手にし、平均月収は100万〜300万円であった。ヒールキャラがポピュラーとなり芸能活動を開始し[[バラエティ番組]]への出演が多くなると、月収500万円の時もあったという<ref name="daily20151220" />。全盛期には本業のプロレスと芸能活動のギャラを合わせ年収5000〜6000万円ほどが4年間続いた。しかし、母親のための家を購入後は、後輩と出掛けた際の飲食代を |
ピーク時の1試合当たりのギャラは3万5千円。タイトル戦に勝利すると100~200万円を手にし、平均月収は100万〜300万円であった。ヒールキャラがポピュラーとなり芸能活動を開始し[[バラエティ番組]]への出演が多くなると、月収500万円の時もあったという<ref name="daily20151220" />。全盛期には本業のプロレスと芸能活動のギャラを合わせ年収5000〜6000万円ほどが4年間続いた。しかし、母親のための家を購入後は、普段から極悪メンバーなどの後輩と出掛けた際には全ての飲食代を全額支払い、大好きだったパチンコに散財し全女を辞めるまでに殆ど使い切ってしまったと語っている。現在も親交のある後輩の[[工藤めぐみ]]は﹁当時のギャラは現金支給で、支払日に一緒に受け取りに行ったときにダンプさんの給料袋の札束が立つほどに厚くて驚いた﹂と証言している。
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リング上ではヒールに徹するが、リングを降りれば涙もろく人情に篤い性格である。後輩たちの悩みや相談などに対し親身にアドバイスし、引率して飲食に連れて行くなど、親分肌でとても面倒見がよく現在も多数のベビーフェイスの後輩をはじめ極悪メンバー以外からも慕われている。また、レスラー以外にも広く人望があり、多くの芸能人など幅広い交友がある。 |
リング上ではヒールに徹するが、リングを降りれば涙もろく人情に篤い性格である。後輩たちの悩みや相談などに対し親身にアドバイスし、引率して飲食に連れて行くなど、親分肌でとても面倒見がよく現在も多数のベビーフェイスの後輩をはじめ極悪メンバー以外からも慕われている。また、レスラー以外にも広く人望があり、多くの芸能人など幅広い交友がある。 |
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極悪同盟結成以前の全女では、備品や設備の破損を防止する観点から凶器の使用は一切禁止されていたが、結成以降は何を壊しても弁償は求めないから凶器を使ってくれと会社側から要請があった。しかし、不機嫌な際は凶器を用いるパフォーマンスをまったく行わなかった。凶器を使用しなかった意図は、相手レスラーの好感度上昇を阻む目的があった<ref name="sitto"/>。 |
極悪同盟結成以前の全女では、備品や設備の破損を防止する観点から凶器の使用は一切禁止されていたが、結成以降は何を壊しても弁償は求めないから凶器を使ってくれと会社側から要請があった。しかし、不機嫌な際は凶器を用いるパフォーマンスをまったく行わなかった。凶器を使用しなかった意図は、相手レスラーの好感度上昇を阻む目的があった<ref name="sitto"/>。 |
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ダンプは、同じくヒール軍団の一員であった新人時代の[[アジャ・コング]]にはあまり目を掛けていなかった(アジャがプロレスデビュー前から熱狂的な長与千種ファンであったことは周知の事実で、アジャ本人はベビーフェイス志望だった)。ヒール役に対してモチベーションの低いアジャは、ダンプのセコンドだった新人時代、試合中凶器を手渡す際にミスをし、殴られたこともあった。2011年には「自分の中ではダンプさんとは合わなかった」とアジャはインタビューで語っている<ref>[[柳澤健]]『1993年の女子プロレス』(2011年 [[双葉社]] {{ISBN2|9784575303261}} P68)</ref>。ブル中野はアジャとの対談にて、アジャとの距離を縮めたいがためダンプから故意にからかわれたり弄られていたと証言している。その際アジャは、希望したベビーフェイスではなくヒールレスラーとして極悪同盟への加入が決まり、渋々取り組んでいたことが普段の態度からも完全に滲み出ていたことに理由があるとして、「自分から嫌われる原因を作ってしまっていたから」と述懐している{{要出典|date=2022年9月}}。古参となった2016年のインタビューでアジャは「当時の自分は考えがまだ子供でダンプさんも極悪同盟も悪役だったから大嫌いで、グループ内で露骨に嫌な態度を取り続けていて他の仲間からは嫌われていた。それでもダンプさんは、そんな態度を取っていた自分を気遣っていつも歩み寄ろうとしてくれていたし、陰ながら見守っていてくれていた。[[1988年]]にダンプさんが引退した後、その事に気付いてからはとても偉大な人物だと自覚した」と、ダンプを敬愛するコメントを出している。しかし、新人時代に極悪同盟を辞めたいというストレスから、禁止されている飲酒をし酔った勢いで先輩達の制止を振り切りダンプに向かって「鬼は外!」と言い放ち[[かっぱえびせん]]を投げつけた事があった。翌日ダンプに殺されると思ったが、ダンプは寛容な態度で一切お咎めが無かった。その出来事から15年後の深夜にダンプから電話があり、「アジャちゃんはダンプちゃんの事を嫌いだから、かっぱえびせんを『鬼は外』って投げたんだよね〜?」と当時のエピソードをしっかり記憶しており通話中には冷や汗をかいたとインタビューで語っている。 |
ダンプは、同じくヒール軍団の一員であった新人時代の[[アジャ・コング]]にはあまり目を掛けていなかった︵アジャがプロレスデビュー前から熱狂的な長与千種ファンであったことは周知の事実で、アジャ本人はベビーフェイス志望だった︶。ヒール役に対してモチベーションの低いアジャは、ダンプのセコンドだった新人時代、試合中凶器を手渡す際にミスをし、殴られたこともあった。2011年には﹁自分の中ではダンプさんとは合わなかった﹂とアジャはインタビューで語っている<ref>[[柳澤健]]﹃1993年の女子プロレス﹄︵2011年 [[双葉社]] {{ISBN2|9784575303261}} P68︶</ref>。ブル中野はアジャとの対談にて、アジャとの距離を縮めたいがためダンプから故意にからかわれたり弄られていたと証言している。その際アジャは、希望したベビーフェイスではなくヒールレスラーとして極悪同盟への加入が決まり、渋々取り組んでいたことが普段の態度からも完全に滲み出ていたことに理由があるとして、﹁自分から嫌われる原因を作ってしまっていたから﹂と述懐している{{要出典|date=2022年9月}}。古参となった2016年のインタビューでアジャは﹁当時の自分は考えがまだ子供でダンプさんも極悪同盟も悪役だったから大嫌いで、グループ内で露骨に嫌な態度を取り続けていて他の仲間からは嫌われていた。それでもダンプさんは、そんな態度を取っていた自分を気遣っていつも歩み寄ろうとしてくれていたし、陰ながら見守っていてくれていた。[[1988年]]にダンプさんが引退した後、その事に気付いてからはとても偉大な人物だと自覚した﹂と、ダンプを敬愛するコメントを出している。しかし、新人時代に極悪同盟を辞めたいというストレスから、禁止されている飲酒をし酔った勢いで先輩達の制止を振り切りダンプに向かって﹁鬼は外!﹂と言い放ち[[かっぱえびせん]]を投げつけた事があった。翌日ダンプに殺されると思ったが、ダンプは寛容な態度で一切お咎めが無かった。その出来事から15年後の深夜に泥酔したダンプから電話があり、﹁アジャちゃんはダンプちゃんの事を嫌いだから、かっぱえびせんを﹃鬼は外﹄って投げたんだよね〜?﹂と当時のエピソードをしっかり記憶しており通話中には冷や汗をかいたとインタビューで語っている。
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抗争を繰り広げたクラッシュギャルズの2人はダンプと同期である。長与とはデビュー当時は落ちこぼれコンビでもあった。飛鳥とは全女の寮で新人時代からルームメイトだったため、デビュー前から現在に至るまで公私共に親交が深い仲。しかし、抗争当時の全女ではベビーフェイスとヒールレスラーが公の場での会話や懇意にすることは厳禁だった。そのため、クラッシュギャルズファンに二人の仲を悟られぬよう、プライベートでも徹底してヒールを演じ、引退までクラッシュの2人とは口を利かなかった。また、会社の上役から身に覚えのない互いの悪口を焚きつけられ、一時は長与や飛鳥と険悪な雰囲気になっていたこともインタビューで明かしている<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/176958 ダンプ松本 ファンの殺意 長与との確執は刃物沙汰に] 東京スポーツ(2020年01月01日)、2020.1.2access</ref>。この件は、後年ダンプとクラッシュの2人が話し合った際、会社に仕組まれていたことが判明し誤解が解けたという。また、全女時代は自身のファンに対してもヒールを演じ切り、ファンは要らないと当時のインタビューなどで語っていた。本心はファンに応援されることがとても嬉しかったが、サインや握手を求められても一切応じず、断る際も「暇じゃねぇんだよ!」など、あえて辛辣な言葉を浴びせたという。極悪内ではクレーン・ユウも本来は優しい人柄で、ファンに声を掛けられると手を振るなどの対応をしてしまうため、「ヒールなんだからそういうのはダメ」とダンプは注意していたという。だが、最初の引退間近の1988年頃から、地方興行先では公の場でもベビーフェイス選手と親しげに会話したり、サインや握手、写真撮影などのファンサービスにも応じるようになっていった。 |
抗争を繰り広げたクラッシュギャルズの2人はダンプと同期である。長与とはデビュー当時は落ちこぼれコンビでもあった。飛鳥とは全女の寮で新人時代からルームメイトだったため、デビュー前から現在に至るまで公私共に親交が深い仲。しかし、抗争当時の全女ではベビーフェイスとヒールレスラーが公の場での会話や懇意にすることは厳禁だった。そのため、クラッシュギャルズファンに二人の仲を悟られぬよう、プライベートでも徹底してヒールを演じ、引退までクラッシュの2人とは口を利かなかった。また、会社の上役から身に覚えのない互いの悪口を焚きつけられ、一時は長与や飛鳥と険悪な雰囲気になっていたこともインタビューで明かしている<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/176958 ダンプ松本 ファンの殺意 長与との確執は刃物沙汰に] 東京スポーツ(2020年01月01日)、2020.1.2access</ref>。この件は、後年ダンプとクラッシュの2人が話し合った際、会社に仕組まれていたことが判明し誤解が解けたという。また、全女時代は自身のファンに対してもヒールを演じ切り、ファンは要らないと当時のインタビューなどで語っていた。本心はファンに応援されることがとても嬉しかったが、サインや握手を求められても一切応じず、断る際も「暇じゃねぇんだよ!」など、あえて辛辣な言葉を浴びせたという。極悪内ではクレーン・ユウも本来は優しい人柄で、ファンに声を掛けられると手を振るなどの対応をしてしまうため、「ヒールなんだからそういうのはダメ」とダンプは注意していたという。だが、最初の引退間近の1988年頃から、試合では相変わらずヒールに徹したダーティファイトをしながらも<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/battle/news/202308190001289.html|title=【スターダム】ダンプ松本が極悪同盟の再結成待ち望む「血だるまにしたいの」天咲光由に毒霧|publisher=日刊スポーツ|date=2023-08-19|accessdate=2022-08-19}}</ref>地方興行先では公の場でもベビーフェイス選手と親しげに会話したり、サインや握手、写真撮影などのファンサービスにも応じるようになっていった。 |
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現在は極悪支部というファングループも全国各地に点在し、当時とは異なり「ファンサービスも喜んで応じます」とインタビューで語っている。理想のタイプは俳優の[[中村雅俊]]。中村の大ファンであることを現役当時から公言している。 |
現在は極悪支部というファングループも全国各地に点在し、当時とは異なり「ファンサービスも喜んで応じます」とインタビューで語っている。理想のタイプは俳優の[[中村雅俊]]。中村の大ファンであることを現役当時から公言している。 |
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* [[夕やけニャンニャン]](フジテレビ) - 初期の頃出演していた。 |
* [[夕やけニャンニャン]](フジテレビ) - 初期の頃出演していた。 |
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* [[なるほど!ザ・ワールド]](フジテレビ) |
* [[なるほど!ザ・ワールド]](フジテレビ) |
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*おいしんぼ探偵社(TCAT) |
* おいしんぼ探偵社(TCAT) |
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*ほっぷすてっぷダンプ(TCAT) |
* ほっぷすてっぷダンプ(TCAT) |
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* [[午後は○○おもいッきりテレビ]](日本テレビ) - レギュラーコメンテーター |
* [[午後は○○おもいッきりテレビ]](日本テレビ) - レギュラーコメンテーター |
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* [[ゆうどきネットワーク]]([[日本放送協会|NHK]]) |
* [[ゆうどきネットワーク]]([[日本放送協会|NHK]]) |
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* くりぃむしちゅーの最強アイドル大百科 (2011年10月1日 日本テレビ) |
* くりぃむしちゅーの最強アイドル大百科 (2011年10月1日 日本テレビ) |
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* [[クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!]](日本テレビ) - 初期の頃、準レギュラーで出演 |
* [[クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!]](日本テレビ) - 初期の頃、準レギュラーで出演 |
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* [[めちゃ×2イケてるッ!]] - 極楽同盟を懲らしめる役として。 |
* [[めちゃ×2イケてるッ!]](フジテレビ) - 極楽同盟を懲らしめる役として。 |
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* [[熱闘!スポーツクイズ]]([[テレビ東京]]) |
* [[熱闘!スポーツクイズ]]([[テレビ東京]]) |
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* [[ぽかぽか]](フジテレビ)「GW特別企画 激レア品が続々登場!? 家にある「金ピカのもの」を持って集合!」「あつまれ!お母さん大好き党」 |
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=== ラジオ === |
=== ラジオ === |
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* 1985年のクラッシュ・ギャルズ(2013年1月 [[NHK-FM]][[青春アドベンチャー]]) - 本人役 |
* [[1985年のクラッシュ・ギャルズ]](2013年1月 [[NHK-FM]][[青春アドベンチャー]]) - 本人役 |
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=== テレビドラマ === |
=== テレビドラマ === |
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* [[水曜グランドロマン]]「懲りない女たち(1)」(1988年、NTV) |
* [[水曜グランドロマン]]「懲りない女たち(1)」(1988年、NTV) |
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* [[明日はアタシの風が吹く]](1988年、NTV) |
* [[明日はアタシの風が吹く]](1988年、NTV) |
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*[[必殺スペシャル・新春 決定版!大奥、春日野局の秘密 主水、露天風呂で初仕事]](1989年、ABC) - 腰元 多聞 役 |
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* [[さすらい刑事旅情編の登場人物#さすらい刑事旅情編II(1989年 - 1990年)|さすらい刑事旅情編II]] 第12話(1989年、ANB) |
* [[さすらい刑事旅情編の登場人物#さすらい刑事旅情編II(1989年 - 1990年)|さすらい刑事旅情編II]] 第12話(1989年、ANB) |
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* [[いけない女子高物語]](1990年、NTV) |
* [[いけない女子高物語]](1990年、NTV) |
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=== CM === |
=== CM === |
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* [[日清食品]] 「タコヤキラーメン」 |
* [[日清食品]] 「タコヤキラーメン」 |
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: ラーメンの具として、たこ焼き3個が入っている。CM中でのセリフ「おい!」「みんな |
: ラーメンの具として、たこ焼き3個が入っている。CM中でのセリフ「おい!」「みんな初めは分かってくれないんだ」「マジだぜ!」が話題になる。CMは複数のバージョンが作られたが、その1本では冒頭に、ノーメイクの素顔で「たこやきが、ラーメンになったのよ!」と明るく商品をアピールする場面もあった。なお、素顔のシーンはリハーサルだと騙されて撮影したものであり、放映開始まで本編での採用はダンプ本人は知らされていなかった。当時ダンプはヒールのイメージを守るため、ノーメイクでのメディア出演を断っていたが、全女側がギャラの上乗せを画策し、ダンプ本人に無断で素顔を出す契約を結んでいた。 |
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* [[金鳥]] 「どんと」「お風呂どんと ホットマン」 [[桂文珍]]と[[西川のりお]]と共演。 |
* [[金鳥]] 「どんと」「お風呂どんと ホットマン」 [[桂文珍]]と[[西川のりお]]と共演。 |
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* [[アルペン (企業)|アルペン]] [[松本典子]]と共演。 |
* [[アルペン (企業)|アルペン]] [[松本典子]]と共演。 |
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== 関連作品 == |
== 関連作品 == |
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* [[極悪女王]]([[Netflix]]、2023年予定) - 主人公のダンプ松本役を[[ゆりやんレトリィバァ]]が演じる配信ドラマ<ref>{{Cite web |
* [[極悪女王]]([[Netflix]]、2023年予定) - 主人公のダンプ松本役を[[ゆりやんレトリィバァ]]が演じる配信ドラマ<ref>{{Cite web|和書|title=ゆりやんレトリィバァ主演『極悪女王』Netflixで2023年配信 鈴木おさむ×白石和彌がタッグ |url=https://realsound.jp/movie/2022/06/post-1065690.html |website=Real Sound|リアルサウンド 映画部 |access-date=2022-06-30 |language=ja}}</ref>。 |
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== 関連人物 == |
== 関連人物 == |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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* [https://www.erioffice.co.jp/talent_female/dumpmatsumoto/ ダンプ 松本|女性タレント|所属タレント|えりオフィス|Eri Office] |
* [https://www.erioffice.co.jp/talent_female/dumpmatsumoto/ ダンプ 松本|女性タレント|所属タレント|えりオフィス|Eri Office] |
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* {{Instagram|dumpmatsumoto}} |
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* {{Amebaブログ|dump1111|ダンプ松本オフィシャルブログ「世界制覇 極悪同盟ダンプ松本」}} |
* {{Amebaブログ|dump1111|ダンプ松本オフィシャルブログ「世界制覇 極悪同盟ダンプ松本」}} |
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* [http://blog.livedoor.jp/gokuaku2/ ダンプ松本 127kgの成長日記 - livedoor Blog(ブログ)] |
* [http://blog.livedoor.jp/gokuaku2/ ダンプ松本 127kgの成長日記 - livedoor Blog(ブログ)] |
2024年6月27日 (木) 08:23時点における最新版
ダンプ松本 Dump Matsumoto | |
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プロフィール | |
リングネーム | ダンプ松本 |
本名 | 松本 香 |
ニックネーム |
極悪女王 アウさん |
身長 | 164cm |
体重 | 100kg |
誕生日 | 1960年11月11日(63歳) |
出身地 | 埼玉県熊谷市 |
所属 | えりオフィス |
デビュー | 1980年8月8日 |
人物[編集]
中学時代は、バスケ部、水泳部に所属していた[1]。デビュー前はマッハ文朱の大ファンだった[2]。私立大宮開成高校へ入学。高校一年と二年度には補欠ではあるがアーチェリーでインターハイへ出場した[3]。同校卒。 幼いころから父親の金銭問題・DV・女性問題などで苦労していた最愛の母のために家を買って建ててあげたいという思いで、ビューティーペアに憧れて女子プロレスラーになることを志す[4]。 1980年に全日本女子プロレスで本名の松本香でプロデビュー[5]。1984年の年明けにリングネームをダンプ松本と変更すると、クレーン・ユウと共にヒール軍団﹃極悪同盟﹄を結成[6]。のちに加わり一番弟子となるブル中野らとヒールのタッグチームを組み、人気沸騰中だった正規軍﹁クラッシュギャルズ﹂︵ライオネス飛鳥と長与千種が当時結成していたコンビ名︶との抗争を繰り広げ、女子プロレスを大いに盛り上げた。長与千種とは2度にわたり、敗者髪切りデスマッチを行った。フジテレビ系列で放送されていた﹃全日本女子プロレス中継﹄ではヒールにもかかわらず人気を博し、リングネームの﹁ダンプ﹂は、本名時代のファイトを観ていた観客が﹁あいつ、ダンプみてえだ!!﹂と口走ったことに由来している。全日本女子プロレスの松永高司会長は、このエピソードを引き合いに出して﹁スターはお客さんがつくってくれるんですよ﹂と語ったことがある[7]。ダンプは松永会長からは生前大変に可愛がってもらったとインタビューなどで度々語っている。 得意技はラリアット。そのパワーを利して喉元にぶち当てる一撃は強烈で、相手が空中で一回転したこともあった。 悪役レスラーとしての全盛期は、女子プロレスファンの年齢層が低めで、いわゆるマーク︵アングルを本気で信じる若年層︶が多かった。そのため、ダンプのアンチが実家に押しかけ、﹁ダンプ出て来い!﹂と玄関を叩きながら大声で叫ぶ、玄関先にダンプを中傷する張り紙を貼る、窓ガラスを割られる、といった嫌がらせを何度も受けた。他にも当時ダンプが購入したばかりの真っ赤な新車のフェアレディZを納車直後に傷つけられる、私物の自転車や原付バイクを破壊されたり、当時の自宅マンションの空き巣被害や街中で罵声を浴びせられる、飲食店や服屋、デパートなどでの入店拒否など、ヒールとしての嫌われぶりは相当で、付いた異名が﹁日本で一番殺したい人間﹂であった[8][9]。1985年8月に大阪城ホールで行われた長与との敗者髪切りデスマッチでは、試合終了後に暴動状態となり、500~600人のファンが極悪同盟の選手バスを取り囲んで揺らすという事態まで発展した。ダンプは当時の事を﹁警備員にまで殴られる始末だった。あの時は本当に殺されるかと思った﹂と述べている他[9]、2023年に中野のYouTubeチャンネルに出演した際にもダンプは敗者髪切りデスマッチに関して﹁クラッシュギャルズにおける意思統一がなされていなかった﹂と指摘した上で、﹁飛鳥に聞いたところ、長与との敗者髪切りデスマッチは勝手に会社に決められた﹂﹁セコンドについている飛鳥の顔を見ると、憎たらしいって顔してて。千種のことを可哀そうというよりも、私がやりたかった顔だった﹂﹁長与の髪を切る際は、最後まで坊主にしていない﹂﹁今思えば、余計に腹が立つ﹂と述べている[10]。 また、﹃夕やけニャンニャン﹄の片岡鶴太郎への襲撃︵片岡へのドッキリ︶、﹃毎度おさわがせします﹄に出演する格闘技素人の中学生男子︵という劇中設定︶らに技をかけたり殴る蹴るといった﹁女チンピラ﹂のような役どころの影響で、女子プロレスを知らない層にも﹁ダンプ=公私関係なく乱暴者﹂というイメージがさらに独り歩きした。母親に怖い思いをさせたことで一時は悪役レスラーを続けるか悩んだが、当時はまだ薄給だったため、つらい中でも必死で頑張ったという。努力の甲斐あって、徐々にギャラも上がっていくとデビューから5年後には、深谷市に念願だった新築一軒家を購入して母親にプレゼントしている。2019年8月7日にはダンプが幼少時から確執があった父親が逝去した。殺意まで抱く相手であり、50年の間、口を利かなかった父親だが、晩年の入院中に意識が朦朧とした中で﹁この人は誰だかわかる?﹂と看護師に問われ﹁ダンプ松本﹂と答えたことから、テレビで自身を応援していたことを悟り、和解に至った。これが父との最後の会話となった[11]。正確には、その4か月前に父が肺炎で入院していた際に、医師から﹁持ってあと1週間です﹂と言われた瞬間、憎しみが消えたという。退院後、認知症の症状が見られた父を介護施設に入所させたが、憎んでいた頃とは全く別人となっていた父と初めて二人きりで写真を撮るなど、父に対する態度は既に軟化していた[12]。 母親は、リング上での凶行が演技だと知っていても、暴力的な振る舞いに抵抗を感じており、試合会場へ観戦に赴く際は、怪我をさせた対戦相手の元へ毎回謝罪に訪れていた。そうした行動を執る母親へ﹁試合中の怪我の事で親が出てくるのは恥ずかしいから謝りに行かなくてもいいからね﹂とダンプはよく話していたという[13][14]。ヒールで世間から嫌われていた為に、母親や妹からは逆にダンプがプレゼントした実家へ1988年の全女引退時までは帰って来ないでとも言われていたという。 当初、リング上でダンプが頻繁に用いる凶器は金属チェーンや鞭だった。しかし、凶器を振り回す際、誤って自らを攻撃し激しい痛みがあったことや、場外乱闘中のアクシデントで﹁全日本女子プロレス中継︵フジテレビ ︶﹂ 常連ゲストの松岡きっこが指を負傷するといった経験から、現在まで愛用している竹刀へ変更した。ほかにもフォークやハサミ、一斗缶なども試合中には多用した。中継試合ではゲスト出演するタレントを威嚇して無礼な態度をとることが定番だった。しかし、ゲストのガッツ石松はダンプの行為に対して本気で怒り、殴りかかる勢いで抗ったため内心は恐怖で逃げ出したかったが、テレビカメラの前だったため平静を装ったという。また、試合前の入場時や試合後に控え室へ戻る際、テレビカメラマンに対する竹刀での攻撃も定番であった︵当時、極悪同盟に肩入れしていたレフェリーの阿部四郎も、ダンプに便乗する形で蹴りを見舞ったり物をぶつけるなどカメラマンを攻撃することがあった︶。 凶器を多用した試合内容ではあるが、危険度の高い技の使用は控えている。流血した際は麻酔なしで縫合させられ、ダンプ自身が抜糸を行っていた[15]。食事を共にするなどプライベートでも親交のあったプラム麻里子が試合中の事故で亡くなった際、マスコミに対し﹁最近危険な技が増えてきていて、いつも危ないと思うことがある。いくら体は鍛えられても頭だけは鍛えることができない﹂と涙ながらにコメントした。 試合中の奇抜なメイクは、ヒールレスラーでありながら笑うとえくぼが出てしまう可愛らしい童顔を隠すために行っていた。デザインはハードロックバンド﹁KISS﹂のコープス・ペイントを参考にしている。コスチューム代は自己負担だった[15]。 ピーク時の1試合当たりのギャラは3万5千円。タイトル戦に勝利すると100~200万円を手にし、平均月収は100万〜300万円であった。ヒールキャラがポピュラーとなり芸能活動を開始しバラエティ番組への出演が多くなると、月収500万円の時もあったという[15]。全盛期には本業のプロレスと芸能活動のギャラを合わせ年収5000〜6000万円ほどが4年間続いた。しかし、母親のための家を購入後は、普段から極悪メンバーなどの後輩と出掛けた際には全ての飲食代を全額支払い、大好きだったパチンコに散財し全女を辞めるまでに殆ど使い切ってしまったと語っている。現在も親交のある後輩の工藤めぐみは﹁当時のギャラは現金支給で、支払日に一緒に受け取りに行ったときにダンプさんの給料袋の札束が立つほどに厚くて驚いた﹂と証言している。 リング上ではヒールに徹するが、リングを降りれば涙もろく人情に篤い性格である。後輩たちの悩みや相談などに対し親身にアドバイスし、引率して飲食に連れて行くなど、親分肌でとても面倒見がよく現在も多数のベビーフェイスの後輩をはじめ極悪メンバー以外からも慕われている。また、レスラー以外にも広く人望があり、多くの芸能人など幅広い交友がある。 ダンプの人柄を表す印象的なエピソードがある。1987年の春、ブル中野や小松美加、コンドル斉藤、北斗晶が、年長の先輩から理不尽ないじめや厳しい指導に対する不満を抑えきれず、青森県八戸市の地方興行中に集団で脱走し、翌日全女の寮へ戻った。そして、先輩たちに気付かれぬよう身を潜めていたところダンプに発見されてしまう。叱責を覚悟し言葉を失っていたところ、ダンプは﹁おかえり。心配しなくても大丈夫だからね﹂と優しく声をかけ、皆で思わず抱き合い泣いてしまったという逸話がある。ダンプ自身も、デビュー前や新人の頃、先輩や同期、フロントなどから受けた理不尽ないじめ・しごきに耐えていたと明かしている。後輩には自分が受けた理不尽ないじめ・しごきなどを絶対行わなかったという。極悪同盟としては、悪口・陰口、内緒話、告げ口、人を待たせること、これらの禁止を掲げた[12]。 極悪同盟結成以前の全女では、備品や設備の破損を防止する観点から凶器の使用は一切禁止されていたが、結成以降は何を壊しても弁償は求めないから凶器を使ってくれと会社側から要請があった。しかし、不機嫌な際は凶器を用いるパフォーマンスをまったく行わなかった。凶器を使用しなかった意図は、相手レスラーの好感度上昇を阻む目的があった[12]。 ダンプは、同じくヒール軍団の一員であった新人時代のアジャ・コングにはあまり目を掛けていなかった︵アジャがプロレスデビュー前から熱狂的な長与千種ファンであったことは周知の事実で、アジャ本人はベビーフェイス志望だった︶。ヒール役に対してモチベーションの低いアジャは、ダンプのセコンドだった新人時代、試合中凶器を手渡す際にミスをし、殴られたこともあった。2011年には﹁自分の中ではダンプさんとは合わなかった﹂とアジャはインタビューで語っている[16]。ブル中野はアジャとの対談にて、アジャとの距離を縮めたいがためダンプから故意にからかわれたり弄られていたと証言している。その際アジャは、希望したベビーフェイスではなくヒールレスラーとして極悪同盟への加入が決まり、渋々取り組んでいたことが普段の態度からも完全に滲み出ていたことに理由があるとして、﹁自分から嫌われる原因を作ってしまっていたから﹂と述懐している[要出典]。古参となった2016年のインタビューでアジャは﹁当時の自分は考えがまだ子供でダンプさんも極悪同盟も悪役だったから大嫌いで、グループ内で露骨に嫌な態度を取り続けていて他の仲間からは嫌われていた。それでもダンプさんは、そんな態度を取っていた自分を気遣っていつも歩み寄ろうとしてくれていたし、陰ながら見守っていてくれていた。1988年にダンプさんが引退した後、その事に気付いてからはとても偉大な人物だと自覚した﹂と、ダンプを敬愛するコメントを出している。しかし、新人時代に極悪同盟を辞めたいというストレスから、禁止されている飲酒をし酔った勢いで先輩達の制止を振り切りダンプに向かって﹁鬼は外!﹂と言い放ちかっぱえびせんを投げつけた事があった。翌日ダンプに殺されると思ったが、ダンプは寛容な態度で一切お咎めが無かった。その出来事から15年後の深夜に泥酔したダンプから電話があり、﹁アジャちゃんはダンプちゃんの事を嫌いだから、かっぱえびせんを﹃鬼は外﹄って投げたんだよね〜?﹂と当時のエピソードをしっかり記憶しており通話中には冷や汗をかいたとインタビューで語っている。 抗争を繰り広げたクラッシュギャルズの2人はダンプと同期である。長与とはデビュー当時は落ちこぼれコンビでもあった。飛鳥とは全女の寮で新人時代からルームメイトだったため、デビュー前から現在に至るまで公私共に親交が深い仲。しかし、抗争当時の全女ではベビーフェイスとヒールレスラーが公の場での会話や懇意にすることは厳禁だった。そのため、クラッシュギャルズファンに二人の仲を悟られぬよう、プライベートでも徹底してヒールを演じ、引退までクラッシュの2人とは口を利かなかった。また、会社の上役から身に覚えのない互いの悪口を焚きつけられ、一時は長与や飛鳥と険悪な雰囲気になっていたこともインタビューで明かしている[17]。この件は、後年ダンプとクラッシュの2人が話し合った際、会社に仕組まれていたことが判明し誤解が解けたという。また、全女時代は自身のファンに対してもヒールを演じ切り、ファンは要らないと当時のインタビューなどで語っていた。本心はファンに応援されることがとても嬉しかったが、サインや握手を求められても一切応じず、断る際も﹁暇じゃねぇんだよ!﹂など、あえて辛辣な言葉を浴びせたという。極悪内ではクレーン・ユウも本来は優しい人柄で、ファンに声を掛けられると手を振るなどの対応をしてしまうため、﹁ヒールなんだからそういうのはダメ﹂とダンプは注意していたという。だが、最初の引退間近の1988年頃から、試合では相変わらずヒールに徹したダーティファイトをしながらも[18]地方興行先では公の場でもベビーフェイス選手と親しげに会話したり、サインや握手、写真撮影などのファンサービスにも応じるようになっていった。 現在は極悪支部というファングループも全国各地に点在し、当時とは異なり﹁ファンサービスも喜んで応じます﹂とインタビューで語っている。理想のタイプは俳優の中村雅俊。中村の大ファンであることを現役当時から公言している。 1980年代には、生きたニワトリをハサミで斬首するパフォーマンスを画策したが、生きたニワトリが手に入らなかったため頓挫してしまった[19]。 ダンプ松本の半生を描いたドラマ﹃極悪女王﹄が、Netflixにて2023年より配信予定[20]。所属[編集]
●全日本女子プロレス︵1980年 - 1988年︶ ●フリー︵2003年 - ︶経歴[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/29/Beginning2830.jpg/220px-Beginning2830.jpg)