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「ダンプ松本」の版間の差分

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== 人物 ==

== 人物 ==

中学時代は、バスケ部、水泳部に所属していた<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/prores/1671747/ ダンプ松本の絶望的な人生を救ったマッハ文朱](2019.12.27)、2020.1.5-last access</ref>。デビュー前は[[マッハ文朱]]の大ファンだった<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/prores/1671756/ ダンプ松本 全日本女子プロレス会長に“脅迫“メッセージ](2019.12.28)、2020.1.5-last access</ref>。[[大宮開成中学校・高等学校|大宮開成高校]]へ入学。高校一年と二年度には補欠ではあるがアーチェリーでインターハイへ出場した<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/prores/1671765/ ダンプ松本 アーチェリーの名門高でインターハイ出場!そしてプロレスへ](2019.12.29)、2020.1.5-last access</ref>。同校卒。

中学時代は、バスケ部、水泳部に所属していた<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/176750 ダンプ松本の絶望的な人生を救ったマッハ文朱](2019.12.27)、2020.1.5-last access</ref>。デビュー前は[[マッハ文朱]]の大ファンだった<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/176752 ダンプ松本 全日本女子プロレス会長に“脅迫“メッセージ](2019.12.28)、2020.1.5-last access</ref>。[[大宮開成中学校・高等学校|大宮開成高校]]へ入学。高校一年と二年度には補欠ではあるがアーチェリーでインターハイへ出場した<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/176754 ダンプ松本 アーチェリーの名門高でインターハイ出場!そしてプロレスへ](2019.12.29)、2020.1.5-last access</ref>。同校卒。



幼いころから父親の金銭問題・[[ドメスティック・バイオレンス|DV]]・女性問題などで苦労していた最愛の母のために家を買って建ててあげたいという思いで、[[ビューティーペア]]に憧れて女子プロレスラーになることを志す<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/prores/1671738/ ダンプ松本「父親を殺すためプロレスラーになった」] 東京スポーツ(2019.12.26)、2020.1.5-last access</ref>。

幼いころから父親の金銭問題・[[ドメスティック・バイオレンス|DV]]・女性問題などで苦労していた最愛の母のために家を買って建ててあげたいという思いで、[[ビューティーペア]]に憧れて女子プロレスラーになることを志す<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/176748 ダンプ松本「父親を殺すためプロレスラーになった」] 東京スポーツ(2019.12.26)、2020.1.5-last access</ref>。



[[1980年]]に[[全日本女子プロレス]]で本名の松本香でプロデビュー<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/prores/1671783/ ダンプ松本 落ちこぼれ同士だった長与千種との出会い](2019.12.30)、2020.1.5-last access</ref>。[[1984年]]にリングネームをダンプ松本と変更すると、[[クレーン・ユウ]]と共に[[ヒール (プロレス)|ヒール]]軍団『[[極悪同盟]]』を結成<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/prores/1674279/ 松本香の死 そしてダンプ松本誕生](2019.12.31)、2020.1.5-last access</ref>。のちに加わり一番弟子となる[[ブル中野]]らとヒールの[[タッグチーム]]を組み、人気沸騰中だった正規軍「[[クラッシュギャルズ]]」([[ライオネス飛鳥]]と[[長与千種]]が当時結成していたコンビ名)との抗争を繰り広げ、女子プロレスを大いに盛り上げた。長与千種とは2度にわたり、敗者髪切り[[デスマッチ]]を行った。[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列で放送されていた『[[全日本女子プロレス中継]]』ではヒールにもかかわらず人気を博し、リングネームの「ダンプ」は、本名時代のファイトを観ていた観客が「あいつ、ダンプみてえだ!!」と口走ったことに由来している。全日本女子プロレスの[[松永高司]]会長は、このエピソードを引き合いに出して「スターはお客さんがつくってくれるんですよ」と語ったことがある<ref>雑誌『[[Sports Graphic Number]]』のミニインタビューにて。</ref>。ダンプは松永会長から生前大変に可愛がってもらったとインタビューなどで語っている。

[[1980年]]に[[全日本女子プロレス]]で本名の松本香でプロデビュー<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/176758 ダンプ松本 落ちこぼれ同士だった長与千種との出会い](2019.12.30)、2020.1.5-last access</ref>。[[1984年]]にリングネームをダンプ松本と変更すると、[[クレーン・ユウ]]と共に[[ヒール (プロレス)|ヒール]]軍団『[[極悪同盟]]』を結成<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/176954 松本香の死 そしてダンプ松本誕生](2019.12.31)、2020.1.5-last access</ref>。のちに加わり一番弟子となる[[ブル中野]]らとヒールの[[タッグチーム]]を組み、人気沸騰中だった正規軍「[[クラッシュギャルズ]]」([[ライオネス飛鳥]]と[[長与千種]]が当時結成していたコンビ名)との抗争を繰り広げ、女子プロレスを大いに盛り上げた。長与千種とは2度にわたり、敗者髪切り[[デスマッチ]]を行った。[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列で放送されていた『[[全日本女子プロレス中継]]』ではヒールにもかかわらず人気を博し、リングネームの「ダンプ」は、本名時代のファイトを観ていた観客が「あいつ、ダンプみてえだ!!」と口走ったことに由来している。全日本女子プロレスの[[松永高司]]会長は、このエピソードを引き合いに出して「スターはお客さんがつくってくれるんですよ」と語ったことがある<ref>雑誌『[[Sports Graphic Number]]』のミニインタビューにて。</ref>。ダンプは松永会長から生前大変に可愛がってもらったとインタビューなどで語っている。



得意技は[[ラリアット]]。そのパワーを利して喉元にぶち当てる一撃は強烈で、相手が空中で一回転したこともあった。

得意技は[[ラリアット]]。そのパワーを利して喉元にぶち当てる一撃は強烈で、相手が空中で一回転したこともあった。

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ダンプは、同じくヒール軍団の一員であった新人時代の[[アジャ・コング]]にはあまり目を掛けていなかった(アジャがプロレスデビュー前から熱狂的な長与千種ファンであったことは周知の事実で、アジャ本人はベビーフェイス志望だった)。ヒール役に対してモチベーションの低いアジャは、ダンプのセコンドだった新人時代、試合中凶器を手渡す際にミスをし、殴られたこともあった。2011年には「自分の中ではダンプさんとは合わなかった」とアジャはインタビューで語っている<ref>[[柳澤健]]『1993年の女子プロレス』(2011年 [[双葉社]] {{ISBN2|9784575303261}} P68)</ref>。ブル中野はアジャとの対談にて、アジャとの距離を縮めたいがためダンプから故意にからかわれたり弄られていたと証言している。その際アジャは、希望したベビーフェイスではなくヒールレスラーとして極悪同盟への加入が決まり、渋々取り組んでいたことが普段の態度からも完全に滲み出ていたことに理由があるとして、「自分から嫌われる原因を作ってしまっていたから」と述懐している{{要出典|date=2022年9月}}。古参となった2016年のインタビューでアジャは「当時の自分は考えがまだ子供でダンプさんも極悪同盟も悪役だったから大嫌いで、グループ内で露骨に嫌な態度を取り続けていて他の仲間からは嫌われていた。それでもダンプさんは、そんな態度を取っていた自分を気遣っていつも歩み寄ろうとしてくれていたし、陰ながら見守っていてくれていた。[[1988年]]にダンプさんが引退した後、その事に気付いてからはとても偉大な人物だと自覚した」と、ダンプを敬愛するコメントを出している。しかし、新人時代に極悪同盟を辞めたいというストレスから、禁止されている飲酒をし酔った勢いでダンプに向かって「鬼は外!」と言い放ち[[かっぱえびせん]]を投げつけた事があった。翌日ダンプに殺されると思ったが、ダンプは寛容な態度で一切お咎めが無かった。その出来事から15年後の深夜にダンプから電話があり、「アジャちゃんはダンプちゃんの事を嫌いだから、かっぱえびせんを『鬼は外』って投げたんだよね〜?」と当時のエピソードをしっかり記憶しており冷や汗をかいたとインタビューで語っている。

ダンプは、同じくヒール軍団の一員であった新人時代の[[アジャ・コング]]にはあまり目を掛けていなかった(アジャがプロレスデビュー前から熱狂的な長与千種ファンであったことは周知の事実で、アジャ本人はベビーフェイス志望だった)。ヒール役に対してモチベーションの低いアジャは、ダンプのセコンドだった新人時代、試合中凶器を手渡す際にミスをし、殴られたこともあった。2011年には「自分の中ではダンプさんとは合わなかった」とアジャはインタビューで語っている<ref>[[柳澤健]]『1993年の女子プロレス』(2011年 [[双葉社]] {{ISBN2|9784575303261}} P68)</ref>。ブル中野はアジャとの対談にて、アジャとの距離を縮めたいがためダンプから故意にからかわれたり弄られていたと証言している。その際アジャは、希望したベビーフェイスではなくヒールレスラーとして極悪同盟への加入が決まり、渋々取り組んでいたことが普段の態度からも完全に滲み出ていたことに理由があるとして、「自分から嫌われる原因を作ってしまっていたから」と述懐している{{要出典|date=2022年9月}}。古参となった2016年のインタビューでアジャは「当時の自分は考えがまだ子供でダンプさんも極悪同盟も悪役だったから大嫌いで、グループ内で露骨に嫌な態度を取り続けていて他の仲間からは嫌われていた。それでもダンプさんは、そんな態度を取っていた自分を気遣っていつも歩み寄ろうとしてくれていたし、陰ながら見守っていてくれていた。[[1988年]]にダンプさんが引退した後、その事に気付いてからはとても偉大な人物だと自覚した」と、ダンプを敬愛するコメントを出している。しかし、新人時代に極悪同盟を辞めたいというストレスから、禁止されている飲酒をし酔った勢いでダンプに向かって「鬼は外!」と言い放ち[[かっぱえびせん]]を投げつけた事があった。翌日ダンプに殺されると思ったが、ダンプは寛容な態度で一切お咎めが無かった。その出来事から15年後の深夜にダンプから電話があり、「アジャちゃんはダンプちゃんの事を嫌いだから、かっぱえびせんを『鬼は外』って投げたんだよね〜?」と当時のエピソードをしっかり記憶しており冷や汗をかいたとインタビューで語っている。



抗争を繰り広げたクラッシュギャルズの2人はダンプと同期である。長与とはデビュー当時は落ちこぼれコンビでもあった。飛鳥とは全女の寮で新人時代からルームメイトだったため、デビュー前から現在に至るまで公私共に親交が深い仲。しかし、抗争当時の全女ではベビーフェイスとヒールレスラーが公の場での会話や懇意にすることは厳禁だった。そのため、クラッシュギャルズファンに二人の仲を悟られぬよう、プライベートでも徹底してヒールを演じ、引退までクラッシュの2人とは口を利かなかった。また、会社の上役から身に覚えのない互いの悪口を焚きつけられ、一時は長与や飛鳥と険悪な雰囲気になっていたこともインタビューで明かしている<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/prores/1674303/ ダンプ松本 ファンの殺意 長与との確執は刃物沙汰に] 東京スポーツ(2020年01月01日)、2020.1.2access</ref>。この件は、後年ダンプとクラッシュの2人が話し合った際、会社に仕組まれていたことが判明し誤解が解けたという。また、全女時代は自身のファンに対してもヒールを演じ切り、ファンは要らないと当時のインタビューなどで語っていた。本心はファンに応援されることがとても嬉しかったが、サインや握手を求められても一切応じず、断る際も「暇じゃねぇんだよ!」など、あえて辛辣な言葉を浴びせたという。極悪内ではクレーン・ユウも本来は優しい人柄で、ファンに声を掛けられると手を振るなどの対応をしてしてしまうため、「ヒールなんだからそういうのはダメ」とダンプは注意していたという。だが、最初の引退間近の1988年頃から、地方興行先では公の場でもベビーフェイス選手と親しげに会話したり、サインや握手、写真撮影などのファンサービスにも応じるようになっていった。

抗争を繰り広げたクラッシュギャルズの2人はダンプと同期である。長与とはデビュー当時は落ちこぼれコンビでもあった。飛鳥とは全女の寮で新人時代からルームメイトだったため、デビュー前から現在に至るまで公私共に親交が深い仲。しかし、抗争当時の全女ではベビーフェイスとヒールレスラーが公の場での会話や懇意にすることは厳禁だった。そのため、クラッシュギャルズファンに二人の仲を悟られぬよう、プライベートでも徹底してヒールを演じ、引退までクラッシュの2人とは口を利かなかった。また、会社の上役から身に覚えのない互いの悪口を焚きつけられ、一時は長与や飛鳥と険悪な雰囲気になっていたこともインタビューで明かしている<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/176958 ダンプ松本 ファンの殺意 長与との確執は刃物沙汰に] 東京スポーツ(2020年01月01日)、2020.1.2access</ref>。この件は、後年ダンプとクラッシュの2人が話し合った際、会社に仕組まれていたことが判明し誤解が解けたという。また、全女時代は自身のファンに対してもヒールを演じ切り、ファンは要らないと当時のインタビューなどで語っていた。本心はファンに応援されることがとても嬉しかったが、サインや握手を求められても一切応じず、断る際も「暇じゃねぇんだよ!」など、あえて辛辣な言葉を浴びせたという。極悪内ではクレーン・ユウも本来は優しい人柄で、ファンに声を掛けられると手を振るなどの対応をしてしてしまうため、「ヒールなんだからそういうのはダメ」とダンプは注意していたという。だが、最初の引退間近の1988年頃から、地方興行先では公の場でもベビーフェイス選手と親しげに会話したり、サインや握手、写真撮影などのファンサービスにも応じるようになっていった。



現在は極悪支部というファングループも全国各地に点在し、当時とは異なり「ファンサービスも喜んで応じます」とインタビューで語っている。理想のタイプは俳優の[[中村雅俊]]。中村の大ファンであることを現役当時から公言している。

現在は極悪支部というファングループも全国各地に点在し、当時とは異なり「ファンサービスも喜んで応じます」とインタビューで語っている。理想のタイプは俳優の[[中村雅俊]]。中村の大ファンであることを現役当時から公言している。

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== 経歴 ==

== 経歴 ==

[[File:Beginning2830.jpg|thumb|素顔のダンプ松本]]

[[File:Beginning2830.jpg|thumb|素顔のダンプ松本]]

[[1980年]] - 前年の[[全日本女子プロレス]]新人オーディションに合格するも、プロテストにパスできず、一時は全女の営業車の[[運転手]]をしていた<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/prores/1671774/ ダンプ松本夢の全女入門!宣伝カーで警察のお世話に](2019.12.29)、2020.1.5-last access</ref>。過酷なトレーニングを数多く経験している。先輩の指示で道場に飾られた[[亀]]の甲羅を背負い這いずり回ったり<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/prores/1671792/ ダンプ松本 女子特有の陰湿ないじめ 長与は泥棒扱い](2019.12.30)、2020.1.5-last access</ref>、地方巡業中に移動バスの座席へ座ることも許されず長時間立ち通しだった。おもちゃのお金を渡され買い出しへ行くよう強制されたり、[[ドライブイン]]での休憩中、故意に置き去りにされ走ってバスを追いかけるなど、幾つもの壮絶なしごきを受けたこともあったという<ref name="daily20151220" />。その後、[[8月8日]][[田園コロシアム]]大会の新国純子戦でプロデビューを飾った。当初はベビーフェイスでのデビューが決まっていたが、元々体格が良く「太っていたからベビーフェイスよりもヒールが自分には似合っているし、ヒールでやるならベビーフェイスのファンからとことん嫌われるようなヒールのトップになりたい」と、デビュー前から思案していた。その意向を会社に伝えすぐさまヒール軍団へ入った。女子プロファンだった頃のダンプは、[[ビューティ・ペア]]の[[ジャッキー佐藤]]の追っかけをするほど熱狂的に崇拝していた。闘病中のジャッキーを頻繁に訪問し、ジャッキー佐藤逝去後は「ダンプは泣き虫で、すぐに大泣きしてうるさいから私の見舞いに来るな!!とよく冗談ながらにジャッキーさんに言われました」と涙ながらにインタビューに応じる姿が[[ワイドショー番組]]などで放映された。

[[1980年]] - 前年の[[全日本女子プロレス]]新人オーディションに合格するも、プロテストにパスできず、一時は全女の営業車の[[運転手]]をしていた<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/176756 ダンプ松本夢の全女入門!宣伝カーで警察のお世話に](2019.12.29)、2020.1.5-last access</ref>。過酷なトレーニングを数多く経験している。先輩の指示で道場に飾られた[[亀]]の甲羅を背負い這いずり回ったり<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/176760 ダンプ松本 女子特有の陰湿ないじめ 長与は泥棒扱い](2019.12.30)、2020.1.5-last access</ref>、地方巡業中に移動バスの座席へ座ることも許されず長時間立ち通しだった。おもちゃのお金を渡され買い出しへ行くよう強制されたり、[[ドライブイン]]での休憩中、故意に置き去りにされ走ってバスを追いかけるなど、幾つもの壮絶なしごきを受けたこともあったという<ref name="daily20151220" />。その後、[[8月8日]][[田園コロシアム]]大会の新国純子戦でプロデビューを飾った。当初はベビーフェイスでのデビューが決まっていたが、元々体格が良く「太っていたからベビーフェイスよりもヒールが自分には似合っているし、ヒールでやるならベビーフェイスのファンからとことん嫌われるようなヒールのトップになりたい」と、デビュー前から思案していた。その意向を会社に伝えすぐさまヒール軍団へ入った。女子プロファンだった頃のダンプは、[[ビューティ・ペア]]の[[ジャッキー佐藤]]の追っかけをするほど熱狂的に崇拝していた。闘病中のジャッキーを頻繁に訪問し、ジャッキー佐藤逝去後は「ダンプは泣き虫で、すぐに大泣きしてうるさいから私の見舞いに来るな!!とよく冗談ながらにジャッキーさんに言われました」と涙ながらにインタビューに応じる姿が[[ワイドショー番組]]などで放映された。



[[1983年]] - [[デビル雅美]]率いるヒール軍「ブラック・デビル」の一員(他のメンバーはデビル雅美、[[タランチェラ]]、[[クレーン・ユウ|マスクド・ユウ]]、[[山崎五紀]]など)となった<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/prores/1674261/ ダンプ松本 長与千種とのある初体験を経て悪の道へ](2019.12.31)、2020.1.5-last access</ref>。数年間は全く芽の出ない、前座のヒールの地位に甘んじていたが、1月、地元の[[熊谷市]]民体育館にて[[ライオネス飛鳥]]の持つ全日本選手権に挑戦。飛鳥の負傷箇所である膝を執拗に痛めつけTKO勝ちを収めベルトを強奪する。その後、[[立野記代]]、山崎五紀を相手に2度の王座防衛に成功。6月、大宮スケートセンター大会でリターン・マッチに臨んだライオネス飛鳥にベルトを奪い返される。年末のフジテレビ杯争奪タッグトーナメントでは、新人の[[小倉由美]]とタッグで出場するも1回戦で敗退。

[[1983年]] - [[デビル雅美]]率いるヒール軍「ブラック・デビル」の一員(他のメンバーはデビル雅美、[[タランチェラ]]、[[クレーン・ユウ|マスクド・ユウ]]、[[山崎五紀]]など)となった<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/176952 ダンプ松本 長与千種とのある初体験を経て悪の道へ](2019.12.31)、2020.1.5-last access</ref>。数年間は全く芽の出ない、前座のヒールの地位に甘んじていたが、1月、地元の[[熊谷市]]民体育館にて[[ライオネス飛鳥]]の持つ全日本選手権に挑戦。飛鳥の負傷箇所である膝を執拗に痛めつけTKO勝ちを収めベルトを強奪する。その後、[[立野記代]]、山崎五紀を相手に2度の王座防衛に成功。6月、大宮スケートセンター大会でリターン・マッチに臨んだライオネス飛鳥にベルトを奪い返される。年末のフジテレビ杯争奪タッグトーナメントでは、新人の[[小倉由美]]とタッグで出場するも1回戦で敗退。



[[1984年]] - タランチェラの引退、デビル雅美・山崎五紀のヒールからの離脱を機にデビル軍団と袂を分かち、マスクド・ユウ(のちのクレーン・ユウ)と[[極悪同盟]]を結成。その直前に本名の松本香から、ダンプ松本へと改名。上役などに伺いを立てず髪を金色に染め上げ試合会場へ登場し、その直後から顔面に派手なペイントを施すスタイルを確立。前年から人気・実力が急上昇していた[[クラッシュギャルズ]]の対抗馬として名乗りを上げる。レフェリーの[[阿部四郎]]と結託し、反則攻撃の「黙認」やクラッシュギャルズに対する超高速フォールカウントなど、贔屓レフェリングのもとに凶器攻撃を多用する徹底的なヒールファイトを展開し、クラッシュファンの少女たちから、憎悪を一身に浴びる存在に。両チームのシンプルな戦いの構図が熱狂を呼び、[[女子プロレス]]は全国的なブームへと発展していく。極悪同盟のメンバーは、[[ブル中野]]・[[コンドル斉藤]]・[[ドリル仲前]]・[[影かほる]]など。この時期と前後して、先輩レスラーたちのいじめは嫉妬に変わっていき、会社の上役にダンプへの不満を訴えたが、松永会長は「俺はダンプを取る。不満ならお前たちが辞めろ。」と突っ撥ねてくれたという<ref name="sitto">[https://post.tv-asahi.co.jp/post-163233/ ダンプ松本、極悪同盟みんなで守った”五箇条”「理不尽ないじめやシゴキは絶対しなかった、させなかった」] テレ東POST 2021.09.07 (2021年12月3日閲覧)</ref>。

[[1984年]] - タランチェラの引退、デビル雅美・山崎五紀のヒールからの離脱を機にデビル軍団と袂を分かち、マスクド・ユウ(のちのクレーン・ユウ)と[[極悪同盟]]を結成。その直前に本名の松本香から、ダンプ松本へと改名。上役などに伺いを立てず髪を金色に染め上げ試合会場へ登場し、その直後から顔面に派手なペイントを施すスタイルを確立。前年から人気・実力が急上昇していた[[クラッシュギャルズ]]の対抗馬として名乗りを上げる。レフェリーの[[阿部四郎]]と結託し、反則攻撃の「黙認」やクラッシュギャルズに対する超高速フォールカウントなど、贔屓レフェリングのもとに凶器攻撃を多用する徹底的なヒールファイトを展開し、クラッシュファンの少女たちから、憎悪を一身に浴びる存在に。両チームのシンプルな戦いの構図が熱狂を呼び、[[女子プロレス]]は全国的なブームへと発展していく。極悪同盟のメンバーは、[[ブル中野]]・[[コンドル斉藤]]・[[ドリル仲前]]・[[影かほる]]など。この時期と前後して、先輩レスラーたちのいじめは嫉妬に変わっていき、会社の上役にダンプへの不満を訴えたが、松永会長は「俺はダンプを取る。不満ならお前たちが辞めろ。」と突っ撥ねてくれたという<ref name="sitto">[https://post.tv-asahi.co.jp/post-163233/ ダンプ松本、極悪同盟みんなで守った”五箇条”「理不尽ないじめやシゴキは絶対しなかった、させなかった」] テレ東POST 2021.09.07 (2021年12月3日閲覧)</ref>。

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[[1986年]] - WWF(現[[WWE]])に短期間の参戦。現地でもブル中野とタッグを組み3月8日にボストンの[[ボストン・ガーデン]]で[[ベルベット・マッキンタイヤー]]&[[ドーン・マリー・ジョンストン|ドーン・マリー]]組と、同月16日にはニューヨークの[[マディソン・スクエア・ガーデン]]でマッキンタイヤー&リンダ・ゴンザレス組と対戦している。[[ビクターエンタテインメント]]からミニアルバム『極悪』を発表して歌手デビューし、芸能人水泳大会にライバルの長与千種と出演したり、[[月刊明星]]では読者のお悩み相談コーナーもレギュラー担当するなど、本業のプロレスと並行して芸能活動も数多くこなした。

[[1986年]] - WWF(現[[WWE]])に短期間の参戦。現地でもブル中野とタッグを組み3月8日にボストンの[[ボストン・ガーデン]]で[[ベルベット・マッキンタイヤー]]&[[ドーン・マリー・ジョンストン|ドーン・マリー]]組と、同月16日にはニューヨークの[[マディソン・スクエア・ガーデン]]でマッキンタイヤー&リンダ・ゴンザレス組と対戦している。[[ビクターエンタテインメント]]からミニアルバム『極悪』を発表して歌手デビューし、芸能人水泳大会にライバルの長与千種と出演したり、[[月刊明星]]では読者のお悩み相談コーナーもレギュラー担当するなど、本業のプロレスと並行して芸能活動も数多くこなした。



[[1988年]] - 1月4日の[[後楽園ホール]]試合後に、全女には秘匿しマスコミを集め電撃引退を発表した<ref name="sitto"/>。引退には親友の[[大森ゆかり]]も賛同して2月22日に[[大田区体育館]]で「ダンプ大森引退特別試合」を開催。当初は大森と組み、クラッシュギャルズを相手に対戦したが、4人全員が場外で流血した上、ダンプが味方の大森に凶器攻撃を見舞うなど収拾が付かずノーコンテスト。しかし、ダンプのマイクアピールに他の3人が呼応し、パートナーを交換、ダンプ&長与組と大森&飛鳥組による5分間の[[エキシビション#プロレス|エキシビションマッチ]]が組まれた。そして2月28日、地元である熊谷市体育館でダンプの両親、妹に見守られながら一番弟子のブル、コンドルをダンプ自ら最後の対戦相手に指名。変則ラストマッチを行いプロレスを引退した。引退試合の後、「クラッシュギャルズのファンの皆さん、今までチーちゃん(長与)や智ちゃん(飛鳥)のことをいじめてすいませんでした」と号泣しつつ謝罪する最後の[[マイクパフォーマンス]]を行った<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/prores/1674342/ ダンプ松本 電撃引退 クラッシュと涙の和解] 東京スポーツ(2020年1月2日)、2020.1.2access</ref>。引退後は、ダンプの元気で明るくユニークなキャラクターを生かして本格的にタレント、女優として芸能活動を始めた。大森ゆかりと、桃色豚隊(ピンクトントン)というユニットを組み、シングルCD「赤いウィンナー逃げた」を発売。後年のインタビューで「私はその当時、他の選手のような会社から露骨な肩たたきなどはまだされていなかったけど、私が全盛期のうちに引退すれば今後の興行収入などの売上げがガクンと落ちると思い、プロレスは好きだから辞めたくはなかったけど全女を困らせてやりたかったんで引退を決意した。」と引退理由を語っている。ダンプとクラッシュギャルズ全盛期の全日本女子プロレスは年間数十億円もの売上げがあった。会社は相当な利益を得ていたにもかかわらず、経営者である松永一族の浪費、加えて一族の拝金主義のおかげで、ダンプを含む所属選手たちの[[ギャランティー]]や設備、待遇改善に全く還元されないなど、松永会長以外の上役たちにもかなり不満があったとインタビューでも度々語っている<ref name="sitto"/>。ダンプの思惑通り、引退後は観客動員数が激減したとブル中野やアジャ・コングら後輩選手が語っている。引退から芸能界への転身にあたり、会社の営業から「お前なんか芸能界で成功するわけがない。3か月も持たない」と罵倒された。ダンプは「3年後に芸能界でまだ生きてたら、道場の前でビールかけをやってやるからよ」と啖呵を切って引退した。数年後、罵倒された営業から全女のイベントを盛り上げるための仕事依頼があった。その掌返しに激怒したダンプは、「3か月持たないって言ったよね、あんた言ったよね!?」と詰問し、「申し訳ありませんでした。」と謝罪を受けたという。なお、ビールかけは芸能界転身から3年後にテレビの企画で実現した<ref name="sitto"/>。

[[1988年]] - 1月4日の[[後楽園ホール]]試合後に、全女には秘匿しマスコミを集め電撃引退を発表した<ref name="sitto"/>。引退には親友の[[大森ゆかり]]も賛同して2月22日に[[大田区体育館]]で「ダンプ大森引退特別試合」を開催。当初は大森と組み、クラッシュギャルズを相手に対戦したが、4人全員が場外で流血した上、ダンプが味方の大森に凶器攻撃を見舞うなど収拾が付かずノーコンテスト。しかし、ダンプのマイクアピールに他の3人が呼応し、パートナーを交換、ダンプ&長与組と大森&飛鳥組による5分間の[[エキシビション#プロレス|エキシビションマッチ]]が組まれた。そして2月28日、地元である熊谷市体育館でダンプの両親、妹に見守られながら一番弟子のブル、コンドルをダンプ自ら最後の対戦相手に指名。変則ラストマッチを行いプロレスを引退した。引退試合の後、「クラッシュギャルズのファンの皆さん、今までチーちゃん(長与)や智ちゃん(飛鳥)のことをいじめてすいませんでした」と号泣しつつ謝罪する最後の[[マイクパフォーマンス]]を行った<ref>[https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/176963 ダンプ松本 電撃引退 クラッシュと涙の和解] 東京スポーツ(2020年1月2日)、2020.1.2access</ref>。引退後は、ダンプの元気で明るくユニークなキャラクターを生かして本格的にタレント、女優として芸能活動を始めた。大森ゆかりと、桃色豚隊(ピンクトントン)というユニットを組み、シングルCD「赤いウィンナー逃げた」を発売。後年のインタビューで「私はその当時、他の選手のような会社から露骨な肩たたきなどはまだされていなかったけど、私が全盛期のうちに引退すれば今後の興行収入などの売上げがガクンと落ちると思い、プロレスは好きだから辞めたくはなかったけど全女を困らせてやりたかったんで引退を決意した。」と引退理由を語っている。ダンプとクラッシュギャルズ全盛期の全日本女子プロレスは年間数十億円もの売上げがあった。会社は相当な利益を得ていたにもかかわらず、経営者である松永一族の浪費、加えて一族の拝金主義のおかげで、ダンプを含む所属選手たちの[[ギャランティー]]や設備、待遇改善に全く還元されないなど、松永会長以外の上役たちにもかなり不満があったとインタビューでも度々語っている<ref name="sitto"/>。ダンプの思惑通り、引退後は観客動員数が激減したとブル中野やアジャ・コングら後輩選手が語っている。引退から芸能界への転身にあたり、会社の営業から「お前なんか芸能界で成功するわけがない。3か月も持たない」と罵倒された。ダンプは「3年後に芸能界でまだ生きてたら、道場の前でビールかけをやってやるからよ」と啖呵を切って引退した。数年後、罵倒された営業から全女のイベントを盛り上げるための仕事依頼があった。その掌返しに激怒したダンプは、「3か月持たないって言ったよね、あんた言ったよね!?」と詰問し、「申し訳ありませんでした。」と謝罪を受けたという。なお、ビールかけは芸能界転身から3年後にテレビの企画で実現した<ref name="sitto"/>。



[[1998年]] - 全日本女子OG興行(「メモリアル・オールスター戦〜あの時、君は強かった!!」1998年8月14日、[[川崎市体育館]])におけるエキシビションマッチで、一日限りの限定復帰。共に発起人として参加した大森ゆかりや[[ジャンボ堀]]とは、全女時代からの親友で現在も親交がある。同年、芸能事務所のマネージャーが借金を抱えたまま蒸発する騒動が起こっている<ref name="sitto"/>。

[[1998年]] - 全日本女子OG興行(「メモリアル・オールスター戦〜あの時、君は強かった!!」1998年8月14日、[[川崎市体育館]])におけるエキシビションマッチで、一日限りの限定復帰。共に発起人として参加した大森ゆかりや[[ジャンボ堀]]とは、全女時代からの親友で現在も親交がある。同年、芸能事務所のマネージャーが借金を抱えたまま蒸発する騒動が起こっている<ref name="sitto"/>。


2022年10月28日 (金) 19:26時点における版

ダンプ松本
Dump Matsumoto
ダンプ松本 Dump Matsumotoの画像
プロフィール
リングネーム ダンプ松本
本名 松本 香
ニックネーム 極悪女王
アウさん
身長 164cm
体重 100kg
誕生日 (1960-11-11) 1960年11月11日(63歳)
出身地 埼玉県熊谷市
所属 えりオフィス
デビュー 1980年8月8日
テンプレートを表示

  19601111 -   

164cm100kgB

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1986 - WWFWWE38&16&

1988 - 14退[10]退222退43&&5228退退[21]退CD退退退[10]退退33退3!?3[10]

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2004 - GAEA JAPAN2000

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TRICKTroisième partie 82003 - 

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OVA


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Vol.1Live in toRAIN No.A-h201329 - 17宿

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(25)^ Netflix2023 ×. Real Sound . 2022630

関連項目

外部リンク