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「ノート:Osho/過去ログ1」の版間の差分

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{{削除依頼ログ
|talk=true
|result1=版指定削除|page1=ノート:バグワン・シュリ・ラジニーシ|date1=2020年11月7日
}}
{{NOINDEX}}
{{NOINDEX}}
{{Archives}}
==アメリカ時代の記述について==
[[Wikipedia:|]][[:Nnh|nnh]] 12:08 2004417 (UTC)
4 ⟶ 11行目:
 
*すでに16年前の対話なので、より分かりやすいタイトルとしました。--[[利用者:Bhavesh.jp|Bhavesh.jp]]([[利用者‐会話:Bhavesh.jp|会話]]) 2020年10月25日 (日) 07:22 (UTC)Bhavesh.jp
 
'''提案'''、英語表記は「[https://en.wikipedia.org/wiki/Rajneeshpuram Rajneeshpuram]」のワンワードなので、日本語表記も「ラジニーシプーラム」と表記することを提案します。すで日本語文献では統一されていますが、こちらの記事だけ2ワードになっていて統一感がありません。もし異論がなければ、随時変更させていただきたいと思います。--[[利用者:Bhavesh|Bhavesh]]([[利用者‐会話:Bhavesh|会話]]) 2020年11月10日 (火) 02:10 (UTC)Bhavesh
 
== バイオテロリズム? ==
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==「Osho」という呼称について==
{{済み|--[[利用者:Kanninbukuro|Kanninbukuro]]<small>([[利用者‐会話:Kanninbukuro|会話]]/[[特別:投稿記録/Kanninbukuro|投稿]])</small> 2021年8月15日 (日) 22:58 (UTC)}}
「Osho」という呼称については、以下の問題点がある。
 
137 ⟶ 147行目:
:{{}} WhatsfbGoogle Scholar[[Wikipedia:]][[Wikipedia:]]--[[:Strangesnow|Strangesnow]][[:Strangesnow|]] 20201029 () 08:38 (UTC)
 
 
== 削除依頼 ==
::Strangesnowさんはちょっと混同されているようですね。文献数を基に「認知度」を測るというのがナンセンスなわけです。そもそも出典の文献数が多くても、信頼度の高さはイコールではありません。文献、論文等はピンからキリまでありますので、質の高さはあくまでもその文献1点ごとに寄ります。だから、Google Scholarは判断基準にはならないと申し上げているのです。それにしても、類似語を除いても、Oshoの方が多いでしょうけどね(笑)<br>
::Wikipedia:Google <br>
::Osho30OshoOsho使Osho<br>
::--[[:DY111|DY111]][[:DY111|]] 2020112 () 08:32 (UTC)
:::*別に若い人だけがウィキペディアを読むわけではありません。また、インターネット上だけの情報源策では不十分でしょう。過去にも多く言及されてきた人物です。書籍や論文などでの言及例を考慮に入れることは不可欠です(バグワンといわれなけれピンと来ない人だっています)。人権云々については何を仰りたいのかさっぱり伝わりませんでした。--[[利用者:Strangesnow|Strangesnow]]([[利用者‐会話:Strangesnow|会話]]) 2020年11月3日 (火) 14:29 (UTC)
 
Strangesnowさんへ。しかしながら、公式サイトが、OSHOと言っているのでOSHOが正しいと思います。文章の中ではOsho 。   [[利用者:まらかいとまっくす|まらかいとまっくす]]([[利用者‐会話:まらかいとまっくす|会話]]) 2020年11月4日 (水) 11:25 (UTC)
*{{|[[:|]]}} [[WP:CRITERIA]]--[[:Strangesnow|Strangesnow]][[:Strangesnow|]] 2020116 () 03:11 (UTC)
 
 
*ながながと続いているこの議題ですが、やっぱりページ全体を「Osho」とすべきだとあらためて再提案します。--[[利用者:Bhavesh|Bhavesh]]([[利用者‐会話:Bhavesh|会話]]) 2020年11月16日 (月) 19:34 (UTC)Bhavesh
 
**
 
::197489Rajneesh30使Osho使2
 
::Osho1974Osho
::スウェーデンの研究者、Lisellote Friskはこの方法で表記しています(Google scholarで検索ください)。わたしには違和感がありますが、慣れの問題かもしれません。https://www.diva-portal.org/smash/get/diva2:520837/FULLTEXT01.pdf
 
::wikipediaOshoOshoOsho
 
::21 
--[[利用者:Itou masayuki|Itou masayuki]]([[利用者‐会話:Itou masayuki|会話]]) 2020年11月17日 (火) 00:18 (UTC)
::{{コ}}改名提案は「[[Wikipedia:記事名の付け方]]」のうち、「認知度が高い」「見つけやすい 」「曖昧でない」([[WP:CRITERIA]]) という点で合意に至っていないわけですが、再提案の新たな根拠は何でしょうか。「ラジニーシ」や「バグワン」への改名なら再検討するのですが、「OSHO」(ないし「オショー」)への同じ視点からの改名提案をくりかえすだけならばいまのところ賛成する理由がありませんので{{反対}}です。--[[利用者:Strangesnow|Strangesnow]]([[利用者‐会話:Strangesnow|会話]]) 2020年11月17日 (火) 00:39 (UTC)
 
 
ItouStrangesnow1989Osho30WikipediaitouStrangesnow--[[:Bhavesh|Bhavesh]][[:Bhavesh|]] 20201117 () 03:50 (UTC)Bhavesh
:{{コ}}(Bhaveshさんが「Osho」と呼ぶように、ぼくが主題人物を呼ぶときは「バグワン」ですが、それらは個人的な話なのでおいておきます)「ラジニーシ・プーラム」「ラジニーシ・ムーブメント」「ラジニーシ教団」という言葉もあり、他に「ラジニーシ」と呼ばれる著名な人物がおらず、主題を指す言葉として曖昧でなく首尾一貫している点で「ラジニーシ」への改名であれば特に反対する必要もないかな、といまのところは思っています。--[[利用者:Strangesnow|Strangesnow]]([[利用者‐会話:Strangesnow|会話]]) 2020年11月17日 (火) 04:56 (UTC)
 
 
Strangesnow様 貴重なご意見ありがとうございます。「ラジニーシ」への改名のご提案、そしてご賛同ありがとうございます。なお、私見ではありますが、私は「ラジニーシ・プーラム」ではなく、英語表記Rajneeshpuramに従って、「ラジニーシプーラム」とワンワードで表記していますこと、追記させていただきます。よろしくお願いします。--[[利用者:Bhavesh|Bhavesh]]([[利用者‐会話:Bhavesh|会話]]) 2020年11月17日 (火) 05:38 (UTC)Bhavesh
 
::使<br>
::「Osho」については長くなるので別の機会に譲りますが、「Osho」は個人名であり、「OSHO ®️」は知的財産権を有する瞑想技法などに使われていると認識しています。<br>
::冒頭の項目タイトルの直後に、かつてのフルネーム「バグワン・シュリ・ラジニーシ」や「Osho」「OSHO®️」などを列記すればいいのではないでしょうか。 [[利用者:Drachma12|Drachma12]]([[利用者‐会話:Drachma12|会話]]) 2020年11月17日 (火) 07:47 (UTC)
::{{情報}} ところで改名提案の際は、「[[Wikipedia:ページの改名#改名前にすべきこと]]」「[[Wikipedia:改名提案#改名の手順のガイドライン]]」を参照し手順通りに行ってください。これらの手順に従わないで改名の提案・記事の移動を行うと、合意の形成に不備があるとして差し戻される場合があります。--[[利用者:Strangesnow|Strangesnow]]([[利用者‐会話:Strangesnow|会話]]) 2020年11月18日 (水) 00:28 (UTC)
 
*:Drachma12様、ラジニーシに賛同、ならびに情報提供ありがとうございます。Strangesnow様、重ねて情報提供ありがとうございます。この件の注意事項に気づいていませんでした。よく検討して、参考にさせていただきます。--[[利用者:Bhavesh|Bhavesh]]([[利用者‐会話:Bhavesh|会話]]) 2020年11月18日 (水) 01:56 (UTC)Bhavesh
 
*Wikipedia64Bhagwan Shree Rajneesh4Osho47OSHORajneesh7Osho Rajneesh3(Chandra Mohan Rajnish3WikipediaOsho--[[:Bhavesh|Bhavesh]][[:Bhavesh|]] 20201126 () 15:38 (UTC)Bhavesh
 
*上のリストを画像にしてみました。[[ファイル:Wiki-Osho 001.jpg|thumb|]] --[[利用者:Bhavesh|Bhavesh]]([[利用者‐会話:Bhavesh|会話]]) 2020年11月26日 (木) 17:21 (UTC)Bhavesh
 
***
 
最近、本項目において、「ラジニーシ」から「Osho」への改変がされていますね。
ノートにおいて、「バグワン・シュリ・ラジニーシ」の呼称についていろいろな意見がでましたが、結論に至っておりません。きちんと議論し、ある程度の期間を設けて同意が得られてから編集をしませんか。ここでの書き込みが実りあるものとなるために。わたし自身は名称変更するかどうかについて、2点問題提起させていただきました。
--Itou masayuki(会話) 2020年11月17日 (火) 00:18 (UTC) 少し上のほうをご覧ください。
 
Osho
 
wikipedia23Oxford
--[[利用者:Itou masayuki|Itou masayuki]]([[利用者‐会話:Itou masayuki|会話]]) 2020年11月27日 (金) 10:36 (UTC)
 
*Itou様 質問ありがとうございます。このリストは、Wikipedia日本語版「バグワン・シュリ・ラジニーシ」の左サイドメニューにある「他言語版」から引き出したものです。ここには60数種の言語で書かれたWikipediaのこの同一人物についての記述があります。私はそれこそ日本語版とシンプル英語と英語版程度しか読めませんが、そのページの入り口になっている言葉を調べたものです。その言葉をコピペし、さらに、ネットのその言語の翻訳ソフトで日本語として表記したものです。日本語としたものの、でてくるのは英語(文字)でした。あきらかにBhagwan Shree Rajneeshは少数派で、かなりの言語がOshoで多数派です。Rajneeshも決して多くはありません。--[[利用者:Bhavesh|Bhavesh]]([[利用者‐会話:Bhavesh|会話]]) 2020年11月27日 (金) 12:54 (UTC)Bhavesh
 
***
 
Bhaveshさま
 
お返事いただきありがとうございます。しかし、わたしの質問・コメントへの回答になっていません。
 
1)本辞典項目において、根拠資料の採用方針、そのほかの指針は本ノートにて提案され、議論し、合意形成をはかるようにしてきました。合意が得られたと思っても1週間の期間を辛抱強く待つようにしておりました。
 
「Osho」の呼称については、このノートで長らく議論がされ、まだ審議の途中のはずです。こうした状況のなか、勝手に「ラジニーシ」から「Osho」に改変されるというのは、wikipediaのガイドラインにおいても、本辞典項目のこれまで(とくに11月以降)の議論の蓄積からも、著しく信頼を損なう、ルール違反ではないですか。
 
2wikipediaOsho]2TBST.M. Revolution
 
掲載していただいた世界のwikipediaを少しだけ確認しました。フランス語、そのほかのヨーロッパのアルファベットを使う言語は、文章中で「Osho」との表記です。しかし、中国語版では、Oshoは「奧修」、ロシア語版は「Ошо」、韓国語版はハングルで表記されています。これに準拠すると、「ラジニーシ」はすべて「和尚」「オショー」「おしょう」のどれかに統一するということでしょうか。
 
あるいは、英語圏に準拠し、「Osho」になるのでしょうか。後者の場合、いまのわたしからはきわめてインサイダー的な観点からの人物表記であり、公平、中立な辞典での表記とは思えません。
 
 
--[[利用者:Itou masayuki|Itou masayuki]]([[利用者‐会話:Itou masayuki|会話]]) 2020年11月28日 (土) 00:47 (UTC)
 
*Itou Wikipedia姿WikipediaGoogleOshoОшоOsho Ōshō rajinīshi--[[:Bhavesh|Bhavesh]][[:Bhavesh|]] 20201128 () 01:44 (UTC)Bhavesh
 
***
 
Bhaveshさま
 
Osho
 
そのうえで、議論しましょう。また上記質問への回答をおねがいします。
 
またもし「Osho」を日本語表記でよいなら(合意が得られたうえでですが)、「和尚」「オショー」「おしょう」のどれがよいかご提案ください。ウィキペディアは中国語版、ロシア語版、韓国語版、フランス語版ほかをわたし自身でチェックしました。その際の表記について上に書きました。
 
わたしだけでなく、Drachma12さんは暫定的に「ラジニーシ」で賛成のほか、Strangesnowさんはいくつかの根拠を示しつつ「ラジニーシ」の表記に賛成されています。それらの根拠に反論、補足する形でのご提案おねがいします。
 
--[[利用者:Itou masayuki|Itou masayuki]]([[利用者‐会話:Itou masayuki|会話]]) 2020年11月28日 (土) 02:18 (UTC)
 
*Ito --[[:Bhavesh|Bhavesh]][[:Bhavesh|]] 20201128 () 02:43 (UTC)Bhavesh
 
***
Bhaveshさま
 
さらなる返信をいただきありがとうございました。議論し、合意形成できれば問題ありませんので、わたしの疑問へも反論や具体例を是非お示しいただければうれしいです。
 
現行の本辞典項目では、本文中の主語がOshoとなっています。ラジニーシをOshoに代えたことは合意形成のないルール違反ではないかと抗議しております。わたしの読んでいるのは最新版ではないのでしょうか。
 
--[[利用者:Itou masayuki|Itou masayuki]]([[利用者‐会話:Itou masayuki|会話]]) 2020年11月28日 (土) 06:36 (UTC)
 
*Itou OSHOOshoItou--[[:Bhavesh|Bhavesh]][[:Bhavesh|]] 20201128 () 07:40 (UTC)Bhavesh
 
***
Bhaveshさま
 
Osho
 
本文を見ますと
Oshoは大学で哲学を学び、1960年にはジャバルプール大学教授となった[1]。
 
Oshoは21歳の時に悟りに至ったという[9]。
 
Oshoによれば、人間の究極的な目的は光明(enlightenment)を得ることである[13]。
 
これが人々を「本来の自分」から分離させてしまう虚偽の実存であるとOshoは捉える[13]。
 
以下、本文でずっと「ラジニーシ」から「Osho」になっていますよね。この点に関してです。
 
 
それをされたのが、誰なのかわからないので、その1点のみでの抗議をまずは誰宛とかなくノートに書かせていただきました。ですので、Bhaveshの加筆・修正されたところを全部元に戻して欲しいということではまったくありません。
 
なんだか話が噛み合いませんが、わたしが見ている、あるいはBhaveshが見ているwikiのページは同じなのでしょうか?
 
--[[利用者:Itou masayuki|Itou masayuki]]([[利用者‐会話:Itou masayuki|会話]]) 2020年11月28日 (土) 08:31 (UTC)
 
*Itou様 みなさま 家族に急用が入り諸行事でこちらに来ることができませんでした(今後もつづきます)。すみませんでした。訂正ありがとうございます。ちょっと考えてみると、私の勘違いは、入り口が気になってしかたない、ということでした。「Osho」と検索しているのにもかかわらず、「バグワン・シュリ・ラジニーシ」になってしまうことに、強い違和感を持っていたのです。ここんとこを直したい、というのが一番の真意でした。なお、例の各60数言語を見ますと、なるほど入口は「Osho」になっていますが、本文は両論(両名称)併記、三論(三名称以上)併記が常態で、呼称はたくさん入り混じっているところも多いようです。--[[利用者:Bhavesh|Bhavesh]]([[利用者‐会話:Bhavesh|会話]]) 2020年11月29日 (日) 20:44 (UTC)Bhavesh
 
Oshoという呼称について意見を書かせていただきます。
80使OSHO International 
まず議論の中で何人かの方が言及されている「認知度」についてです。(Strangesnowさんの発言で取り上げられている3点「認知度」「見つけやすい」「曖昧でない」を元に)
 
OSHO33545543544OshoOsho35
そして、邦訳書や公式サイトなどは、2001年半ば頃からOshoを使用しているとのことでした。つまり日本で「Osho」表記に変わってから20年の月日が経ちます。
邦訳書で「バグワン・シュリ・ラジニーシ」名義で出版されているタイトルは、27ありますが、すべて絶版しています。その中の8つのタイトルがOsho名義で復刻/再版されています。「和尚ラジニーシ」名義のものは4つありますが、これもすべて絶版しています。
「和尚」または「Osho/和尚」で出版されているタイトルは30ありますが、25タイトルが絶版しています。その内10タイトルがOsho名義で再版されています。市場にある5タイトルですが、アマゾンの在庫状態はほとんどのものが数点でした。
「Osho」名義のものは44タイトルです。Oshoで再版されているものを含むと、62タイトルが市場にあるわけです。
重ねて書きますが、「バグワン・シュリ・ラジニーシ」名義の邦訳書は皆無です。(中古本をのぞいて)
 
OshoOshoOshoGoogle
 
最後の「曖昧ではない」です。確かに「和尚」の表記は日本では曖昧さに繋がると思います。今回邦訳書を調べて、「和尚/Osho」と二つを使ってあるタイトルが多い理由に納得できました。
 
2020年11月17日にItou masayukiさんが発言されている1)に対してのコメントです。
1974Osho 
次に2)についてです。
日本語のWikipediaで人名がアルファベット表記である例を挙げてみました。「Gackt」 、「Matt」、 「Yoshiki」、 「DAIGO」などです。いずれも芸能人名ですが、会社名、団体名、その他諸々のアルファベット表記は枚挙にいとまがありません。日本語のWikipediaでは、ラテン文字を記事名で使用できるとあります。また、「日本人の名前にはペンネームなどに特殊記号やアルファベットなどを用いているものがあるが、これらはそのまま表記し、カタカナ化などはしない」とあります。(Wikipedia:記事名の付け方を参照)日本人名でさえ、アルファベット表記を認めています。ですから、Osho表記に問題があるとは思えません。固定的な考えを脇に置いて、時代の変化に伴う必要があるのではないでしょうか?
 
次にOSHO International からの資料をまとめたものです。
公式サイトosho.comは13ヶ国語に対応しており、2015年度の訪問数は680万人。160カ国からのアクセスがあり、2015年度の新規の訪問者は44パーセント。
13ヶ国語ある言語別アクセスランキングでは、日本語が5番目。(2020年)
2015年度に出版されたOshoのタイトルは484タイトル、62ヶ国語に翻訳されている。
YouTubeの公式Oshoチャンネルの再生回数は、2013年は32,472,921回、2014年は38,126,692回、2015年は48,022,296回、そして2021年の6月21日の時点では、132,903,873回で、6月の時点にも関わらず、2015年と比べて3倍近く再生されている。購読者数は817,590人。多くのビデオは日本語字幕で視聴可能。
 
Wikipediaは今後も成長を遂げる媒体だと感じます。このグローバルな時代、グローバルに知られている「Osho」を使用するのが正しいのではないでしょうか?
以上、記事名を「Osho」と変更したく、書きました。
「バグワン・シュリ・ラジニーシ」の呼称を支持されている方も、再度冷静に判断していただけますか?
 
 
 
 
 
[[利用者:SapphireeiP|SapphireeiP]]([[利用者‐会話:SapphireeiP|会話]]) 2021年6月25日 (金) 11:15 (UTC)
 
☆公式サイトがOshoの記載なのでOshoが正しいと思います。変更をお願いします。--[[利用者:ダイヤモンド123|ダイヤモンド123]]([[利用者‐会話:ダイヤモンド123|会話]]) 2021年7月2日 (金) 13:13 (UTC)
19989OshoOshoOsho--[[:T&#61;C&#61;O&#61;T&#61;C|T&#61;C&#61;O&#61;T&#61;C]][[:T&#61;C&#61;O&#61;T&#61;C|]] 202174 () 10:05 (UTC)3838.com
 
Oshoの表記については、2020年10月22日にこのノートに私の意見を書きましたとおり、Oshoという表記にすることに賛成します。
Rajneesh調OshoOshoOshoOshoOshoOshoOsho
OshoOsho30OshoOsho--[[:Swachid|Swachid]][[:Swachid|]] 202174 () 22:50 (UTC)
 
前回は、暫定的に「ラジニーシ」に賛同する、と申し上げた者です。今回の SapphireeiP さんの提案をよく検討させていただきましたが、まず最初に説得力があると思ったのは、Yoshiki, Gackt, DAIGO等の日本人名が項目のタイトルとして認められているという事実です。これが「よしき、がくと、だいご(漢字不詳)」でなければいけないということであれば、まさに当事者の意思を無視した人権侵害に当たるものではないしょうか。
 その意味では、この項目のタイトルになっている人物が、1987年だかの時点で、自らの意思によって改名しているのですから、故人になったとはいえ、その遺志を認めないということは、ある種の人権侵害と言っても過言ではありません。
 ましてやこの人物が宗教者であるとか、信者の主張であるとかいう趣旨の発言は、同様に基本的な人権の高邁な理想を踏みにじる妄言と申せましょう。何人も自らの存在に課せられた形容詞の如何によって差別されてはならないのです。
 よって私はここに「Osho」への項目タイトルの変更に賛同いたします。 [[利用者:Drachma12|Drachma12]]([[利用者‐会話:Drachma12|会話]]) 2021年7月4日 (日) 23:50 (UTC)
 
 
■「Osho」の表記に賛成いたします。以下がその理由です。
 
①1988年にインド・プネー市の彼のコミューンにおいて、本人の意志でOshoに改名され、世界中に発信されています。
 
②それ以降、世界的に翻訳されている出版物、講話ビデオ、映像等はすべてOshoで統一されています。
 
③その本や講話映像により、Oshoの名は世界的な知名度をもち、定着しています。
 
使
 
⑤混迷を深める現代にあって、Oshoのビジョンや洞察はその価値がさらに認められ、世界的な評価がますます高まっています。今後の長期的な未来においても、Oshoとして浸透し続けることは間違いありません。
 
⑥近い将来、「ラジニーシ」では誰のことを示しているのか、誰も知らない時代が訪れることでしょう。
 
--[[利用者:DY111|DY111]]([[利用者‐会話:DY111|会話]]) 2021年7月5日 (月) 03:17 (UTC)
 
OshoOshoOsho--[[:Blissful flowering|Blissful flowering]][[:Blissful flowering|]] 202175 () 06:51 (UTC)
 
*賛同していただいた皆さま、ありがとうございます。
これまでのところ反対意見はありませんが、しばらく待って合意形成をはかりたいと思います。[[利用者:SapphireeiP|SapphireeiP]]([[利用者‐会話:SapphireeiP|会話]]) 2021年7月5日 (月) 11:11 (UTC)
 
*賛同していただいた皆さま、ありがとうございます。
これまでのところ反対意見はありませんが、しばらく待って合意形成をはかりたいと思います。[[利用者:SapphireeiP|SapphireeiP]]([[利用者‐会話:SapphireeiP|会話]]) 2021年7月5日 (月) 11:12 (UTC)
 
*改名提案の告知を出しました。反論がない場合は、一週間後に改名します。2021年7月9日 (金) 09:21 (UTC)
 
*告知の体裁が悪くて申し訳ありません。
真意は読み取っていただけると思います。2021年7月9日 (金) 09:37 (UTC)
 
賛成 Oshoは30年間もOshoと呼ばれています。Oshoに改名に賛成です。 [[利用者:まらかいとまっくす|まらかいとまっくす]]([[利用者‐会話:まらかいとまっくす|会話]]) 2021年7月18日 (日) 03:32 (UTC)
 
Yoshiki, Gackt, DAIGO等の日本人名が項目のタイトルとして認められていること、またこの項目のタイトルの人物が、1987年の時点で、自らの意思によって「Osho 」へと改名をしていることなどから、この変更に賛成します。 [[利用者:Drachma12|Drachma12]]([[利用者‐会話:Drachma12|会話]]) 2021年7月18日 (日) 11:41 (UTC)
 
- Oshoへの改名に全面的に賛成します。 --[[利用者:Setu|Setu]]([[利用者‐会話:Setu|会話]]) 2021年7月21日 (水) 20:28 (UTC)
 
賛成意見)呼称をOshoに変更することに賛成します。現在の出版されている書籍やインターネット媒体もOshoの名前の方が浸透して使われていると思います。--[[利用者:GViknn-P|GViknn-P]]([[利用者‐会話:GViknn-P|会話]]) 2021年7月23日 (金) 14:18 (UTC)
 
* {{済}} 既に管理者のえのきだたもつさんによって移動されています。--[[利用者:Kanninbukuro|Kanninbukuro]]<small>([[利用者‐会話:Kanninbukuro|会話]]/[[特別:投稿記録/Kanninbukuro|投稿]])</small> 2021年8月15日 (日) 22:58 (UTC)
 
*{{コメント}} この再提案と改名に全く気が付きませんでした。改名の再提案をするつもりはありませんが、半年以上議論が止まっていた項目に、改名に反対していた編集者への通知も全くないまま、過去の議論を全く無視した形での再提案とわずかな期間だけで改名実行されたことをとても残念に思います。--[[利用者:Strangesnow|Strangesnow]]([[利用者‐会話:Strangesnow|会話]]) 2021年11月2日 (火) 01:08 (UTC)
 
== 除去依頼 ==
 
またセラピー等の指導内容には危険なものもあり、自由なセックスの推奨による性病(淋病やエイズ等)の蔓延という問題もあった[13]。
237 ⟶ 469行目:
 
--[[:Bhavesh.jp|Bhavesh.jp]][[:Bhavesh.jp|]] 20201026 () 02:36 (UTC)Bhavesh.jp
 
MICCAgoさんへ 「現在のOsho財団は自らを宗教団体ではないと考えているという使用可能な出典」
これはいわゆるカテゴリーエラーではないでしょうか?
 「財団」は法律上の団体であり、「宗教団体」はきわめて漠然とした概念で、法的な概念ではありません。
 OSHO --[[:|]][[:|]] 2020114 () 13:51 (UTC)
  一週間経っても反論がないので、ふさわしくない文章を削除します。--[[利用者:ダイヤモンド123|ダイヤモンド123]]([[利用者‐会話:ダイヤモンド123|会話]]) 2020年11月10日 (火) 13:03 (UTC)
 
==一次資料を使った称賛の加筆について==
263 ⟶ 501行目:
MICCAgo4使--[[:Bhavesh.jp|Bhavesh.jp]][[:Bhavesh.jp|]] 20201027 () 12:32 (UTC)Bhavesh.jp
 
== ゴッドマン(世俗に関わるやや胡散臭い聖者[1][2])という表記は中立ではないと思います。 ==
 
OshoOshoTV
299 ⟶ 537行目:
削除依頼のほうでくわしく説明しました。 [[利用者:Drachma12|Drachma12]]([[利用者‐会話:Drachma12|会話]]) 2020年10月27日 (火) 13:56 (UTC)
 
== このページ全体が非常にりのある内容となっております。いる ==
 
このページは一人の人間よって書かれ、非常に偏りのあるページとなっております。非常に問題と感じております。
323 ⟶ 561行目:
 --[[:Bhavesh.jp|Bhavesh.jp]][[:Bhavesh.jp|]] 20201026 () 03:18 (UTC)Bhavesh.jp
 
==このページ全体が非常に偏りのある内容となっております。==
Wikipedia[[Wikipedia:#]]--[[:MICCAgo|MICCAgo]][[:MICCAgo|]] 20201017 () 11:21 (UTC)
 
670 ⟶ 907行目:
{{Reflist-talk}}
 
:*{{}} MiccAgo [[:Setu|Setu]][[:Setu|]] 20201030 () 19:21 (UTC)
 
:*代理追加をお願いします。 [[利用者:SapphireeiP|SapphireeiP]]([[利用者‐会話:SapphireeiP|会話]]) 2020年10月31日 (土) 13:08 (UTC)
:*{{コメント}} 上の文章を追加して復活させました。編集のコメントに、SapphireeiPさんが追加した内容であることを書いてあります。ご確認ください。--[[利用者:Setu|Setu]]([[利用者‐会話:Setu|会話]]) 2020年10月31日 (土) 17:06 (UTC)
::*記述を復活することに同意できるのはVyas Aの予備実験の結果だけで、一次資料を基にした個々の事例紹介には反対です。--[[利用者:Strangesnow|Strangesnow]]([[利用者‐会話:Strangesnow|会話]]) 2020年11月1日 (日) 13:12 (UTC)
::*SapphireeiP--[[:Setu|Setu]][[:Setu|]] 2020111 () 14:36 (UTC)
:::*除去の理由の説明を求められてから「肯定的な視点で纏められたサイトや財団による一次資料を基に宣伝的に書くのではなく~」と私がコメントした後、なんの改善もなく単に過去の記述を戻した理由を教えてください。SapphireeiPさんではなく、あなたが改善無く一次資料のみの記述を戻したのです。--[[利用者:Strangesnow|Strangesnow]]([[利用者‐会話:Strangesnow|会話]]) 2020年11月1日 (日) 15:45 (UTC)
:::*--[[:Setu|Setu]][[:Setu|]] 2020111 () 16:47 (UTC)
::::*あなたはノートでの会話や記事の内容やその出典を確認せず、手続きのみを理由として議論となっている編集を差し戻しました。編集合戦の元となりますので今後はお止めください。--[[利用者:Strangesnow|Strangesnow]]([[利用者‐会話:Strangesnow|会話]]) 2020年11月1日 (日) 18:08 (UTC)
::::*「ルール違反で削除された文章だが、私が同意するまではもとに戻してはならない」というご主張ですか?--[[利用者:Setu|Setu]]([[利用者‐会話:Setu|会話]]) 2020年11月2日 (月) 10:19 (UTC)
:::::*私が書いていないことを作り出さないでください。議論となっている編集をあなたの独断で差し戻すのは編集合戦の元となりますので今後はお止めくださいという意味です。編集態度を改善してください。--[[利用者:Strangesnow|Strangesnow]]([[利用者‐会話:Strangesnow|会話]]) 2020年11月12日 (木) 05:08 (UTC)
*{{コメント}} SapphireeiPさんへ、再度コメントしますが、段落1,2,3の出典に用いられている「activemeditation.com」は1970年代のバグワンによる動的瞑想の開発に携わっていたマニーシャ・ジェームズらによる個人的なサイトに過ぎませんので出典として使えません ([[Wikipedia:信頼できる情報源]])。また、段落5の出典は「OSHO.com」であり、客観的な出典ではありません。せめて冒頭に「OSHOインターナショナルの記事においては、~」のような本文内での帰属化が必要でしょう。段落4は予備実験を出典としていますが「~実証した」となっており限定的な実験に過ぎないことが書かれていません。総じてこのままでの記述は受け入れられません。これらの問題が解決ないし改善されないのであれば除去します。--[[利用者:Strangesnow|Strangesnow]]([[利用者‐会話:Strangesnow|会話]]) 2020年11月1日 (日) 16:12 (UTC)
 
:*Strangesnow
:このサイトは確かにOshoの瞑想法を多く取り上げていますが、その他一般的な瞑想にも触れておりBBC, The Guardian, USA Todayなどから瞑想についての記事も引用しています。
:マニーシャ・ジェームズは"British Association for Counselling and Psychotherapy(BAPC)で認証されたメンバーであり、実際に治療を行なっています。
:BAPCの関係からこのサイトへの記事を依頼されたそうです。
:このサイトは瞑想を治療法の一つとして紹介し、導入例、プレス関係の記事、多くの医師の発言などでまとめられています。
:ですから信頼できる情報源にあたるのではないでしょうか?
:Vyas A.氏の論文を読み翻訳しました。「実証」を使ったのはここからです。(全文を訳した訳ではありません)
:This project demonstrated that Osho Dynamic Meditation had significant effects for many clinical and corporate variables for short term and long term durations.
:「実証」で何の問題もないと思います。ですが、パイロット・スタディであることは追記します。
:5番目の引用文はStrangesnowさんの提案通りの言葉を冒頭に付け加えます。
:--[[利用者:SapphireeiP|SapphireeiP]]([[利用者‐会話:SapphireeiP|会話]]) 2020年11月1日 (日) 20:53 (UTC)
::*{{返信|[[利用者:SapphireeiP|SapphireeiPさん]]}} すみません。発言の編集時には「開発後の初期から」としていたのですが、入力後の校正時に「開発に」としてしまいました。混乱させてしまい申し訳ありません。上記発言は「1970年代に開発された動的瞑想について、同じく70年代後半(1978年以前)から取り組んでいたマニーシャ・ジェームズらによる個人的なサイトを~」のような意味です(実際には60年代から取り組まれていたのかもしれませんが、信頼できる情報源かどうかには強くかかわらないと思っています)。このサイトは主要なメディアや学術団体などではなく[[Wikipedia:信頼できる情報源]]を満たすサイトではないため、ここで任意に集められた「導入例、プレス関係の記事、多くの医師の発言など」を基にしては中立的な記事が書けない、と考えています。主体が不明なままでは一次情報源としても用いるのは不適切でしょう。各医師の発言などは、信頼できる情報源を出典にしてくださるようお願いします(主語を明確にするのであれば、一次情報を出典にしてもよろしいかもしれません)。--[[利用者:Strangesnow|Strangesnow]]([[利用者‐会話:Strangesnow|会話]]) 2020年11月3日 (火) 14:19 (UTC)
:* 1960Osho使
:: サイトがマニーシャ・ジェームスのサイトである記述は見つからないのですが、教えていただけますか?あくまで、イタリア人医師が中心になっているように見えます。--[[利用者:Setu|Setu]]([[利用者‐会話:Setu|会話]]) 2020年11月3日 (火) 08:17 (UTC)
 
::* さっき、サイトの [https://www.activemeditation.com/Team.html About us] を見てたんですが、たぶん、StrangeSnowさんは、ここを見て勘違いされたんだと思います。ここはManeeshaのサイトで、彼女はダイナミック瞑想の共同開発者って。
::::『activemeditation.com concept creator and contributor
::::Maneesha James' early background was in general and psychiatric nursing and midwifery. The guinea pig in the early seventies when Osho was designing his active methods,
:::Maneeshaは、Oshoが70年代初期にアクティブな手法をデザインする時のモルモットだった。単なる被験者ですね。ここでは、ダイナミック瞑想とは言ってません。Oshoは複数のアクティブな手法を開発しています。クンダリーニ瞑想、ナーダブラフマ瞑想、プレイヤー瞑想、その他多数あります。
:::StrangeSnowさんが、『同サイトの About us を見ると…』と言ってくれたら、何を言ってるか分かったのに。急に、とんでもないことをいうので、StrangeSnowさんはひどいデマを言う人だと勘違いしました。どこからそんな情報をもらったのかと思って恐ろしくなりましたが、どういう勘違いをされたか理解して安心しました。--[[利用者:Setu|Setu]]([[利用者‐会話:Setu|会話]]) 2020年11月3日 (火) 19:21 (UTC)
::::{{返信|[[利用者:Setu|Setuさんへ]]}} ひとつ前のSapphireeiPさんへの返信でご説明させていただいた通りです。申し訳ありません。「About us 」の先頭で「activemeditation.com concept creator and contributor」とあるので「マニーシャ・ジェームズ'''ら'''による個人的なサイト」ではないかなあとは思っています(し、彼女が70年代から「動的瞑想」に係わっていたとも考えていますが、枝葉の話なので置いておきます)。ただ仮にこれが何らかの団体であってマニーシャらに直接関係ないとしても「[[Wikipedia:信頼できる情報源]]を満たすサイトではない」という見解に変わりはありません。あと、[[WP:IINFO]]の観点から見ると、特別に著名ではない医師や団体での小規模な実践例は本当に必要なのか疑問なんですよね。箇条書きのようになってしまっていますし。--[[利用者:Strangesnow|Strangesnow]]([[利用者‐会話:Strangesnow|会話]]) 2020年11月6日 (金) 03:07 (UTC)
 
Strangesnowさんの信頼できない情報源だという判断には同意できませんが、これ以上議論を続けるのは無意味に思えるので、1から3は削除します。
それとStrangesnowさんが提案してくださったBansal, Mittal and Seth "Osho Dynamic Meditation’s Effect on Serum Cortisol Level"(2016) からもまとめて追記します。 [[利用者:SapphireeiP|SapphireeiP]]([[利用者‐会話:SapphireeiP|会話]]) 2020年11月8日 (日) 11:20 (UTC)
 
== Rajendra Partap Sinhaは信頼できる情報源に該当しないのでは? ==
 
Rajendra Partap Sinha (2015313). Osho's Religion - Despite being Against All Religions of World - . SPEAKINGTREE.IN. 202059ABOUT ME I am a seeker on Speaking TreeShepherd
 
https://www.speakingtree.in/blog/oshos-religion---despite-being-against-all-religions-of-world
--[[利用者:GViknn-P|GViknn-P]]([[利用者‐会話:GViknn-P|会話]]) 2020年11月1日 (日) 05:11 (UTC)
 
--[[:GViknn-P|GViknn-P]][[:GViknn-P|]] 2020119 () 14:03 (UTC)--[[:GViknn-P|GViknn-P]][[:GViknn-P|]] 2020119 () 11:46 (UTC)
 
== 足達論文を根拠資料として記述された箇所の全面削除を要請 ==
 
宗教社会学者である伊藤雅之氏(愛知学院大学文学部教授、日本宗教学会評議委員)と、Wikipediaのこのページに関して直接やりとりしました。伊藤氏は日本におけるラジニーシ・ムーブメント研究の第一人者といっても過言ではありません。<br>
 
<br>
 
--------------------------------------------------
伊藤雅之 wikipediaへの見解(追加)<br>
 
「自衛隊でCBRNテロリズムを研究する足達好正は、セス・カルスの著作の伝聞を参考に、ラジニーシはサルモネラ菌散布を承知していたとしている[87]。」<br>
この箇所を含む足達 2017を根拠資料として記述した箇所は全面削除することが求められる。<br>
 
足達はセス・カルスの著作の伝聞を参考に...、とあるが、そのセス・カルスの著作はつぎのとおり。<br>
 
Bioterrorism and Biocrimes<br>
The Illicit Use of Biological Agents Since 1900<br>
W. Seth Carus<br>
August 1998 (February 2001 Revision) https://fas.org/irp/threat/cbw/carus.pdf<br>
このレポートのpp.50-57 がRajneesh communeでのバイオテロの内容になっている。足達が正確に以下の文章を理解したうえで論文に記載したか定かではない。<br>
 
セス・カルスの原典においての記述では、以下のとおりである(p.52 下のほう)。<br>
クリシュナ・デヴァへの聞き取りでは、彼は「シーラがバグワンにサルモネラ菌の企みを話したところ、人を傷つけないほうがよいが、2−3人死ぬことは気にしなくて良いとコメントした」とシーラは言った、と主張した、となっている。ラジニーシのこの事件への関与に触れたのはこの箇所だけである。セス・カルスの見解、評価としてラジニーシの関与について言及していない。しかも、その箇所はシーラの発言についてのクリシュナ・デヴァの伝聞であり、辞典項目で取り上げて言及する信頼性はきわめて乏しい。<br>
 
Finally, Sheela decided that they would make the voters of Wasco County sick before the election so that they would not be able to vote. According to KD, after the meeting in which she raised this idea, Sheela and Puja started looking at books that described “bacteria and other methods to make people ill.”161 Furthermore, he claimed that Sheela said “she had talked with Bhagwan about the plot to decrease voter turn out in The Dalles by making people sick. Sheela said that Bhagwan commented that it was best not to hurt people, but if a few died not to worry.”162<br>
162 Report of Interview, Swami Krishna Deva, AKA David Berry Knapp, November 25, 1985, AG files.
 
--------------------------------------------------
--[[利用者:DY111|DY111]]([[利用者‐会話:DY111|会話]]) 2020年11月10日 (火) 07:38 (UTC)
 
:*  [[:Setu|Setu]][[:Setu|]] 20201116 () 15:21 (UTC)
 
== より良いページにする為に ==
 
より良いページにする為に意見がある人、それに対して異議がある人はこちらを利用下さい。
現在のページは長すぎるので、あまり重要でない文を削ってもう少し短くして分かりやすくしたいと思っています。
批判があって称賛がないのはおかしいので称賛の項目を付け加えたいと思ってます。--[[利用者:ダイヤモンド123|ダイヤモンド123]]([[利用者‐会話:ダイヤモンド123|会話]]) 2020年11月10日 (火) 10:25 (UTC)
 
    --[[:|]][[:|]] 20201111 () 02:17 (UTC)
 
::称賛という言葉は、批判的立場の人にとっては強すぎるので、反発を招くかもしれないので、是認等のもう少しトーンダウンした言葉のほうがいいのではないでしょうか。<br>
::十戒は些末な内容なので必要ない、という意見でしたら理解します。ユダヤ人も同様です。<br>
::ラジニーシ運動の参加者については、タイトルがわかりにくいので変えること、日本のラジニーシ運動の展開について説明するコーナーとして、この小項目が使えるかもしれないこと、などを考えると、削除には慎重であっていいと思います。とりあえず信憑性の低いマコーマック出典のものなどを整理することから始めるのもありだと思います。<br>
::ラジニーシプーラムの事件については、私は別項目をもうけて、そこに大半を移動し、ここでは要約、梗概にとどめるという方法を、他のノートで提案しました。検討してみてください。<br>
::いずれにせよ、オレゴン期の一連の事件は、必ずどこかに明記される必要があります。もしも、跡形もなくとは言わないまでも、過剰に削除したりすると、その事件に問題意識を持つ、批判的な立場の人から必ず反発が出てくるでしょう。編集合戦になってしまう可能性があります。それよりも、現状の記事のなかで検証可能性が不十分だったり、興味本意だったりする記述を削除し、もう少しスッキリさせた上で、説明が足りなければ、英語版の信頼できる内容を翻訳移植するなどしたほうが、無難かと思います。<br>
::以上は私の個人的な見解ですので、他の方も建設的なご意見をお聞かせください。 [[利用者:Drachma12|Drachma12]]([[利用者‐会話:Drachma12|会話]]) 2020年11月11日 (水) 04:07 (UTC)
 
 
***
 
ダイヤモンド123さん、Drachma12さん
 
 
繰り返しとなりますが、本項目の記述の根拠となる参照文献・資料は、
 
1
 
2)一般書の場合は、著者の専門性を確認したうえで採用する。
 
3)信奉者(インサイダー)の著書は貴重な一次資料ではあるが、客観的根拠が見出せる記述のみ採用する(Osho関連のサイトを根拠とする記述は削除する)。
 
4使使
 
5)ジャーナリストやライターによる記事、およびその文中での信者・元信者の言葉は使用しない(上記原則と同じく、採用の基準は学術書・学術論文での引用箇所のみ)。
 
 
この方針に基づくと、結果として、ダイヤモンド123さんの見解とかなり似てきます。
 
ご提案箇所を検討すると…
 
☆ラジニーシの十戎
 
 これはラジニーシ自身のことばなので該当せず。ただし、思想に含めてここに別項を立てる必要なしということならカット。わたしはカットでよいと思います。
 
 
☆ユダヤ人
 
 これは5)に該当。ライターの記事なので削除 33^ a b c d e Sinha 2015.
46^ a b c d e f g MCCORMACK(b) 2018. いずれもライターによる記述
 
 
本辞典項目をチェックするとMccormackを資料とした記述がかなり出てきますね。
 
 
☆ラジニーシ運動の参加者
 
 Puttick 2009 1997 
 
 
ライターによる記述はつぎのとおり。
注30 ロバートソン
注16 MCCORMACK
削除。
 
そもそもこのセクション、参加者の特徴と関係ない記述が入っております。論点整理したほうがよいと思います。
 
 
***
 
ヒューマンポテンシャル運動で流行したグループセラピーでは、参加者の自我を「溶解」させ、防衛機制を除去するためにしばしば精神的・肉体的暴力が使われエスカレートしていったが、暴力により実際に起こっていたのは人格の「変容」ではなく「崩壊」のプロセスであり、参加者はその後にしばしばPTSDや解離の症状に見舞われたり、強烈な「変容体験」が中毒化しセラピーに依存するものもいた[99]。
 
***
 
99使 
 
 
☆ラジニーシ・プラムの犯罪と崩壊
 
5)に該当。ジャーナリストやライターによる記事が大半です。本辞典項目での有名人・ウィン・マコーマックの引用、参照箇所、足達論文は問題ということで指摘されたのでこれもカット。そうするとかなりの箇所が削除できます。
 
このセクションであと残る記述はつぎのとおり。
 
注29 脇坂
 
長崎大学の脇坂有希さんの「オウム真理教・「人類最終戦争Jへの道ーその成立から崩壊まで一 」
 
これ脇坂さんという人の書いた卒業論文ですよ。大学生の卒業論文を事典項目での根拠資料にするというのはありえないでしょう。彼女がさらに学問を続け、大学紀要でも学会誌にでも学術論文を書いたら採用しましょう。とりあえず、大学生の卒論を参照文献にするのは問題外なので該当箇所すべて削除でいかがでしょうか。
 
--[[利用者:Itou masayuki|Itou masayuki]]([[利用者‐会話:Itou masayuki|会話]]) 2020年11月11日 (水) 09:25 (UTC)
 
:Itou 様、4)と 5) の専門家なのかライターなのかの判定はわれわれ一般人には悩ましいところです。
 
太田氏からの引用がセクションの範囲から逸脱していることにはまったく気づきませんでした。
 
  [[:Drachma12|Drachma12]][[:Drachma12|]] 20201111 () 10:04 (UTC)
 
 
 
--[[利用者:ダイヤモンド123|ダイヤモンド123]]([[利用者‐会話:ダイヤモンド123|会話]]) 2020年11月12日 (木) 10:49 (UTC)
 
== 「よいページにするために」に対する応答(本項目への見解と改善策の提案) ==
 
Wikipedia「バグワン・シュリ・ラジニーシ」の項目に関する見解
 
はじめまして。ラジニーシに関する宗教学、社会学における学術論文の執筆、「ラジニーシ運動」の辞典項目執筆(井上順孝編『現代宗教事典』弘文堂)などの研究をしました愛知学院大学の伊藤雅之です。
 
以下、長文となること、どうかお許しください。
 
WikipediaWin McCormack
 
Osho Rajneesh MovementRajneesh
 
wikipediaは編集参加者の話し合いで項目作成が進められることは重々承知しておりますが、以上のわたしの学問的背景をもとにした見解ですので、一意見として参考にしていただければ幸いです。
 
wikipediaの本項目がより完成度の高い、専門的知見をふまえた内容となり、かつ多くの一般読者に読みやすいものとなることを願ってやみません。
 
どうかよろしくおねがいいたします。
 
***
 
wikipedia
 
一案だが、全体の分量の3分の1程度をカットする方針にしてはどうか(たとえば、同じ内容の主張であれば代表例を挙げるにとどめ、不必要に羅列しない。信頼度の低い記述は省く)。特定の事象(例「ラジニーシプーラムでの事件」)を詳しく記述する必要があれば(すでに不必要なまでに詳しい)、別項目を立てることにし、本項目からは削除する。本項目は1)ラジニーシの思想と活動、2)ラジニーシに関する運動の展開(参加者の特徴を含む)、3)ラジニーシと彼の活動への評価をバランスよく、コンパクトにまとめる。
 
以上が、現状の本項目を読んで、比較的短い時間で、完成度の高い、専門的知見を踏まえた内容にするための方策の枠組みである。
 
より具体的には、根拠資料の学術性が乏しいもの、および信頼度の低い記事に基づく記述箇所はすべて削除する。これにより本項目の3割くらいは削除できるのではないか。
 
***
 
本項目の記述の根拠となる参照文献・資料は、
 
1
 
2)一般書の場合は、著者の専門性を確認したうえで採用する。
 
3)信奉者(インサイダー)の著書は貴重な一次資料ではあるが、客観的根拠が見出せる記述のみ採用する(Osho関連のサイトを根拠とする記述は削除する)。
 
4使使
 
5)ジャーナリストやライターによる記事、およびその文中での信者・元信者の言葉は使用しない(上記原則と同じく、採用の基準は学術書・学術論文での引用箇所のみ)。
 
 
***
 
一般論だが、反証不可能な一次資料(信者、元信者の証言、伝聞)また一雑誌記者の印象批評的コメント(聞き取った一人の信者、元信者の意見をもとに記事を作成可能)などを組み合わせれば、本項目の編集者の意図でいかようにも結論を導くことが可能となる。そうならないためにも上記原則は定めたほうがよい。
 
信憑性の乏しい「事実」を掲載すると、本項目全体の信頼度が著しく毀損されることになる。
 
***
 
以下、このノートでも多くの議論があるラジニーシプーラムでのラジニーシの事件への関与にかかわる見解を中心を記す(それ以外の箇所についても学術的見地からきわめて問題が多いと言わざるをえない。機会があれば別稿でまとめたい)。
 
英語版wikipedia ”Rajneesh”では、一読したところ、上記の基準に該当する根拠資料が大半を占める(全体の分量が多いことにかわりないが、読むに耐えうる完成度にはなっている)。アメリカで事件が発生したこともあり、ラジニーシプーラムでの事件に関しては英文で多くの書籍、論文が刊行されている(Carter 1990, Latkin 1992, Latkin et al. 1994, Palmer 1994など)。英語版ではそれらの文献を参照して記述されているが、日本語版ではこうした学術書がほとんどまったく採用されていない。
 
 
 
1)「サルモネラ菌を使用したバイオテロ」の項目ほかでの足達論文(2017)を根拠資料とした記述箇所の全面削除
 
「自衛隊でCBRNテロリズムを研究する足達好正は、セス・カルスの著作の伝聞を参考に、ラジニーシはサルモネラ菌散布を承知していたとしている[87]。」 ほか1箇所
 
これについてはすでに本ノートにてご紹介いただいたので省略する。
 
 
2)法廷でのAva Avalosの証言の評価
 
削除が望ましい。すくなくとも加筆が必要。
 
日本語版では、オレゴン期のラジニーシの事件への関与(上記項目)に関しては、密室での会話・やりとり(法廷でのAva Avalosの証言)を採用してラジニーシのバイオテロへの関与を裏付けている。
 
英語版では(”1984 bioterror attack”第4段落)、ラジニーシはシーラをスケープゴートにしているというコメンテーターの見解はあるものの、ラジニーシが事件に関与したという証拠はなかったとする記述があり、評価のバランスをとっている。
 
また、英語版(”1984 bioterror attack”、第7、8段落)では、シーラは「ラジニーシが殺人を指示した」とする内容(法廷での上記Ava Avalosの証言)のすぐ後で、Avalosは同じく、シーラは「バクワンはこの件について何も知らないので、何が起こっているか尋ねられたら、バグワンに嘘をつくように」言われたとの記述があり、その事実をめぐる評価にバランスをとっている。
 
日本語版では後者の記述が意図的にかどうかわからないが省略されている。
 
 
3)Win McCormackの記事からの引用
 
全面削除が求められる。
 
 
本項目では、ジャーナリストやライターによる雑誌記事に基づく記述が散見される。本ノートを拝読すると、英語文献を読むことのできる編集者が複数いらっしゃると思われる。であるなら、ジャーナリストやライターの記事からの抜粋はすべて削除し、Carter 1990, Latkin 1992, Latkin et al. 1994, Palmer 1994などの研究論文を参照した内容に改訂するとよいと考える。
 
 
4)足沢論文に基づく記述箇所
 
本項目では、足沢一成氏による「ラジニーシ教団」を根拠資料とした記述が散見される。『聖者たちのインド』の執筆陣は研究者たちであるので、一応は学術書となるかもしれない。一般の人たちに向けて書かれたという意味では一般書となる。いずれにせよ、足沢論文(と呼んでよいかはなはだ疑問)には参照文献がほとんどついておらず、元信者の告発本『堕ちたグル』に基づく論文内での記述もあるように思われる。なお、足沢氏は社会学者でも人類学者でもなく、インド学(古典文学が専門)であり、ご自身の長年の調査研究のまとめが本論文とは考えられない。
 
稿[]p.97 
 
また足沢氏はラジニーシの思想をアドヴァイタ・ヴェーダーンタと関連づけて解釈している(p.87)。その根拠を知りたい。
 
使
 
 
以上、宗教社会学者・伊藤雅之(愛知学院大学文学部教授、日本宗教学会評議委員)の本項目を読んでの見解である。
 
 
伊藤の本項目との関連
 
・学位論文
 米国ペンシルバニア大学社会学部にてNew Religious Consciousness in Advanced Industrial Societies: Explorations of the Osho Rajneesh Movement and Its Members in Japan(全287ページ)にて博士号取得(Ph.D. in sociology)、1998年。
 
・学術書
『現代社会とスピリチュアリティ 』(渓水社) 第4章から6章まで和尚ラジニーシムーブメントに関する記述、2003年
このほかに『ソシオロゴス』『宗教研究』『宗教と社会』にて学術論文数本あり。
 
・項目執筆
井上順孝編『世界の宗教101物語』新書館「和尚ラジニーシ・ムーブメント」1997年
井上順孝編『現代宗教事典』弘文堂、「ラジニーシ運動」2005年
 
 
***
 
Wikipedia日本語版のガイドラインに「編集は大胆に」とあった。「https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:ページの編集は大胆に
 
根拠資料の信頼性が乏しいものはどんどん削除していくということでわたし自身作業をスタートさせたいところだが、「ただし配慮を忘れない」とも書かれているので、このノートに書かせていただきました。
 
編集者のみなさまのご意見をうかがえれば幸いです。
 
 
長文、失礼いたしました。
 
--[[利用者:Itou masayuki|Itou masayuki]]([[利用者‐会話:Itou masayuki|会話]]) 2020年11月10日 (火) 12:01 (UTC)
 
Itou masayuki様
--[[:Bhavesh|Bhavesh]][[:Bhavesh|]] 20201110 () 12:34 (UTC)Bhavesh
 「サルモネラ菌を使用したバイオテロ」の項目ほかでの足達論文(2017)を根拠資料とした記述箇所の全面削除に賛成。
 法廷でのAva Avalosの証言の評価削除に賛成。
 Win McCormackの記事からの引用、全面削除に賛成。--[[利用者:ダイヤモンド123|ダイヤモンド123]]([[利用者‐会話:ダイヤモンド123|会話]]) 2020年11月10日 (火) 15:10 (UTC)
 
::伊藤様、貴重なご意見ありがとうございます。<br>
:: オレゴン期の事件にかんする記述は、こちらには一定の長さの要約を残し、別立ての項目に移行するということでよいと思います。<br>
::私も『聖者たちのインド』の足沢の記述が必ずしも正確ではないとの認識です。ラジニーシの講話が何を題材にしているかという一節では、足沢は西洋心理学も挙げていますが、これは70年代からラジニーシの講話を説明するのに使われている「題材(テーマ)」という語彙を取り違えているものと思われます。<br>
::ラジニーシの毎日の講話は10日で1シリーズ、奇数日が同一の著名な経典や聖典からの引用に解説を加えるもので、偶数日は弟子からの手紙の質問に答える質疑応答となっており、この形式は彼の講話の大部分で踏襲されています。<br>
::パタンジャリのヨーガスートラが題材のシリーズでは、数ヵ月に及ぶ展開になりました。<br>
::このことひとつとっても、足沢の記述が、専門外の人物による、短期間の調査によって執筆されたものであることは明らかなように思えます。<br>
:: [[:Drachma12|Drachma12]][[:Drachma12|]] 20201110 () 16:05 (UTC)
 
 
***
 
 
Bhaveshさま、ダイヤモンド123さま、Drachma12さま、早速のコメントをいただきありがとうございました。いましばらくほかの編者の方のご意見を待って、本辞典項目の編集作業の方針(根拠資料の採用について)が合意できれば幸いです。
 
 
[researchmap]調
 
 
wiki
 
ほかに依拠できる資料がないなら別ですが、たくさんのすぐれた学術書、学術論文があります。繰り返しになりますが、英語版をとりあえず参照しつつ、元信者の言説、ライターの記事、それに足沢氏の論文で採用されている箇所はすべて削除するということでいかがでしょうか。どうしてもその箇所が必要だというご判断であれば、学術書、学術論文から類似した内容の記述を使用すればよいと思います。
 
--[[利用者:Itou masayuki|Itou masayuki]]([[利用者‐会話:Itou masayuki|会話]]) 2020年11月10日 (火) 23:40 (UTC)
 
 
--[[:Bhavesh|Bhavesh]][[:Bhavesh|]] 20201111 () 03:21 (UTC)Bhavesh
 
 
Itou masayuki様<br>
ご専門の立場から、現在のページの課題点、問題点を指摘され、具体的な改善ポイントなどを詳細に、わかりやすくまとめていただき、さらに全体的な構成まで示していただき、ありがとうございます。<br>
 
現在のページはとても百科事典と呼べるようなレベルではなく、偏向報道の雑誌レベルであると、私も認識しております。より客観的な記述へとブラッシュアップする必要があります。<br>
Itou様のご提案に関して、私は全面的に賛同いたします。より良いページにするために、少しでもお手伝いできればと思っている次第です。よろしくお願いいたします。 --[[利用者:DY111|DY111]]([[利用者‐会話:DY111|会話]]) 2020年11月11日 (水) 08:53 (UTC)
 
***
 
***
 
 
2020.12.1220003 稿
わたしは宗教社会学の立場から元信者の手記はもっとも信頼性の乏しいデータだと考える旨をお伝えしましたが、足澤氏は元信者の青春記との理解だということでした。当時資料があまりなかったこともあり、ミルン本の内容を紹介する形でまとめたとのことです。
いずれにせよ、ご本人は論文という認識はそもそもなく、記述は学術書や学術論文を根拠資料としていないとのことですので、wikipediaでの引用、参照から削除していただいてもちろん構わないとのことでした。したがって、本辞典項目においては、足沢論文からの引用、参照は慎重にする、ということでいかがでしょうか。
 
--[[利用者:Itou masayuki|Itou masayuki]]([[利用者‐会話:Itou masayuki|会話]]) 2020年12月12日 (土) 03:25 (UTC)
 
:Itou 様、ご尽力に感謝します。足沢氏自身が論文という認識はないとのことで、もやもやしていたものが一気に吹き飛んだ気分です。<br>
: 足沢氏のエッセイは、それなりに納得できる内容もあり、一方で腑に落ちない表現も少なからずあり、割りきれない気持ちでいたところです。<br>
: これを機会に、この項目がさらに偏りのない内容になるように、今後も微力を尽くしたいと思います。 [[利用者:Drachma12|Drachma12]]([[利用者‐会話:Drachma12|会話]]) 2020年12月13日 (日) 04:49 (UTC)
 
 Itou --[[:|]][[:|]] 20201213 () 12:24 (UTC)
 
***
Drachma12さま、ダイヤモンド123さま
 
 
--[[利用者:Itou masayuki|Itou masayuki]]([[利用者‐会話:Itou masayuki|会話]]) 2020年12月13日 (日) 15:03 (UTC)
 
== 専門家とライターの見分け方 ==
 
 
Drachma12さんよりコメントでいただきました1)研究者と4)5)元信者、ライターの区分がむずかしいというのはご指摘のとおりです。たいへん失礼しました。
 
 
wiki使
 
といってもわかりづらいと思いますので、本辞典項目が根拠資料としている111箇所の脚注のうち、専門家でないところを列挙します(漏れがあるかもしれません)。
 
 
脚注
 
出典
 
 
1)足沢(研究者、インド古典文学の専門家)「ラジニーシ教団」論文において『堕ちたグル』(元信者の告発本)をおもな根拠資料にした可能性あり(確定でないのでご注意ください!)
 
注8, 14, 24, 25, 26, 28, 31, 32, 34, 42, 43, 47, 51, 53, 55, 56, 66, 67, 90, 91, 93
 
 
21箇所 すべてではないが、根拠に乏しい記述が含まれている可能性大
 
 
2McCormack 
 
注12, 16, 46
 
3箇所
 
3)そのほかのライター、タレント、大学生の卒論など
 
注 30(ロバートソン、タレント)、33(Sinha), 36(Kostas 出典不明), 39 (Cowie), 52(Oregonian 新聞記事), 70(Olsen), 73(Haberman), 74(アップス), 75(Zeitz), 77(Davisson), 78(Seven他), 81(AP NEWS), 92(Klatt 出典不明), 109(Sussex)
 
 
14箇所
 
 
[ ]--[[:Itou masayuki|Itou masayuki]][[:Itou masayuki|]] 20201111 () 14:34 (UTC)
 
 
Itou masayuki様 研究者・[[足澤一成]]氏は、「聖者たちのインド」でのみ、足'''沢'''一成、の筆名を使っていますが、当記事においては、足'''澤'''に統一すべきと考えますが、いかがでしょうか? --[[利用者:Bhavesh|Bhavesh]]([[利用者‐会話:Bhavesh|会話]]) 2020年11月11日 (水) 21:56 (UTC)Bhavesh
 
***
 
Bhaveshさま
 
2使
--[[利用者:Itou masayuki|Itou masayuki]]([[利用者‐会話:Itou masayuki|会話]]) 2020年11月11日 (水) 23:49 (UTC)
 
 
Itou様 明快なご回答ありがとうございます。すっきりしました。--[[利用者:Bhavesh|Bhavesh]]([[利用者‐会話:Bhavesh|会話]]) 2020年11月12日 (木) 00:18 (UTC)Bhavesh
 
== 「ウィキペディア 信頼できる情報源」の内容確認 ==
 
2020年11月10日に本ノートにおいて、「よいページにするために」に対する応答(本項目への見解と改善策の提案)を書かせていただきました。
 
いまのところ、それへの批判、反論などはいただいておりませんので、わたしを含む編集者で、根拠資料の扱いの原則に基づき削除作業をできれば幸いです。告知から1週間後となる、来週月曜日、11月16日から開始してよいでしょうか。
 
そのうえで、削除しおわった文章を読んで、根拠資料としては認められるが(内容に関する信頼性はある)、事典項目に掲載する重要性(些末かどうか)があるかどうかを議論できればと思います。また情報が足りない点に関しては学術書、論文から該当箇所を探す作業となります。
 
編集作業をするにあたり、すでに読まれている方もいらっしゃると思いますが、「wikipedia 信頼できる情報源」https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:信頼できる情報源#日本語以外の言語で書かれた情報源
の内容をどうかご精読ください。
 
使2
 
記述されている内容が事実かどうか(これはわたしたちでは容易に判断できません)にかかわらず、元信者による告発本はもちろん、ジャーナリスト、ライターによる一般雑誌での記述は原則認められません。
 
例  『堕ちたグル』というラジニーシを告発する書物が刊行された。netflixのドキュメンタリーシリーズが公開された。
以上は事実ですので記載できます。
 
したがって、『週刊プレイボーイ』に掲載されてロバートソンからの引用はできません。また個人のブログを参照URLにもできません。
 
1次資料であるOsho関連のサイト、書籍からの情報は、客観性のある事実(例、グループセラピーの分類、各種瞑想のアシュラムでの開始時間など)以外の内容(著名人の評価)は載せられません。
 
いま一度ご確認のほど、どうかよろしくお願いします。
--[[利用者:Itou masayuki|Itou masayuki]]([[利用者‐会話:Itou masayuki|会話]]) 2020年11月13日 (金) 01:41 (UTC)
 
 
Itou様 これまで私自身が追記した内容も、厳密にはどうなるのか忸怩たるところはありますが、基本、Itou様の具体的なご提案に賛成同意させていただきます。--[[利用者:Bhavesh|Bhavesh]]([[利用者‐会話:Bhavesh|会話]]) 2020年11月13日 (金) 02:45 (UTC)Bhavesh
 
 
***
 
Bhaveshさま
 
お気持ちはわかりますが、どうかよろしくおねがいします。wikiの過去の履歴のチェックの仕方もようやくわかってきました。
過去のバージョンは見ると、 2020年4月29日 (水) 17:01‎版( MICCAgoさんが少し書き込みや削除をした時点での版)はこの原則を満たした脚注(情報源)になっていると思います。
--[[利用者:Itou masayuki|Itou masayuki]]([[利用者‐会話:Itou masayuki|会話]]) 2020年11月13日 (金) 03:36 (UTC)
 
 
Itou wikipedia --[[:Bhavesh|Bhavesh]][[:Bhavesh|]] 20201113 () 03:46 (UTC)Bhavesh
 
:Itou 様、Wikipediaの参考資料に目を通しました。分野によって基準が変わるということで、なかなか難しいところがあります。<br>
: Itou さんの投稿を手がかりにして、いくつかの記述(脇坂、ロバートソン、足沢の数ヵ所、ヒンドゥー教の本が出典)を理由を示した上で削除しました。しかし、後になって Itouさんが公表されてから一週間たっていないことに気づき、可能なものは元に戻しました。しかし、他の編集と競合して戻せないものもいくつかありました。詳しい経緯は編集履歴で確認することができます。とりあえず、ご報告まで。 [[利用者:Drachma12|Drachma12]]([[利用者‐会話:Drachma12|会話]]) 2020年11月13日 (金) 07:09 (UTC)
 
***
:Drachma12さま
1wikipedia
 
3使使
--[[利用者:Itou masayuki|Itou masayuki]]([[利用者‐会話:Itou masayuki|会話]]) 2020年11月13日 (金) 10:16 (UTC)
 
::Itou<br>
:::{{sfn||1995|pp=46-47}}<br>
::上記の一節です。同様のもう一ヶ所は元に戻せました。 [[利用者:Drachma12|Drachma12]]([[利用者‐会話:Drachma12|会話]]) 2020年11月13日 (金) 10:51 (UTC)
 
上記はWikipediaの執筆者が途中を省略したもので、その点でも誤解を招きやすい表現になっていると考えました。全文では次のようになります。<br>
-----
::人間の真の覚醒というテーマに、きわめて忠実であったラジニーシのスローガンは、悟りへの道のためなら「何をやってもよい」ということでもあった。<br>
:: それを真摯に具体化しようとすればするほど、一部の先進国の若者や知識人を中心に称賛される反面、性道徳や社会秩序を破壊する危険思想家として見なされることにもなった。
---- [[利用者:Drachma12|Drachma12]]([[利用者‐会話:Drachma12|会話]]) 2020年11月13日 (金) 11:20 (UTC)
 
::***
::Drachma12さま
使1970197080
--[[利用者:Itou masayuki|Itou masayuki]]([[利用者‐会話:Itou masayuki|会話]]) 2020年11月13日 (金) 11:30 (UTC)
 
::Itou 8<br>
-----
アシュラムでフリー・セックスを含むヨーガの臨床実験(ダイナミック・メディテーションやクンダリーニ・メディテーションなど)を繰り返した
-----
::WikipediaWikipedia
------
その一方、覚醒のためなら「何をやってもよい」というスタンスは、性道徳や社会秩序を破壊すると危険視された[1]。
-----
::説明が錯綜してご迷惑をおかけします。 [[利用者:Drachma12|Drachma12]]([[利用者‐会話:Drachma12|会話]]) 2020年11月13日 (金) 11:59 (UTC)
 
== 改善のための削除箇所の合意形成とその期間 ==
 
現在のページの文章は、出典元があるとはいえ、その内容は公平性に欠け、百科事典の客観性に耐えうるものではないことがすでに判明しています。今後、改善していくためには、Itouさんが掲げた編集方針に沿うことがベストであると考えます。『現代宗教事典』の中の「ラジニーシ運動」のような客観性の高い記述が求められています。<br>
すでに現在のページの問題のある削除箇所までItouさんより提示されており、その理由も上記に明示されています。<br>
 
問題箇所の削除に当たり、Wikipediaでは合意形成と期間に関して、以下のようなガイドラインが明記されています。↓<br>
[https://ja.m.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%90%88%E6%84%8F%E5%BD%A2%E6%88%90 Wikipedia:合意形成]<br>
 
'''「合理的な期間〔通常は168時間程度(約7日間=約1週間)が妥当でしょう〕内に異論がなければ、提案がそのまま決定事項となります。透明性を確保するため、合意はウィキペディアの議論のページ以外では成されることができません。」'''<br>
 
このWikipediaのガイドラインに従い、提案された削除箇所に関して、1週間を経過して異論が出ない場合は承諾されたものとみなし、決定事項により削除が可能となります。どなた様も、予めご了承ください。<br>
 
※その提案から一週間を経ないで削除に取り掛かりますと、合意形成を無視したフライングになってしまいます。以前の記述者に敬意を払わないカタチとなってしまいますので、先走りによる失礼のないように、くれぐれもご注意ください。<br>
 
※また、ここのノートで問題箇所の削除に関する提案を行わずに、一方的に大幅な削除を行いますと、どのような理由であれ「荒し行為」とみなされてしまいますので、絶対におやめください。
 
もし今後、さらに削除した方がいい問題箇所がある場合には、以下のコーナーにまとめて記入していただくと、編集が散漫にならずに進行することができます。<br>
 
●の後に、その「目次」と「削除箇所」、「削除理由」等を明示して、告知から1週間待って異論がない場合は同じく了承を得たものとなり、決定事項として削除することが可能となります。また、その実行の際には、下部の「編集内容の要約」を必ず記入して、改善ポイントを示すと、後の人が検証しやすくなります。 --[[利用者:DY111|DY111]]([[利用者‐会話:DY111|会話]]) 2020年11月13日 (金) 08:19 (UTC)
 
***
 
 
 
 
== 本辞典項目編集のための学術論文データの提供 ==
 
ライター、ジャーナリストによる記述を削除したあとの作業となります。
 
 
文章中の別の研究者の引用を含め、文章中の表現、評価など、もし使えそうなところがあればご自由にご利用ください。
 
以下、長文たいへん失礼します。
 
***
 
伊藤雅之著『現代社会とスピリチュアリティーー現代人の宗教意識の社会学的探究』(渓水社、2003年)所収 pp.63-86
 
 
4 章 和尚ラジニーシ・ムーブメントの歴史的展開——制度化と脱制度化を軸として——
 
 本章の目的は、ニューエイジが理想として掲げる世界観や担い手のあり方が実際の場面においてどのような様相を呈しているのか、つまり実践形態の軌跡を究明することにより、ニューエイジが抱えうるジレンマを考察することである。具体的には、和尚ラジニーシ・ムーブメントを事例として取り上げ、その歴史的変遷を論述する。本章のねらいは、この運動の具体的な分析を通じて、ニューエイジの実践の場における制度化への抗(あらが)いがたい動き、ゆるやかなネットワーク作りをめざしながらも組織宗教へと変貌していく傾向、また自立性を重んじながらも他者への排他的なコミットメントに陥りがちな担い手のジレンマなどを描きだして、ニューエイジに対する多元的な理解を試みることである。
 
 
1 ニューエイジと反ニューエイジの連続性
 
: 「ニューエイジ」「精神世界」の語が一般に流布してはや20年近くになる。ニューエイジは先進資本主義諸国を中心に広がる新しい宗教文化の総称として把握できる。1章で概観したように、このニューエイジには、多種多様な(ときには相矛盾する)信念や実践、また大小さまざまな団体、ワークショップが含まれている。なかには、個人の意識変容や自己のスピリチュアリティの重要性を支持しつつ、ニューエイジャーとしての自覚をもたない人々や、そのようなレッテルを貼られることを嫌う人たちもいる。しかし、おおまかな輪郭をもつニューエイジの一般的特徴を指摘することは可能であろう。筆者は、ニューエイジの3つの分析レベル、すなわち、世界観、実践形態、担い手の意識に関する特質に着目し、「ニューエイジとは、ホリスティック(全体論的)な世界観をもち、ゆるやかなネットワークをその実践形態とし、その担い手たちは自立性を重んじながら意識変容をめざす現代的な宗教現象である」と定義した(本書1章参照)。
: 
: 和尚ラジニーシ・ムーブメント(Osho Rajneesh Movement、以下ORMとする)はニューエイジの特徴と動向のいくつかを捉える格好の素材である。創始者のラジニーシは、組織宗教を痛烈に批判し、人々が「自分自身になる」必要性を説いた。また、その担い手たちは、ORMが「宗教」と捉えられることを嫌い、自分たちが直観に基づくスピリチュアルな意識変容をめざしていると主張する。さらに、「精神世界」の本のコーナーに置かれたラジニーシの本がきっかけとなって、ニューエイジの世界に入っていった人々のケースも報告されている(樫村・福田1999)。
: ORM1ORMORM12ORM3ORMORM4ORM5ORM
 
2 ラジニーシの世界観
 
: ()enlightenmentegosocial conditioning()
: 1231
: ()調
 
::::Courtis 1991:63
 
:このように、ラジニーシはホリスティックな世界観を掲げ、また他のニューエイジ言説においても少なからず強調されるように、善悪の価値判断を相対化する傾向にある。
: sannyasin調
: サニヤシンになるということは、何か新たな信念体系を獲得することでもなければ、個人的な所有物を放棄することでも、また特定の人物に追随することでもないという。ラジニーシは師弟関係の意義を話すなかで、「明け渡し/サレンダー(surrender)」の意味をつぎのように語っている。
 
::Rajneesh 1984:304
 
:
: ()調1999:87
 
 
3 具体的アプローチ——瞑想とグループ・セラピー——
 
: 
: 瞑想の実践に加え、ラジニーシは弟子たちに欧米で発達したグループ・セラピーや個人セッションに参加することを薦めた。インド・プーナのアシュラム(ashram、「道場」の意味)や世界各地の瞑想センターでは各種のセラピーが提供されている。これらのセラピーの大半は、欧米で60年代後半から70年代にかけて広がったヒューマン・ポテンシャル運動(Human Potential Movement、以下HPMと記す)に由来するものである(注1)。70年代にHPMにかかわる多くのセラピストたちが、その新しい可能性を求めてラジニーシのもとに集まり、セラピーを行うようになった。アシュラムでは数日から6週間にわたる多様なプログラムが提供されている。
: ORM2122
: ORMGrowth Center70FitzGerald 19862ORM
 
 
4 ORMの担い手の特徴
 
: 多くの研究者は、ORMの担い手の国籍、経済的背景、学歴に関して共通の報告をしている。サニヤシンの大半は先進資本主義諸国の20代後半から40代の人々である。彼らは中流の中から上の家庭に育ち、その学歴はきわめて高いという。サニヤシンの総数に関する見解はさまざまだが、サニヤシンは世界中で約3万人、日本で約3000人いると筆者は推定している。ORMの担い手の特徴の1つは、サニヤシンたちがORM以外のニューエイジの諸活動、ネットワークとも密接にかかわっている場合が多い点にある。この傾向が強いのは、ORMに排他的にコミットメントする人たちが少ないこととして理解できる。
 サニヤシンの社会意識に関しても興味深い考察がなされている。ウォリスは、1977年当時にラジニーシと面会した39人の訪問者の記録を分析し、その職業的特徴をつぎのように論じている。
 
::彼らは圧倒的に中流の特徴をもつのみでなく、その職業は専門職、準専門職や技術職から成り立っている。業種は圧倒的にクリエイティブなものか、ほかの人々へのサービスを主要な役割とする(特に人間性発達にかかわる)ものである。(Wallis 1986:201)
 
:1994()調西
: ORM
: ORMORM
 
 
5 ORMの実践形態の歴史的変遷
 
: ラジニーシとその弟子たちが展開したORMは、変化の激しさと一貫性の欠如をその特徴としている。ムーブメントは世界各地に広がりその流動性が高いので、一概にORMの歴史を論じることは困難である。本節ではおもに社会学的な研究成果に依拠しながら、ORMの理解を試みることとする。以下では、ORMの歴史を本拠地の移転や実践形態の変化などに基づき、1)初期(1973年以前)、2)第1プーナ期(1974—1981)、3)オレゴン期(1982—1985)、4)第2プーナ期(1986—1989)、5)ポスト・ラジニーシ期(1990—現在)の5期に区分して論じていく。
 
 
(1)初期(1973年以前)——思想家からグルとしてのラジニーシへ
 
: 1931121119533212160
: 6066704 ORM
: 70年からラジニーシは正式にイニシエーションを授けるようになる。イニシエーションを受けた人たちは、新しいサンスクリット語の名前が授けられ、また弟子の条件として伝統的なオレンジ色のローブ(のちに赤系統の服となる)とマラ(ラジニーシの写真入りのロケットをつるした数珠(じゅず))を絶えず身につけるようになった。71年にはラジニーシは名前を変える。それまで彼は、アチャリヤ・ラジニーシ(ラジニーシ先生)として知られていたが、新しいタイトルとして「祝福された者」あるいは「神」を意味する「バグワン」(Bhagwan)が選ばれた。それから先の89年までの18年間、ラジニーシはバグワン・シュリ・ラジニーシ(shree は「氏」を意味する)として知られるようになる。さらに72年には、彼が21歳の時に体験した自らの最終解脱の様子を初めて弟子に語り、「光明を得た」マスターとなったのである。
: 70guruORM西
 
 
(2)第1プーナ期(1974—1981)——アシュラムの形成と制度化の進展
 
: 1974年、ボンベイの南東130キロに位置する高原都市プーナ(Poona)の郊外に2万平方メートルの敷地をもつアシュラムが開かれた。この頃から、サニヤシンのなかで欧米人が圧倒的な割合を占めるようになっていく。当初は、インドを旅していた欧米のヒッピーや精神世界の探求者たちが旅の途上でラジニーシと出会い、惹かれていった。それに続いて、ヒューマン・ポテンシャル運動にかかわっていた相当数のセラピストたちが、スピリチュアリティの新たな発展の可能性を求めてラジニーシのもとに集まりだした。彼のもとを訪れるセラピストの数が増えるにつれて、今度は新しい心理学の流れに興味をもつ人たちがアシュラムを訪れるようになる。プーナ・アシュラムは、対抗文化の影響を受けた欧米人が集まり、各種セラピーを実践する一大実験場となっていった。
: ORM76300050002500035000Carter 1990:581西36
: しかし、著しいメンバー数の増加の結果として、ラジニーシは少数の弟子たち以外と個人的に接することが困難になっていく。メンバーの急激な増加により、ムーブメントは2つの世界、「すなわち、信者の世界と、創始者とその側近の世界」(Johnson 1992:4)に分断されていくことになる。このような宗教の制度化は、ラジニーシの健康状態の悪化により加速度を増していく。70年代中頃から、ラジニーシはアシュラムの組織運営から徐々に身を引くようになり、数人の中心的な西洋人サニヤシンがアシュラムの運営を担当した。
: 70年代後半になると、数ヵ月から数年間プーナに滞在したサニヤシンが自国に戻り瞑想センターを開きはじめる。80年には世界中で大小さまざまな規模の200の瞑想センターが開設された。また、ラジニーシの講話録が各国で翻訳されはじめた。日本で最初の瞑想センターは75年に東京近郊にオープンし、81年までには全国に11の瞑想センターが開設される。77年になると最初の翻訳が出版され、80年までにはさらに7冊が翻訳される。81年までには『存在の詩(うた)』(めるくまーる社)を含む8冊の合計が8万部以上売れ、本を通じてラジニーシの存在を知る日本人が増加していく。
: 
: ORM81
: 以上考察してきた第1プーナ期においては、アシュラムや各国の瞑想センターはゆるやかなネットワークによってつながっており、厳格な組織やヒエラルキーを構成していたわけではない。だが、ORMの制度化がある程度進行していったことがうかがえる。サニヤシンの人数が増加しアシュラムが一旦形成されると、そこでは社会化のメカニズムが働く。ラジニーシのビジョンを具体化する過程で、ORMは当時の欧米人たちがもたらしたヒッピー文化を色濃く反映することになったのだ。また、アシュラムでのセラピーは、ORM独自の新しい倫理と関係性のパターンをメンバーに教育する機能を果たしていたといえるだろう。つまり、サニヤシンたちは何の価値観ももたず瞬間瞬間をトータルに生きることや、「自分自身になる」ことを理想として希求する一方、ORM流のライフスタイルを学び、さらにラジニーシと彼の共同体にある程度コミットメントしていくことになったのである。
 
 
(3)オレゴン期(1982—1985)——ORMの組織宗教への変貌
 
: 1981尿ORMORM2ORMORM
: 6400023818Rajneeshpuram82715000
: これまでゆるやかなネットワークを作っていたORMは、この時期になると確固としたヒエラルキーをもつ組織宗教へと変貌し、各種の制度化が進展していく。83年には『ラジニーシズム——バグワン・シュリ・ラジニーシとその宗教の紹介』と題された小冊子が10数か国語で出版された。そこでは、ORMが「宗教」であると宣言され、ラジニーシの教えが経典化されている。また、ORMにおける聖職者の資格とガイドラインも規定されている。さらに、この小冊子に記されている(ラジニーシとその教えと彼の共同体への帰依を示す)「ガッチャミ」の儀式は、オレゴン共同体と各国の瞑想センターで実践されるようになった。
: 2000123調worship
: ORM110ORM85110ORMORM
: ORM150085910FBIORM5575045西Carter 1990
: シーラとその直属の部下たちがコミューンを去った後、組織運営に関するいくつかの変更がなされた。コミューンの一部の土地がもとの住人に売り戻され、また、これまで行われていたサニヤシンの服装の色の制限もなくなった。さらにラジニーシの教えをまとめた小冊子『ラジニーシズム』は処分された。しかし、こうした脱制度化の動きも長くは続かなかった。シーラたちが去った約1ヵ月後、今度はラジニーシ自身が数人の弟子たちと共にコミューンを去り、国外逃亡を試みた。彼らは、給油先のノースキャロライナ・シャーロット空港で逮捕された。司法取引の結果として、ラジニーシは告訴されていた34の罪状のうち移民管理局への偽証に関する2つの罪を認めることや、今後5年間アメリカに入国しないことなどを条件に釈放され、11月14日アメリカを去った。その2週間後、コミューン運営者はラジニーシプーラムがもはや経済的に機能しないことを宣言し、コミューン閉鎖の意向を表明した。ここに約4年間におよぶアメリカでの実験的な試みが終了したのである(こうした一連の不祥事にもかかわらずORMにとどまった人々の心境については5章で扱う)。
: ORM3
 
 
(4)第2プーナ期(1986—1989)——脱制度化とゆるやかなネットワーク
 
: ラジニーシプーラムの崩壊により、多くのマス・メディアはORMの終焉(しゅうえん)を報道した。しかし、ORMはコミューンの解体後も存続していく。ラジニーシはネパール、ギリシャ、スペイン、ウルグアイなどの数か国を訪問した後、86年7月にはボンベイに、そして87年1月にはプーナに戻る。つぎの3年間、彼はほぼ毎日の講話を行い、年間約1万人の訪問者がアシュラムを訪れた。87年以降、ラジニーシの講話の題材はすべて禅語録から選ばれるようになる。その影響もあるのだろうか、この時期日本人の訪問者が増加した。
: この時期の実践形態は、70年代後半のプーナでの状況に類似する。オレゴン期の中央集権的な体制に代わって、各国、各瞑想センター独自の展開が世界各地でみられるようになった。大規模な国際的コミューンに代わって、サニヤシンのネットワークを重視する小規模なグループが各国に散在するようになる。日本でも東京にあったコミューンは87年に解散となり、各地に再び瞑想センターが誕生しはじめた。89年までには日本各地に大小さまざまな15の瞑想センターがオープンしたが、それらは各センターのコーディネーターによって独自に運営されるようになっていく。オレゴンや各国のコミューンで共同生活を送っていたサニヤシンたちも、世俗の職業につきながらORMとかかわっていくことが主流となり、ORMのセクト的な特徴は徐々に薄れていった。
: この時期、ラジニーシの役割も新しいステージに移行していく。シーラらの組織運営者たちが去った後のオレゴン期から、ラジニーシはサニヤシンたちに、自らが「友人」であり、一宗教のリーダーではないことを繰り返し語った。89年1月には、ラジニーシはバグワン(「祝福された者」「神」)のタイトルを落とし、同年9月には名前のラジニーシも落とし、ただ「オショー(Osho)」と呼ばれるようになる。この言葉は、日本語の「和尚」から取られたわけだが、そこには権威主義的な意味合いや、組織的な上下関係が含まれないような配慮がはたらいていた。当然のことながら、「光明を得た」マスターとサニヤシンの間に、一般的な意味での友人関係が成立したわけではない。サニヤシンたちがラジニーシを覚者として崇敬し、彼にある程度コミットメントしていたことは否定できないであろう。だが、この時期のORMは、サニヤシンのグルへの無条件の服従や全面的にコミットメントする傾向を解消する方向に動いていったのである。
: このように第2プーナ期のORMは、宗教の脱制度化の方向へ転換していった。また、サニヤシンたちはゆるやかなネットワークを重視するようになり、組織的な動きに警戒心をもつようになった。つまり、自らの掲げるニューエイジ的な理念にそれほど矛盾しない形で、ORMは展開していったのである。
 
 
(5)ポスト・ラジニーシ期(1990—現在)——クライエント・カルトとしての発展
 
: 1990年1月19日、ラジニーシは心臓発作のため59歳で死去した。その後、ラジニーシに後継者はおらず、ORMは古参のサニヤシンが中心となって運営されている。一見したところ、ORMはラジニーシの死後も順調に機能しているように見える。新しいメンバーのイニシエーション、各国の瞑想センターの諸活動、ラジニーシの講話録の出版は、彼の死後も国際的な規模で展開しているからだ。
: しかし、カリスマ的な指導者の死後、ORMのあり方が変容したのはいうまでもない。たとえばラジニーシが生きていた当時は、「サニヤス/イニシエーションを受ける」とは「彼の弟子になること」を意味していたが、彼の死後、その意味が変化した。オショー・アカデミー・オブ・イニシエーションが91年以降に発行する、サニヤシンの申込書にはつぎの文章が書かれている。
 
::
 
:このように、ポスト・ラジニーシ期におけるイニシエーションは、個々人が自分の人生に対する新たな決意をする機会としての意味合いが強くなっている。サニヤシンたちは、ラジニーシの死によって彼への排他的なコミットメントが弱まり、これまで以上に自己責任を重視し、自らの判断によって行動することを求められるようになったのである。
: ポスト・ラジニーシ期のORMは、「クライエント・カルト」(Stark and Bainbridge 1985:26)として理解できるだろう。すなわち、サービスの提供者はある程度の組織性をもつが、その受け手であるクライエント(この場合、サニヤシン)は組織だっておらず、その関与も部分的で、他の宗教運動や組織にコミットメントしている場合もあるということだ。ラジニーシに対する特別な尊敬や愛着をもたず、自己の功利的な目的のためにセラピーや瞑想に参加する訪問者が今後とも増えていくと考えられる。
 
 
6 ニューエイジの理想と現実のはざまで
 
: ORM調
: ORMORM3
: 1使ORM()
: 23ORM2
: 3調 1998ORMORM
: 以上まとめたORMの事例研究が示唆する3つのジレンマは、どこまでニューエイジ全般に一般化できるのだろうか。多種多様な思想、実践の総体であるニューエイジのなかには、このような思想的ジレンマに直面しないネットワークや、これらのジレンマを巧みに解消するメカニズムを有する団体が数多く存在するかもしれない。また、同じ思想的ジレンマを抱えたとしても、ORMと同様の歴史的変遷をたどるとはかならずしもいえないだろう。しかし、「いま、ここ」や「本当の自分」や「個人の意識変容」の重視が、きわめて多くのニューエイジ運動で強調されていることも事実である。本章で示唆した3つのジレンマの有効性と適応範囲に関しては、今後の諸研究の成果を待つことにしたい。
 
 
注 
 
1Stone 1976; Wallis 1985
2ORM80
(3)オレゴン期における、コミューン内外での葛藤に対する社会心理学的分析として、Latkin(1992)が挙げられる。
 
:Carter, Lewis. 1990. Charisma and Control in Rajneeshpuram: The Role of Shared Values in the Creation of a Community. Cambridge, UK: Cambridge University Press.
:Courtis, Mary. 1991. “Self Transformation and Gendered Experience Among Rajneesh Sannyasins and Ananda Margiis.” Doctoral dissertation, University of Oregon.
:FitzGerald, Frances. 1986. Cities on a Hill: A Journey Through Contemporary American Cultures. New York: Simon and Schuster. 
:Gordon, James. 1987. The Golden Guru: The Strange Journey of Bhagwan Shree Rajneesh. New York: Stephen Greene Press.
:Johnson, Benton. 1992. “On Founders and Followers: Some Factors in Development of New Religious Movements.” Sociological Analysis, 53(S): 1-13.
:Joshi, Vasant. 1982. The Awakened One: The Life and Work of Bhagwan Shree Rajneesh. New York: Harper & Row. =1984 スワミ・プレム・プレブッダ訳『反逆のブッダ——バグワン・シュリ・ラジニーシの軌跡』めるくまーる社
:小池靖 1999 「カルト・個人主義・現代の呪術」庄司興吉編著『共生社会の文化戦略』梓出版
:Latkin, Carl. 1992. “Seeing Red: A Social-Psychological Analysis of the Rajneeshpuram Conflict.” Sociological Analysis, 53(3): 257-71.
:Latkin, Carl, Norman Sundberg, Richard Littman, Melissa Katsikis, and Richard Hagan. 1994. “Feeling After the Fall: Former Rajneeshpuram Commune Members’ Perceptions of and Affiliation with the Rajneeshee Movement.” Sociology of Religion, 55(1): 65-73.
:Melton, Gordon. 1985. “Spiritualization and Reaffirmation: What Really Happens When Prophecy Fails,” American Studies, 26(2): 17-29.
:Rajneesh, Bhagwan Shree. 1975. Tantra: The Supreme Understanding Poona, India: Rajneesh Foundation. =1977 スワミ・プレム・プラブッダ訳『存在の詩』めるくまーる社
:Rajneesh, Bhagwan Shree. 1983. Tao: The Three Treasures (Volume One). Oregon: Rajneesh Foundation International. =1995 スワミ・プレム・プラブッダ訳『TAO 老子の道(上)』めるくまーる社
:Rajneesh, Bhagwan Shree. 1984. The Book: An Introduction to the Teachings of Bhagwan Shree Rajneesh (Series Ⅲ). Oregon: Rajneesh Foundation International.
:Stone, Donald. 1976. “The Human Potential Movement.” Pp. 93-115 in C. Glock and R. Bellah (eds.), The New Religious Consciousness. Berkeley, CA: University of California Press.
:Wallis, Roy. 1985. “The Dynamics of Change in the Human Potential Movement.” Pp. 129-56 in
:Wallis, Roy. 1986. “Religion as Fun? The Rajneesh Movement.” Pp. 191-224 in Sociological Theory, Religion and Collective Action. Belfast: Queen’s University Press.
 
--[[利用者:Itou masayuki|Itou masayuki]]([[利用者‐会話:Itou masayuki|会話]]) 2020年11月13日 (金) 12:45 (UTC)
 
== 虚偽の引用を発見しました、許されません ==
 
「思想と活動」という大項目の下に「セックスとタントラ」という小項目があり、次のような記述があります。
------
弟子たちの自己啓発の探求には、多くの異なる相手とたくさんのセックスをすることが含まれていた[44]。
------
(原文)
In its heyday, Sydney and Western Australia had sizeable Rajneesh communities.
 
(ココカラ→)Its members' quest for enlightenment also involved having lots of sex with many different partners. (←ココマデ) Or so the story goes.
 
"As far as I know, there were no great orgies or anything but if there were I missed out," joked Azti,
 
 
Or so the story goes. 噂ではそういう話だ。
↑これを訳していません。
 
次の段落もこの編集者は訳していません。拙訳ではこうなります。
 
「僕の知るかぎり、乱交のようなものはなかったですが、もしかしたら見逃したのかもしれません」とアズティ(弟子)は笑いながら言った。
 
 
さらに付け加えると、上記の英文の第一段落では、当時、シドニーと西オーストラリアにはかなり大きなラジニーシのコミュニティがあったと言っています。つまり、「弟子たち」ではなく「そのメンバーたち」です。オーストラリアのコミュニティのメンバーのあいだにそういう噂があった、ということです。この引用のしかただと、オレゴンやプーナのことになってしまいます。このへんはこの編集者の読み間違いでしょうね。
 
いずれにせよ、このような重大な虚偽記載は許されるものではありません。
 
https://www.smh.com.au/national/wild-wild-country-australian-tells-of-life-on-rajneesh-sex-cult-commune-20180519-p4zgal.html [[利用者:Drachma12|Drachma12]]([[利用者‐会話:Drachma12|会話]]) 2020年11月15日 (日) 15:45 (UTC)
 
 
***
 
ライター、ジャーナリストによる一般雑誌からの引用はすべて削除ということで合意ができつつあります。そうなれば、ご指摘の箇所は、その内容が正確かどうかにかかわらず、信頼性の乏しい根拠資料からの採用ということですべて削除になります。
--[[利用者:Itou masayuki|Itou masayuki]]([[利用者‐会話:Itou masayuki|会話]]) 2020年11月16日 (月) 00:04 (UTC)
 
Itou [[:Drachma12|Drachma12]][[:Drachma12|]] 20201116 () 02:37 (UTC)
 
== 最悪を想定して、最善を望む ==
 
ちょっと個人的な経験ですが・・・私は以前にこのページを拝見して愕然となり、Wikipedのルールもよく知らないまま、ノートの意見交換の存在意義もよく理解しないままに、大幅な削除とリライトを来歴まで行いました。その後、ある方から版を一気に戻され、半保護の指定を受けてしまいました。それに関してはルール違反を行った私に非があるので、反省しています。<br>
 
さて、その時にリライトまで行ったので、上の段の議題テーマで記載されているDrachma12さんの指摘がよくわかります。それは氷山の一角です。<br>
<br>
 
現在はこのノートで合意形成を図りながら、ルールに則って改編作業に入っているところです。これから削除を一気に行いますと、編集フィルターに引っ掛かってしまいます。実際には必要な編集作業であっても、そのような人が何人か出てきますと、時を見計らって、また一気に版を戻された上で、保護申請による今度は3ヶ月編集禁止に持ち込まれてしまいかねません。<br>
合意形成の手順を踏んでいる妥当な編集であっても、荒らし行為が行われていると張本人は主張することでしょう。<br>
 
'''Wikipedia'''<br>
 
 
■編集に参加されている皆様へ。<br>
もっとも賢い手順は、客観性の高い出典付きの文章を加筆していくことを先に行う手順です。それであれば、誰も元へは戻せません。その後に、削除に取り掛かる方が賢明といえましょう。この場合、文章の流れや整合性がとれにくい部分も発生しますが、時間をかけてリライトすれば問題ないと思います。<br>
 
通常の本来の改編の流れから入る場合は、削除から着手することになりますが、編集フィルターに引っ掛からない範囲で行うのが賢明かと思われます。よろしくお願いいたします。<br>
 
■監視されている管理人の方へ。<br>
WikipediaWikipedia<br>
 
■興味で観ている第三者の皆様へ。<br>
ノートの討論などが多いので、興味をもって観察に来ている方も結構いらっしゃるかと思います。通常、そのテーマに関して、専門家の方が登場されることは稀と思いますので、辞典の執筆の場合、何か重要で、何が編集方針となり、どのような手法で記述されるのかをここから吸収されて、関わっているテーマに応用されますと、Wikipediaへのさらなる貢献ができることと思います。<br>
 
老婆心から口幅ったいことを申し上げましたこと、どうぞお許しください。 --[[利用者:DY111|DY111]]([[利用者‐会話:DY111|会話]]) 2020年11月17日 (火) 06:31 (UTC)
 
:DY111<br>
:Wikipedia Linux <br>
: [[:Drachma12|Drachma12]][[:Drachma12|]] 20201117 () 07:28 (UTC)
 
::Drachma12様、まったくもって同感です。オープンソースのコピーレフトにより、良心をもとに協働で編集していけるクリエイティブな世界が本来のWikipediaの世界であり、精神であると思われます。それが極端な偏向記事で内容を固め、新しい改善の提案を頑なに拒んで固定化を図ろうとしてきた流れが直近までありました。現在は静かに同意されているカタチになっていますが、以前の偏向内容に戻される危惧がまったく消えたわけではありません。Wikipediaの細かなルールを悪用して、固守のために手段を択ばない、ということもあり得ます。<br>
::Wikipedia --[[:DY111|DY111]][[:DY111|]] 20201117 () 09:48 (UTC)

2023年8月7日 (月) 09:47時点における最新版


アメリカ時代の記述について

[編集]

nnh 12:08 2004417 (UTC)

--Setu 12:36 2004418 (UTC)

16--Bhavesh.jp 20201025 () 07:22 (UTC)Bhavesh.jp

Rajneeshpuram2--Bhavesh 20201110 () 02:10 (UTC)Bhavesh

バイオテロリズム?

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 Kadzuwo 2009320 () 06:35 (UTC) http://www.google.co.jp/search?hl=ja&safe=off&num=100&q=%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%82%B7+%E3%83%8D%E3%82%BA%E3%83%9F%E3%83%81%E3%83%95%E3%82%B9%E8%8F%8C

 2





--Bhavesh.jp 20201025 () 07:25 (UTC)Bhavesh.jp

--Bhavesh.jp 20201026 () 02:32 (UTC)Bhavesh.jp

「Osho」という呼称について

[編集]

Osho

1

22使""OSHOOSHO

3使

4

5

6

 




--PurpleCarpenter 20101016 () 17:34 (UTC)

--Mait 201139 () 04:56 (UTC)

  OshoWikipediaOsho Anand Sanatano 20201017 () 15:35 (UTC)

197431988814使1989使使199030--Bhavesh.jp 20201018 () 19:42 (UTC)Bhavesh.jp

PurpleCarpenterOSHO--MICCAgo 20201019 () 10:47 (UTC)

197419881432MICCAgo--Bhavesh.jp 20201021 () 11:59 (UTC)Bhavesh.jp

--PurpleCarpenter 20101016 () 17:34 (UTC) 102020101830MICCAgo1018111--Bhavesh.jp 20201023 () 04:35 (UTC)Bhavesh.jp

--MICCAgo 20201021 () 12:51 (UTC)

Wikipedia:--MICCAgo 20201021 () 13:04 (UTC)

Osho1Osho/OshoWikiOsho--Swachid 20201022 () 00:07 (UTC)

1990Osho

Osho Osho

2 Osho 

RajneeshOsho Osho

 Rajneesh

Osho RajneeshOzen Rajneesh https://ozenrajneesh.com/ozen-swami-rajneesh/

 Setu 20201023 () 06:15 (UTC)


SanatanoMICCAgoSwachidSetu--Bhavesh.jp 20201024 () 10:18 (UTC)Bhavesh.jp

MICCago4Wikipedia 
Osho ページと比較しますと、記載内容に大きな隔たりがあります。Oshoの存在を考慮しますと、世界各国で共有でき、かつ国際的な記載のあり方は求められて然るべきでしょう。現在、すでに記事については改編がされ、偏りのない正確なものとなっており、記事内容からもページタイトルはOshoとするのが正しいかと考えます。 ShiningStar1979会話2020年1024日 (土) 11:43 (UTC)

MICCago4Wikipedia

Osho OshoOsho ShiningStar1979 20201024 () 11:49 (UTC)

  --Bhavesh.jp 20201024 () 12:05 (UTC)Bhavesh.jp

OSHO InternationalOSHO JapanOSHO ShiningStar1979 20201025 () 00:43 (UTC)

OSHO wikipedia Osho   20201025 () 01:16 (UTC)

Osho--Bhavesh.jp 20201025 () 01:39 (UTC)Bhavesh.jp

Osho ShiningStar1979 20201025 () 03:20 (UTC)

Osho--MICCAgo 20201025 () 13:29 (UTC)

  Google Scholar"Bhagwan Shree Rajneesh" 1,860"Osho Rajneesh"353Osho Rajneesh1,390Bhagwan Shree Rajneesh2,000Bhagwan Shree Rajneesh--Strangesnow 20201025 () 21:04 (UTC)--Strangesnow 20201025 () 20:56 (UTC)

OSHO  Osho   20201025 () 22:33 (UTC)

  20201025 () 22:56 (UTC)

  OshoOSHO使Bhagwan Rajneesh -Osho1,790Osho Rajneesh -Bhagwan647--Strangesnow 20201025 () 23:16 (UTC)

Strangesnow--Bhavesh.jp 20201026 () 02:29 (UTC)Bhavesh.jp


Google Scholar
Bhagwan Shree Rajneesh  2,000 
Osho          13,000 
Osho6Google Scholar
Google

Bhagwan Shree Rajneesh  519,000  
Osho         20,900,000 

  45,400 
  104,000 
Osho--DY111 20201027 () 07:36 (UTC)

RajneeshOshoOsho RajneeshGoogle--Whatsfb 20201027 () 07:57 (UTC)

Whatsfb調Google10

--DY111 20201027 () 08:53 (UTC)

調RajneeshRajneeshGoogleOshoOsho Rajneesh--Whatsfb 20201029 () 13:51 (UTC)

Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%88%A9%E4%BC%91

使 --DY111 20201027 () 08:12 (UTC)

  WhatsfbGoogle ScholarWikipedia:Wikipedia:--Strangesnow 20201029 () 08:38 (UTC)




Strangesnow1Google ScholarOsho

Wikipedia:Google 

Osho30OshoOsho使Osho

--DY111 2020112 () 08:32 (UTC)
--Strangesnow 2020113 () 14:29 (UTC)

StrangesnowOSHOOSHOOsho     2020114 () 11:25 (UTC)

  () WP:CRITERIA--Strangesnow 2020116 () 03:11 (UTC)




Osho--Bhavesh 20201116 () 19:34 (UTC)Bhavesh



197489Rajneesh30使Osho使2

1Osho1974Osho

Lisellote FriskGoogle scholarhttps://www.diva-portal.org/smash/get/diva2:520837/FULLTEXT01.pdf

2wikipediaOshoOshoOsho

21 

--Itou masayuki 20201117 () 00:18 (UTC)

コメント Wikipedia: (WP:CRITERIA) OSHO  --Strangesnow 20201117 () 00:39 (UTC)


ItouStrangesnow1989Osho30WikipediaitouStrangesnow--Bhavesh 20201117 () 03:50 (UTC)Bhavesh

コメント BhaveshOsho--Strangesnow 20201117 () 04:56 (UTC)


Strangesnow Rajneeshpuram--Bhavesh 20201117 () 05:38 (UTC)Bhavesh

使

OshoOshoOSHO ®使

OshoOSHO® Drachma12 20201117 () 07:47 (UTC)

  Wikipedia:#Wikipedia:#--Strangesnow 20201118 () 00:28 (UTC)

Drachma12Strangesnow--Bhavesh 20201118 () 01:56 (UTC)Bhavesh

Wikipedia64Bhagwan Shree Rajneesh4Osho47OSHORajneesh7Osho Rajneesh3(Chandra Mohan Rajnish3WikipediaOsho--Bhavesh 20201126 () 15:38 (UTC)Bhavesh

 --Bhavesh 20201126 () 17
:21 (UTC)Bhavesh



Osho 2 --Itou masayuki 20201117 () 00:18 (UTC) 

Osho

wikipedia23Oxford --Itou masayuki 20201127 () 10:36 (UTC)

Itou Wikipedia60Wikipedia調Bhagwan Shree RajneeshOshoRajneesh--Bhavesh 20201127 () 12:54 (UTC)Bhavesh



Bhavesh



11

OshoOshowikipedia11

2wikipediaOsho]2TBST.M. Revolution

wikipedia使OshoOshoОшо

Osho



--Itou masayuki 20201128 () 00:47 (UTC)

Itou Wikipedia姿WikipediaGoogleOshoОшоOsho Ōshō rajinīshi--Bhavesh 20201128 () 01:44 (UTC)Bhavesh



Bhavesh

Osho



Osho

Drachma12Strangesnow

--Itou masayuki 20201128 () 02:18 (UTC)

Ito --Bhavesh 20201128 () 02:43 (UTC)Bhavesh

Bhavesh



OshoOsho

--Itou masayuki 20201128 () 06:36 (UTC)

Itou OSHOOshoItou--Bhavesh 20201128 () 07:40 (UTC)Bhavesh

Bhavesh

Osho

Osho1960[1]

Osho21[9]

Osho(enlightenment)[13]

Osho[13]

Osho


1Bhavesh

Bhaveshwiki

--Itou masayuki 20201128 () 08:31 (UTC)

Itou  Osho60Osho(--Bhavesh 20201129 () 20:44 (UTC)Bhavesh

Osho 80使OSHO International  Strangesnow3

OSHO33545543544OshoOsho35 2001Osho使Osho20 278Osho/4 Osho/302510Osho5 Osho44Osho62

OshoOshoOshoGoogle

調/Osho使

20201117Itou masayuki1 1974Osho  2 WikipediaGackt Matt Yoshiki DAIGOWikipedia使Wikipedia:Osho

OSHO International  osho.com1320156801602015441352020 2015Osho48462 YouTubeOsho201332,472,921201438,126,692201548,022,2962021621132,903,873620153817,590

WikipediaOsho使 Osho






SapphireeiP会話2021年625日 (金) 11:15 (UTC)

OshoOsho-- 202172 () 13:13 (UTC) 19989OshoOshoOsho--T=C=O=T=C 202174 () 10:05 (UTC)3838.com

Osho20201022Osho Rajneesh調OshoOshoOshoOshoOshoOshoOsho OshoOsho30OshoOsho--Swachid 202174 () 22:50 (UTC)

 SapphireeiP Yoshiki, Gackt, DAIGO  1987    Osho Drachma12 202174 () 23:50 (UTC)


Osho

Osho

Osho

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OshoOsho



--DY111 202175 () 03:17 (UTC)

OshoOshoOsho--Blissful flowering 202175 () 06:51 (UTC)



SapphireeiP 202175 () 11:11 (UTC)



SapphireeiP 202175 () 11:12 (UTC)

202179 () 09:21 (UTC)



202179 () 09:37 (UTC)
賛成 Oshoは30年間もOshoと呼ばれています。Oshoに改名に賛成です。 まらかいとまっくす会話2021年718日 (日) 03:32 (UTC)

Yoshiki, Gackt, DAIGO1987Osho  Drachma12 2021718 () 11:41 (UTC)

- Osho --Setu 2021721 () 20:28 (UTC)

OshoOsho使--GViknn-P 2021723 () 14:18 (UTC)
  • コメント この再提案と改名に全く気が付きませんでした。改名の再提案をするつもりはありませんが、半年以上議論が止まっていた項目に、改名に反対していた編集者への通知も全くないまま、過去の議論を全く無視した形での再提案とわずかな期間だけで改名実行されたことをとても残念に思います。--Strangesnow会話2021年11月2日 (火) 01:08 (UTC)

除去依頼

[編集]

[13]

 P145 4 5  p451 1987  [13]

-- 2020920 () 14:49 (UTC)

1987--MICCAgo 2020921 () 10:32 (UTC)

調--MICCAgo 2020921 () 11:07 (UTC)

 --Bhavesh.jp 20201016 () 16:01 (UTC)Bhavesh.jp

Bhavesh.jp--MICCAgo 20201017 () 02:33 (UTC)

MICCAgo--Bhavesh.jp 20201018 () 19:54 (UTC)Bhavesh.jp

Bhavesh.jp--MICCAgo 20201019 () 10:47 (UTC)

Godman colloquial term Indian English, often disapproving LEXICO.com Indian derogatory 使 --Drachma12 20201026 () 00:26 (UTC)

 Drachma12--Bhavesh.jp 20201026 () 17:54 (UTC)Bhavesh.jp

 
Kaur, Sapanpreet (September 2020). A SEMIOTIC READING OF UNCONVENTIONAL FIGURE OF 'LORD KRISHNA' IN SWARAJBIR'S KRISHAN (2001): A RETELLING OF 'KHANDAVADAHA' INCIDENT. Journal of Critical Reviews 7(4): 3912. doi:10.31838/jcr.07.14.708. 

Susan J. Palmer; Frederick Bird (1992). Therapy, Charisma and Social Control in the Rajneesh Movement. Special Presidential Issue Conversion, Charisma, and Institutionalization 53: S73. doi:10.2307/3711252. 

HUGH B. URBAN (2005). Osho, from sex guru to guru of the rich. GURUS IN AMERICA: 181. 

Rajneesh"god-man""The Divinity of Man in the Philosophy of Osho"--Strangesnow 20201026 () 19:46 (UTC)

  便 Drachma12 20201026 () 23:54 (UTC)

Strangesnow 便 Drachma12 20201027 () 00:35 (UTC)

  Drachma12

Wikipedia: ()--Strangesnow 20201029 () 00:38 (UTC)

Drachma12便--Bhavesh.jp 20201027 () 08:05 (UTC)Bhavesh.jp

--MICCAgo 20201027 () 12:47 (UTC)

MICCAgo  Wikipedia 使


Godman colloquial term Indian English, often disapproving LEXICO.com Indian derogatory Drachma12 20201027 () 13:54 (UTC)

宗教団体、教団、と呼ぶのはふさわしくない。

[編集]

P20 OSHO使



OSHO[7] OSHOOsho Osho -- 2020922 () 12:34 (UTC)

Osho使--MICCAgo 2020922 () 13:25 (UTC)

MICCAgo|MICCAgo--Bhavesh.jp 20201016 () 15:50 (UTC)Bhavesh.jp

使--MICCAgo 20201017 () 02:33 (UTC)

MICCAgo使沿MICCAgo--Bhavesh.jp 20201018 () 20:06 (UTC)Bhavesh.jp

--Bhavesh.jp 20201025 () 10:39 (UTC)Bhavesh.jp

--Bhavesh.jp 20201026 () 02:36 (UTC)Bhavesh.jp

MICCAgo Osho使    OSHO -- 2020114 () 13:51 (UTC)   -- 20201110 () 13:03 (UTC)

一次資料を使った称賛の加筆について

[編集]

使Wikipedia:Wikipedia:--MICCAgo 2020923 () 11:32 (UTC)

使



使-- 2020923 () 12:07 (UTC)

--MICCAgo 2020923 () 12:47 (UTC)

--Bhavesh.jp 20201016 () 15:44 (UTC)Bhavesh.jp

--MICCAgo 20201017 () 02:33 (UTC)

MICCAgo--Bhavesh.jp 20201018 () 20:15 (UTC)Bhavesh.jp

--MICCAgo 20201019 () 10:47 (UTC)

MICCAgo使--Bhavesh.jp 20201025 () 10:35 (UTC)Bhavesh.jp

使--MICCAgo 20201027 () 11:50 (UTC)

MICCAgo4使--Bhavesh.jp 20201027 () 12:32 (UTC)Bhavesh.jp

ゴッドマンという表記は中立ではない

[編集]

OshoOshoTV MICCAgo  -- 2020923 () 12:47 (UTC)

--MICCAgo 2020923 () 12:57 (UTC)

1--MICCAgo 20201014 () 14:51 (UTC)

Wikipedia使--Bhavesh.jp 20201016 () 15:36 (UTC)Bhavesh.jp

--MICCAgo 20201017 () 02:33 (UTC)

使--Bhavesh.jp 20201018 () 20:20 (UTC)Bhavesh.jp

使--MICCAgo 20201019 () 10:47 (UTC)

MICCAgo--Bhavesh.jp 20201025 () 07:09 (UTC)Bhavesh.jp

 

 Godman colloquial term Indian English, often disapproving LEXICO.com Indian derogatory  使 --Drachma12 20201026 () 00:26 (UTC) 

--Bhavesh.jp 20201026 () 02:57 (UTC)Bhavesh.jp

MICCAgoDrachma12  Drachma12Drachma12 --Bhavesh.jp 20201026 () 05:27 (UTC)Bhavesh.jp

MICCAgo  Strangesnow  MICCAgo  Drachma12 20201027 () 05:27 (UTC)

--MICCAgo 20201027 () 12:47 (UTC)

 Drachma12 20201027 () 13:56 (UTC)

ページ全体が偏っている

[編集]

 -- 20201014 () 15:02 (UTC)

--MICCAgo 20201014 () 15:25 (UTC)

429MICCAgo--Bhavesh.jp 20201016 () 15:32 (UTC)Bhavesh.jp



Swachid

SapphireeiPLOVELOVE
"Love"使"Love""Love"  --SapphireeiP 20201017 () 10:10 (UTC)

SapphireeiP調--MICCAgo 20201017 () 11:21 (UTC)

姿--MICCAgo 20201017 () 01:56 (UTC)

 MICCAgo--Bhavesh.jp 20201018 () 20:27 (UTC)Bhavesh.jp

--Bhavesh.jp 20201025 () 10:41 (UTC)Bhavesh.jp

 --Bhavesh.jp 20201026 () 03:18 (UTC)Bhavesh.jp

WikipediaWikipedia:#--MICCAgo 20201017 () 11:21 (UTC)

wiki1MiCCAgo 使

-- 20201018 () 12:31 (UTC)

--MICCAgo 20201018 () 12:52 (UTC)

MiCCAgo Osho -- 20201018 () 13:01 (UTC)

Wikipedia:#使[1]Kick



Wikipedia:--MICCAgo 20201018 () 13:22 (UTC)

Anand Sanatano--MICCAgo 20201018 () 14:12 (UTC)

MICCAgoMICCAgo --Bhavesh.jp 20201018 () 19:47 (UTC)Bhavesh.jp

Wikipedia Anand Sanatano 20201019 () 00:13 (UTC)

Wikipedia:#--MICCAgo 20201019 () 10:47 (UTC)

MICCAgo--Bhavesh.jp 20201025 () 10:31 (UTC)Bhavesh.jp

沿--MICCAgo 20201027 () 11:50 (UTC)




 


MICCAgo  沿 Drachma12 20201028 () 15:28 (UTC)

Shepherdhttps://www.kevinrdshepherd.infoWikipedia Shepherd WikipediaShepherd https://www.enlightened-spirituality.org http://meditation-handbook.50webs.com http://www.sannyasnews.org/sannyasnews/index.html http://ashejournal.com/two/davisson.shtml http://www.paulmorantz.com/cult/escape-from-rajeneeshpuram/ --GViknn-P 20201018 () 15:52 (UTC)

Shepherd使Shepherd

Seth Carus調--MICCAgo 20201019 () 10:47 (UTC)

King, Elroy--MICCAgo 20201019 () 10:57 (UTC)

Miccago --GViknn-P 20201019 () 13:08 (UTC)

GViknn-P調

GViknn-PSwachidSwachid--MICCAgo 20201019 () 13:19 (UTC)

MICCAgo  稿Swachid

>Seth Carus

 稿

 KDDavid Berry KnappKDKDSeth Carus

>

 KD

 KDKD調調  調

>

  WikiRajneesh

[24]

>

 調

Twelve days after Rajneesh's arrest, he was released in Portland on $500,000 bail. Six days later he agreed to a plea bargain on two out of the original 35 immigration charges. (A Passage to America P.17) (https://ildspor.files.wordpress.com/2018/03/159239659-a-passage-to-america.pdf)

 352

 Alford plea

 352 --Swachid 20201020 () 07:22 (UTC)

Swachid

Wikipedia:#--MICCAgo 20201021 () 12:51 (UTC)

MICCAgo

 調

  KD調

Wikipedia

Wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%90%8D%E8%AA%89%E6%AF%80%E6%90%8D




 35--Swachid 20201021 () 23:10 (UTC)

--MICCAgo 20201025 () 13:29 (UTC)
MICCAgoさん、Swachidさんとの対話、大変興味深く拝見しています。ただ、その根拠となる資料は、私は手元にありません。その出典となる資料なり、Web情報なりをお示ししていただくことは可能でしょうか。私だけではなく、他の編集者の方々の参考にも益するものと考えます。よろしくお願いします。--Bhavesh.jp会話2020年1026日 (月) 03:26 (UTC)Bhavesh.jp

MICCAgo 使CBRN[82]Wikipedia

95TBS36使Osho--Swachid 20201027 () 00:43 (UTC)

使沿--MICCAgo 20201027 () 12:47 (UTC)

MICCAgoWikipedia Wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%90%8D%E8%AA%89%E6%AF%80%E6%90%8D 



Osho Osho

Osho SNSWikipedia

--Swachid 20201028 () 07:09 (UTC)

同じ著書が言っている文章をなぜ消すのか?

[編集]

P87



MiCCAgo

  -- 20201020 () 13:38 (UTC)

--MICCAgo 20201021 () 12:51 (UTC)

--Bhavesh.jp 20201025 () 07:02 (UTC)Bhavesh.jp

MiCCAgoOsho -- 20201025 () 11:10 (UTC)

--MICCAgo 20201025 () 13:29 (UTC)

MICCAgo(Wikipedia--Bhavesh.jp 20201026 () 02:07 (UTC)Bhavesh.jp

WikipediaWikipedia--MICCAgo 20201027 () 12:47 (UTC)

他者の文章に手を加えることはルール違反であるため、節タイトルを戻します

[編集]

Kadzuwo--MICCAgo 20201025 () 13:29 (UTC)

MICCAgo429 MICCAgo--Bhavesh.jp 20201026 () 01:53 (UTC)Bhavesh.jp

MICCAgo429 SapphireeiPBhavesh.jp 沿 428 --DY111 20201026 () 02:54 (UTC)

MICCAgoKadzuwo     -- 20201026 () 11:14 (UTC)

--MICCAgo 20201027 () 12:47 (UTC)

MICCAgo429 https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%90%E3%82%B0%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%82%B7&diff=next&oldid=76448330   --Bhavesh.jp 20201028 () 09:56 (UTC)Bhavesh.jp

保護を依頼しました

[編集]

Shepherd--MICCAgo 20201025 () 13:29 (UTC)

ShepherdMICCAgo使   20201025 () 15:35 (UTC)

MICCAgo4299WikipediaWikipediaMICCAgo--Bhavesh.jp 20201026 () 04:58 (UTC)Bhavesh.jp


MICCAgo 4 --DY111 20201026 () 05:53 (UTC)

 Setu 20201026 () 06:40 (UTC)

MICCagoWikipedia(Bhavesh.jpDY111) ShiningStar1979 20201026 () 11:42 (UTC)

稿GViknn-PGViknn-PWikipedia沿Wikipedia沿--MICCAgo 20201027 () 11:50 (UTC)

MICCAgo  9姿--Bhavesh.jp 20201027 () 12:47 (UTC)Bhavesh.jp

 沿調--Bhavesh.jp 20201027 () 12:53 (UTC)Bhavesh.jp
「最初から「修正する場合は本人に了解を取り、元の記述を残して取り消し線で対応するなど、変えたことが分かるよう対応してくださ」っていたら」とおっしゃっていますが、私はほかの方の発言をノートで改竄しましたでしょうか?誤解を招く言い方はおやめください。記事で取り消し線を引いて元の記述を残すことはありません。また、個人の執筆スタイルはウィキペディアの方針・ルールを守った上で尊重されることであり、それ以上のものではありません。方針・ルールを守っていただきたいというのは、越権ではありません。お名前は、方針・ルールを守っている方のやり方を参考にしていただきたいと思い挙げただけですので、特に取り下げる必要はないと存じます。--MICCAgo会話2020年10月27日 (火) 13:12 (UTC)

戻された記述は、人権侵害に当たります。

[編集]

MICCAgo444WikipediaMICCAgo





MICCAgoWikipedia

Wikipedia Wikipedia https://en.wikipedia.org/wiki/Rajneesh



 --DY111 20201025 () 22:38 (UTC)DY111

GViknn-PWikipedia--MICCAgo 20201027 () 11:50 (UTC)




MICCAgoWikipedia

--DY111 20201029 () 05:43 (UTC)

提案:ラジニーシプーラムにおける一部の幹部による一連の犯罪に関する詳細な記述を主犯である「シーラ・シルバーマン」または「ラジニーシ教団によるバイオテロ」のページに移動する

[編集]

OshoMICCAgoOsho--Swachid 20201026 () 22:55 (UTC)

Swachid--Bhavesh.jp 20201027 () 08:10 (UTC)Bhavesh.jp

OshoMICCAgo--MICCAgo 20201027 () 11:50 (UTC)

校正しただけなのに

[編集]

web=sanyassanyasin wiki   20201027 () 14:22 (UTC)

MICCAgo--Bhavesh.jp 20201028 () 00:17 (UTC)Bhavesh

無断で削除された内容の復活依頼および引用元の確認

[編集]

MICCAgo 

Wiki

[149]

149 King, Elroy (23 July 1985). "Plea bargain said best deal possible". Dalles Chronicle.

︿[10]

--Swachid 20201027 () 23:36 (UTC)

--Bhavesh.jp 20201028 () 00:22 (UTC)Bhavesh.jp




SwachidMICCAgo 



MICCAgo --DY111 20201029 () 06:04 (UTC)

恣意的な引用について

[編集]

MICCAgo 



1987B調[27]



Others have noted that although Sheela bugged Osho's living quarters and made the tapes available to U.S. authorities as part of her plea bargain, no evidence has come to light that Osho had any part in her crimes. However, Gordon (1987) reports that Charles Turner, David Frohnmayer and other law enforcement officials (who saw affidavits never released publicly and listened to hundreds of hours of tape recordings) implied to him that Osho was guilty of more crimes than those for which he was prosecuted.

Gordon (1987) reports thatOshoOshoMICCAgo SheelaOshoSheela沿姿Wiki沿

--Swachid 20201028 () 09:05 (UTC)

ロールスロイスについて。

[編集]




90[16]


1使2 Drachma12 20201029 () 10:53 (UTC)

精神医療現場で導入されている瞑想法

[編集]



OSHOOSHOOSHO

精神医療現場で導入されている瞑想法

[編集]

  Villaggio GlobaleOSHO Dynamic Meditation®3[2]


  OSHO Dynamic Meditation®OSHO Kundalini Meditation®使OSHO Dynamic Meditation®OSHO Kundalini Meditation® [3]


  80OSHO Dynamic Meditation®OSHO Dynamic Meditation® [4]


  Vyas, AOsho調使[5]


  OSHO Dynamic Meditation®21[6] --SapphireeiP 20201029 () 15:19 (UTC)

   Vyas A. (Editor Kostas Andrea Fanti) "Effects of seven-day Osho dynamic study: A pilot study. Psychological science: Research, theory and future directions." (2007) "OSHO Dynamic Meditation"Bansal, Mittal and Seth "Osho Dynamic Meditations Effect on Serum Cortisol Level"(2016) 調--Strangesnow 20201030 () 06:07 (UTC)

  MiccAgo Setu 20201030 () 19:21 (UTC)

 SapphireeiP 20201031 () 13:08 (UTC)

  SapphireeiP--Setu 20201031 () 17:06 (UTC)

Vyas A--Strangesnow 2020111 () 13:12 (UTC)

SapphireeiP--Setu 2020111 () 14:36 (UTC)

SapphireeiP--Strangesnow 2020111 () 15:45 (UTC)

--Setu 2020111 () 16:47 (UTC)

--Strangesnow 2020111 () 18:08 (UTC)

--Setu 2020112 () 10:19 (UTC)

--Strangesnow 20201112 () 05:08 (UTC)

  SapphireeiP1,2,3activemeditation.com1970使 (Wikipedia:)5OSHO.comOSHO4--Strangesnow 2020111 () 16:12 (UTC)

Strangesnow

OshoBBC, The Guardian, USA Today

"British Association for Counselling and Psychotherapy(BAPC)

BAPC





Vyas A.使

This project demonstrated that Osho Dynamic Meditation had significant effects for many clinical and corporate variables for short term and long term durations.



5Strangesnow

--SapphireeiP 2020111 () 20:53 (UTC)
  (SapphireeiP) 197070(1978)60Wikipedia:--Strangesnow 2020113 () 14:19 (UTC)

1960Osho使

--Setu 2020113 () 08:17 (UTC)

 About us StrangeSnowManeesha

activemeditation.com concept creator and contributor

Maneesha James' early background was in general and psychiatric nursing and midwifery. The guinea pig in the early seventies when Osho was designing his active methods,

ManeeshaOsho70Osho

StrangeSnow About us StrangeSnow--Setu 2020113 () 19:21 (UTC)
  (Setu) SapphireeiPAbout us activemeditation.com concept creator and contributor70Wikipedia:WP:IINFO--Strangesnow 2020116 () 03:07 (UTC)

Strangesnow13 StrangesnowBansal, Mittal and Seth "Osho Dynamic Meditations Effect on Serum Cortisol Level"(2016)  SapphireeiP 2020118 () 11:20 (UTC)

Rajendra Partap Sinhaは信頼できる情報源に該当しないのでは?

[編集]

Rajendra Partap Sinha (2015313). Osho's Religion - Despite being Against All Religions of World - . SPEAKINGTREE.IN. 202059ABOUT ME I am a seeker on Speaking TreeShepherd

https://www.speakingtree.in/blog/oshos-religion---despite-being-against-all-religions-of-world --GViknn-P 2020111 () 05:11 (UTC)

--GViknn-P 2020119 () 14:03 (UTC)--GViknn-P 2020119 () 11:46 (UTC)

足達論文を根拠資料として記述された箇所の全面削除を要請

[編集]

Wikipedia






 wikipedia


CBRN[87]
 2017


...


Bioterrorism and Biocrimes
The Illicit Use of Biological Agents Since 1900
W. Seth Carus
August 1998 (February 2001 Revision) https://fas.org/irp/threat/cbw/carus.pdf
pp.50-57 Rajneesh commune


p.52 



Finally, Sheela decided that they would make the voters of Wasco County sick before the election so that they would not be able to vote. According to KD, after the meeting in which she raised this idea, Sheela and Puja started looking at books that described bacteria and other methods to make people ill.161 Furthermore, he claimed that Sheela said she had talked with Bhagwan about the plot to decrease voter turn out in The Dalles by making people sick. Sheela said that Bhagwan commented that it was best not to hurt people, but if a few died not to worry.162
162 Report of Interview, Swami Krishna Deva, AKA David Berry Knapp, November 25, 1985, AG files.


--DY111 20201110 () 07:38 (UTC)
  • 上の文章が伊藤雅之氏の文章であることが確認できる手段が必要かな?と思います。すでに、どこかに示してあったらごめんなさい。 Setu会話2020年11月16日 (月) 15:21 (UTC)

より良いページにする為に

[編集]

-- 20201110 () 10:25 (UTC)

    -- 20201111 () 02:17 (UTC)





使





 Drachma12 20201111 () 04:07 (UTC)





Drachma12





1

2

3Osho

4使使

5使








 




 5 33^ a b c d e Sinha 2015.  46^ a b c d e f g MCCORMACK(b) 2018. 


Mccormack




 Puttick 2009 1997 


30 16 MCCORMACK






使PTSD[99]



99使 




5



29

J 



--Itou masayuki 20201111 () 09:25 (UTC)

Itou 4)5) 



  Drachma12 20201111 () 10:04 (UTC)



こういう場所に批判だけが載っていると、称賛も必要になってきますが、百科事典なので確かに批判も称賛も両方必要ないかもしれません。明記してから一週間、意見が無ければ削除作業に入ります。時間があるので、まずは文章を足していきましょう。

-- 20201112 () 10:49 (UTC)

「よいページにするために」に対する応答(本項目への見解と改善策の提案)

[編集]

Wikipedia





WikipediaWin McCormack

Osho Rajneesh MovementRajneesh

wikipedia

wikipedia





wikipedia

31123



3





1

2

3Osho

4使使

5使










稿

wikipedia RajneeshCarter 1990, Latkin 1992, Latkin et al. 1994, Palmer 1994




1使2017

CBRN[87] 1




2Ava Avalos



Ava Avalos

1984 bioterror attack4

1984 bioterror attack78Ava AvalosAvalos




3Win McCormack




Carter 1990, Latkin 1992, Latkin et al. 1994, Palmer 1994


4

調

稿[]p.97 

p.87

使







 New Religious Consciousness in Advanced Industrial Societies: Explorations of the Osho Rajneesh Movement and Its Members in Japan287Ph.D. in sociology1998

  462003

1011997 2005




Wikipediahttps://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:








--Itou masayuki 20201110 () 12:01 (UTC)

Itou masayuki --Bhavesh 20201110 () 12:34 (UTC)Bhavesh  使2017  Ava Avalos  Win McCormack-- 20201110 () 15:10 (UTC)



 

西70使

101



調

 Drachma12 20201110 () 16:05 (UTC)





BhaveshDrachma12


[researchmap]調



wiki

使

--Itou masayuki 20201110 () 23:40 (UTC)


--Bhavesh 20201111 () 03:21 (UTC)Bhavesh


Itou masayuki




Itou --DY111 20201111 () 08:53 (UTC)





2020.12.1220003 稿 wikipedia

--Itou masayuki 20201212 () 03:25 (UTC)

Itou 

 

  Drachma12 20201213 () 04:49 (UTC)
Itou様、お電話までして頂き、ありがとうございます。内容の件、承知致しました。 --ダイヤモンド123会話2020年1213日 (日) 12:24 (UTC)

Drachma12123



--Itou masayuki 20201213 () 15:03 (UTC)

専門家とライターの見分け方

[編集]

Drachma12145



wiki使

111







1

8, 14, 24, 25, 26, 28, 31, 32, 34, 42, 43, 47, 51, 53, 55, 56, 66, 67, 90, 91, 93


21 


2McCormack 

12, 16, 46

3

3

 3033Sinha), 36Kostas , 39 (Cowie), 52(Oregonian ), 70(Olsen), 73(Haberman), 74(, 75Zeitz, 77(Davisson), 78(Seven), 81(AP NEWS), 92Klatt , 109(Sussex)


14


[ ]--Itou masayuki 20201111 () 14:34 (UTC)


Itou masayuki 使 --Bhavesh 20201111 () 21:56 (UTC)Bhavesh



Bhavesh

2使 --Itou masayuki 20201111 () 23:49 (UTC)


Itou --Bhavesh 20201112 () 00:18 (UTC)Bhavesh

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20201110

11116



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1Osho

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Itou wikipedia --Bhavesh 20201113 () 03:46 (UTC)Bhavesh

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 Itou 稿 Itou Drachma12 20201113 () 07:09 (UTC)



Drachma12

1wikipedia

3使使 --Itou masayuki 20201113 () 10:16 (UTC)

Itou

[1]

 Drachma12 20201113 () 10:51 (UTC)

Wikipedia





 


Drachma12 20201113 () 11:20 (UTC)



Drachma12

使1970197080 --Itou masayuki 20201113 () 11:30 (UTC)

Itou 8





WikipediaWikipedia


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説明が錯綜してご迷惑をおかけします。 Drachma12会話2020年11月13日 (金) 11:59 (UTC)

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Itou沿
Itou


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Wikipedia:


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Wikipedia1










1 --DY111 20201113 () 08:19 (UTC)








本辞典項目編集のための学術論文データの提供

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2003 pp.63-86


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--Itou masayuki 20201113 () 12:45 (UTC)

虚偽の引用を発見しました、許されません

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[44]


In its heyday, Sydney and Western Australia had sizeable Rajneesh communities.

Its members' quest for enlightenment also involved having lots of sex with many different partners.  Or so the story goes.

"As far as I know, there were no great orgies or anything but if there were I missed out," joked Azti, 



Or so the story goes. 







西



https://www.smh.com.au/national/wild-wild-country-australian-tells-of-life-on-rajneesh-sex-cult-commune-20180519-p4zgal.html Drachma12 20201115 () 15:45 (UTC)




--Itou masayuki 20201116 () 00:04 (UTC)

Itou Drachma12 20201116 () 02:37 (UTC)

最悪を想定して、最善を望む

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Wikiped


Drachma12



3



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 --DY111 20201117 () 06:31 (UTC)

DY111

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 Drachma12 20201117 () 07:28 (UTC)

Drachma12WikipediaWikipedia

Wikipedia --DY111 20201117 () 09:48 (UTC)


(一)^  1995, pp. 4647.