ノート:Osho/過去ログ1
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アメリカ時代の記述について
ちよつと気になつたのですが、アメリカ合衆国がらみの記述は事実もしくはオショウ・コミューン関係者以外の人にも支持された意見なのでせうか。さうでなければ中立的な観点に立つてゐない記述であると思ひます。︵私はオショウに関しては全く知らないので、見当違ひの指摘だつたら済みません︶nnh 12:08 2004年4月17日 (UTC)
●どうも後指摘ありがとうございます。言い切ってしまうのは行きすぎでした。オショウ側の主張と言う表現に変えて中立的な文章にしました。当然アメリカ政府は同意しないでしょう。--Setu 12:36 2004年4月18日 (UTC)
●すでに16年前の対話なので、より分かりやすいタイトルとしました。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月25日 (日) 07:22 (UTC)Bhavesh.jp
バイオテロリズム?
↓の件について言及が無いようですが、まったく無視というのもいかがなものでしょうか。Kadzuwo 2009年3月20日 (金) 06:35 (UTC)
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&safe=off&num=100&q=%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%82%B7+%E3%83%8D%E3%82%BA%E3%83%9F%E3%83%81%E3%83%95%E3%82%B9%E8%8F%8C
→ リンク先︵2チャンネル︶での書き込みをあたかも信頼できる情報のように扱うのは不適切です。
﹁ラジニーシってサルモネラ菌かネズミチフス菌を撒いて生物テロやらかしたカルト教団の教祖﹂
これは情報が混乱しています。サルモネラ菌を撒くというのは、ラジニーシプーラムでシーラが計画していたとされる犯罪行為として報道されたことがありますが、シーラはオショウを無視してコミューンの実権の掌握を狙った女性であり、あたかもオショウがこのような犯罪を指示したかのように思わせる主張は事実を歪めています。
根拠の薄い記述なので、誤解をまねかないように、タイトルを中立的にしました。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月25日 (日) 07:25 (UTC)Bhavesh.jp
というか、上記の後に、また違った形で編集がはいりました。いろいろな意見、参考になります。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月26日 (月) 02:32 (UTC)Bhavesh.jp
「Osho」という呼称について
﹁Osho﹂という呼称については、以下の問題点がある。
1︶﹁オショウ︵和尚︶﹂という呼称は人名でなく、あくまでもラジニーシ師の信者によるラジニーシ師への尊称に過ぎず、客観性を欠く。︵宣伝・布教目的の編集は禁止︶
2︶﹁オショウ︵和尚︶﹂という呼称は、ラジニーシ師の生前は最晩年のわずか2年間弱の間でのみ使用された呼称に過ぎず、生前のラジニーシ師の事績を扱った本項の名称に相応しくない。また"改名後"の日本の刊行物をチェックしても︵そこには最終的にはシンプルにOSHOへと段階を経て変名する本人の意向があったにせよ︶、和尚、OSHO、オショー・ラジニーシ、和尚ラジニーシなど混乱が見られ、統一呼称としてはラジニーシのほうが適していると考えられる。
3︶﹁オショウ︵和尚︶﹂という呼称は日本仏教における日本語にすぎず、幾ら生前の本人による意向とは言え、この呼称を使用する事は世界の諸宗教に対して幅広い見識を持っていたラジニーシ師の宗教観をあたかも日本仏教のが主体であるかの如く矮小化させる効果しか無く、生前のラジニーシ師の事蹟を正しく反映しているとは言えない。
4︶﹁オショウ︵和尚︶﹂という呼称は日本語で﹁仏教僧﹂という意味の伝統的な一般名詞であり、日本国内では今後ラジニーシ師の固有人名として一般化する可能性は極めて低い。
5︶バグワン︵目覚めた者、あるいは勝利者︶・シュリ︵尊称︶・ラジニーシ、いわば﹁覚醒者ラジニーシ様﹂と自らを称することについて、ラジニーシ師はこうした常識を外れた行為によって信者の心を揺さぶっているのだ、と述べていた。となれば、これをオショウとすることはラジニーシ師の思想や人間性の特徴をゆがめたり矮小化することにもつながる可能性がある。
6︶ラジニーシ師が思想的に最も影響を与えた時期は﹃バグワン・シュリ・ラジニーシ﹄を称していた時期であろう。︵ほとんどの期間がそうなのだから当然ではあるが。︶当時影響を受けたものからすれば、本人及び信者の意向とはいえ、ラジニーシ師を知識上の項目として最終的にオショウとすることに違和感を持つものは少なくないだろう。
よって、本項のラジニーシ師の人名は、﹁オショウ︵和尚︶﹂という呼称ではなく生前より世間に広く知られている﹁バグワン・シュリ・ラジニーシ ﹂にすべきと思われます。
以上の点に有効な反論がない場合、本項の﹁オショウ︵和尚︶﹂という呼称を全面的に改定させて頂きます。 なお、ラジニーシ師の死後の信者活動については、﹁オショウ︵和尚︶﹂という呼称も商標として認められているので問題は無いと思います。 --PurpleCarpenter 2010年10月16日 (土) 17:34 (UTC) 異論が出なかったため、﹁バグワン・シュリ・ラジニーシ﹂に改名しました。--Mait 2011年3月9日 (水) 04:56 (UTC) 色々な各論から、バグワン シュリ ラジニーシの名称の妥当性を記載されていますが、何よりラジニーシ本人の、Oshoという呼称に対しての意向は各論以前のファクターとして考慮すべきであると思われます。Wikipediaにおいても、現在の信者・組織活動においてOshoという呼称が商標登録として認められている事にも留意すべき点はあろうかと考えます。 Anand Sanatano︵会話︶ 2020年10月17日 (土) 15:35 (UTC) バグワン・シュリ・ラジニーシという名称は、1974年3年から1988年8月までの14年間使用されたものであり、その後は1989年からはOSHOという名称のみ使われており、現在流通している日本を初め、英語や世界の多くの国で、数百の著書が使用しています。一般には、OSHOあるいは、その国の発音での表記がされています。つまり、1990年以降、すでに30年間にわたって、OSHOとして知られている人物なので、そう表記すべきです。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月18日 (日) 19:42 (UTC)Bhavesh.jp PurpleCarpenterさんが説明された改名理由は理にかなっており、英語版もOSHOでありません。改名には反対です。合意を形成してください。なお、改名の合意形成は多数決ではありません。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月19日 (月) 10:47 (UTC) この人物は、一般的にバグワン等と呼ばれていたのは1974年から1988年までの14年間です。その後、世界各国で数百の出版物が続刊されていますが、その後の32年間は、世界中一貫してOSHO︵あるいは、その国の音でOSHO︶と表記されています。その他の呼称をつけるのは、まったく時代錯誤の、混乱を生み出します。この人物は、単にOSHOと呼ばれるべきで、このページもまた、そのように書き換えられるべきだと考えます。MICCAgo氏以外、異論はないようなので、今後一定期間をおいて、もし皆さまの特段のご意見がなければ、そうさせていただきますので、よろしくお願いいたします。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月21日 (水) 11:59 (UTC)Bhavesh.jp --PurpleCarpenter さんが上記発言されたのは、2010年10月16日 (土) 17:34 (UTC) のことであり、すでにちょうど10年が経過しています。、私は、2020年10月18日に、﹁すでに30年間にわたって、OSHOとして知られている人物なので、そう表記すべきです。﹂と提案いたしました。それに対し、上記MICCAgoさん以外、特段の反対意見はないようなので、10月18日から起算し、二週間後の11月1日をもって、呼称をOSHOに変更させていただきたいと考えております。商標関連などについての情報や、賛成、反対の意見を求めます。ご意見のある方は積極的に、この場にて発言いただければ幸いです。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月23日 (金) 04:35 (UTC)Bhavesh.jp 人物記事で存命時ではなく死後の状況が重視されるというのは、ウィキペディアのどこにそうしたルールがあるでしょうか?また、合意の形成というのは、合意が形成されるまで続きます。﹁今後一定期間をおいて、もし皆さまの特段のご意見がなければ、そうさせていただきます﹂とおひとりで決めることはできません。合意が形成される前に記事を改変しないよう、よろしくお願いいたします。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月21日 (水) 12:51 (UTC) こちらにガイドラインWikipedia:合意形成がありますので、ご一読ください。ガイドラインに書かれていますが、合意は多数決ではありませんので、ご理解ください。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月21日 (水) 13:04 (UTC) ・Oshoの表記についてですが、﹁死の1年程前に自らの名をOsho︵和尚/オショー︶に変えており﹂というのは事実です。私の意見は、個人が自身の名前を変えたのであるからOshoという表記にするのが自然だと思います。近年はインターネットの普及により、横書きが多くなり、Wikiもすべて横書きです。翻訳における海外の人名︵日本語以外の名前︶については、オリジナル言語でそのまま記述することが多くなりました︵またはカタカナ表記です︶。したがって、﹁Osho﹂で統一するのが良いと思います。--Swachid︵会話︶ 2020年10月22日 (木) 00:07 (UTC) 現在は、彼の昔の名前を覚えている人はまれだと思います。私個人は、彼がバグワンと呼ばれていた頃から知ってますが、バグワンとかラジニーシと呼ばれると違和感を感じます。1990年を過ぎてから関わっている人は多く彼らはOshoの名前しか知りません。 また、たぶんウィキペディアに記事はないと思いますが、元オショウの弟子でラジニーシという弟子の名前を持っていたたぶんインド出身の香港あるいは南米在住の人物がおり、彼自身の宗教的活動をはじめてOshoの公式な流れとは対立しています。 Osho周辺の一部の人々ではラジニーシというとこの人物を指すことがあり、このラジニーシは後にオショウ・ラジニーシと自称しています。 そのような2つの理由から、本記事のタイトルを Osho にすることに賛成します。 また、聞いた話ですが、英語版は現在Rajneeshになっていますが、以前、Osho に戻すことが提案されて合意が取れた後に、一度、Oshoに戻されていたそうです。 その後、特に合意形成もなしに Rajneeshに変えられたと聞いています。たぶん、確認をしようとすれば、確認が取れる範囲だと思います。 新Osho Rajneeshですが、Ozen Rajneeshと改名したようです。サイトが見つかったので、置いておきます。 https://ozenrajneesh.com/ozen-swami-rajneesh/ よろしくご理解をお願いします。 Setu︵会話︶ 2020年10月23日 (金) 06:15 (UTC)
Sanatanoさん、MICCAgoさん、Swachidさん、Setuさん、ご意見ありがとうございます。他に意見があるかもしれませんので、もう少し待って、みんなの合意を形成できればいいなぁ、と思います。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月24日 (土) 10:18 (UTC)Bhavesh.jp MICCagoさんが4月に編集された内容ですが、その時点及び現在の海外でのWikipedia
反対 Google Scholarでの"Bhagwan Shree Rajneesh" での検索結果が約1,860件であるのに対し、"Osho Rajneesh"での検索結果では約353件に留まります。ダブルクォート抜きの﹁Osho Rajneesh﹂検索でも約1,390件に留まり、﹁Bhagwan Shree Rajneesh﹂での検索結果︵ダブルクォート抜きでは約2,000件︶がより優位であることに変わりがありません。Bhagwan Shree Rajneeshとして知られている人物なのであれば、そのまま音写すべきでしょう。百科事典の見出し語としては、より良く知られた名前がふさわしいように思いますので、改名には反対です。--Strangesnow︵会話︶ 2020年10月25日 (日) 21:04 (UTC)--Strangesnow︵会話︶ 2020年10月25日 (日) 20:56 (UTC)
検索結果の話ですが、OSHO や Oshoではどうなんでしょうか? まらかいとまっくす︵会話︶ 2020年10月25日 (日) 22:33 (UTC)
すみません。検索してみました。上記の質問は取り消します。 まらかいとまっくす︵会話︶ 2020年10月25日 (日) 22:56 (UTC)
返信 Osho︵ないしOSHO︶は一般名詞かつ他の人物もよく使う名前なので単体ではちょっと検索が難しいです。ちょっと変わった検索で﹁Bhagwan Rajneesh -Osho﹂では約1,790件であり、﹁Osho Rajneesh -Bhagwan﹂では約647件でした。オショーの別名抜きで言及されるケースのほうが多いのだろうなと思っています。ざっくりとしか検索していないのですが、日本語での第三者言及の文献でも﹁ラジニーシ﹂のものが見受けられます。オショー表記の第三者文献が多くあるのであれば、何かしらで示してくださると改名に賛成しやすいです。--Strangesnow︵会話︶ 2020年10月25日 (日) 23:16 (UTC)
Strangesnowさん、貴重な少数意見ありがとうございます。さまざまな意見を拝聴していて、大変参考になりました。なお、もっと多くの編集者の意見が聞ければいいな、と思います。みなさん、最後まで、総意を形成できるよう、ご協力おねがいします。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月26日 (月) 02:29 (UTC)Bhavesh.jp
Google Scholarの検索結果数は、次の通りです。 ・﹁Bhagwan Shree Rajneesh﹂ 約 2,000 件 ・﹁Osho﹂ 約 13,000 件 ﹁Osho﹂の方が6倍以上になります。そもそも、Google Scholarは学術文献の検索サイトであり、論文等の文献数で知名度を図るというのは、あまり意味をなしません。 Googleにおける検索結果数ですが、以下となります。 ■英語 ・﹁Bhagwan Shree Rajneesh﹂ 約 519,000 件 ・﹁Osho﹂ 約 20,900,000 件 ■日本語 ・﹁ラジニーシ﹂ 約 45,400 件 ・﹁オショー﹂ 約 104,000 件 検索結果数は、知名度、浸透率と比例しています。結果は一目瞭然です。百科事典は、百年スパンの視座で観る必要があります。統計学的にも﹁Osho﹂がベストであることを示しています。--DY111︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 07:36 (UTC) ﹁Rajneesh﹂を伴わない﹁Osho﹂単独でヒットした件数が﹁Osho Rajneesh﹂への言及であるということはどのように確かめられたのでしょう。Googleでの検索結果には餃子の王将や大阪王将、辞典の単語やブランド名、ゲームプレイヤーのハンドル、将棋の﹁王将﹂、投資家の名前、富山の﹁大庄﹂駅などが含まれているようです。--Whatsfb︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 07:57 (UTC) Whatsfbさん、精一杯調べて、上記ぐらいだったのですね。お疲れさまです。Googleの精度が低かったのは10年ぐらい前までですものね。 --DY111︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 08:53 (UTC) ﹁精一杯調べて﹂はいません。﹁Rajneesh﹂そのものや明らかに﹁Rajneesh﹂のことを指すだろうキーワードを除外した上で、数ページ見ただけです。Googleを﹁Osho﹂単独で検索した際に﹁Osho Rajneesh﹂のことしか出ないのでしたらそれこそ精度が低いと言わざるをえないでしょう。--Whatsfb︵会話︶ 2020年10月29日 (木) 13:51 (UTC) さらに、長期的な視座で観れない方のために、理解の補助に、追記しておきます。 例えば、有名な﹁利休﹂は、生前は﹁宗易﹂と呼ばれていました。利休に変えたのは晩年です。Wikipediaにも次のように記されています。 ﹁いずれにせよ﹁利休﹂の名は晩年での名乗りであり、茶人としての人生のほとんどは宗易を名乗る。﹂ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%88%A9%E4%BC%91 わかりますか?本人の生前の略歴だから、生前に長く使われた名前を良しとする、視座の低さが。 なによりも本人の意志が尊重されて、後世に広がるものです。それを無視するということは、基本的人権を無視するということになります。 --DY111︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 08:12 (UTC)
コメント Whatsfbさんが仰る通り、その検索方法では信頼度の高い結果は得られません。また、Google Scholarを用いる理由としては、個人のブログや書籍販売サイトなどを含まない、信頼できる二次資料を検索対象とするためです︵Wikipedia:信頼できる情報源︶。ウィキペディアで千利休として立項されているのは、認知度高く見つけやすい﹁日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの﹂であるためで、それ以上でもそれ以下でもありません︵Wikipedia:記事名の付け方︶。ところで主題が故人の記事について﹁基本的人権を無視するということになります﹂は意味が分かりません。もう少し具体的にお願いします。--Strangesnow︵会話︶ 2020年10月29日 (木) 08:38 (UTC)
以上の点に有効な反論がない場合、本項の﹁オショウ︵和尚︶﹂という呼称を全面的に改定させて頂きます。 なお、ラジニーシ師の死後の信者活動については、﹁オショウ︵和尚︶﹂という呼称も商標として認められているので問題は無いと思います。 --PurpleCarpenter 2010年10月16日 (土) 17:34 (UTC) 異論が出なかったため、﹁バグワン・シュリ・ラジニーシ﹂に改名しました。--Mait 2011年3月9日 (水) 04:56 (UTC) 色々な各論から、バグワン シュリ ラジニーシの名称の妥当性を記載されていますが、何よりラジニーシ本人の、Oshoという呼称に対しての意向は各論以前のファクターとして考慮すべきであると思われます。Wikipediaにおいても、現在の信者・組織活動においてOshoという呼称が商標登録として認められている事にも留意すべき点はあろうかと考えます。 Anand Sanatano︵会話︶ 2020年10月17日 (土) 15:35 (UTC) バグワン・シュリ・ラジニーシという名称は、1974年3年から1988年8月までの14年間使用されたものであり、その後は1989年からはOSHOという名称のみ使われており、現在流通している日本を初め、英語や世界の多くの国で、数百の著書が使用しています。一般には、OSHOあるいは、その国の発音での表記がされています。つまり、1990年以降、すでに30年間にわたって、OSHOとして知られている人物なので、そう表記すべきです。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月18日 (日) 19:42 (UTC)Bhavesh.jp PurpleCarpenterさんが説明された改名理由は理にかなっており、英語版もOSHOでありません。改名には反対です。合意を形成してください。なお、改名の合意形成は多数決ではありません。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月19日 (月) 10:47 (UTC) この人物は、一般的にバグワン等と呼ばれていたのは1974年から1988年までの14年間です。その後、世界各国で数百の出版物が続刊されていますが、その後の32年間は、世界中一貫してOSHO︵あるいは、その国の音でOSHO︶と表記されています。その他の呼称をつけるのは、まったく時代錯誤の、混乱を生み出します。この人物は、単にOSHOと呼ばれるべきで、このページもまた、そのように書き換えられるべきだと考えます。MICCAgo氏以外、異論はないようなので、今後一定期間をおいて、もし皆さまの特段のご意見がなければ、そうさせていただきますので、よろしくお願いいたします。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月21日 (水) 11:59 (UTC)Bhavesh.jp --PurpleCarpenter さんが上記発言されたのは、2010年10月16日 (土) 17:34 (UTC) のことであり、すでにちょうど10年が経過しています。、私は、2020年10月18日に、﹁すでに30年間にわたって、OSHOとして知られている人物なので、そう表記すべきです。﹂と提案いたしました。それに対し、上記MICCAgoさん以外、特段の反対意見はないようなので、10月18日から起算し、二週間後の11月1日をもって、呼称をOSHOに変更させていただきたいと考えております。商標関連などについての情報や、賛成、反対の意見を求めます。ご意見のある方は積極的に、この場にて発言いただければ幸いです。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月23日 (金) 04:35 (UTC)Bhavesh.jp 人物記事で存命時ではなく死後の状況が重視されるというのは、ウィキペディアのどこにそうしたルールがあるでしょうか?また、合意の形成というのは、合意が形成されるまで続きます。﹁今後一定期間をおいて、もし皆さまの特段のご意見がなければ、そうさせていただきます﹂とおひとりで決めることはできません。合意が形成される前に記事を改変しないよう、よろしくお願いいたします。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月21日 (水) 12:51 (UTC) こちらにガイドラインWikipedia:合意形成がありますので、ご一読ください。ガイドラインに書かれていますが、合意は多数決ではありませんので、ご理解ください。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月21日 (水) 13:04 (UTC) ・Oshoの表記についてですが、﹁死の1年程前に自らの名をOsho︵和尚/オショー︶に変えており﹂というのは事実です。私の意見は、個人が自身の名前を変えたのであるからOshoという表記にするのが自然だと思います。近年はインターネットの普及により、横書きが多くなり、Wikiもすべて横書きです。翻訳における海外の人名︵日本語以外の名前︶については、オリジナル言語でそのまま記述することが多くなりました︵またはカタカナ表記です︶。したがって、﹁Osho﹂で統一するのが良いと思います。--Swachid︵会話︶ 2020年10月22日 (木) 00:07 (UTC) 現在は、彼の昔の名前を覚えている人はまれだと思います。私個人は、彼がバグワンと呼ばれていた頃から知ってますが、バグワンとかラジニーシと呼ばれると違和感を感じます。1990年を過ぎてから関わっている人は多く彼らはOshoの名前しか知りません。 また、たぶんウィキペディアに記事はないと思いますが、元オショウの弟子でラジニーシという弟子の名前を持っていたたぶんインド出身の香港あるいは南米在住の人物がおり、彼自身の宗教的活動をはじめてOshoの公式な流れとは対立しています。 Osho周辺の一部の人々ではラジニーシというとこの人物を指すことがあり、このラジニーシは後にオショウ・ラジニーシと自称しています。 そのような2つの理由から、本記事のタイトルを Osho にすることに賛成します。 また、聞いた話ですが、英語版は現在Rajneeshになっていますが、以前、Osho に戻すことが提案されて合意が取れた後に、一度、Oshoに戻されていたそうです。 その後、特に合意形成もなしに Rajneeshに変えられたと聞いています。たぶん、確認をしようとすれば、確認が取れる範囲だと思います。 新Osho Rajneeshですが、Ozen Rajneeshと改名したようです。サイトが見つかったので、置いておきます。 https://ozenrajneesh.com/ozen-swami-rajneesh/ よろしくご理解をお願いします。 Setu︵会話︶ 2020年10月23日 (金) 06:15 (UTC)
Sanatanoさん、MICCAgoさん、Swachidさん、Setuさん、ご意見ありがとうございます。他に意見があるかもしれませんので、もう少し待って、みんなの合意を形成できればいいなぁ、と思います。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月24日 (土) 10:18 (UTC)Bhavesh.jp MICCagoさんが4月に編集された内容ですが、その時点及び現在の海外でのWikipedia
Osho ページと比較しますと、記載内容に大きな隔たりがあります。Oshoの存在を考慮しますと、世界各国で共有でき、かつ国際的な記載のあり方は求められて然るべきでしょう。現在、すでに記事については改編がされ、偏りのない正確なものとなっており、記事内容からもページタイトルはOshoとするのが正しいかと考えます。 ShiningStar1979(会話) 2020年10月24日 (土) 11:43 (UTC)MICCagoさんが4月に編集された内容ですが、その時点及び現在の海外でのWikipedia Osho ページと比較しますと、記載内容に大きな隔たりがあります。Oshoの存在を考慮しますと、世界各国で共有でき、かつ国際的な記載のあり方は求められて然るべきでしょう。現在、すでに記事については改編がされ、偏りのない正確なものとなっており、記事内容からもページタイトルはOshoとするのが正しいかと考えます。 ShiningStar1979︵会話︶ 2020年10月24日 (土) 11:49 (UTC) みなさん、いろいろな意見ありがとうございます。私はちょっと混乱しているのですが、OSHOとOshoと二つの表記がありますが、どちらをご希望なのでしょうか? また違いはあるのですか? 分かっている方あれば、教えてください。できればその根拠や由来なども、お願します。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月24日 (土) 12:05 (UTC)Bhavesh.jp サイトにより異なっていますが、OSHO Internationalや、OSHO JapanではOSHOの表記です。代表的なサイトでの表記に統一しても良いかと考えます。 ShiningStar1979︵会話︶ 2020年10月25日 (日) 00:43 (UTC) OSHO はロゴのようなもので、wikipedia の文章内では、Osho と明記するのが正しいでしょう。 まらかいとまっくす︵会話︶ 2020年10月25日 (日) 01:16 (UTC) まらかいとまっくすさん、ありがとうございます。理解できました。私もOsho表記に賛成します。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月25日 (日) 01:39 (UTC)Bhavesh.jp Osho、との表記の件、了解致しました。異存ありません。 ShiningStar1979︵会話︶ 2020年10月25日 (日) 03:20 (UTC) アカデミックな書籍では、ラジニーシを取り上げる場合、当然存命時が中心であり、Oshoという名前を中心に取り上げられることはありません。よって反対です。合意というのは、議論参加者全ての意見が一つの結論でまとまることです。合意もないのに冒頭の呼称青変えられている方がいますが、おやめください。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月25日 (日) 13:29 (UTC)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7f/Symbol_oppose_vote.svg/15px-Symbol_oppose_vote.svg.png)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0a/Symbol_rename_vote.svg/15px-Symbol_rename_vote.svg.png)
Google Scholarの検索結果数は、次の通りです。 ・﹁Bhagwan Shree Rajneesh﹂ 約 2,000 件 ・﹁Osho﹂ 約 13,000 件 ﹁Osho﹂の方が6倍以上になります。そもそも、Google Scholarは学術文献の検索サイトであり、論文等の文献数で知名度を図るというのは、あまり意味をなしません。 Googleにおける検索結果数ですが、以下となります。 ■英語 ・﹁Bhagwan Shree Rajneesh﹂ 約 519,000 件 ・﹁Osho﹂ 約 20,900,000 件 ■日本語 ・﹁ラジニーシ﹂ 約 45,400 件 ・﹁オショー﹂ 約 104,000 件 検索結果数は、知名度、浸透率と比例しています。結果は一目瞭然です。百科事典は、百年スパンの視座で観る必要があります。統計学的にも﹁Osho﹂がベストであることを示しています。--DY111︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 07:36 (UTC) ﹁Rajneesh﹂を伴わない﹁Osho﹂単独でヒットした件数が﹁Osho Rajneesh﹂への言及であるということはどのように確かめられたのでしょう。Googleでの検索結果には餃子の王将や大阪王将、辞典の単語やブランド名、ゲームプレイヤーのハンドル、将棋の﹁王将﹂、投資家の名前、富山の﹁大庄﹂駅などが含まれているようです。--Whatsfb︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 07:57 (UTC) Whatsfbさん、精一杯調べて、上記ぐらいだったのですね。お疲れさまです。Googleの精度が低かったのは10年ぐらい前までですものね。 --DY111︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 08:53 (UTC) ﹁精一杯調べて﹂はいません。﹁Rajneesh﹂そのものや明らかに﹁Rajneesh﹂のことを指すだろうキーワードを除外した上で、数ページ見ただけです。Googleを﹁Osho﹂単独で検索した際に﹁Osho Rajneesh﹂のことしか出ないのでしたらそれこそ精度が低いと言わざるをえないでしょう。--Whatsfb︵会話︶ 2020年10月29日 (木) 13:51 (UTC) さらに、長期的な視座で観れない方のために、理解の補助に、追記しておきます。 例えば、有名な﹁利休﹂は、生前は﹁宗易﹂と呼ばれていました。利休に変えたのは晩年です。Wikipediaにも次のように記されています。 ﹁いずれにせよ﹁利休﹂の名は晩年での名乗りであり、茶人としての人生のほとんどは宗易を名乗る。﹂ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%88%A9%E4%BC%91 わかりますか?本人の生前の略歴だから、生前に長く使われた名前を良しとする、視座の低さが。 なによりも本人の意志が尊重されて、後世に広がるものです。それを無視するということは、基本的人権を無視するということになります。 --DY111︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 08:12 (UTC)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e0/Symbol_comment_vote.svg/15px-Symbol_comment_vote.svg.png)
Strangesnowさんはちょっと混同されているようですね。文献数を基に﹁認知度﹂を測るというのがナンセンスなわけです。そもそも出典の文献数が多くても、信頼度の高さはイコールではありません。文献、論文等はピンからキリまでありますので、質の高さはあくまでもその文献1点ごとに寄ります。だから、Google Scholarは判断基準にはならないと申し上げているのです。それにしても、類似語を除いても、Oshoの方が多いでしょうけどね︵笑︶
ご指摘の︵Wikipedia:記事名の付け方︶ガイドラインにもあるように、最重要なのが名前の﹁認知度﹂です。現在と将来の一般大衆に、どの名前が浸透していくかということです。名前を決める基準は、この﹁認知度﹂です。だから、ベーシックなGoogle での検索数の方が重要になります。
また、人権に関しては、本人が明確にOshoへの改名を表明し、それから30年以上を経って世界中にその名前が浸透してきています。例えば、レディ・ガガはOshoの本を愛読していることを公言しているように、著名人や文化人、メディアではほとんどOshoという名前を使っていて、その名前で世界中で認知されています。若い人々はOshoを知っていても、ラジニーシは知りません。
このように本人の意志を無視し、現実的に世界中に浸透している知名度、認知度を無視することは、人権を尊重しないことに繋がると申し上げているのです。--DY111︵会話︶ 2020年11月2日 (月) 08:32 (UTC)
削除依頼
またセラピー等の指導内容には危険なものもあり、自由なセックスの推奨による性病︵淋病やエイズ等︶の蔓延という問題もあった[13]。
とありますが、和尚と過ごしたダイヤモンドの日々 によりますと、P145 1983年4月、コミューンは和尚からのメッセージを受け取りました。﹁エイズと呼ばれる不治の病が世界中に広まりつつある。コミューンはこれを予防する必要がある。セックスにはコンドームとゴム製の手袋を用意しなさい。﹂
和尚はこのように言いました。この話を聞いたマスコミは大喜びで、まだほとんど知られていない病気への予防策を提示したということで、それを物笑いの種にしました。その5年後、何千人もの人々がエイズで死んだあとで、アメリカの保健当局はとうやくこの病気の危険性に目覚め、かつて和尚が提示したのと全く同じような予防策を推奨するようになった。
という記述。
未知への扉 p451 1987年 アシュラムでは世界でも類をみないエイズ・フリーゾーンになり、来訪者のすべてにエイズの陰性証明書が求められるようになる。
と書いてあるので、
またセラピー等の指導内容には危険なものもあり、自由なセックスの推奨による性病︵淋病やエイズ等︶の蔓延という問題もあった[13]。
という文章は正しくありません。削除をお願いします。
--ダイヤモンド123︵会話︶ 2020年9月20日 (日) 14:49 (UTC)
﹃和尚と過ごしたダイヤモンドの日々﹄は弟子の書籍で第三者文献ではありませんし、これを根拠に出典のある文章を削除するというのは不適当な対応です。また、1987年という晩年にアシュラムでエイズに対して何らかの対応があったという情報は、それ以前に性病が蔓延してたという情報を否定する根拠にはなりえませんし、﹃未知への扉﹄は講話録なので、こちらも第三者文献ではありません。--MICCAgo︵会話︶ 2020年9月21日 (月) 10:32 (UTC)
ラジニーシ・プラムでの性病対策について、調べてわかる範囲で加筆しました。関係者以外の出典を探していただければ対応もしやすいので、気になる点は英語の情報なども確認していただければと思います。--MICCAgo︵会話︶ 2020年9月21日 (月) 11:07 (UTC)
性病の蔓延、とはどういう状況を言い表しているのでしょうか。どういう科学的な基準があるのでしょうか。そもそも﹁性病﹂とは何でしょうか? エイズが世界的に感染しはじめた時に、日本国内においても髭剃りや歯ブラシの共用を避けるように注意をうながされたし、現在の新型コロナ・ウィルスのパンデミックについても、マスクや手の洗浄などが勧められています。マスク着用が進んでいるからコロナ・ウィルスが感染している、という証拠にはならず、むしろマスクをすることによってパンデミックを防いでいる、ということになります。コンドームなどをいち早く着用を地域が仮にあったとして、その地域がすでにエイズや性病が蔓延していた、とは考えにくいです。むしろ、先進的であった、と評価すべきです。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月16日 (金) 16:01 (UTC)Bhavesh.jp
ここは私のラジニーシへの評価を書く場所ではなく、Bhavesh.jpさんの評価を書く場所でもありません。自分による評価を書いた場合、それは独自研究として除去されます。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月17日 (土) 02:33 (UTC)
私の発言は独自研究ではなく、加筆訂正へのお願いと準備です。MICCAgoさんがご自身で訂正されるか、他の方が訂正されない場合は、私自身が訂正させていただきます。よろしくお願いします。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月18日 (日) 19:54 (UTC)Bhavesh.jp
﹁先進的であった、と評価すべき﹂というのは、Bhavesh.jpさん個人の意見ではないのでしょうか?先進的な対応であったと評価する第三者の信頼できる情報源があれば、加筆いただくことはかまいません。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月19日 (月) 10:47 (UTC)
本文冒頭の﹁ゴッドマン﹂というカタカナ語の表現ですが、一般読者へのわかりやすさを目標とする百科事典としては、一見してなんの意味か理解できません。リンクされている英語版のGodman を参照すると、これがインド英語であり、﹁colloquial term﹂とあります。つまり口語表現であって、社会一般で通用する正式の用語ではないのです。
オンライン版のオックスフォード辞典では﹁Indian English, often disapproving﹂とあり、﹁しばしば非難の意味﹂が込められる用語です。また LEXICO.com では﹁Indian derogatory﹂、つまり﹁インド英語では侮蔑語﹂としています。アメリカのウェブスター辞書にこのインド英語の用例がないのは、インドを植民地化していた英国のオックスフォード辞典のようなインド英語への関心が薄いためでしょう。
以上のことを踏まえると、この﹁ゴッドマン﹂という用語は、このセンテンスに並べられた他の表現、﹁インドの宗教家、グル、神秘思想家。精神指導者﹂といった中立的な表現からは著しく逸脱するものであり、ひとつの大項目の冒頭の解説としてふさわしくありません。
どうしてもこのカタカナ語を使いたいのなら、英英辞書を検索しない一般読者にもわかりやすいように、﹁ゴッドマン︵インドの侮蔑語︶﹂等の説明を加えねばなりません。しかし、ここまで来ると、﹁ゴッドマン﹂という表現が項目の冒頭の解説にふさわしくない、偏向した表現であることは明らかです。
よって削除を要請します。--Drachma12︵会話︶ 2020年10月26日 (月) 00:26 (UTC)
Drachma12さん、明快な説明ありがとうございます。非常に説得力のあるコメントでした。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月26日 (月) 17:54 (UTC)Bhavesh.jp
コメント
●Kaur, Sapanpreet (September 2020). “A SEMIOTIC READING OF UNCONVENTIONAL FIGURE OF 'LORD KRISHNA' IN SWARAJBIR'S KRISHAN (2001): A RETELLING OF 'KHANDAVADAHA' INCIDENT”. Journal of Critical Reviews 7(4): 3912. doi:10.31838/jcr.07.14.708.
●Susan J. Palmer; Frederick Bird (1992). “Therapy, Charisma and Social Control in the Rajneesh Movement”. Special Presidential Issue Conversion, Charisma, and Institutionalization 53: S73. doi:10.2307/3711252.
●HUGH B. URBAN (2005). “Osho, from sex guru to guru of the rich”. GURUS IN AMERICA: 181.
など、複数の文献でRajneeshは"god-man"の文脈で語られており、単に偏向した表現として除去することには反対です。一般的にそのように評価されているのであれば、そう書けばよいでしょう。また、"The Divinity of Man in the Philosophy of Osho"などに見られるように、必ずしもネガティブな意味だけに用いられるものではありません。﹁ゴッドマン﹂だけでは読者に不親切だとおっしゃるのであれば、ゴッドマンの記事を執筆すべきで情報を減らす理由にはなりません。--Strangesnow︵会話︶ 2020年10月26日 (月) 19:46 (UTC)
しかし、﹁ゴッドマン﹂単独ではいかにも唐突であり、利用者に不親切です。何度でも申し上げますが、このカタカナ語だけでは一般の日本人には意味が通じません。例えば﹁オーマイゴッド﹂なら多くの普通の日本人でも理解できるでしょう。そもそもインド英語であることなど、この字面からだれが読み取れるでしょうか? 不誠実で傲慢ではありませんか? 百科事典はただ知識を際限なく増殖させることが主目的なのではなく、短時間に、手際よく、中立的な知識が得られることのほうがむしろ重要なのです。﹁ゴッドマン﹂のページを作ればいいという提案は上記の趣旨からして責任放棄です。誰がいつ作るのかもわからない新たなページに責任を押しつけることは誠実な対応とは言えません。だとすれば、利用者の便宜を勘案し、とりあえず﹁ゴッドマン︵インドの口語表現︶﹂もしくは﹁ゴッドマン︵インドの俗語︶﹂としてはいかがでしょうか。 Drachma12︵会話︶ 2020年10月26日 (月) 23:54 (UTC)
Strangesnow さんにはせっかくご意見をいただきましたが、より専門性の高い方向へのご提案と受け取りました。ここで改めて確認しておきたいのですが、百科事典はより公益性のある、より公共的な方向へと向かうのが基本、本筋であると私は考えています。その原点に立ち戻れば、利用者の第一の便宜︵中立的な知識を手軽に、手短に得られる︶にかなうように、お互いに協力し合うのが肝要かと思います。別項目をもうけることは解決にはなりません。それはそれでやりたい人がやればいいのです。しかし、このわずか一語の﹁ゴッドマン﹂であれ、それをここに放置しておくことはいかにも杜撰と言わざるをえません。以上、ご理解ください。 Drachma12︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 00:35 (UTC)
返信 Drachma12さんが﹁ゴッドマンという言葉は読者には理解できない﹂し議論相手を﹁不誠実で傲慢﹂であるとと考えていることは了解しました。ところで﹁より専門性の高い方向へのご提案と受け取りました。﹂とはどういう意味でしょうか。まったく理解できないので説明をお願いします。
Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)の観点からみてもバグワンの記事の第一文ではゴッドマンの側面は定義されるべき内容です。多少譲っても定義文が終わる﹁精神指導者という人もいる。﹂の直後に﹁しばしばゴッドマンとして言及される。﹂程度の紹介は必要でしょう。記事にとって必要な要約や定義を根拠なしに﹁私は通じないと思う﹂という主張だけで除去しようとするのはお止めください。記事の冒頭では記事全体を要約する定義・内容が記述されるべきであり、ゴッドマン、カルト指導者としての側面は主題を説明する記事には必要なものです。--Strangesnow︵会話︶ 2020年10月29日 (木) 00:38 (UTC)
両論、参考になります。ありがとうございます。私には、Drachma12さんのほうが分かりやすく、とりあえず、ここでの議論の解決策としては簡便なのかな、と期待します。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 08:05 (UTC)Bhavesh.jp
﹁ゴッドマン﹂は存続で全く問題ないと思われます。補足で意味の説明があり、理解も問題ありません。基本的に、学術的な出典のある情報は残すというのがウィキペディアの方針です。出典に問題がないのに消すという対応は見たことがありません。ゴッドマンの記述は簡潔で記事を圧迫しているということもなく、除去の必然性はないと思われます。﹁﹁ゴッドマン︵インドの口語表現︶﹂もしくは﹁ゴッドマン︵インドの俗語︶﹂ですが、インドの口語表現、インドの俗語とする根拠とする出典がなければ独自研究になりますので、合わせて出典を提示いただければ、そうしていただいてもよいと思います。﹁一般読者へのわかりやすさを目標とする百科事典﹂とのことですが、わからないことを知るためのものですので、わかりにくい単語があれば除去ではなく、補足や説明を充実させるという対応が建設的です。ウィキペディアは専門的な内容を含む記事も多いですが、書籍の百科事典と違いリソースの制限がないため説明も充実させることができます。シンプルにすべきといって記事が削られることは見受けられませんし、学術的な出典が重視される方針上学術的な内容は少なくありません。方針にのっとり存続に賛成します。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 12:47 (UTC)
MICCAgo さん、いちばん最初の書き込みで以下のような説明をしました。これでは不足ですか? Wikipedia の他の項目は使えないのですか?
リンクされている英語版のGodman を参照すると、これがインド英語であり、﹁colloquial term﹂とあります。つまり口語表現であって、社会一般で通用する正式の用語ではないのです。 オンライン版のオックスフォード辞典では﹁Indian English, often disapproving﹂とあり、﹁しばしば非難の意味﹂が込められる用語です。また LEXICO.com では﹁Indian derogatory﹂、つまり﹁インド英語では侮蔑語﹂としています。 Drachma12︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 13:54 (UTC)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e0/Symbol_comment_vote.svg/15px-Symbol_comment_vote.svg.png)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0a/Symbol_rename_vote.svg/15px-Symbol_rename_vote.svg.png)
宗教団体、教団、と呼ぶのはふさわしくない。
インナーラビリンスP20によると、
OSHOが、自分は宗教的ではあるが宗教の創始者ではないと言っている点に共感した。ふつう使われている狭義の宗教という言葉には、常に胡散臭さがつきまとうからだ。だが、彼の言う﹁宗教的﹂とは信仰を土台としない内面的探究、精神世界の求道であり、個の次元でしか可能でないから組織宗教はまったくの圏外におかれる。
とある。
消されてしまったが、以前、反逆のブッダからの引用で
OSHOは宗教性の香り高い人であったが、組織宗教というものを蛇蝎のごとく嫌い彼の後に宗教組織はないし、各地の瞑想センターにしても、決して信者を統括し、教義を堅持して敷衍するような総本山と支部ではない。[7]
とある。
実際、OSHOは宗教法人ではなく、Osho財団である。
そういうわけで、Oshoを宗教団体や、教団と呼ぶのはふさわしくない。
--ダイヤモンド123︵会話︶ 2020年9月22日 (火) 12:34 (UTC)
それは貴方の見解で、ここは個人的な見解を開陳する場ではありません。現在のOsho財団は自らを宗教団体ではないと考えているという使用可能な出典があるなら、そう加筆することは可能です。しかし、対立する意見を加筆したとしても、他の文章を削除することはできません。--MICCAgo︵会話︶ 2020年9月22日 (火) 13:25 (UTC)
ダイヤモンド123さんのどこが個人的な﹁見解﹂なのでしょうか。おそらく多数はダイヤモンド123さんの書き込みを裏付けることとなると思います。必要なら出典を多数提示することは可能であり、長いリストになると思います。むしろMICCAgo|MICCAgoさんのご意見に違和感を感じます--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月16日 (金) 15:50 (UTC)Bhavesh.jp
出典を提示することは無論必要です。違和感というあいまいな言い方だとお返事が困難なので、信頼ある第三者の、学術的またはジャーナリズムの出典を提示してご意見いただければと存じます。オショー国際財団のホームページや関連組織の情報、本人・関係者の著作からの賞賛などの一次資料は、出典として使用することが難しいので避けてください。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月17日 (土) 02:33 (UTC)
MICCAgoさんは、多数ある資料のなかから、恣意的に選び出し、なおかつ、両論併記の資料なかから、特に偏った表現の一部だけを使用する傾向があります。ご自身で引用されるなら、自分の意向に沿った部分ばかりではなく、全体を咀嚼して、より中立的な代表的な部分をご利用ください。すでに、参考資料を手元で確認しました。ひとつひとつ訂正させていただきたいとは思いますが、その前に、まずは、今後MICCAgoさんの編集方針として、中立的な表現で裏付けの取れた部分を引用してください。また、同じ意味で、他の編集者の中立的な表現を、一方的に加筆訂正削除しないでください。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月18日 (日) 20:06 (UTC)Bhavesh.jp
内容にふさわしいタイトルにしました。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月25日 (日) 10:39 (UTC)Bhavesh.jp
こちらも、上記の私のコメントのあとに、別の編集者の手により変更が加えらています。さまざまな意見があることを認識している最中です。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月26日 (月) 02:36 (UTC)Bhavesh.jp
一次資料を使った称賛の加筆について
本人の著作や関係者の著作といった一次資料を使った称賛の加筆は避けてください。Wikipedia:自分自身の記事、Wikipedia:信頼できる情報源などをお読みください。賞賛を加筆することは問題ありませんが、客観的な第三者出典、できるなら学術的な資料を用いてください。本当に素晴らしい人物なら、関係者以外の客観的な肯定的意見が見つかると思います。また、百科事典ですので、ただ褒めている文章ではなく、客観的に見てどこがどう素晴らしいのか、内容のある文章を記載してください。よろしくお願いいたします。--MICCAgo︵会話︶ 2020年9月23日 (水) 11:32 (UTC)
信頼できる出版元によって、その情報が入手できる状態になっていない一次資料は、使ってはいけません。
と、ウィキペディアの説明に書いてあります。
簡単に入手できる資料を使ってます。--ダイヤモンド123︵会話︶ 2020年9月23日 (水) 12:07 (UTC)
一つ例として評価を追加しましたが、まず、トム・ロビンスの評価を﹁イエス・キリスト以来、最も危険な男﹂としか書かなければ、ラジニーシへの批判になりますが、この方の評価は前後の文脈を含めば肯定的なもので、一部だけを取り出して批判にしてはいけません。私が加筆したものを読んでいただければ、トム・ロビンスがどのようにラジニーシを評価し称賛したかわかっていただけると思いますが、ただ﹁たぐいまれな人物﹂﹁非常にすばらしい﹂﹁前代未聞﹂﹁心が打たれる﹂というように褒めても、実質的に内容がなく、百科事典の文章として意味がありません。出典は簡単に入手できる資料であればいいわけではなく、中立性に配慮する必要があります。本人や関係者の著作でどれだけ称賛されていても、客観的な担保がなく、そうした資料を出典に加筆した文章は自画自賛になってしまい、中立的ではありません。一次資料でも他者の言葉の引用だと思われるかもしれませんが、それが正確なものか、恣意的な引用はされていないか、判断ができません。繰り返しになりますが、本当に素晴らしい人物なら、関係者以外の客観的な肯定的意見が見つかると思います。手間を省かず、資料を探してください。--MICCAgo︵会話︶ 2020年9月23日 (水) 12:47 (UTC)
トム・ロビンスの﹁イエス・キリスト以来、最も危険な男﹂という評価は、批判でも賞賛でもないと思います。イエス・キリストを﹁危険﹂と見るか、安全と見るか、それは読者にゆだねられているので、短いコピーであっても無効であるとは思えません。むしろ、読者の熟考を誘う、という意味で、中立的な名コピーだと思います。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月16日 (金) 15:44 (UTC)Bhavesh.jp
コピーは残っていますが、何をおっしゃりたいのでしょうか。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月17日 (土) 02:33 (UTC)
MICCAgoさんが、理解されないのであれば、いずれ、もうすこしかみ砕いて説明させていただきますが、他の編集者の意図を中立的にくみ上げるいただけるよう、理解力を高めていただければ幸いです。何処が分からないか、質問していただけると、参考になります。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月18日 (日) 20:15 (UTC)Bhavesh.jp
﹁短いコピーであっても無効であるとは思えません。﹂とおっしゃっていますが、私はコピーが無効だといったでしょうか?あと皆様、読みにくいのでインデントをつけていただけないでしょうか。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月19日 (月) 10:47 (UTC)
MICCAgoさん、他の編集者の意向も少しは汲んでいただければ幸いです。一人で長期にわたり、独自研究ともいえる内容を、引用文を使って装うのは、いかがなのでしょう。自粛してください。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月25日 (日) 10:35 (UTC)Bhavesh.jp
﹁独自研究ともいえる内容を、引用文を使って装う﹂とはどこの記述でしょうか?具体的にお願いします。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 11:50 (UTC)
MICCAgoさん、質問ありがとうございます。探しておきますので、少々お時間ください。ただ、正直申し上げますと、あなたの編集そのもの全体が、そう見えてしかたないのですよ。ごめんなさいね。最初の4月の印象とガラリと変化してしまったのは、最初から、いくつかの印象的な文献を特徴的に使い、つなぎ合わせているからではないか、と考えています。印象だけで言うな、といわれそうですが・・・・。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 12:32 (UTC)Bhavesh.jp
ゴッドマン(世俗に関わるやや胡散臭い聖者[1][2])という表記は中立ではないと思います。
Oshoは、インドでは光明を得たマスターとして有名で、モディ大統領も大統領になる前にグジャラートの瞑想センターを訪れています。インドではOshoの誕生日には大きなバースデイパーティーが行われ、TVで放映されます。そういう人対してゴットマンという表記はふさわしくないと思います。確かにその資料を出せといわれてもそのような資料があるのかどうかはまだわかりません。
MICCAgo さんの主観がそのまま反映されたページで中立ではありません。
--ダイヤモンド123︵会話︶ 2020年9月23日 (水) 12:47 (UTC)
学者による出典があり、主観ではありません。中立性に問題はありません。--MICCAgo︵会話︶ 2020年9月23日 (水) 12:57 (UTC)
差し戻した件についてのコメントですが、控訴の理由が正当であろうとなかろうと相手を訴えることはできますので、名誉毀損で訴えられたといって、ヒュー・ミルンの書籍が信頼できないということにはなりません。学者が参考にしうると評価し、研究に用いているとわざわざ言及しているので、こうした信頼できる・できないの無益なやり取りをなくすためにも、学者の評価は残してください。もう1点、﹁ゴッドマン﹂という言葉は日本では一般的でなく、説明がなければ意味が分かりませんので、消さないでください。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月14日 (水) 14:51 (UTC)
これは日本語版のWikipediaであり、あえてここでゴットマンという表記を使って、形容の羅列を重ねる必要があるのでしょうか。わざわざ説明までつける必然性がわかりません。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月16日 (金) 15:36 (UTC)Bhavesh.jp
それは個人的なご意見なので、消す理由としては不十分かと存じます。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月17日 (土) 02:33 (UTC)
これは個人的な意見ではありません。多くの研究がありますが、ゴットマンという表現が使われているのは、ごく一部の方の表現です。むしろ、膨大な研究の中から、一個人や少数の研究をもとに、その人物全体の形容となるような部分に冠するのは中立とは思えません。それこそ﹁個人的な意見﹂となります。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月18日 (日) 20:20 (UTC)Bhavesh.jp
ゴットマンという表現が使われているのは、ごく一部の方の表現であり、そうした形容が不適切であるという学術的な出典をご提示ください。提示いただければ両論併記すればよろしいかと存じます。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月19日 (月) 10:47 (UTC)
MICCAgoさま、ゴットマンという表記が一般的な表現である、という根拠をお示しください。よろしくお願いします。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月25日 (日) 07:09 (UTC)Bhavesh.jp
削除依頼の項に次のコメントがあり、大変参考になりました。個人的には、こちらに大きく関係しているコメントなのではないか、と判断し、失礼ながら、私個人の判断で、こちらにもコピーいたします。各編集者のみなさまの参考になる行為であることを願っています。お許しください。
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本文冒頭の﹁ゴッドマン﹂というカタカナ語の表現ですが、一般読者へのわかりやすさを目標とする百科事典としては、一見してなんの意味か理解できません。リンクされている英語版のGodman を参照すると、これがインド英語であり、﹁colloquial term﹂とあります。つまり口語表現であって、社会一般で通用する正式の用語ではないのです。 オンライン版のオックスフォード辞典では﹁Indian English, often disapproving﹂とあり、﹁しばしば非難の意味﹂が込められる用語です。また LEXICO.com では﹁Indian derogatory﹂、つまり﹁インド英語では侮蔑語﹂としています。アメリカのウェブスター辞書にこのインド英語の用例がないのは、インドを植民地化していた英国のオックスフォード辞典のようなインド英語への関心が薄いためでしょう。 以上のことを踏まえると、この﹁ゴッドマン﹂という用語は、このセンテンスに並べられた他の表現、﹁インドの宗教家、グル、神秘思想家。精神指導者﹂といった中立的な表現からは著しく逸脱するものであり、ひとつの大項目の冒頭の解説としてふさわしくありません。 どうしてもこのカタカナ語を使いたいのなら、英英辞書を検索しない一般読者にもわかりやすいように、﹁ゴッドマン︵インドの侮蔑語︶﹂等の説明を加えねばなりません。しかし、ここまで来ると、﹁ゴッドマン﹂という表現が項目の冒頭の解説にふさわしくない、偏向した表現であることは明らかです。 よって削除を要請します。--Drachma12︵会話︶ 2020年10月26日 (月) 00:26 (UTC)
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--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月26日 (月) 02:57 (UTC)Bhavesh.jp
MICCAgoさん、﹁そうした形容が不適切であるという学術的な出典をご提示ください﹂とありますが、私個人は、上記Drachma12さんのご説明に、なるほど、と腑に落ちるところがありました。それに対する反証等をお待ちしていてよろしいでしょうか? それとも﹁提示いただければ両論併記すればよろしい﹂ということであれば、そのようにさせていただいてよろしいですか? その場合、Drachma12さんのおっしゃる通り﹁﹁ゴッドマン﹂という表現が項目の冒頭の解説にふさわしくない、偏向した表現であることは明らか﹂なのであれば、少なくとも冒頭の解説からははずし、下位のスペースに移し、なお、Drachma12さんの説明等を参考にしながら、最小限の﹁両論併記﹂の理由等を付記する、という形を了承いただけますか? ご回答をお待ちします。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月26日 (月) 05:27 (UTC)Bhavesh.jp
MICCAgo さん、その他の皆さん。﹁削除以来﹂のほうでは私の発言に続き Strangesnow さんがコメントされています。それに対して私も二度にわたり意見を述べさせていただきました。その辺りを見ていただければ、私の論旨は明らかと思われます。今回の大幅な加筆や差し戻しなど、最大の活動を行っている執筆者は MICCAgo さんあなたであり、﹁ゴッドマン﹂もあなたの記述ですので、この件についてどうお考えなのか、こちらでも削除依頼のほうでも、どちらでもけっこうですのでお聞かせください。 Drachma12︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 05:27 (UTC)
英語版でもトップに来ている単語であり、学術的な出典もあるため、ウィキペディアの方針にのっとって判断するなら、存続で問題ありません。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 12:47 (UTC)
削除依頼のほうでくわしく説明しました。 Drachma12︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 13:56 (UTC)
このページ全体が非常に偏りのある内容となっております。
このページは一人の人間よって書かれ、非常に偏りのあるページとなっております。非常に問題と感じております。
ニュー・ミルン﹃ラジニーシ 堕ちた神﹄は、名誉毀損で訴えられているものであり、その本を元にした文献を数多く引用したもので出来上がっているページです。--ダイヤモンド123︵会話︶ 2020年10月14日 (水) 15:02 (UTC)
ダイヤモンド123さんは、学者たちがミルンの本を評価して参考にしていることを否定されており、つまり、学術研究、アカデミックな資料を否定されているということになります。また、出典にミルンの本を元にした文献が多いというご意見も、根拠が示されておりません。英語の出典が多いですが、それも含め、入手されて参考文献を確認されたということでしょうか?それとも印象ですか?ミルンの本だけを参考に書かれた本はなかろうと思われます。このような学術研究やジャーナリズムを否定する評価の仕方は、ウィキペディアの評価軸と真逆になりますので、ルールにそった問題提起をお願いいたします。気持ちによる判断にならないようご留意ください。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月14日 (水) 15:25 (UTC)
私は、むしろ、ダイヤモンド123さんの意見に賛成です。4月29日以降、MICCAgoさんが、おひとりでこのページに手を入れられてきているようですが、それまでの多くの人々の合意に於いて成り立っていた文章についても、ほとんどおひとりで編集されてきました。もうすこし多数による意見をとりいれていただきたい、と思います。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月16日 (金) 15:32 (UTC)Bhavesh.jp
﹁それまでの多くの人々の合意に於いて成り立っていた文章﹂とありますが、削除されず放置されていれば、出典がなくてもいいわけではありません。むしろそういった出典のないファンエッセイのようなものは、百科事典の記事とは言えず、ウィキペディアの方針に抵触しています。私がほかの方の意見を取り入れないように見えているなら、加筆が出典をつけていなかったり、ファンエッセイのようなものだったり、百科事典的な内容でないなどの問題があるためで、問題をクリアしている加筆を消すことは致しません。きちんと第三者の信頼できる情報源を探し、ほかの方の文章を参考にするなどして、残して問題のない加筆をしていただければと思います。
Swachidさんの削除についてですが、足立は論文で﹁つまり、少なくともラジニーシは、サルモネラ菌散布を承知していた﹂と書いていますので、事実誤認ではありません。近年の研究という書き方では明確さが欠けていたのだと思いますので、足立の見解だとわかるようにし復帰しました。
SapphireeiPさんが修正いただいた引用ですが、冒頭の﹁LOVE﹂が唐突で理解ができなかったので、いったん消しています。これはLOVEに関する十戒だということでしたら、そうわかるよう補足していただければ問題ありません。また出典の書誌情報が不足しており、出典のつけ方は、ほかの出典を参考に同じようにしていただけますでしょうか。
これは友人や弟子に宛てた私信です。"Love"は日本の手紙に使う﹁拝啓﹂などの頭語に当たります。訳すと﹁愛する者へ﹂といった感じでしょうか。ですが、邦訳書には"Love"となっていたので、そのようにしました。同じように邦訳書には句点がなかったので、あのようにしました。"Love"を戻していただけますか? それともこちらから戻す必要があるのでしょうか? 出典方法はウィキペディアのヘルプを参照したのですが、再度見直します。--SapphireeiP︵会話︶ 2020年10月17日 (土) 10:10 (UTC)
SapphireeiPさん、ご説明ありがとうございます。復帰いたしました。出典方法に関しては、厳しく言ってしまいすみません。出典のつけ方にはいろいろなやり方があり、本ページの場合、参考文献・関連文献の節に出典の情報があり、そこに内部リンクする形で各文章の出典がついているのですが、慣れないとテンプレートの利用は難しい面もありますので、著者名、翻訳者名、著作名、出版社、出版年の情報があれば、とりあえず問題ございません。これが欠けていると、誰かが著作の情報を調べて加筆することになりますので、よろしくお願いいたします。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月17日 (土) 11:21 (UTC)
ラジニーシのファンの方々の加筆についてですが、ルールを守っていないため、削除せざるを得ないという面がありますので、手を抜かず、出典を探し、ほかの優良記事の書き方などを参考にしていただければと思います。ウィキペディアの方針に合致した姿勢での加筆で、出典が第三者のもので信頼性が十分であるなら、好意的な見解・否定的な見解への反対意見が増えることに異論はございません。漠然と誰々の意見に賛成というのではなく、具体的にどこにどう問題があり、どう直したい、両論併記したい、その根拠となる出典はこれです、という風にご提案いただければ、建設的な議論ができ、良いのではないかと思います。よろしくお願いいたします。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月17日 (土) 01:56 (UTC)
どうして、﹁ファンの方々﹂という表現になるのでしょうか? それぞれが独立した編集者であり、それぞれの立場でそれぞれ編集しているのですから、ひとりひとりが尊重されて、十分その意見が参考にされるべきです。MICCAgoさんは、その言葉遣いで、他の独立した編集者を嘲笑している、と思われかねません。おやめください。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月18日 (日) 20:27 (UTC)Bhavesh.jp
内容についてふさわしいタイトルにしました。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月25日 (日) 10:41 (UTC)Bhavesh.jp
ここも、上記私のコメントのあとに、別の編集者の手により、あらたな変更がされています。様々な意見があることを理解している最中です。ありがとうございます。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月26日 (月) 03:18 (UTC)Bhavesh.jp
このページ全体が非常に偏りのある内容となっております。
Wikipediaの編集歴が浅く、または全くない利用者で、ダイヤモンド123さん側の立場の方の議論への意見が続いたため、Wikipedia:多重アカウント#ミートパペット行為をご案内いたします。身近な同意見の方への声掛けなどされている方がいらっしゃったら、まとめてブロックされる可能性も出てしまいますので、こういった方針があるということをご留意ください。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月17日 (土) 11:21 (UTC)
wikiは初心者や新規を歓迎してますよ。わたしは、このページは1人の人が書いて偏りがある、と以前にノートに書いただけです。それに、MiCCAgoさん、この場を借りてお伝えしますが、信頼できる情報源に ウキペディア日本語版では、可能な限り日本語による情報源をさがすべきであり、常に日本語による情報源を日本語以外の言語による情報源より優先して使用すべきです。
と、書いてあります。--ダイヤモンド123︵会話︶ 2020年10月18日 (日) 12:31 (UTC)
日本語の出典でなければ消していいというルールはありましたか?﹁ここは日本なので日本語文献から引用。﹂という理由付けは、英語出典の文章を消す理由として成立しない、と申し上げております。英語圏で活動された人物記事で、英語出典の文章を消していいなどということになったら、多くな記事が無残なことになるでしょう。加筆と同時ならほかの出典のある文章を消していいわけではないことは、ご理解いただけますでしょうか。編集内容は都度拝見しております。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月18日 (日) 12:52 (UTC)
それを言うならMiCCAgoさんもどんどん参考文献付きの文章を消しているでしょう? 何かといいががりをつけて。ヨーガを押したいばかりにOshoのページを偏ったものにし、わざと偏った参考文献を探して掲載し、あなたにとって不都合な事はどんどん消していくやり方やめていただけますか? --ダイヤモンド123︵会話︶ 2020年10月18日 (日) 13:01 (UTC)
Wikipedia:信頼できる情報源#日本語以外の言語で書かれた情報源には、﹁例えば、相当する記事が日本語の新聞にないような場合以外は、外国語の新聞を情報源として使ってはいけません。しかし外国語の情報源は、検証可能性や、日本語の情報源と同じ基準に従うという観点では受け入れられます。﹂とあります。差分‥バグワン・シュリ・ラジニーシをご覧いただけば、ダイヤモンド123さんが加筆と同時に﹁最後は寝たきりで笑気ガス中毒だった[1]。﹂という文章を消していることが分かりますが、このような出典のある文章を勝手に消すことはルール違反です。﹁日本語以外の言語で書かれた情報源﹂に書かれた内容に従うなら、﹁ラジニーシは最後は寝たきりで笑気ガス中毒だった﹂という内容の日本語の情報を探し、Kickの出典に追加または差し替える対応をされることは問題ありません。
ダイヤモンド123さんが関係者やラジニーシ本人の講話集を出典に賞賛を加筆された際に言いましたが、手間を省かず、第三者の信頼性のある文献を探してください。消している理由はご説明しておりますので、問題点をクリアしてください。
また、Wikipedia:個人攻撃はしないをご一読ください。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月18日 (日) 13:22 (UTC)
インデント戻します。Anand Sanatanoさんがご自身のページで、本ページを編集する仲間を募集していらっしゃいましたが、そう言った行為はおやめください。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月18日 (日) 14:12 (UTC)
MICCAgoさんは、﹁おやめください﹂とおっしゃってますが、当該行為は、単に推奨されていない、というだけで、禁止事項ではありません。MICCAgoさんは、﹁おやめください﹂と個人的に発言する前に、他の人々の意見も参照するなり、意見を求めてはいかがでしょうか? --Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月18日 (日) 19:47 (UTC)Bhavesh.jp
私自身、長期に渡ってWikipediaのオショーページを見ておりませんでした。前回の改編時にチェック出来なかったため現在新たな編集が必要ではないかと思っております。同様に多くの友人がページの現状を見ておらず、メッセージとして参加を呼び掛けているところです。当然参加するか否かは各人の自由意思です。基本的には個人としての編集作業です。当面は編集ノート作成となります。宜しくお願いします。 Anand Sanatano︵会話︶ 2020年10月19日 (月) 00:13 (UTC)
Wikipedia:多重アカウント#ミートパペット行為には、﹁友人や親族や、自分と同意見のコミュニティの人々にウィキペディアの記事について知らせ、ウィキペディアへ招き入れて議論におけるあなたの立場へ味方させることは不適切であると考えられています。﹂とあり、まさにその参加の呼びかけが問題だと書かれています。ご理解ください。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月19日 (月) 10:47 (UTC)
MICCAgoさん、一人の人間が半年にわたり、好き放題書いてよい、とも、どこにも書いてませんよ。一人で勝手に予告もなく改ざんしないでください。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月25日 (日) 10:31 (UTC)Bhavesh.jp、
第三者の信頼できる情報源に沿った記述をすることも、出典のある記述が除去されていた場合の復帰も、出典のない記述の除去も、予告を必要とされる行為ではありません。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 11:50 (UTC)
ガイドラインの﹁検証可能性﹂の初めに以下の文言があります。
大きな変更を加える場合は、先にノートページで提案してください。
︵中略︶記事は可能なかぎり情報源を明記すべきです。情報源が明らかでない内容は、異議を述べて取り除くことができます。
先にノートで提案すること、予め異議を述べること、とあります。MICCAgo さんは四月末からの大幅な削除や加筆でこれを守りましたか? ガイドラインのもっと基本的な部分には﹁マナーを守る﹂﹁お互いを尊重する﹂とあります。これに沿うなら、ノートに大幅な加筆や出典のない記述の削除を﹁宣言﹂し、二週間ぐらいは待つぐらいの慎重さがあってしかるべきでした。それをやっていれば、いまでもノートでそれらの発言を確認できたはずなのです。ましてや、四月以前の記述にもそれなりに出典がついていたのに、それらも消してしまったのだとしたら、まったくもってなにをかいわんやです。 Drachma12︵会話︶ 2020年10月28日 (水) 15:28 (UTC)
Shepherd︵https://www.kevinrdshepherd.info︶からの引用が多くみられますが、当該サイトはWikipedia編集方針の自己公表された情報源に該当しないでしょうか?
Shepherdの内容には、個人のウェブサイトの様なところから引用が多くみられます。
Wikipedia編集方針には自己公表された本や個人のウェブサイト、ブログの大部分は情報源として受け入れられませんとあります。故にShepherdのウェブサイトは信頼できる情報源に該当しないと思います。
︵例︶
https://www.enlightened-spirituality.org
http://meditation-handbook.50webs.com
http://www.sannyasnews.org/sannyasnews/index.html
http://ashejournal.com/two/davisson.shtml
http://www.paulmorantz.com/cult/escape-from-rajeneeshpuram/
反論がない場合は、引用した全ての記述を削除させて頂きます。
--GViknn-P︵会話︶ 2020年10月18日 (日) 15:52 (UTC)
ウィキペディアの方針を鑑み、建設的なご意見を提案いただきありがとうございます。Shepherdは著作家なので、彼のサイトも信頼性があると思い使用していましたが、おっしゃることはもっともですので、Shepherdの出典と一緒に他の出典がついている記述の巻き込み削除にだけ留意いただければ、消していただいて構いません。
加筆いただいた部分も拝見しました。﹁ラジニーシがサルモネラ菌散布を承知していれば、米国における共謀罪に問われるはずであるが、実際には有罪どころか訴追もされていない。参照されている足達好正文献のソース︵Seth Carus︶には﹁承知していた﹂と断定できるような記述は見当たらない。﹂という加筆ですが、こうした書き方は望ましくありません。カルスの著作の出典のページには、シーラがラジニーシが人々を傷つけないのが一番だが、何人か死んでも気にすることはないとコメントしたと語ったとあり、足立のカルスの著作の引用は正確です。シーラの言葉によれば、ラジニーシは事前に計画の存在を知っており、人々を傷つけることを許容していたということになりますが、シーラの言葉をそのまま事実とすることはできないというご意見は当然あるだろうと思います。﹁~という記述は見当たらない。﹂という表現は、人によって見解が異なることになりますで、﹁シーラは~と述べている﹂﹁シーラの供述を根拠に、足立は~と述べている﹂という記述ならよいと思います。また、共謀罪については、ラジニーシは司法取引をしていますし、﹁ラジニーシがサルモネラ菌散布を承知していれば、米国における共謀罪に問われるはず﹂という出典がありませんので、これも個人の見解になります。書き方を調整していただけますでしょうか。よろしくお願いします。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月19日 (月) 10:47 (UTC)
もう一つすみません。King, Elroyの出典のページ番号を入れてください。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月19日 (月) 10:57 (UTC)
Miccago様
この度、ご指摘させて頂きました件につきまして、ご理解を賜りありがとうございます。時間がかかるかもしれませんが、
削除をさせて頂きたいと存じます。巻き込み削除などがございましたら、ご教示を頂ければ幸いに存じます。
よろしくお願い申し上げます。
また、加筆部分のご指摘がございましたが、その部分の加筆は私が行ったものでございましょうか?
ご確認を願います。--GViknn-P︵会話︶ 2020年10月19日 (月) 13:08 (UTC)
GViknn-Pさん、よろしくお願いします。対応がひと段落してからお声がけいただけば、私のほうでも確認します。削除で文脈が不自然になる箇所があれば、合わせて調整いただくか、ご相談ください。
加筆の件ですが、大変失礼しました。GViknn-Pさんではなく、Swachidさんですね。Swachidさん、ご確認よろしくお願いいたします。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月19日 (月) 13:19 (UTC)
MICCAgo 様、
昨日、追加投稿したSwachidです。
>足達好正文献のソース︵Seth Carus︶には﹁承知していた﹂と断定できるような記述は見当たらない。﹂という加筆ですが、こうした書き方は望ましくありません。
この件についてお答えします。上記の追加は短い投稿にしたかったため、要点のみ記述しています。
これはKD︵David Berry Knapp︶がシーラから聞いたことです。つまり、﹁ラジニーシが……と語った﹂とシーラがKDに語ったのをKDが証言しているわけです。伝聞の伝聞ですね。私は研究者である足達がこんな情報に基づいて︵ラジニーシが︶﹁承知していた﹂と断定するはずがないと思いましたので、ソース︵Seth Carus︶の他の部分をざっと確認してみましたが、﹁承知していた﹂と断定できるような記述は見当たりませんでしたと書きました。
>カルスの著作の出典のページには、シーラがラジニーシが人々を傷つけないのが一番だが、何人か死んでも気にすることはないとコメントしたと語ったとあり、足立のカルスの著作の引用は正確です。
厳密には違います。カルスの著作の出典のページの情報を要約すると、ラジニーシが語ったとシーラが言ったをKDが聞いたと書かれています。そこから足達は︵ラジニーシが︶﹁承知していた﹂と断定していますが、とうてい断言できるレベルの情報ではありません。
KDがそのように証言したのは記録ですから事実ですが、シーラが本当にKDにそのように語ったのかどうかは調査が必要でしょうし、ラジニーシが本当にシーラに語ったのかどうかはさらなる調査が必要でしょう。そのようなプロセスを経ずに足達が﹁承知していた﹂と断定するのは誤り︵軽率︶だと思います。
米国の法執行当局は当然そのような︵証拠採用のための裏付け︶調査を行っているはずであり、その結果訴追しなかったのです。
>﹁ラジニーシがサルモネラ菌散布を承知していれば、米国における共謀罪に問われるはず﹂という出典がありませんので、これも個人の見解になります。
これは事実に基づいた解説です。このサルモネラ菌散布の事件は重大な犯罪であり、刑事告発されるべき事件です。ラジニーシがサルモネラ菌散布を承知していたのであれば︵または少なくともその容疑があれば︶、︵米国には共謀罪があるため︶法執行当局が司法取引を提示して出国させることはあり得ないのです。
これについて連邦検事らが語っているのが直前に追加した以下の地元新聞からの引用の翻訳です︵英語版Wikiの﹁Rajneesh﹂のページから引用しました。引用元が新聞のためか、リンクはありませんでした︶。
当時米国の連邦検事であったチャールズ・ターナーとデイヴ・フロンマイヤー検事総長は、﹁ラジニーシプーラムで明らかになったすべての犯罪行為について、︵ラジニーシが︶関与をしていたという証拠がほとんどなかった﹂ことを認めた[24]。
>共謀罪については、ラジニーシは司法取引をしています
この場合、司法取引は関係ありません。この件の司法取引について説明します。司法取引に言及するなら、内容を調べてからにしてください。
Twelve days after Rajneesh's arrest, he was released in Portland on $500,000 bail. Six days later he agreed to a plea bargain on two out of the original 35 immigration charges. (A Passage to America P.17) (https://ildspor.files.wordpress.com/2018/03/159239659-a-passage-to-america.pdf)
ラジニーシは起訴状の移民法関連の35項目中の2項目を司法取引によって認めることに同意しました。
この司法取引は厳密にはAlford plea︵アルフォード・プリー、有罪答弁︶です。つまり、﹁容疑については否定しつつ、自分が有罪となることについては同意する﹂ということです。
起訴状にあった35項目は︵通常は書類送検で終わる︶移民法関連であり、ラジニーシプーラムで明らかになった犯罪行為に関する項目はありませんでした。その中の2項目を認めて出国することに同意したわけです。
--Swachid︵会話︶ 2020年10月20日 (火) 07:22 (UTC)
セス・カルスと足立の文献についてですが、Swachidさんの中にあるその流れが読者には分からず、独自研究になっています。セスの書籍を出典として追加し、セスの書籍に書かれている内容と、足立の見解が分かるように加筆していただけないでしょうか。読者がその二つを見比べ、それぞれ判断すればよいことなので、二つを読み比べると~だ、といったことも書かないほうが良いかと思います。︵個人的には、あなたの見解にうなずく部分も大きいですが︶
司法取引に関しては、Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成になっているのではないかという懸念があります。誰が出典を確認しても、出典でシンプルにその内容が確認できる、という程度で書くべきなので、こういうことならほぼほぼそうだろうと感じる場合でも、明確な出典がない場合は書くことは避けてください。よろしくお願いいたします。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月21日 (水) 12:51 (UTC)
MICCAgoさん、
あなたは、最も重要で基本的なことに気づいていません。ラジニーシプーラムで明らかになったすべての犯罪行為について、ラジニーシは﹁有罪どころか訴追もされていない﹂という事実です。それを踏まえた上でさまざまな資料を調査吟味し、自分の意思で掲載するのかどうかを判断する必要があります。
足達やミルンは︵学位や書籍売上などの︶自分たちの都合によって、そこを無視して、カルト教団、テロ、オウムというレッテルを貼ってから議論を始めます。彼らの都合によって、ラジニーシは犯罪者でなければならないのです。しかし、ラジニーシは、あの一連の事件とは法的に無関係であり、法的に無実なのです。足達の﹁承知していた﹂という断定は根拠が不十分であり、とうてい論文で断定できるレベルの史実ではありません。
シーラが言ったことをKDが聞いたことがあるということですが、シーラは本当にラジニーシに犯罪の計画について話したかどうかの検証が必要であり、その後にラジニーシがその際に本当にその文脈でシーラが言ったとおりに答えたのかどうかの検証も必要でしょう。明らかに調査検証不足でありながら足達は断定しています。
以下のWikipediaのページをお読みください。
Wikipedia:名誉毀損︵https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%90%8D%E8%AA%89%E6%AF%80%E6%90%8D︶
特に日本法においては真実性・相当性等に関する証明責任が表現者側に課されており、現実的悪意の法理が認められているアメリカ等に比べると名誉毀損が成立しうる範囲がかなり広いといえます。記述対象にとってネガティブな情報を記述する場合は、充分慎重に判断して、名誉毀損の可能性があるなら書かないようにすることが重要です。
ラジニーシは﹁有罪どころか訴追もされていない﹂わけですから、あの一連の犯罪に対して、法的には私たち同様に無関係なのです。無実の個人が犯罪に関わったことを記述するのは、中でも最も重大な誹謗中傷のひとつです。
﹁日本法においては真実性・相当性等に関する証明責任が表現者側に課されて﹂いるのですよ。あなたが引用した内容の問題性について他の編集者が指摘したら、表現者であるあなたに証明責任があるのです。論文などの資料からの引用だからというような理由は通用しません。
司法取引については、私が提示した書籍からの引用を確認しましたか? 起訴状にあった35項目は︵通常は書類送検で終わる︶移民法関連であり、ラジニーシプーラムで明らかになった犯罪行為に関する項目はありませんでした。この点に同意なさるなら、直前の﹁︵他の容疑は司法取引で不問︶﹂を削除してください。--Swachid︵会話︶ 2020年10月21日 (水) 23:10 (UTC) 足沢氏の著作を出典に修正しました。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月25日 (日) 13:29 (UTC)
司法取引については、私が提示した書籍からの引用を確認しましたか? 起訴状にあった35項目は︵通常は書類送検で終わる︶移民法関連であり、ラジニーシプーラムで明らかになった犯罪行為に関する項目はありませんでした。この点に同意なさるなら、直前の﹁︵他の容疑は司法取引で不問︶﹂を削除してください。--Swachid︵会話︶ 2020年10月21日 (水) 23:10 (UTC) 足沢氏の著作を出典に修正しました。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月25日 (日) 13:29 (UTC)
MICCAgoさん、Swachidさんとの対話、大変興味深く拝見しています。ただ、その根拠となる資料は、私は手元にありません。その出典となる資料なり、Web情報なりをお示ししていただくことは可能でしょうか。私だけではなく、他の編集者の方々の参考にも益するものと考えます。よろしくお願いします。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月26日 (月) 03:26 (UTC)Bhavesh.jpMICCAgoさん、 あなたは﹁サルモネラ菌を使用したバイオテロ﹂で、未だに﹁自衛隊でCBRNテロリズムを研究する足達好正は、セス・カルスの著作の伝聞を参考に、ラジニーシはサルモネラ菌散布を承知していたとしている[82]。﹂という記述を残していますが、私が指摘したように個人を誹謗中傷する内容に関しては、Wikipedia当局が指定しているように﹁表現者であるあなたに証明責任がある﹂のです。足達でもなく、足沢でもなく、﹁あなた﹂が﹁承知していた﹂と記述する根拠を示してください。 私を含めたチームは95年に﹁米国にオウムのようなカルト教団があった﹂という趣旨の報道が雑誌テレビなどで大々的に報道されたときにその対応に当たりました。その結果、多くのメディアが報道内容に事実誤認があったことについて謝罪しました。日テレ、TBS、フジは番組内で謝罪文を読み上げました。この事件は36年の前に起こった事件であり、私は今回も当時の資料を使って反論しています。当時からもはやこれに関する新しい事実は出ていないためです。テレビメディアが番組内でかなりの量の謝罪文を読み上げるのは異例のことですが、その事実誤認というのが今回も指摘している法的に非常に明確で単純な事実です。Oshoはこの一連の事件に関与していないのです。メディアが即座に謝罪したのはそのためでした。あなたは、この点に関する自身の事実誤認をしっかり確認し、事実誤認が含まれる引用を削除する必要があります。--Swachid︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 00:43 (UTC) 私が根拠を示すなら、それはウィキペディアの方針において独自研究になります。私は根拠を示すことはできず、信頼できる情報源と判断される情報を用いて記述するのみです。足立の出典を使うことができない、それはこの学術的な出典と記述に矛盾があり、正確性に問題があると思われる、よって足達の出典を根拠にした記述は除去するべきだ、という提案は可能かと思われます。私について問うのではなく、個々の出典、個々の記述について検討・提案してください。私を説得されても、ルールに合わせ、具体的に提案いただかなければ対応できません。特に私を説得しなくても、提案が方針に沿っていれば、議論は進みます。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 12:47 (UTC) MICCAgoさん、以下のWikipediaをもう一度お読みください。 Wikipedia:名誉毀損︵https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%90%8D%E8%AA%89%E6%AF%80%E6%90%8D︶ 特に日本法においては真実性・相当性等に関する証明責任が表現者側に課されており、現実的悪意の法理が認められているアメリカ等に比べると名誉毀損が成立しうる範囲がかなり広いといえます。記述対象にとってネガティブな情報を記述する場合は、充分慎重に判断して、名誉毀損の可能性があるなら書かないようにすることが重要です。 ﹁真実性・相当性等に関する証明責任が表現者側に課されており﹂と明確に書かれています。他の編集者がここであなたの記述内容に関する事実誤認を指摘した場合は、それに対する証明責任は表現者︵あなた︶にあるのです。したがって、以下についてあなたの証明責任を果たすように求めます。 ・Oshoがサルモネラ菌撒布事件を﹁承知していた﹂と断言するに足る客観的な根拠 ・Oshoが﹁ラジニーシの事件への関与﹂を証明するに足る客観的な根拠 これらはOshoが一連の犯罪に関与していたことを明確に断言する記述であり、一連の事件に対して﹁有罪どころか訴追もされていない﹂法的に無実の個人に対する重大な侮辱であり、誹謗中傷です。 最近は、SNSで他者の誹謗中傷を含む記述をリツイートしたり、﹁いいね﹂を付ける行為も問題視されています。たとえ文献からの引用であっても、Wikipediaのような広く認知されているメディアで、個人を正当な根拠なく侮辱する文脈で自身の主張を長々と繰り返し展開するような行為は到底許されるべきものではありません。 --Swachid︵会話︶ 2020年10月28日 (水) 07:09 (UTC)
同じ著書が言っている文章をなぜ消すのか?
聖者達のインドの、足沢一成が言っている箇所P87
インドのヒンドゥー教で伝統的な不二一元論︵アドヴァイタ・ヴェーダーンタ︶と同じものとなる。しかし、ラジニーシ自身は﹁ブラフマンとアートマンの合一﹂あるいは﹁全体と個の合一﹂という考え方が自分の思想の中心であると断言してはいないし、注がれるべき﹁エネルギー﹂が何であり、どこから来るかということも断言していない。
と書いてある。しかし、MiCCAgoさんは
しかし、ラジニーシ自身は﹁ブラフマンとアートマンの合一﹂あるいは﹁全体と個の合一﹂という考え方が自分の思想の中心であると断言してはいないし、注がれるべき﹁エネルギー﹂が何であり、どこから来るかということも断言していない。
という文章を消してしまう。それはなぜですか? 足沢の次の文章をなぜ消すのか? --ダイヤモンド123︵会話︶ 2020年10月20日 (火) 13:38 (UTC)
冒頭は簡潔な解説なので、本文に移動させています。﹁ラジニーシ自身は﹁ブラフマンとアートマンの合一﹂あるいは﹁全体と個の合一﹂という考え方が自分の思想の中心であると断言してはいないし、注がれるべき﹁エネルギー﹂が何であり、どこから来るかということも断言していない。﹂という文章は、ラジニーシが自然であることを重視したこととの関係で足立の書籍で語られていますが、思想の細かい解説になってしまうので、冒頭は﹁ラジニーシ自身は自身の思想の構造について明言していない﹂という程度で十分ではないでしょうか。概略でわざわざ言及しているのだから、この否定の文章の後には重要な解説が来るだろうという文脈で切れているので、読んでいて困惑してしまうというのが個人的な感想です。文中に詳しい解説を追加していただくのは良いと思いますので、よろしくお願いいたします。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月21日 (水) 12:51 (UTC)
私も資料を入手し、確認中ですが、そもそも足沢氏の表現に偏りがみられ、また大きく事実誤認されているのかなぁ、と思うところがありましたので、検証中です。しばらくお時間ください。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月25日 (日) 07:02 (UTC)Bhavesh.jp
MiCCAgoさんの言いたい事はわかりましたが、まとめて概略で言っているなら冒頭も必要ないですね。そもそも神はいない、といっているOshoはヒンズー教と少しも似てはいないのです。
--ダイヤモンド123︵会話︶ 2020年10月25日 (日) 11:10 (UTC)
ヒンドゥー教には無神論も含まれますが。﹁足沢氏の表現に偏りがみられ、また大きく事実誤認されている﹂といった個人的な判断で学術書を否定することはできません。個々の執筆者の意見より、出版された学術書の足沢氏の文章のほうが信頼されます。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月25日 (日) 13:29 (UTC)
MICCAgoさん、別段に﹁個人的な判断で学術書を否定﹂しているわけではありません。客観的かつ検証可能性のうえで、あきらかな誤認があります。すべてが﹁出版された学術書(だけが︶が信頼され﹂優先されるのであれば、Wikipediaの存在基盤は大きく失われてしまのではないでしょうか。ウェブ上の百科事典としての存在は、多くの編集者の中立的かつ、検証可能で、かつ、独自研究を排除したもの、と理解しています。学術書にも、多くの記述があり、対立した意見も相当数あります。誰か特定の人の学術書だけが信頼されているわけではありません。独自研究を避けてください。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月26日 (月) 02:07 (UTC)Bhavesh.jp
学術書をジャッジするというのは独自研究に踏み込んでおり、Wikipediaの方針に反すると思われます。学術書は正しくない、一次情報を確認するなら~だ、というようなことが言いたい場合は、Wikipediaは合う場所ではありません。自己研究の持ち込みは、論文を書いて紀要や学術誌に発表し、それを出典とするという対応が考えられます。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 12:47 (UTC)
他者の文章に手を加えることはルール違反であるため、節タイトルを戻します
表題の通りです。Kadzuwoさん、わたし、ダイヤモンド123さんの文章︵節タイトル︶に手が加えられていましたが、ルールに反するため戻します。修正する場合は本人に了解を取り、元の記述を残して取り消し線で対応するなど、変えたことが分かるよう対応してください。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月25日 (日) 13:29 (UTC)
MICCAgoさんのおっしゃることは理解できますが、それならまず隗より始めましょう。あなたがこれまで4月29日以来、半年間に行われた編集作業は、すべてご自身の編集指針に合致したものだったでしょうか? MICCAgoさん、まず最初にあなたから﹁修正する場合は本人に了解を取り、元の記述を残して取り消し線で対応するなど、変えたことが分かるよう対応してください﹂お願いします。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月26日 (月) 01:53 (UTC)Bhavesh.jp
MICCAgoさんが4月29日以来、大幅に改ざんしたときに、﹁修正する場合は本人に了解を取り、元の記述を残して取り消し線で対応するなど、変えたことが分かるよう対応﹂されましたでしょうか?全くされていませんね。
今回、SapphireeiPさんやBhavesh.jpさんをはじめとする、出典のある良質な文章も削除されています。いかがなものでしょうか?
都合が悪くなると、自らの個人的なルールに沿っていないからと、すべてご和算にする暴挙。
それならば、4月28日以前に戻した方がいいということになります。それでよろしいですね。
--DY111︵会話︶ 2020年10月26日 (月) 02:54 (UTC)
MICCAgoさん、すみませんが、何を言いたいのかがさっぱりわかりません。何年もログインしていないKadzuwoさんが何の関係があるんですか?
私が、節タイトルを変えた? という事ですか? 節タイトルを変えた覚えはありませんが、変えましか? よろしければ、わかりやすく書いていだだけますか? 理解不足ですみません。--ダイヤモンド123︵会話︶ 2020年10月26日 (月) 11:14 (UTC)
﹁他者の文章に手を加えることはルール違反である﹂というのはノートページでの発言が変えられて分からなくならないように、修正する場合は元の文章を残して取り消し線を引き、修正内容を書く、という対応をすることになっているということです。ダイヤモンド123さんが節タイトルを変えたのではなく、ダイヤモンド123さんが立てた節タイトルを他の方が変えるなら、ダイヤモンド123さんに一言聞いて、許可を取り、変更したことがわかるようにしましょう、と述べています。わかりにくくてすみません。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 12:47 (UTC)
MICCAgoさん、まずご自身の4月29日の、あなたが最初に登場した日の編集をみてください。大幅な削除、書き込み、引用のある他人の文章の削除。ここからあなたの編集が始まっています。あなたの言葉が説得力がないのはそのためです。おたがい、尊重しあえるような編集者になりましょう。
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%90%E3%82%B0%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%82%B7&diff=next&oldid=76448330 --Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月28日 (水) 09:56 (UTC)Bhavesh.jp
保護を依頼しました
出典のある記述が消される、記事として体裁が崩れているなど、問題が多いのでいったん戻し、保護を依頼しました。Shepherdを出典とする記述は一通り除去しています。呼びかけでルールをよく知らない新規参加者が集まり、更新をひとつひとつ吟味して戻すことが難しいため、一気に戻すことになったことをご理解ください。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月25日 (日) 13:29 (UTC)
Shepherdを出典とする記述が誤解だったようにMICCAgoさんの文章には、かなりの誤解がある文献を使用されています。新規参加者と記事を作っていったら良いのではないですか? まらかいとまっくす︵会話︶ 2020年10月25日 (日) 15:35 (UTC)
MICCAgoさん、あなたが加筆を始められた4月29日以前のページと、現在のページの差分をごらんください。これが、あなたがほぼ半年に渡って、たった一人で、9月上旬まで加筆されてきた結果です。﹁ルールをよく知らない新規参加者が集まり、更新をひとつひとつ吟味して戻すことが難しいため﹂というような、私のような新規編集者を排除するような発言は、おやめいただけるでしょうか。すくなくとも私は別なページを立ち上げるためにWikipediaに参加したのであり、Wikipediaは私のような新規編集者を歓迎している、と理解しています。先輩なのであれば、後輩に﹁更新をひとつひとつ吟味して戻すこと﹂を、ご指導していただくことが、本筋ではないでしょうか。少なくとも私はMICCAgoさんが、﹁一気に戻すことになったこと﹂など、まったく理解できません。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月26日 (月) 04:58 (UTC)Bhavesh.jp
これまでに多くの人々の時間とエネルギーが編集に費やされています。 それを無に帰して、MICCAgoさんの独壇場としたいならば、それは独裁政治と同じことになります。 そもそも、4月からここにあなたが登場してから、問題の多い文章に改ざんされました。 問題の多い文章を修正するのは、百科事典として当然のことです。ここは三流週刊誌ではないのですから。 とにかく、一気に戻したのは言語道断。暴挙と言わざるを得ません。 戻した上で、保護依頼を出したというのも狡猾ですね。 これまでのその狡猾なトリッキーな手口の数々をぜひ観ていただきましょう。 こちらこそ、保護依頼により公正に観ていただくことは望むところです。 --DY111︵会話︶ 2020年10月26日 (月) 05:53 (UTC) 合掌 Setu︵会話︶ 2020年10月26日 (月) 06:40 (UTC) MICCagoさんへ。保護を依頼されるのはWikipedia上、認められた行為には違いありませんが、ここを始めとする多くの方々(Bhavesh.jpさん、DY111さんほか)のあなたのページへの頑なとも思える編集行為に対する質問の多くに、まったくお答えがありません。もう一度目を通されて、誠意あるご返答をいただきたく思います。宜しくお願い致します。 ShiningStar1979︵会話︶ 2020年10月26日 (月) 11:42 (UTC) 拡張半保護が受領されたということは、管理者に新規参加者の投稿や削除が問題があるとみなされたということです。問題の記述や除去をなさった方は、振り返って今後の活動を修正していただくようお願いいたします。わたしはGViknn-Pさんの提案にはお答えして合意し、記事を編集しました。かたくなに記事を支配しているわけではありません。GViknn-PさんはWikipediaの方針を理解し、それにのっとり個別具体的に提案してくださっており、対応することが可能でした。個人の意見の応酬といった堂々巡りの議論にならないように方針があります。方針を理解し、それに沿った具体的な提案をしてください。Wikipediaの方針に沿った具体的な改善提案であれば、議論し合意を目指すことも可能かと存じます。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 11:50 (UTC) MICCAgoさん、まさに私も賛成です。上であなたがおっしゃっているように、最初から﹁修正する場合は本人に了解を取り、元の記述を残して取り消し線で対応するなど、変えたことが分かるよう対応してくださ﹂っていたら、今回のような問題もおきずにすんだかもしれません。拡張半保護を、他人のせいばかりにしてはいけません。あなた自身が全然反省する点がなかったと言えますか? 全部他人のせいばかりだと思いますか? 私は、9月初旬から、このノートやその他の履歴をみていました。こりゃ、どうなんだろうね、と思ったのは、あなたに対してのほうがさきでした。最初から﹁合意を目指すことも可能﹂という姿勢を見せていれば、なにも私がここで、あなたとお話しする必要など、最初から不要だったかな、と思ってます。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 12:47 (UTC)Bhavesh.jp 追伸ですが、だれだれのように、という要求は取り下げていただけますか? 編集者それぞれにスタイルがあるのであり、それぞれが尊重されるべきです。一定程度の規範に沿っていれば、いろいろな人間が参加してこそ、公平で、中立な編集といえます。だれだれさんは、だれだれさん流にやればよいし、私は私流になんとか、皆さんに歩調を合わせていくつもりです。一方的なスタイルの要求は、個人編集者としては、越権していると感じます。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 12:53 (UTC)Bhavesh.jp
これまでに多くの人々の時間とエネルギーが編集に費やされています。 それを無に帰して、MICCAgoさんの独壇場としたいならば、それは独裁政治と同じことになります。 そもそも、4月からここにあなたが登場してから、問題の多い文章に改ざんされました。 問題の多い文章を修正するのは、百科事典として当然のことです。ここは三流週刊誌ではないのですから。 とにかく、一気に戻したのは言語道断。暴挙と言わざるを得ません。 戻した上で、保護依頼を出したというのも狡猾ですね。 これまでのその狡猾なトリッキーな手口の数々をぜひ観ていただきましょう。 こちらこそ、保護依頼により公正に観ていただくことは望むところです。 --DY111︵会話︶ 2020年10月26日 (月) 05:53 (UTC) 合掌 Setu︵会話︶ 2020年10月26日 (月) 06:40 (UTC) MICCagoさんへ。保護を依頼されるのはWikipedia上、認められた行為には違いありませんが、ここを始めとする多くの方々(Bhavesh.jpさん、DY111さんほか)のあなたのページへの頑なとも思える編集行為に対する質問の多くに、まったくお答えがありません。もう一度目を通されて、誠意あるご返答をいただきたく思います。宜しくお願い致します。 ShiningStar1979︵会話︶ 2020年10月26日 (月) 11:42 (UTC) 拡張半保護が受領されたということは、管理者に新規参加者の投稿や削除が問題があるとみなされたということです。問題の記述や除去をなさった方は、振り返って今後の活動を修正していただくようお願いいたします。わたしはGViknn-Pさんの提案にはお答えして合意し、記事を編集しました。かたくなに記事を支配しているわけではありません。GViknn-PさんはWikipediaの方針を理解し、それにのっとり個別具体的に提案してくださっており、対応することが可能でした。個人の意見の応酬といった堂々巡りの議論にならないように方針があります。方針を理解し、それに沿った具体的な提案をしてください。Wikipediaの方針に沿った具体的な改善提案であれば、議論し合意を目指すことも可能かと存じます。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 11:50 (UTC) MICCAgoさん、まさに私も賛成です。上であなたがおっしゃっているように、最初から﹁修正する場合は本人に了解を取り、元の記述を残して取り消し線で対応するなど、変えたことが分かるよう対応してくださ﹂っていたら、今回のような問題もおきずにすんだかもしれません。拡張半保護を、他人のせいばかりにしてはいけません。あなた自身が全然反省する点がなかったと言えますか? 全部他人のせいばかりだと思いますか? 私は、9月初旬から、このノートやその他の履歴をみていました。こりゃ、どうなんだろうね、と思ったのは、あなたに対してのほうがさきでした。最初から﹁合意を目指すことも可能﹂という姿勢を見せていれば、なにも私がここで、あなたとお話しする必要など、最初から不要だったかな、と思ってます。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 12:47 (UTC)Bhavesh.jp 追伸ですが、だれだれのように、という要求は取り下げていただけますか? 編集者それぞれにスタイルがあるのであり、それぞれが尊重されるべきです。一定程度の規範に沿っていれば、いろいろな人間が参加してこそ、公平で、中立な編集といえます。だれだれさんは、だれだれさん流にやればよいし、私は私流になんとか、皆さんに歩調を合わせていくつもりです。一方的なスタイルの要求は、個人編集者としては、越権していると感じます。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 12:53 (UTC)Bhavesh.jp
- 「最初から「修正する場合は本人に了解を取り、元の記述を残して取り消し線で対応するなど、変えたことが分かるよう対応してくださ」っていたら」とおっしゃっていますが、私はほかの方の発言をノートで改竄しましたでしょうか?誤解を招く言い方はおやめください。記事で取り消し線を引いて元の記述を残すことはありません。また、個人の執筆スタイルはウィキペディアの方針・ルールを守った上で尊重されることであり、それ以上のものではありません。方針・ルールを守っていただきたいというのは、越権ではありません。お名前は、方針・ルールを守っている方のやり方を参考にしていただきたいと思い挙げただけですので、特に取り下げる必要はないと存じます。--MICCAgo(会話) 2020年10月27日 (火) 13:12 (UTC)
戻された記述は、人権侵害に当たります。
MICCAgoさん、あなたは管理人ではありません。あなたが登場する今年4月以降と4月以前では、まったく別の内容となりました。4月以降、あなたは誰も見ていないことをいいことに、極端に偏向的な内容に改悪しました。根拠のない怪しい出典元をさもアカデミックなように見せかけ、文章を合意なしで編集できないようにしてきました。これはWikipediaのルールを悪用していることになります。MICCAgoさんは以下の理由により、大きな過ちを犯していることになります。
①人権侵害に当たる。
世界的に高い評価を受けている人物を、犯罪者として表記している。これは人権侵害に相当する。
②名誉棄損に当たる。
事実無根の記述、極端な偏向記述でひとりの人物を描き出すことは、名誉棄損に相当する。
③百科事典を三流週刊誌に貶めている。
MICCAgo氏の記述内容は、ほぼ三流週刊誌と同じ内容である。客観性を求められる百科事典とは程遠く、Wikipediaを三流週刊誌に貶めている。
④英語版Wikipediaとの乖離が甚だしい。
この人物は世界的に知名度があり、評価されているため、英語版のWikipediaでは内容が定着している。日本だけが世界の記述と乖離しているため、ガラパゴス現象が起きている。許されることではない。
https://en.wikipedia.org/wiki/Rajneesh
⑤つまりは、客観性がない。
最初から犯罪者と決めつけて、それを裏付けようと出典をつけているが、どれも根拠がなく、アメリカで立証されていない内容ばかり。著しく読者に誤解を与えることを目的としている、と言わざるを得ない。
以上 --DY111︵会話︶ 2020年10月25日 (日) 22:38 (UTC)DY111
GViknn-Pさんのように、Wikipediaの方針にのっとり、個別具体的に提案してください。--MICCAgo︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 11:50 (UTC)
MICCAgoさん、奇妙なことをおっしゃいますね。Wikipediaのノートページのガイドラインのどこにそのようなことが書かれていますか?書かれていませんね。議論のテーマを﹁編集の具体策﹂に限る、というような制限はありません。﹁具体策﹂はいいけど、﹁方向性﹂について話してはならない、という制限はありません。﹁戦術﹂について話してもいいけど、﹁戦略﹂について、話してはいけないという制限はありません。﹁記述﹂ついて話してもいいけど、その﹁動機﹂について話してはいけないという制限はありません。
それでは、上記に示した五番までの現実的な傾向と方向性を、あなたが否定しないということは、認めた、という認識でよろしいですね。--DY111︵会話︶ 2020年10月29日 (木) 05:43 (UTC)
提案:ラジニーシプーラムにおける一部の幹部による一連の犯罪に関する詳細な記述を主犯である「シーラ・シルバーマン」または「ラジニーシ教団によるバイオテロ」のページに移動する
ラジニーシプーラムで発生した︵サルモネラ菌撒布事件を含む︶一連の犯罪について、Oshoが関与していないことに関して、MICCAgoさんを含めて編集者の一定のコンセンサスが取れたと思います。このページはOsho個人について記述するページであるため、本人が関与していない事件の詳細について長々と︵しかも何度も︶記述するのは適切ではありません。よって、その部分は主犯である﹁シーラ・シルバーマン︵まだ未作成のようです︶﹂または﹁ラジニーシ教団によるバイオテロ﹂のページに移動することを提案します。--Swachid︵会話︶ 2020年10月26日 (月) 22:55 (UTC)
このページは全体として、長すぎて、混乱しているために、一般の読者には利用しにくい状況になりつつあるのかな、と感じます。より公平で、中立、検証可能性のたかい、透明度の高い記述が残ってほしい、という希望から、私はSwachidさんの意見に賛成です。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 08:10 (UTC)Bhavesh.jp
- ラジニーシが率いる団体でのことですので、本人と切り離して考えることはできません。セス・カルスからの書籍にどのような記述があったかを確認していたことを、ラジニーシと一連の事件が無関係という合意に達した置き換えるのは、論理の飛躍ではないでしょうか。「Oshoが関与していないことに関して、MICCAgoさんを含めて編集者の一定のコンセンサスが取れた」という事実はありません。合意を形成してください。合意形成の議論は、合意が明確に形成されるまで行ってください。よろしくお願いいたします。--MICCAgo(会話) 2020年10月27日 (火) 11:50 (UTC)
校正しただけなのに
星本光一は、このページの誤字を直したり、webが出典になっているものを書籍の出典の明記に変更したりを行なっただけです。その中には、改変された記事ではなく、元記事の緻密な校正を含みます。星本光一はそれ以外の「私見」を書き込むなどの作業をなんら行なっていません。にもかかわらず、記事は一括して以前のものに戻されました。星本光一による単純な校正作業も無効になり、記事は単純ミスに満ちています。例=sanyasをsanyasinに校正すべき部分があるなど。 時間を費やした緻密な校正作業が、なんらかの対立のようなものに巻込まれ、すべて無効にされたのは大変遺憾です。少なくとも、改変前の元記事該当部分への、星本光一の緻密な校正部分を活かすよう要請します。 星本光一は校正しかしていません。他のことは一切してません。 いつ、我知らぬ対立に巻込まれて、緻密な作業が無駄になるかしれないのがwikiであるということになるなら、編集意志のある者の「良心的な」関与の意志を挫くだけです。 星本光一の校正を活かすよう、強く要望します。 星本光一(会話) 2020年10月27日 (火) 14:22 (UTC)
星本光一さん、貴重なご意見ありがとうございます。MICCAgo氏のご返答や、皆さんのご意見をお待ちします。私自身も反省するところあります。--Bhavesh.jp(会話) 2020年10月28日 (水) 00:17 (UTC)Bhavesh
無断で削除された内容の復活依頼および引用元の確認
MICCAgo さん
以下の内容は英語版Wikiからの翻訳であり、引用元の地元新聞も明記されていましたが、私に断りなく削除されました。復活してください。
ただし、当時米国の連邦検事であったチャールズ・ターナーとデイヴ・フロンマイヤー検事総長は、﹁ラジニーシプーラムで明らかになったすべての犯罪行為について、︵ラジニーシが︶関与をしていたという証拠はほとんどなかった﹂と認めている[149]。
参照文献‥
149 King, Elroy (23 July 1985). "Plea bargain said best deal possible". Dalles Chronicle.
以下は文献の何ページからの引用ですか。
セックスは石炭であり、一方ブラフマチャリア︿性超越﹀はダイヤモンドだと言いたい、性超越はセックスの変容だ[10]。
--Swachid︵会話︶ 2020年10月27日 (火) 23:36 (UTC)
この記事についての考察も、大変気になっていました。今後の展開を注視させていただきます。--Bhavesh.jp︵会話︶ 2020年10月28日 (水) 00:22 (UTC)Bhavesh.jp
- Swachidさんがとても重要な個所を、MICCAgo さんから無断で削除されたことに関して言及しています。
- 当時の米国の連邦検事と検事総長の明言に関してです。司法における最高府からの立証結果による発言です。
- MICCAgo さんは事の重要性を本当に理解されているのでしょうか?このページであなたが記述したすべてが崩れ去るのです。立証されていない参考文献を出典元にしているのですから。--DY111(会話) 2020年10月29日 (木) 06:04 (UTC)
恣意的な引用について
MICCAgo さん、
以下の記述について指摘します。
ゴードン︵1987年︶は、オレゴン州担当の連邦検事チャールズ・ターナー、オレゴン州司法長官デイビット・B・フローンマイヤー、非公開の口述書の調査に携わり何百時間もの録音テープを聞いた法執行機関の当局者たちが、ラジニーシが起訴されたより多くの犯罪で有罪であることを暗に語ったと報告している[27]。
この引用元を確認すると以下のようになっています。
Others have noted that although Sheela bugged Osho's living quarters and made the tapes available to U.S. authorities as part of her plea bargain, no evidence has come to light that Osho had any part in her crimes. However, Gordon (1987) reports that Charles Turner, David Frohnmayer and other law enforcement officials (who saw affidavits never released publicly and listened to hundreds of hours of tape recordings) implied to him that Osho was guilty of more crimes than those for which he was prosecuted.
あなたは、﹁Gordon (1987) reports that﹂以降のみのOshoが犯罪に関与したことを暗示するような内容のみを引用しており、バランスを取っているその直前の部分は引用していません。Oshoに関する記述を公平な立場から行うつもりは最初からないですよね。このような恣意的な引用を繰り返すことによって、MICCAgoさんひとりの偏見でこのページが記述されているのは大変遺憾です。
この箇所をしっかり読むと、Sheelaとのみ対話していた当時沈黙状態にあったOshoは、そのSheelaとの対話を盗聴されていたわけです。そしてそのテープがすべて証拠として提出された。法執行機関で立件できる立場にあったターナーやフローンマイヤーが盗聴テープを聞いて﹁起訴されたより多くの犯罪で有罪である﹂とするなら、当然訴追するはずです。この部分全体を読んで十分に理解できる読者はそのあたりを察知するはずですが、あなたは察知しなかったか、または無視して自分の主張に沿った箇所のみを切り取ったのでしょう。そのような姿勢はWikiの基本的な理念に沿っているのですか?
--Swachid︵会話︶ 2020年10月28日 (水) 09:05 (UTC)
ロールスロイスについて。
本文中に次の記事があります。
また、高級車のロールス・ロイスを90台以上所有し﹁ロールス・ロイスの第一人者﹂として知られた[16]。
足沢の記事では直前に﹁アメリカ時代に﹂という限定する表現がついていますが、この引用には見当たりません。プーナ1期にはずっとベンツ一台を使用しており、最後の時期にロールスロイスが一台加わったと聞いています。アメリカ時代はわずか数年です。プーナ2期も一台か二台でしょう。敷地が狭いので多くは置けません。誤解を招くので﹁アメリカ時代に﹂という言葉を忘れずに付け加えてください。それから、﹁ロールスロイスの第一人者﹂という表現は、足沢の記事には見当たりませんでした。どこから引用したものなのか、出典を明示してください。 Drachma12︵会話︶ 2020年10月29日 (木) 10:53 (UTC)
精神医療現場で導入されている瞑想法
﹁思想と活動﹂内に、以下のように﹁精神医療現場で導入されている瞑想法﹂を追加しました。
全文削除されましたが、何が問題であるか指摘していただきますか?
瞑想名ですが、OSHO公式サイトにOSHOインターナショナル・ファウンデーションの登録商標だとあるので、﹁OSHO﹂と表記しました。
それが問題なのでしょうか?
おしらせください。
心理学、腫瘍心理学、精神医学の博士号を持つフロリアーナ・フォルミコーナ博士は、OSHO Dynamic Meditation®とOSHO Kundalini Meditation®を治療に用いている。患者の状態によってこれら二つの瞑想法を使い分けているが、OSHO Dynamic Meditation®は感情障害、不安障害、ヒステリー、被害妄想障害に適し、OSHO Kundalini Meditation®は重い症状を抱えるクライアントにも有効だと語っている。 [3]
パーキンソン病の研究で博士号を取得したオランダ人のヤン・マリウス・ケッペリングは、生物学者であり、医師でもある。神経科医として働き、ドイツのヴィッテン・ヘルデッケ大学で分子薬理学の教授も務めている。これまで三冊の著書と80本以上の論文を執筆しているが、その中でOSHO Dynamic Meditation®についてこう語っている。﹁通常、瞑想というと、内省的な状態や、ヴィパッサナ瞑想のように呼吸を観察する状態を連想しますが、OSHO Dynamic Meditation®は、とても力強く即効性のあるものです。そのインパクトに完全に感銘を受けました﹂ [4]
米国ダラスに在住する精神科医Vyas, A博士は、Oshoが編み出したダイナミック瞑想の臨床効果を調査するために、実地研究を行い論文にまとめた。本研究は治験者が実際に瞑想を行い、ペアワイズ比較を用いて行われた。結論として、攻撃的行動、抑うつ状態、形質的危険性、感情的な疲労、役割の過負荷、心理的な緊張の大幅な減少が見られたと実証した。そして、心理療法として使用することができると示している。[5]
ドイツのファフクリニーク・ハイリゲンフェルトという、精神療養所を運営しているヨアヒム・ガルスカ博士は、﹁ダイナミックは、私が知っているうちでももっともパワフルなテクニックのひとつです﹂と彼は言う。 精神医学者であるライナ・ファルク博士は、OSHO Dynamic Meditation®を、毎月21日間、患者たちに提供している。[6] --SapphireeiP︵会話︶ 2020年10月29日 (木) 15:19 (UTC)
精神医療現場で導入されている瞑想法
医学博士のイタリア人医師、フェデリコ・モンテッコ氏は、トスカーナ州に﹁Villaggio Globale﹂というコミュニティを設立し、瞑想の研究を行なっている。氏はこう語っている。﹁OSHO Dynamic Meditation®は、体、マインド、ハートの3つの部分に癒しと統合性を生み出すための最も科学的な方法のひとつです。これほどまでに方法論的かつ科学的に考え抜かれたものはありません﹂[2]心理学、腫瘍心理学、精神医学の博士号を持つフロリアーナ・フォルミコーナ博士は、OSHO Dynamic Meditation®とOSHO Kundalini Meditation®を治療に用いている。患者の状態によってこれら二つの瞑想法を使い分けているが、OSHO Dynamic Meditation®は感情障害、不安障害、ヒステリー、被害妄想障害に適し、OSHO Kundalini Meditation®は重い症状を抱えるクライアントにも有効だと語っている。 [3]
パーキンソン病の研究で博士号を取得したオランダ人のヤン・マリウス・ケッペリングは、生物学者であり、医師でもある。神経科医として働き、ドイツのヴィッテン・ヘルデッケ大学で分子薬理学の教授も務めている。これまで三冊の著書と80本以上の論文を執筆しているが、その中でOSHO Dynamic Meditation®についてこう語っている。﹁通常、瞑想というと、内省的な状態や、ヴィパッサナ瞑想のように呼吸を観察する状態を連想しますが、OSHO Dynamic Meditation®は、とても力強く即効性のあるものです。そのインパクトに完全に感銘を受けました﹂ [4]
米国ダラスに在住する精神科医Vyas, A博士は、Oshoが編み出したダイナミック瞑想の臨床効果を調査するために、実地研究を行い論文にまとめた。本研究は治験者が実際に瞑想を行い、ペアワイズ比較を用いて行われた。結論として、攻撃的行動、抑うつ状態、形質的危険性、感情的な疲労、役割の過負荷、心理的な緊張の大幅な減少が見られたと実証した。そして、心理療法として使用することができると示している。[5]
ドイツのファフクリニーク・ハイリゲンフェルトという、精神療養所を運営しているヨアヒム・ガルスカ博士は、﹁ダイナミックは、私が知っているうちでももっともパワフルなテクニックのひとつです﹂と彼は言う。 精神医学者であるライナ・ファルク博士は、OSHO Dynamic Meditation®を、毎月21日間、患者たちに提供している。[6] --SapphireeiP︵会話︶ 2020年10月29日 (木) 15:19 (UTC)
コメント 予備実験の Vyas A. (Editor Kostas Andrea Fanti) "Effects of seven-day Osho dynamic study: A pilot study. Psychological science: Research, theory and future directions." (2007) を出典にした記述はもう少し表現を工夫したほうが良いとはいえ、残せたかなと思います。バグワンが提唱した動的瞑想、所謂"OSHO Dynamic Meditation"がストレス解消など健康に良さそうだぞ、ということを書きたいのであれば、肯定的な視点で纏められたサイトや財団による一次資料を基に宣伝的に書くのではなく、前述の予備実験やBansal, Mittal and Seth "Osho Dynamic Meditation’s Effect on Serum Cortisol Level"(2016) あたりを基に書かれたほうがよろしいのではないでしょうか。被験者数が少なく報酬を受ける医療ボランティアだけでの結果なので追加調査が必要としながらも、ポジティブに纏められています。(運動して声を出すんだからそりゃ健康には良いのだろうなあと思います)--Strangesnow(会話) 2020年10月30日 (金) 06:07 (UTC)
脚注
- ^ Kick 2007.
- ^ https://www.activemeditation.com/Perspectives/Professional/Montecucco.html
- ^ https://www.activemeditation.com/OtherModalities/Psychotherapy/Formicola.html
- ^ https://www.activemeditation.com/Perspectives/Personal/NoThoughts.html
- ^ Kostas Andrea Fanti--編"Psychological Science: Research, Theory and Future Directions"ATINER2007
- ^ https://www.osho.com/ja/read/media/professionals/what-the-doctors-say
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e0/Symbol_comment_vote.svg/15px-Symbol_comment_vote.svg.png)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e0/Symbol_comment_vote.svg/15px-Symbol_comment_vote.svg.png)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e0/Symbol_comment_vote.svg/15px-Symbol_comment_vote.svg.png)
Strangesnowさま、まずマニーシャ・ジェームズはアクティブ瞑想の開発などに携わっていません。マニーシャ・ジェームズだけでなく、誰も開発には関与していません。どこからこのような間違った情報を入手されたのですか?
このサイトは確かにOshoの瞑想法を多く取り上げていますが、その他一般的な瞑想にも触れておりBBC, The Guardian, USA Todayなどから瞑想についての記事も引用しています。
マニーシャ・ジェームズは"British Association for Counselling and Psychotherapy(BAPC)で認証されたメンバーであり、実際に治療を行なっています。
BAPCの関係からこのサイトへの記事を依頼されたそうです。
このサイトは瞑想を治療法の一つとして紹介し、導入例、プレス関係の記事、多くの医師の発言などでまとめられています。
ですから信頼できる情報源にあたるのではないでしょうか?
Vyas A.氏の論文を読み翻訳しました。﹁実証﹂を使ったのはここからです。︵全文を訳した訳ではありません︶
This project demonstrated that Osho Dynamic Meditation had significant effects for
many clinical and corporate variables for short term and long term durations.
﹁実証﹂で何の問題もないと思います。ですが、パイロット・スタディであることは追記します。5番目の引用文はStrangesnowさんの提案通りの言葉を冒頭に付け加えます。
SapphireeiP(会話) 2020年11月1日 (日) 20:53 (UTC)
Rajendra Partap Sinhaは信頼できる情報源に該当しないのでは?
﹁Rajendra Partap Sinha (2015年3月13日). “Osho's Religion - Despite being Against All Religions of World︵オショーの宗教 - 世界のすべての宗教に反対しているにもかかわらず︶”. SPEAKINGTREE.IN. 2020年5月9日閲覧﹂からの引用について、これは、個人のブログ︵ABOUT ME I am a seeker on Speaking Tree︶に当たるものだと思われますのでShepherd同様、信用できる情報源に該当しないと思います。引用したすべての記述の削除を求めます。
https://www.speakingtree.in/blog/oshos-religion---despite-being-against-all-religions-of-world
--GViknn-P︵会話︶ 2020年11月1日 (日) 05:11 (UTC)